91年に始まった、国内の紛争を逃れてやってきたソマリア人難民ためのNkhuluソマリア難民キャンプは、マッサワから内陸に10kmぐらいのところにあります。
なぜ、マッサワなのかと言えば、やはり、以前(91年~98年)は、ソマリアにより近い、先日出張で行ってきたアッサブの近くにあったようです。しかし、98年~2000年のエチオピアとの国境紛争の影響を受け、より安全な現在地に移転し、現在に至るとのこと。
現在も、約3500人が居住していて、住宅は、写真にあるような仮設のものですが、小中学校、診療所、給水、衛生施設が整う、一つの村のようなところ。UNHCRの支援を受けて、エリトリアの政府移民局の難民支援部が運営しています。
確かに、基礎サービス施設の充実度に比べて、住宅が仮設のままなのはどうしてかと疑問に思い聞いてみると、やはり、ここはあくまでも難民キャンプで、仮の場所であるというのがまず前提にあるよう。それに、ソマリ族の多くは、半遊牧民的なライフスタイルをおくってきたため、住居はそもそもテントのようなものらしい。また、とにかく暑いので、壁とかをしっかりと作ってしまうと、とても中に住めないというのもあるかもしれません。
しかし、考えさせられたのは、エリトリアには、あともう一つスーダンからの難民のためのキャンプが、スーダン国境の方にあること。つまり、エリトリアは、一人あたりGDPが200ドルぐらいの世界最貧国の一つにも関わらず、なんとか難民を支援するために努力をしていること。
独立闘争の時は、多くのエリトリア人が難民として、スーダン等に逃れていました。もちろん、政治的な思惑もあるかもしれませんが、エリトリアでは、どこかの国のように難民問題が他人事ではないのは事実です。
なぜ、マッサワなのかと言えば、やはり、以前(91年~98年)は、ソマリアにより近い、先日出張で行ってきたアッサブの近くにあったようです。しかし、98年~2000年のエチオピアとの国境紛争の影響を受け、より安全な現在地に移転し、現在に至るとのこと。
現在も、約3500人が居住していて、住宅は、写真にあるような仮設のものですが、小中学校、診療所、給水、衛生施設が整う、一つの村のようなところ。UNHCRの支援を受けて、エリトリアの政府移民局の難民支援部が運営しています。
確かに、基礎サービス施設の充実度に比べて、住宅が仮設のままなのはどうしてかと疑問に思い聞いてみると、やはり、ここはあくまでも難民キャンプで、仮の場所であるというのがまず前提にあるよう。それに、ソマリ族の多くは、半遊牧民的なライフスタイルをおくってきたため、住居はそもそもテントのようなものらしい。また、とにかく暑いので、壁とかをしっかりと作ってしまうと、とても中に住めないというのもあるかもしれません。
しかし、考えさせられたのは、エリトリアには、あともう一つスーダンからの難民のためのキャンプが、スーダン国境の方にあること。つまり、エリトリアは、一人あたりGDPが200ドルぐらいの世界最貧国の一つにも関わらず、なんとか難民を支援するために努力をしていること。
独立闘争の時は、多くのエリトリア人が難民として、スーダン等に逃れていました。もちろん、政治的な思惑もあるかもしれませんが、エリトリアでは、どこかの国のように難民問題が他人事ではないのは事実です。