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Ciao from Asmara!

ここはエリトリアの首都アスマラ。イタリアとアラブとアフリカが混ざった不思議な街。在アフリカ歴8年のユニセフ職員の日記。

駱駝の話(1)

2006-05-08 23:46:07 | エリトリア
突然ですが、今日は駱駝の話です。

どうしてかって?エリトリアと言えば、ともあれ駱駝なのです。地方へ出張へ行けば、駱駝。アスマラで年1回ある盛大なお祭りの子ども用アトラクションも駱駝(乗れます)。

この写真にあるように、田舎道を走っていると、突然、駱駝軍団。もちろん、車が駱駝に道を譲ります。

確か、以前のブログで、エリトリア南西部はゴマ油産地との話をを書きましたが、このゴマ油製造のためにも駱駝は欠かせません。なんでも、油を採るためにゴマを長時間にわたってすらなければいけないのですが、この作業は駱駝によってされているのです。

しかし、可哀想なのはこの駱駝。実は、ゴマをする石臼を轢くために、目隠しをされて働かされているのです。なんでも、目隠しをされることによって、駱駝は、延々と弧を描く運動をするとか。これが、石臼轢きに最適だそうです。

ところで、この駱駝、エリトリアのシンボルでもあります。政府の公文書のレターヘッドも、駱駝ですから…。この理由はまた明日。

自主独立路線

2006-05-06 23:55:00 | エリトリア
めもめもさん、ご心配どうも。まあ、エリトリア政府が日本語のブログを検閲しているは思えないですが、これでも内容は気をつけているのですよ。

ミャンマーなどでは、日本語情報でもチェックされているそうですから。

以前のブログでも触れましたが、エリトリアの自主独立を目指す国づくりというのは本当に筋金入りです。米国がどう言おうが、国連がどうであれ、知ったことではないというのは、このご時世である意味お見事。

最近も、本来、無料配給されるはずの、WFP(世界食糧計画)、ユニセフ、そして、各種NGOの調達した食糧を、政府は、国民の援助に対する依存心を減らすために、無料配給は止め、政府のプロジェクト等で働いたものだけににまず現金を支給し、それで、食糧を購買させるというアイデア(Cash for food)を出してきています。

立派なアイデアだと思いますが、食糧自体は、昨年末以来政府の倉庫に保管されたままで、腐ってきているという噂でもちきり。また、旱魃の影響が出てきている地域では、子どもたちの栄養状況がかなり悪化してきているとも言われています。家畜が食糧難で死んでいる地域もあるようで、これはかなり深刻な状況を表しいています。

こうなれば、ともかく、政府には一刻も早く、Cash for foodプログラムを実施にうつしてもらいたいものです。

自主独立とは、至極当然のことながら、言うは易し行う難し。

検閲国家ワーストテン

2006-05-04 03:49:33 | エリトリア
毎年恒例の、NYを本部とするNPO「ジャーナリスト保護委員会(Committee to Protect Journalists)」の検閲国家ワーストテンが出ましたね。

じゃーん、エリトリアは堂々の第6位。と、自慢できるものでは全然ありませんが、前年より若干順位を下げたか。

ちなみに、1位は当然というべきか、北朝鮮。以下、ミャンマー、トルクメニスタン、赤道ギニア、リビアと続きます。エリトリアの下10位までは、キューバ、ウズベキスタン、シリア、そして、ベラルーシ。

まあ、詳細は、上記のウェブサイトに書かれていますし、また、各種日本の報道機関のサイトでも伝えられていますが、ジャーナリストが反政府系であるという理由で、投獄されているエリトリアの状況は確かに厳しいかも。

新聞、テレビ、ラジオと、政府系のものしかないですから。ここには。

しかし、そうは言っても、アスマラの街にはインターネットカフェもちょこちょこあるし、いわゆる政府による検閲体制がびっしりひかれているという感じはしません。もちろん、平壌や、ヤンゴンに行ったことがないので比べようがないのですが、アスマラは外で言われるほど、重苦しい空気に満ちているわけではありません。

もちろん、知らされていないところで何が行われているのかは確認しようがないですが。

今日は断水

2006-04-30 23:51:49 | エリトリア
30日は、3日に1回の午前中の停電日ゆえに、朝寝坊して起きてみれば、なんと今日は水もない!

