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それは宿毛からはじまった

初めて立って見た高知の最西南端にある宿毛(すくも)は夢に描いたよりも今も美しかった。夢を形にする人々と出会った。

奥谷博画伯個展~6/25(金)銀座日動画廊

2015-06-12 22:13:15 | 宿毛のこと

6/10のオープニングパーティーに行ってきました。

80歳だそうですが、とてもそうは思えない。

カンボジアのアンコールワットへ行かれたそうですが、アンコールワットの他アンコールトムなど広域にすばらしい遺跡群があって、まともに観たら1週間はかかりそう。

そこを精力的に取材して描かれたのもあったようだ。とはいえパーティー参加者が多くて絵のそばに近づけなかったので、また後日拝見しに行きます。

芸大同期の絹谷幸二氏も学長宮田さん堺屋太一氏等の祝辞と豪華でした。そのせいか乾杯前にグラスが軽くなっている方が多かった。

一度お会いしたかった私は念願かなってご挨拶させていただけて感激。

宿毛の日本の世界の奥谷博さんです。


あけましておめでとうございます

2015-01-03 21:11:00 | 宿毛のこと

みなさま、あけましてめでとうございます。

みなさんはどんなお正月を迎えられましたか。

私はいままでになく簡単なおせちにしましたが、それでも除夜の鐘を聞きながら拵えていました。

とはいえ雑煮をお代わりしたので苦しいです。

朝からお風呂に入り、とっとお屠蘇をいただき、来た賀状をみながらのんびり出来るのもこの時期だけと思い、時計を見ないでのんびりすごします。

今年の干支は未(ひつじ)。植物の発達段階になぞらえて子(種子)丑寅・・・亥(核、結実して芯形成)十二段階に分けた十二進法の数え方があります。未(未だ熟していない)はは未来の未、未熟の未で八番目、すなわち成長途上です。人や物事もそれになぞらえると行き着いたかに見える現代の諸問題もまだまだこれから改善できる発達段階です。そして人を動物の干支羊(従順でおとなしい)になぞらえて、どの羊も安心して暮らせるようにみんなでできることから行って行きましょう。

 

 

 

 

 


じゃこてん

2014-05-02 01:09:18 | 宿毛のこと
大好物になったんです。
「じゃこてん」。

これは香川県丸亀のコンビニにありました。
四国、九州、そして五島列島など、このあたりでは「てんぷら」ってよばれる食べ物です。
東京育ちの私は「テンプラ」って言えば、小麦粉を卵と氷水で溶いて海老や烏賊、キス、そして薩摩芋とシソの葉、シシトウをくぐらして油で揚げて、大根おろしを添えた天つゆで食べるものだと思っていました。

ところが違ったんですね。
魚をすり身を揚げたものを「てんぷら」って呼ぶんですね。
東京風おでんの茶色い汁の中にいる甘くて粉だらけの錬りモノ「サツマアゲ」とも違う。
もっと魚の風味が強いんです。
自家製の「つみれ」を平らにして揚げたような感じです。
養母の実家のある九州は大分の家庭でつくるエソの身をすり鉢で掏って卵白と山芋を加え塩で味を調えた「しんじょ」にも似ていなくもない。
私はこれが大好きだけど、東京でエソは見たことがないから作れない。
鰹節や化学調味料ではなくてね、刺身を取ったあとの魚のアラで作る出汁の澄まし汁に「しんじょ」を貝杓子ですくって落とすと、半月型の白い「しんじょ」がぽっかり浮いてくる。
これはうまい、とてもうまい。

一般に、西の方では夕食の膳に澄まし汁が出る。
東の方では夕食でも味噌汁が出るらしいが、父も養母も西出身者だったので夕食には透明な潮汁や澄まし汁だった。
そんな実家だったのに、どうしてか「テンプラ」は関東風だったけどね。

ちなみにウィキペディアによると、真薯(しんじょ)とは日本料理の一。「糝薯」「真蒸」「真丈」といった表記もされ、「しんじょう」と呼ばれる場合もある。
エビ、カニ、魚の白身などをすりつぶしたものに、山芋や卵白、だし汁などを加えて味をつけ、蒸したり、ゆでたり、揚げたりして調理したもの。お吸い物やおでんの具にしたり、直接薬味をつけて食べるなどする。エビを使ったものをエビ真薯、カニを使ったものをカニ真薯という風に呼ぶ。

八百善の四代目当主、栗山善四郎によって著された江戸料理の献立集、『料理通』(1822年)によれば卵白だけを加えたものをかまぼこ、山芋と卵白を加えて練ったものを真薯というとされているらしい。


2月から桜が咲いていた

2014-04-02 03:23:40 | 宿毛のこと

 日本で一番桜の開花が早いのは高知県の最西端にある宿毛。
2月28日、ここは市内を一望に見下ろせる天満宮、日当たりがよいので咲いていました。
春の風に散る桜がきれいです。



市内を流れる松田川の桜の幹はこのくらいの太さも、土手の下に育っていたのを土手の上に植えかえた桜は立派です。


一級河川なので右側の和田の畑に土を盛って植えたそうです。
15年前、土手を作るためにトラック、トラックのガソリン、土など持ち寄ってボランティアで植えた桜。
和田の方々は未来永劫桜を守って下さるとのこと。
頭が下がります。
和田の方々がこの様に支えをして、病気の手当てをされています。


昨年まで間寛平さんが参加して盛り上がっていた桜マラソンは、一時中止となりましたが、市民んの皆さんが継続を望んで活動した結果、来年は開催出来そうです。
また全国からたくさんのランナーが来て下さることを楽しみに、桜の塩漬けでお茶を頂きます。