ファンタジスタ☆ブセオ

ダイビングやマラソン 日々の生活で心に残った事などを 綴っていこうと想っていますヽ(^o^)丿

2011年 師走の出来事 1

2012年01月20日 10時58分45秒 | Weblog
またまた 今頃ですが・・・
師走の出来事が 心に残っているので書いておこうと思います。


2011/12/13

那覇マラソン疲れがまだ残り 
ちょっと気が抜けたような日々過ごしていた。
11/13の赤穂ハーフの惨敗結果以降 かなり根を詰めて走っていたので
帰宅後 どっと疲れが出てしまった。

この日は お休みを取り 久しぶりに大阪にいる姉と長電話した。
その直後 私は恐ろしい発見する。

長電話中 書類の整理をしながら話していたら
捨ててしまったと思っていた
小豆島ウルトラの詳細コースが紹介されているプリントが出てきたのだ。

11/26に小豆島へ下見へ行ってから ずっと探していたモンだ。

これで どのコースで寒霞渓を登るかわかる。

じっくり見て 驚いた!

寒霞渓を登るコースは 先日登った 遊歩道と書いてあるが 
実際は整備された登山道だったのは 想像通り。

それより何より 私は驚いたの その高低差だった。

700M!?
何これ!?
本格的な 登山じゃん???

確かに 寒霞渓のロープウェイ入口までのバスも
ひたすら急な坂道登っていた。

それから50分。
自分の脚で さらに急な傾斜を登った。
翌日の筋肉痛も 登山後並みだった。


慌てた私はネットで調べ出した。


あんなに大変だと思った しまなみですら最大高低差は100M。
まあ それが何度も繰り返されるんだけど・・・


いつも惨敗の津山ですら 高低差280M。


今までに 経験したことない
想像すらできない 難コースなのだ 小豆島は・・・。


これは サロマ越えのトレーニングをしないと完走は絶対に無理。
嫌っ しても可能性薄いかも・・・


エライもんに 申し込んでしまった~~~~~~と
ようやく気付いた日だった。


ちなみに 申し込んだのは 半年近く前。


まったく いつもながら 阿呆な私。 



2011.12.14

慌てた私は 早速21キロ・ハーフをジョグして
しまなみ完走後 1日1回しかしなくなった
マンションの階段登りも3回してみた。


那覇から帰って 直ぐに走っていたものの 
走行距離が少なくなっていた。


長い時間をかけて ゆっくり走っていると 
気持ちも収まり まあ なんとかなるし 
例えなんとかならなくても 
それでいいじゃないかと 思えるようになった。


私は ただ走るコトが好きで
完走するコトだけが 目標・目的じゃない。


頑張って 無理なら それでいい。




ウルトラから受けるエネルギーは強くて
なかなかまとまった形で表現できない。


無理だ もう無理 本当に限界って状態から
抜け出す間が 必ずあって
そん時に 人生というモンの強さ・不思議さ・儚さ・その他もろもろが
身体全身に流れ出る。


生きるって 生きるって こうなんだ。


生きるって そうなんだって 深く感じるんだけど・・・


こう そうの正体は まったく分からない。





走りながら 小豆島へ向けての練習も考えてみた。

月250キロ以上走って マンションの階段登りも3-5セットする。

まあ これ位が 生活に支障なく
私ができる練習だろう。


赤穂ハーフの惨敗のおかげで
11月の月間走行距離は264キロも走っていた。


悪い結果も 人生には役立つモンですね。


ちなみに 12月は285キロ走れました。


辛い 辛い マンションの階段登りも
最近ようやく慣れてきて 
たいぶ早く登れるようになり
5-7セットまでできる日もある。


ただ 体重だけは 思うように減らない。
それだけが 納得いかんコトです(T_T)





2011年 那覇マラソン☆

2012年01月16日 11時15分13秒 | Weblog
新年も明け 今頃ですが・・・

2011年も那覇☆ 走ってきました。

タイムは5時間37分20秒。

赤穂ハーフの後の走り込みが効いたのか!?
走り出しから 調子が良く 
遅いテンポながらもいい感じでリズムを刻めました。

後半テンポアップをしたかったけれど・・・
練習無しのだあちゃんが無理だったので
なるだけペースを落とさないように リードし
なんとか 二人揃って 
完全完走(歩くコトなくフルを走る)できました☆

ネットタイムでは
裏目標の5時間30分を切る5時間28分43秒☆

まあ タイムは芳しくなかったけれど
ほんま気持ち良く走れたのが 嬉しかったです。


気温は高かったけれど 湿度がそれ程高くなく
太陽も南国のジリジリ感がなく 爽快な晴れ☆


国際通りを通り抜けて 沖縄そば地点の25キロまでは 
ずっとランナーズハイ状態で

「あ~~~ やっぱし 那覇が好きだ~~~~~」

感動しながら 走りました(●^o^●)


前半のコースがちょっと変わっていたので
坂道の傾斜・距離が緩くなって 拍子抜けしたけれど 
道幅が広くなったのは 良かった。


それから・・・応援が例年よりも多かった気がする。
しかも ランナーっぽい方々の。

2011年は 1週間位で定員に達したので
参加できなかったランナーも多かったはず。

5キロ地点位から 
サロメチール・エアーサロンパスを掲げて
応援されている方がいて 驚いた。

例年は 25キロ地点以降位からしか見かけないのに
2011年は ずっと サロメチール・エアーサロンパスが
途切れるコトがなくあったので
助かったランナーも多かったはず。

私達も脚を差し出しては
シューシューしてもらいました。

私がお借りして だあちゃんにシューシューしていたら
いつの間にか 小さな男の子も 一緒になって 
シューシューしてくれたのが 涙モンに可愛かった☆

坊や☆ ほんま ありがとう!


後 おにぎりの差し入れも多かったな~♪

私がもらったジューシー(沖縄の炊き込みご飯)にぎりは
塩加減・お米のふっくら感が 絶妙で 最高に美味しかったです。 
 


いつも以上の感激・感動・感謝の中
走り終えた2011年那覇マラソンでした。


その興奮が冷めないランナーは多いようで 
翌日のレンタカーで聴いたラジオでも
熱く ゆる~く 那覇マラソンへの想い・エピソードが
ずっと流れていました。

その中で印象に残ったものをふたつ。


「平和記念公園で止めちゃった~ だって疲れたんだもん。
 無理して走ってもつまんないからね~ うふふっ☆」


「僕も 那覇マラソンを走る人になる!」と叫んで
 5歳の息子が 公園を 何周も何周も グルグル走りました☆


そいから・・・

那覇マラソンがライフワークになっています!
今日からまた来年の那覇に向けて 走り出します☆


全くの同感☆

遠方へ転勤になったら 那覇は諦めよう・・・って
考えていたけれど
しっかりお金貯めて 那覇を目指すコトにしました。



私の10回目のフル・5回目の那覇は
こんな感じでした。


今頃ですが・・・ 今年もよろしくお願いします!