おばんでがんす
先日太田地方ではかなりゆうめいでスマホでもパソコンでも検索すればすぐに出てくるゆうめいてんだ
克っての商工会の友人私がそばを打っている話を聞いて、そこへ案内すると言ってくれた、すごい期待していった
渋川は旧子持ち村の友人で彫金の芸術家で有り二科展や全国的な日展などで常連の作家さんの〇藤さんと一緒の行っ行って
流石に芸術家は身だしなみが良くて、縦じまのだぶるのすーつで、ネクタイも胸のハンカチもびっしと決めている
私はと言うと。普段着で、運動靴で、じーんずのずぼんで、まるでお抱え運転手で有った、が、其れはそれでりらっくすなので良い
可成り時間が掛った、途中友人と老化現象の話をしながら、盛り上がって行く、今はナビが有るから、案内はナビ任せだ
歳をとると何もかもゆう事を聞かなくなって張り合いが悪い話をしながらの小旅だ
家を出て子持ちへ廻り友人を載せておおたまで、、、、約二時間を要した、想像するに太田の呑龍に近いらしい
案内人の新田町の友人、〇子氏のお宅に立ち寄り案内をしてもらった、とても辺境の地である
まずまず佇まいは今四季のそばやさんらしい
アブローチも蕎麦屋ふうだ。感じが感じ
今四季のモダンな佇まいの、蕎麦屋さん,,然、、としている
手前の座席は大日傘が立ててある。和風をいめーじした、しつらえで有り、私如き田舎者には。如何にも和風と言った薄っぺらな
感覚がした
わんふろあーで、中廊下、仕切りは和簾、と、やはりうわべだけの且つ現代風の和仕立ての席が作ってある、お街用なのだろ??
一番奥りの席が予約してあった
可成りの人気店と見た、並盛,大盛り、特盛り、とあり、定番の天婦羅がべつだてで付いている
此の、三盛り、みな価格が同じなのである、どうもそこが魅力らしいし、お客が引きも切らない
和の代表的なものとして軸が下げてあった、御主人の作なのか、はたまた有名の作家先生の作なのか。落款が有るし、賛款もある
「乾坤一滴を注ぐ」と読んでみたが
かの有名な「乾坤一擲」を模して「一擲を。一滴とした」ところが、さもさもらしい、、、、
乗って可と出るか、或いは不可と出るか、まず一投をしてみると言った塩梅と見たが。その先を曲解して出しの一滴にしたのが
何処かのお坊さんでもあろうか発想が、、、、、。妙心さんの書きなれた字が表している
蕎麦が来た
なみもりで私の注文だ
おおもりで芸術家先生の注文だ
とちゅうでもう一人の大親友、〇繁氏が加わり都合四人による新年
みなさんそれぞれに綺麗に平らげて戴いた。私はと言うと並盛の半分を余した、なぜか、やはり口に合わなかったという事だ
100%がどうのこうのとパンフレットに書いてあったし。佇まいもそれなりなのでかなり期待した
蕎麦が出てきてすぐに分かった、まず手打ちではない、100%ではない、手切りではない、等である、此れはあくまでも私の想像だが
一口食べてみて先ずそう感じた
私の50年の蕎麦道の経験からしてそう感じたのだ、勿論美味いとか不味いとかは言わない口に合うか合わないかの話なのだから
だがどうにも完食は出来ない、兆食ぬきで腹を減らしていったが無理であった
結論として蕎麦屋さんはボランティアではない、利益が出ない事にはどうしようもないのだ、だが我が家は違う、利益は範疇の外だ
上手ければそれでよい、ただただ美味さを追求するだけなのだ
又どこかで我がそばを超える美味いそばにめぐる逢えるだろう、、、未だつずく蕎麦探しの旅だ、先は長い
そんじゃあ又話すべえ
遊童子
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます