おばんでがんす
何時もの窓絵はもう正月のどんどん焼きの絵だ
紅白の繭玉を持った女の子が「どんどん焼き」の火で焼こうとしている
後ろの美人のお母さんが心配そうに見ている、女の子の如何にも楽しそうな顔がよい
繭玉は紅白で縁起がよいが、本来は白だけが繭玉なのだが。細かい事は言うまい
自然界で唯一蚕が桑以外で葉を食べる物が山法師だ、だからこの辺では、山桑。と呼ぶ
だからこの山法師の枝に繭玉を挿すのが正しいやり方だ
そして山法師以外の木に挿すと差し口が苦くなってしまう、それと山法師の木の徒長枝が長く
しなりが効いて、熾きの遠くからでも焼けると言う利点もある、個人は色色の事を考慮して
いたのだ
今は大分少なく成って来た道祖神祭りも色色な伝統矢仕来りがあったのだが古き良き時代は
どんどんなくなって。子供たちの心に残る行事や遊びや想い出がンまくなってきているのを
見ると、今の子供達に夢が少ないのが可哀相だ
そんじゃあまたはなすべえ
遊童子
窓絵はずいぶんと先取りでしたね まだ正月も迎えていないのにどんどん焼きとは・・・ こちらでは“どんど”焼きと言っているようです 地域によっていろいろな呼び名があるようですね
窓絵はとてもほのぼのとしていいですね こちらでは繭玉を飾るところはあまり見かけません 繭玉の謂われもあるのですね 蚕がクワの葉以外にヤマボウシも食べると聞いたのは初めてです 繭に違いは出ないのでしょうか? あれ、窓絵から話が外れてしまいました
伝統やしきたりが時代と共に変わって文化としての変遷がゆっくりと進んでいくことは仕方ないことですが、伝統行事は残していきたいものですね 周りの環境や現代生活などからもなかなか難しいことですが・・・
<橙>
百聞は一見にしかず、でやはり自然美は自分の目で見ないと、その素晴らしさは分らないものです
冬のキラキラをありがとうございました
窓絵も今年最後になりました
この地域の繭玉は紅白に緑の動物やら、ウサギやらが付いています
どうやら福島県出身の人達が作ったのを見て、可愛いので子供にはやった様です
我が家では色子で紅白にしたけど、繭玉なので白が本流ですよね
実家も白い繭玉でした
この絵も小正月まで窓絵で起きますので、チョット早すぎますが、、、
子供の頃、どんど焼きがあった事を懐かしみ
里帰りしている家族が見て、話しに花を咲かせてくれれば嬉しいなと思い描きました
師匠のブログで私のつたない絵を乗せてもらえて幸せです
感謝
田舎の素朴などんどん焼きが懐かしいです。今のように派手では無かったけれど。
どんどん焼きの日は通学途中で道草をして、交換した友人の書初めの燃え殻が高く上って行くのを眺めたり、石っころを火の中へくべて、熱くなった石で手をぬくめながら、学校へ行ったっけ・・・・・
もうすぐどんどん焼きの季節。今はどんどん焼きもイベント化してしまった気がする。今でも繭が沢山獲れるよう願ったり、習字が上手になるよう願ってどんどん焼きの前にいる人がいるのだろうか・・・・・
こめんとありがとうございます
伝統や仕来りは時代とともに変遷してゆくものなのでしょうががそれを頑なに守る人もまた必要だと信じています
そうした事が宮中の書行事であり
お伊勢さまの式年遷宮であり
御諏訪さまの御柱祭りであると思いますそれほどの大それたものでなくてもせめてその心は伝承してゆかなくてはならないと思っています
古臭いなあ、、と笑われるでしょうが、その心が現代人の心の闇を照らしてくれるのです
まあ難しい事は如何でもよいお年をお迎えください
ではまた
こめんとありがとうございます
全くあなたの絵には何時も感心させられるし、何かをたきつけるような力があります
来年こそはもう少しみいしみて絵を描こうと言う気にさせられるし
伝統行事もささやかにでも守って往こうとぽもわせるし
自分の子供たちにこんな優しい思い出を居残してやれたかと反省もさせられます
来年も又窓絵を楽しみのしている不安のためにも頑張ってください
一年間有難う
良いお年をお迎えください
ではまた
懐かしい話を思い出させてくれました
良く学校へ新聞紙に包んで持って行ったものです
学校へ到着するころには冷めて程よくなるのだが
包んだばかりは熱くてどこでどうに持ったら熱いのが我慢できるか、いろいろ工夫したものですね
もっとモット今より寒い冬であったと記憶していますが
遠い遠い話ですね
来年がよい年でありますように
ではまた