アルコール依存症ダンナと共依存妻よ~memorial~

平成25年7月7日にアルコール依存症だったダンナが他界しました。書ききれなかった思いを綴っていこうと思います。

実は酒豪でした。

2016-02-16 20:18:07 | 
ダンナと一緒になる前はダンナとよく飲み歩きました。
実は私はかなりお酒が強かったし、好きでした。
ダンナはいろいろなお酒を飲む店に連れていってくれました。
パブやバー、スナックだったり、スコッチだけを飲ませてくれるお店にも行きました。
ダンナと行くとボトルをキープするんですが、二人で飲めばあっという間にボトルがからになりました。
ウイスキーだけでなく、カクテルも飲んだし、日本酒は冷酒が好きでした。
つまり、私はお酒がとっても好きだったんですよ。
でも、そのころはダンナは飲んでも荒れることがなかったので、ただのお酒が大好きな人なんだと勘違いをしていました。
それが一緒になってからは、あれ?あれれ?なんだかへんだよ。となり、なんだかこの人飲み方が異常?となりきっともしかしたらこれがアルコール依存症?となったのですよ。
でも、アルコール依存症。聞いたことはありましたがどういうことかわからなかったんですね。
ネットなんてなかったし、本当にわからなかったです。
酒乱、きっと酒乱なんだ!!どうしよう・・・状態でした。
そうして私はお酒が憎くなってしまい、現在もお酒は飲んでおりません。
実はワインが飲みたいなあ~とか思うけれど、我慢というより意地なんでしょうね。
飲みません。飲んだらいけないような気がしてしかたがありません。
本当はダンナが亡くなった時点でお酒を飲まないでいることをやめようと思ったんですけれど。
ですから、飲む席があっても私はアルコールは口にしていません。
たぶんこれからも私はお酒は飲まないと思います。
飲むことが怖いんですよ。
まあ、素面でも平気でお酒の席にはつけるので大丈夫ですし、昔のように無理やり飲ませようとする野蛮なひとも少なくなりましたから。

検索のしかたいろいろ

2016-02-15 21:12:30 | 
私が現在使わさせていただいてるgooブログには、どうやってここにたどりついたかがわかる仕組みになっています。
いやいや、事細かではないですよ。
ブックマークしていらっしゃるであろう人たちのことはわかりませんし、どなたが来てくださってるなんてこともわかりません。
検索のかけかたなんですね。
ほとんどがやっぱり「アルコール依存症」で検索をかけていらっしゃいます。
もちろん、「共依存」とかでもいらしゃいます。
本格的というか、細かくかけてくるのが「アルコール依存症衰弱」「アルコール依存症認知症」「アルコール依存症立てない」「アルコール依存症病院のかかりかた」
「アルコール依存症DV]もあれば、「アルコール依存症離婚」なんてものもあります。
これを見るたびに、あ~、皆さん本当に苦労していらっしゃるんだな。って思います。
それから、どこのか、どなたのかはわかりませんが、私のこのブログを見た。というブログの記事を見ていらっしゃる人もいます。
え?なんでこんなところに私のブログが転用されてるの?と思ったり。
このブログ悲惨、読み応えたっぷり。なんて感想が書かれていたりしてます。
ああ、しっかり読んでるんだな~と感心してしまいます。
思い起こせば、私もいろいろな人のアルコール依存症でのホームページだったりブログを検索かけて読んでおりました。
お互いにいったりきたりでなぐさめあって励ましあってなんてこともありました。
ご自分がアルコール依存症で断酒を決意してしっかり継続されてる人もいらっしゃれば、途中で更新されなくなって心配しているブログだってあります。
ご主人の飲酒に苦労されて、離婚されたブログだってありますし・・・・なんだか・・・どうしたかな?それから?と心配にもなります。
新たに、ここにコメントをよくくださるにゃんこさんのブログだって気になって読んでおります。
私は以前、もうダンナが脳腫瘍になったところで、ブログの更新をしなくなりました。
でも、どうなったかな?どうなったかな?と気にかけてくださっていた人たちがたくさんいらっしゃいました。
最終的には2度の更新しない宣言をしたのですが、やはり原点なんですね。私自身の。
また、ちんたらと記事を載せております。
ゆっくりしたブログですが、ときたま更新いたしますので、覗きに来ていただけると嬉しいです。