去年の今頃は、確かに3-4日に1回ぐらいの割合で断水がありました。しかし、庭にある予備タンクと、その水を屋根にある給水タンクにあげる電動ポンプのお陰で、まったく蛇口から水が出なくなるという事態はほとんどなかったです。

なるほど電動ポンプも電気がなければ意味なしですね…。

現在は、小雨季のため、今日の午後も雹が混じった大雨が降りました。アスマラ郊外の貯水池が早くいっぱいになれば良いのですが。

停電深刻化

2006-04-27 04:22:53 | エリトリア
久しぶりにアスマラに戻ってみたらですが、いやー、停電がかなり深刻な状況になっています。

23日に帰ってきた時も、夜11時過ぎに家に着いて、おお電気があると思ったのも束の間。深夜12時には、真っ暗に。なんでも、12時から朝6時は、現在、毎日停電のよう。

なんでも、僕がアスマラを出た3月31日の現地新聞に、4月のアスマラ市内電気供給プランなるものが記載されたようです。これによれば、上記の毎日の深夜間停電に加えて、アスマラ市内の地域によって、この日は朝7時半から昼1時までとか、夜6時から11時までというように決められているらしい。

4月の供給プランによると、僕の家のあるエリアは、夜間(6時-11時)の停電はないようですが、ほぼ3日おきに午前中は電気なしのようです。

しかも、これは4月の話。来月はどうなるのだろう。やれやれですよ全く。また、我が家は、調理器具が電気なのが辛いところ。去年のガス不足の時は、電気で本当に良かったと思っていたのですが…。まあ、ガスも相変わらず不足しているのは変わらないようですが。

政府の外貨不足に起因する、国内における重油不足が原因であろうと皆推測しているのですが、なんでも、今回の停電騒動に対する政府の説明では、発電所で使う潤滑油が切れている、というのが理由です。

なんなのでしょうね。これ。

アスマラに戻ってきました

2006-04-25 23:56:23 | エリトリア
約1週間の南ア、2週間強の日本(京都、神戸、さいたま)の後、無事23日の夜アスマラに戻ってきました。

2週間強の滞在と言え、連れ合いとドラ息子といる時間はあっという間で、早く一緒に暮らしたいとの思いを強くしました。やはり。

ドラ息子のドラ加減は想像していた以上ですごい状態。公園の草は食べるは、牧場で、羊の群れに自ら突進、叩くは、耳を引っ張るはで、羊たちの方が逃げようとする有様…。

羽田から、関空、ドバイ経由で、約35時間。ドバイで、ぶらりとできる時間はありましたが、やはりエリトリアは遠い!

また明日から頑張ってアスマラ通信を再開します。

エリトリアンダンス

2006-03-30 04:20:00 | エリトリア
エリトリアの音楽といえば、大分前に、女性歌手Faytingaについて触れました。今日は、一般的にポピュラーなダンス音楽について。ちなみに、この写真は、先日訪問したKerenユースセンターのグループで、別にダンス音楽専門ではありません。

ダンス音楽と書きましたが、これが、なかなかユニーク。文章で説明するのが困難なぐらい、ズンズズン、ズンズズンと、とにかく単調なビートが延々と続くパターン。本当に、15分ぐらいは、同じ旋律、同じリズム、よくまあ続くものかと驚かざるをえません。

歌手がいることが多いですが、これも、同じ歌詞を繰り返している中で、即興で何かその場の雰囲気にあったことを言う感じ。

それで、音楽が始まると、皆輪になって踊るのですが、これが、かなり大きな輪。結婚式等のビックイベントだと、参加者全員が輪に加わる勢い。ぐるぐる、ぐるぐるこの輪も音楽に合わせて回り続けます。

踊る人も、動きは肩を動かす程度で、ステップを踏むわけではないので、極めて単調なダンス。

おとなりはエチオピアのものと音楽は似ていますが、このダンスが全然違います。エチオピアのダンスは、それは、それは動きが激しく、猛烈な運動量。見ていても、楽しめる、技術的にも非常に高度。結構はまってしまう外国人もいるようで、東京にもなんとエチオピアダンスの教室があるとか?!

