お晩でがんす
今年も御嶽山に詣でて来た
ほぼ八月の第三日曜日にしている、今年は噴火以来登山禁止で有ったが、九合目までの許可が出た
がしかし、参拝者が段段後期高齢者に近付いてきたので、今度は体力的に七合目までの揺拝所までしか行けなくなってきた
来年は多分頂上まで行けるようになるのではないかと思うが、体力の問題で、如何か???
信仰と言えども体力が伴わなくてはいけない
遥拝所登山口は七合目で有る
何故か神の領域に来たという感じがする、信仰が適当で半分は物見遊山と化している奉拝は真剣に真面目に信
仰している者からは少々不満である
何のために潔斎沐浴をし十日間の禁葷酒をしてきたのか、朝からバスの中で酒を飲み歌を唄って、、、、、
自分が馬鹿らしくもなり、、、唄を覚える前に先ず祝詞や経を覚えるのが優先順位で有ろうと思うが、、、
信仰は自由だから仕方がない
大きなのぎ蘭が迎えてくれている、清清しく咲いて、神域の花らしい
深山ういきょうで有ろうと思うが清楚に咲いている
少し盛りは過ぎたが。秋の黄輪草は太く強く咲いている周りの熊笹にも互しているところが凄い
おおきな岩陰に咲く山母子は少々絵に成る場面だと思うが
山に棲む蜂や虻や、蝶などの昆虫たちの貴重な食料源なのだ、人の目を楽しませ、虫たちを養う
自然は本当にやさしく相互扶助の心を持っている、そこえ行くと人間はさもしい、動物だ、悲しいかな
優しさに欠ける処が多い、そんな心を少しでもより良くするために信仰があると信じている
目に見えぬ大いなる力を信じると言う事は謙虚さの表れであろう
七号目付近には高層湿原が沢山あり池塘も結構ある
池塘の周りにはどこも同じで子梅景草が林立している、もう秋が来始めて秋色に成って来た
大山竜胆?が沢山ある、可憐で高貴な花色で楽しませてくれている
このコンビは到る所にある、秋を代表する花であろう
そして絶滅の坂を下るしかない,もうせんごけ、がそれでもまだある、何とか保護したいものだ
木道の縁にも網を張っている食虫植物だ
たくさんの花や樹や雲を見せて御嶽山はじっと佇んでいる
帰りしな。黒姫山の脇を通った
恥ずかしそうに顔を隠していた、優しそうな山容は丸みを帯びて佇んでいる
何時だったか若いころに登ったことが有る山だ、ほろ苦い懐かしさを覚える
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
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