映画を見る

2016-02-11 22:46:30 | 
ダンナのアルコール依存症が酷かった頃。私も辛くてしかたがありませんでした。
もちろん、精神科にもかかって安定剤やら鬱の薬やら、睡眠薬とか飲んでおりましたが、やっぱり根本的解決にはなりませんでした。
一日中、ダンナに振り回されて、身も心も疲れ切っていました。
とにかく、ダンナは早々と酔って寝てしまうときだってありました。
チャンスです。
そういうときに、私は夜一番最後上映の映画を見に行ってました。
忘れもしません、2001年7月に公開された「千と千尋の神隠し」です。
これを何度も何度も見に行きました。
何回見にいったかわからないくらい見ました。
もともと宮崎監督作品が好きで、かかさず見ていたのですが、なんとも勇気がもらえる映画でした。
夜遅くに隣の市まで行って、レイトショーだから1000円で見ることができたんですね。
思いもかけず、ものすごくヒットしたのでロングランになって、ずっとずっと見に行ってました。
元気になる映画です。毎回毎回泣きながら見ていました。
そんなことでさえ、すがる思いでやっていたんです。
辛い自分が楽になれるように。
それと、やっていたのが、ドライブです。ダンナを横に乗せての運転は大嫌いでしたが、自分だけで乗るぶんには解放感を味わえることができて、とてもよかったです。
好きな音楽を音量大きくしてかけながらいっしょに歌いながら車を走らせました。
けっこうなストレス発散になるものです。
ダンナと一緒になったころは、ダンナが酔って寝てしまってる隙に、買い物にいったりしていました。
デパートとかではないですよ。スーパーです。食材やら日用雑貨を買いに行くのです。
急いで帰ってきますが、ダンナが目が覚めていたらもうたいへん。
「勝手にどこに行くんだ!!」と怒鳴り散らします。
どーか、どーか、目が覚めていませんように。って思っていました。
なんで、あんなに気を使っていたんだろう?やっぱり怒鳴ったり殴られたりするのが怖かったからなんでしょうね。
タバコの火を押し付けられたことだってありますよ。
翌日「どうしたんだ?ケガでもしたのか?って聞くんですよ。
包帯してたり、絆創膏貼ってたりしてますからね。
「うん、やけどしちゃった」とか返事すると、「気をつけなくちゃダメじゃないか!!」って怒るんですよ。
は~~~、思い出すと悔しいな~。
とにかく、若いころは暴力。年齢があがってからは手を出すより、怒鳴りまくっていましたね。
暴れると疲れるからかな?やっぱりアルコールで体力がないからなんでしょうね~
今、そういった暴力受けてる皆さん。そばにいないのが一番いいです。
いたって怒る。いなくても帰ってきたら怒る。結局は怒鳴ったりするんですから、なるべく酩酊状態の人には近づかないほうがいいんです。
傍にいないとかわいそうだから~、なんて思ってる人はいないでしょうね。ダメですよ。