辛いのは、僕の住んでいる家は、ホテルの隣の隣なこと。現在は、多くの人が断食中(2月16日の話参照)で結婚式は行われていないですが、シーズンの時など、毎週末、明け方まで、ズンズズン、ズンズズンが続くのですから…。

世界クロスカントリー選手権

2006-03-28 05:01:45 | エリトリア
さすがに、首とお腹の調子は回復してきた感じです。まあ、まだ若いという証拠でしょうか?!と、こんなことはどうでもよく、今日は来月、日本は福岡で開催される世界クロスカントリー選手権について…。

はあ、クロカン?という声が聞こえてきそうですが、なんとエリトリアの若手選手が20人ほど参加するらしいのですよ。

以前も書きましたが、多くの若者はナショナルサービスに従事。これが終わったという証明がないと(多くはあっても?)、政府は若者には出国ビザどころか、パスポートも発給しないと言われています。

よって、なんでもまた20人も日本へ?と思いますよね。それほど、クロカンに気合が入っていうのでしょうか。確かに、アテネオリンピックでエリトリアに史上初めてのメダル(銅)をもたらしたは、男子10000m のTadesse選手。去年のクロカン世界選手権は2位だったようです。

生まれた時から、ずーっと高地トレーニング状態なエリトリア人。確かに、訓練すれば、エチオピアやケニアのような長距離大国になる素質はあるかも。

BBCのアフリカ版のようなサイトにこんな特集記事(もちろん英語だけですが…)も載っています。9枚の写真と9つのショートストーリー。これを書いたEdは、BBCとロイターのフリーランサーをしているイギリス人で、よく知っている友人。

なかなか、エリトリアの今、そして、このKokobさんの今が写真と共に伝わってくると思いますが、皆さんはどう感じ取られるでしょうか。

またも、NGO国外追放

2006-03-26 18:59:52 | エリトリア
昨年、エリトリア国内でのNGOの活動を大幅に制限する法律が出来た話は以前書きましたが、この法律の影響が最近だんだんと明らかになってきました。

そもそも、この法律、対象とされるNGOは国内、国外問わず。活動資金として銀行口座に、国内のNGOなら100万ドル、国際NGOなら200万ドル、常時プールしておくことというような、かなり過激な要求を含む内容。そして、この活動資金の条件をクリアしても、政府による活動内容に関しての詳細な審査があり、それをクリアした団体だけが活動許可登録を与えられるというもの。

なんでも、政府が不満を持っていたと言われる、幾つかのイタリア系NGOを狙ったものだ、という噂が最初からありました。登録申請した団体で、最初から不許可を突きつけられていたのも、それらイタリア系団体だったからです。

まさに、それらのイタリア系NGO(4団体)に、政府から、期限付きで国外退去するように命令がでたのも、今年に入ってからでした。

ところがです! なんと、それ以外の3つの国際NGO(米国1、英国1、アイルランド1)にも先週、国外退去命令が出されました。どれも、国際的にもかなりの規模の組織ですし、エリトリアにも食糧の緊急援助分野を中心に深く積極的に関わってきた歴史を持つ団体。政府による活動許可登録も当初は出ていたはずですし。

援助に頼らない、自主独立を目指す国づくり。エリトリア政府の主張は至極最もで、まさにその通りだとは思いますが、こうした最近の施策には理解しかねるものがあります。言い方に気をつける必要はありますが、政府の実施しているプロジェクトに、お金だけを丸ごと投げてくれる団体があれば、それがNGOであっても文句は言われないはずですから。

基本的には、国連加盟国である当該国政府がパートナーとなるユニセフとしても、この政府との関係の置き方自体が微妙でなんとも複雑な状況です。

エリトリアにおけるインターネット事情

2006-03-25 22:13:27 | エリトリア
今日は、現在のエリトリアにおける僕のインターネット環境について。

ユニセフの事務所に行けば衛星回線で繋がった、ユニセフ(というより国連)のシステムに24時間アクセス可。これは自社システムで、たまに衛星の調子から不便が生じますが、基本的に優れもの。

また、自宅でも、あるインターネット接続業者の無線専用回線を契約していて、これまた24時間いつでも使えます。写真にあるような家の屋根にアンテナを取り付けて、それを通して接続するシステム。

し、しかし、この自宅でのシステムは問題が大いにあります。最近は、結構、接続状況が安定しているかなー、と思えば、今日など朝からずーっと使えません…。また、繋がったとしても、とにかく遅い!それに、契約料金も高いし。

ADSLや、光ケーブルとか快適なインターネット環境が低価格で充実している日本とは比べ物にならないにしても酷すぎる。

なんでも、エリトリアに割り当てられているインターネットのバンド数(?)が、そもそも非常に限られていて、どうしようもないそうです。確かに、報道規制等、政府による締め付けがある割には、インターネットカフェとか繁盛しているので、同時間に使おうとする人が多いと接続スピードがどんどん遅くなる仕組みのよう。

いつになったら今日の話をアップできますかねー。

フィールドでのお話-その3(テコンドー教室)

2006-03-24 04:29:39 | エリトリア
さて、フィールド出張の第三弾は、月曜の夜に訪問したユースセンター。

昨日のブログでも、チラッと触れましたが、エリトリア青年学生連盟(NUEYS)という、言ってしまえば、この国に唯一ある政党の青年部のような全国組織によって運営されています。

エリトリアに来る前に居たレソト王国では、青少年育成担当官なる仕事をしていたので、いろいろなユースセンターといわれる施設を今まで見てきましたが、Kerenにある今回訪問したセンターは、充実度の面でそれは立派でした。

まずは、センターの演劇部の主催する、エイズ予防に関する寸劇鑑賞。これも、バーで出会った女の子と一晩を共にしてHIV感染してしまうという展開までは、俗っぽくどこでもよくあるパターン。しかし、その後の、本人とその友人の哲学的とも言える問答が、本当に高校生の自作劇かと疑うほど、よく構成されていましたよ。

一番圧倒されたのは、写真にあるよう、野外バスケットボールコートで行われていた夜間テコンドー教室。アフリカ諸国では、韓国の強力なバックアップのあり、いわゆるマーシャルアーツ(武道)の中でのテコンドー人気が強いのですが、40-50人ぐらいの男女(多分、一番小さい子は5-6歳)が、延々と訓練に励んでいるのは凄かったです。師範の人は、韓国人から訓練を受けた黒帯のエリトリア人男性。

7時ごろから始まって、9時を過ぎてもまだ続いていましたから、大した練習量。エリトリア人は、本当に真面目で熱心だとつくづく実感しました。

フィールドでのお話-その1(バオバブのマドンナ)

2006-03-22 05:18:29 | エリトリア
1泊2日の慌しいフィールド出張から無事戻ってきました。ともかく、内容が濃いくて、いろいろと書きたいことがあるのですが、今日はまず、昨晩泊まったKerenの街にあるバオバブのマドンナについて。実は、仕事とは関係ないのですが、かなり強烈なインパクトがありました…。

この写真で見れば、ただのバオバブの木なのですが、実は真ん中の裂け目のところから、空洞になっている木の中に入れるようになっています。そして、ちゃんと靴を脱いで中に入れば、なんとマドンナ像がうやうやしく飾られています!

そして、マドンナ像の左上には、大きく空いた穴から青空が見えます。なんなんだこれはと思いますよね。なんと、このバオバブの木の中が教会になっているわけです。

解説によれば、このバオバブの巨木自体は、樹齢500年以上。なんでも、イタリア人が入植してきた19世紀後半に、一般的に日本語で「愛の修道女会」と言われている、the Sisters of the Charityによって、木の中に教会が作られたよう。当時、この辺りには親を亡くした孤児達が沢山いて、教会が慈善活動の拠点になっていたようです。

セント・マリアム・デアリット教会というのが正式な名前のようですが、人々には、バオバブのマドンナとして親しまれています。

極めつけのお話が、1941年にあった奇跡。当時は第2次世界大戦の最中。何人かのイタリア兵がイギリス軍の空爆を避けるために、このバオバブの教会の中に隠れていたのですが、なんと爆弾が命中。今も残る大きな穴がこの時できたわけですが、なんと、爆弾は不発弾で、イタリア兵は皆無事だったとか。

これ以来、現地の人達の間では、このバオバブのマドンナは人気を集めたようで、今でも、結婚か出産を望む女性は、この木の陰でコーヒーを用意するのか習慣だとか。なんでも、こうして用意したコーヒーを通りすがりの旅人が飲んでくれると、彼女のお願いは叶うのだそうですよ。

僕が、見学に行った時には、誰もコーヒーを用意している女性はいませんでしたが…。

ナショナルサービスについて

2006-03-19 05:44:07 | エリトリア
エチオピアとの国境線が確定していないエリトリアは、まだ準戦時体制と言えます。こっそり撮ったこの写真じゃないですが、兵隊さんが突然野原から現れヒッチハイクしてきますし。

とは言っても、平和な日本から来た僕には、それがどういった状態なのか理解するのに時間がかかりました。何度も書いていますが、一見、アスマラは治安も良くのどかなところだからです。

準戦時体制の最たるものは、ナショナルサービスと言われる、国民皆兵制度です。確かに、皆兵制とは言え、配属先によっては政府機関で働くことになったり、教師をすることになったりするので、皆がずーっと兵隊というわけではありません。

しかし、男子も女子も基本的に皆18歳になれば、このナショナルサービスの軍事訓練を強制的に受けなければなりません。スーダンの国境に近い軍事キャンプに最低半年は缶詰です。基本的に、食事も1日1回インジェラだけだとか。

この半年のキャンプが終わっても、政府に奉仕する形での仕事が待ち構えています。奉仕という言葉使うのは、どういった仕事をしても月500-1000円ぐらいしか貰えないからです。ナショナルサービスの期間は3年と言われていますが、ここ最近、10年以上ナショナルサービスから解放されないという人がとても増えてきています。

また、基本的には18歳から40歳の男女というのが、ナショナルサービスの対象者ですが、最近は、独立闘争時の軍歴がないとかいう理由で、50-60歳の人も連れて行かれることも多し。

ユニセフエリトリア事務所の現地職員に関しても、ナショナルサービスをきちんと勤めた証明がないという理由をつけられて、ある日突然、軍事キャンプに送られてしまった人が何人もいます。お昼を食べにいったきり帰ってこないのですよ。

まだまだ厳しい現実がこの国にはあります。

庭の手入れ-エリトリア流?

2006-03-18 04:34:24 | エリトリア
最近はすっかり暖かくなって、もはや完全に春全開。街では、既に散り始めた感じのあるジャカランダですが、我が家の庭にある小ぶりのジャカランダと黄色い花をつける生垣、なかなかの風情だと思いませんか?

しかし、家の庭、今に至るまでにいろいろありました…。連れ合いも僕も、庭いじりが特に得意なわけでないので、自己流でいろいろと工夫したりしました。そんな中、是非とも私に任せてくれという庭師が何度も尋ねてきたので、それではとお願いしました。

これがやられました! なんでも、エリトリアのやり方では、とにかく何でもバッサリと切って、しばらくは何もしなくて良い状態にするのです。ようやく、ちゃんと塀を隠すようになっていた生垣もチョンチョンにされてしまい、呆然となったのを今も覚えていますよ。

さすがに2回目の時は、ちゃんと庭師には前もってこちらの希望を伝えチョンチョンにされることはなかったのですが、どうしてもバッサリ切りたそうでした、彼。

また、2年ぐらい前にとても驚いたのは、街中のとあるメインストリートにあった、それは美しく立派な並木が、ある日突然、丸裸状態にされていたこと。確かに、それらの木々、今でも大きな葉をつけるような状態に戻ってないので、3-4年に一回ぐらいのメンテナンスで済ましてしまうという考えなのかもしれません。

アスマラのイタリア料理

2006-03-16 05:35:52 | エリトリア
建築物をはじめエリトリアでは旧宗主国イタリアの影響がいろいろと強いという話は書きましたが、なんと言っても食べ物がその代表。

エリトリアにはバラエティーに富む伝統的な料理(2月13日、3月2日の話参照)がありますが、面白いのは普通のエリトリア料理屋。なんとメニューには、パスタとかピザがあるのです。

確かに、そういったどこにでもあるようなレストランで出されるイタリアンは、パスタがクタクタだったり、ソースが辛すぎたりと、いまいちである場合多し。しかし、アスマラに幾つかあるイタリア人(それか、イタリア系エリトリア人?)の料理人がちゃんといるところはなかなかのお味。

釜焼きオーブンがあるところのルッコラとパルメザンチーズのピザや、オーソドックスな羊の香草オーブン焼き(カプレート)。うちの近所にあるホテルの、ソースがちゃんと分かれて出てくるラザニア(写真のもの)。どれもベーシックだけど結構いけます。

もちろん、立派なメニューがあったとしても、やはり物不足のアスマラ。今日は、これがない、あれがないと、結局、いつもと同じものをオーダーすることは日常茶飯事。

まあ、こういう状況故に、駄目もとで聞いてみたボンゴレスパゲッティーがあったりすると嬉しさも倍増です。ものにもよりますが、紅海のアサリは美味いですよ!