ブログを始めたきっかけ

2016-02-07 21:59:09 | 
このブログを始めたのが2007年の2月も終わろうとしていたころです。
私は以前から、ホームページを作成しておりました。
これとはまるで違う、趣味とか愛犬のHPです。
ですから、そこにはダンナのアルコール依存症に関してはまるで書き込みはしていませんでした。
そのころはブログなんて便利なものがなかったので、ホームページビルダーというソフトを使い、すごく厚い本を片手に、日記だとか掲示板を探して、無料で借りれるものは広告が入ってしまうので有料で借り、UPしておりました。
そこにはダンナのアルコール依存症のことは書けずにおりました。
ダンナがあんな状態でしたので、夜も眠れないときもあり、かなりパソコンでウサをはらしていたんです。
それから、ブログなる便利なものができたんですよね。
そのころのホームページ仲間がHPから皆さん、ブログへ移行していきました。
そうして私もブログを始めたんです。
そのブログは私の知人も読んでいたのでマスマスダンナのことは書けなくなりました。
で、いろいろ煮詰まって、もう愚痴りたくなって、いいや~、作ってしまえ!!と思い立ってすぐに始めたんですよ。
さて、題名はどうしよう・・・ま、あるがままでいいか。といとも簡単な思いっきりベタな題名をつけていますでしょう?
そのころはアルコール依存症の知識も今のようにはありませんでしたから、たんたんと出来事をさかのぼって思い出して書いていきました。
すると、ちょっとはすっきりするし、とにかく眠れない夜を過ごすのが楽になったんです。
ですから、書けるときは3本くらい書き込んで(打ち込んで)いましたね。
そのうちコメントもいただけるようになり、アドバイスしてくださる人もいらっしゃれば、励ましてくださる人も現れました。
楽しみにしています。とか応援してます。がんばってください。などうれしい言葉もいただきました。
もちろん、すごく攻撃的なことを書いてくる人もいらっしゃいました。
あなたがダンナをダメにしてるんだ。とか・・・
でも、それも本当のことだと受け止めています。
アルコール依存症のブログでありながらも、ダンナはかなりこの依存症で病気になり、半分はダンナの入院とかの闘病記のようにもなっています。
このブログもダンナが亡くなった時点で閉鎖をしようと思っていました。
また、無くさないで。という要望もありましたので、そのまま更新せずにおいておきました。
なんとなく、思い出してみてみると、かなりの人がまだここに来てくださっていることもわかりました。
きっと、自分の身内のかたがアルコール依存症なのでしょう。
私がしてきたように、皆さん、どうしたらいいのだろうと藁をつかむような状態で検索をかけてきているのだと思います。
ああ、そうか・・・悩んでいる人はたくさんいるんだ。と思いました。
そうして、また再開したのです。
今月で丸9年になるブログです。
ああ、あのころの私は苦しみもがいていました。
でも、ブログを更新していくことで頭の中の整理もできたかなと思っています。
アラノンのプログラムで自分の棚卸をしました。
自分が今まであったことを思い出せる幼いころからのことをことこまかに書いていくことです。
自分から自分にあてた手紙でもあるのかと思います。
これでかなり頭の中が整理されます。
アラノンに行く前からこのブログを書いていた私はまさしくこのことをやっていたのかと思います。

妄想

2016-02-01 21:22:43 | アルコール依存症
アルコール依存症の人にはかなりの確率でついてくるのが妄想。
暴力や暴言はここから発生することが多いので、これはもう大変なんです。
勝手に思い込んでしまってる状態だから、どう言い訳をしても、許すというか、誤解を説くことはできない。
良いほうへの妄想・・・・たとえば、由美ちゃんほど美人はいない(笑)なんてものなら良いですよ。
実際、ダンナは思ってたと思いますよ。
ダンナは私を外見では見ていなかったように感じます。
私はダンナがこんな状態だったから、ストレスで食に走りました。
とっても痩せていて小さかったのですが、三食きちんと食事を摂れなくなって、缶コーヒーばっかりだとか、パンばっかりだとかすごい食べ方をしてしまいました。
すると、太ります。15キロくらい太ります。
ダンナがアルコールで酷い状態のときほど太ります。
で、ダンナが落ち着いたり、断酒をすると私の食欲も普通の状態になって元に戻ったりもしました。
とにかく、私は太ったり痩せたりの繰り返しです。
で、他の人は一目瞭然で気がつくのに、ダンナは私が痩せて半年くらいしてから、気がつくんですよ。
なにげなく、車の助手席に座ってる私を見て、「あ!!お前どうしたの?こんなに小さくなっちゃって!!」
苦笑いするしかないですよ~
何言ってるのよ、もう半年も前からこうなってたでしょ!!って言いたかったけれどね。言ってもしかたがないですしね。
まあ、今のはどうでも良いことなんですが、違う妄想。
アルコールを飲むとダンナは妄想で嫉妬に走ります。
ちょっと遅くなったら、男と会ってきた。俺のことなんて嫌いになって違う男ができたのか。
で、暴力です。殴る蹴る。
この嫉妬が一番大変でした。
あと、酷かったのが、私の父に対しての妄想。
これは理解に苦しみます。
「お前のお父さんの愛人がこの家を見張ってる。」「愛人が火をつけようとしている。」「愛人がお前のおやじと俺の悪口を言ってる」
なんだかね、我が家の父に愛人がいて悪いことをたくらんでる。という妄想が酷かったです。
そんなことないわよ~。って言っても怒鳴りまくるだけで、誤解したままです。
それから、お前は俺を捨てようとしている。別れたいと思ってる。いや、これはちょっと思っていたこともあったけれど。
で、殴るんですよ~
自分がお酒の飲みすぎで迎え酒で会社を休めば、その日は会社に電話攻撃。
どこかで浮気してるんじゃないか。と妄想が始まり、ちゃんと、会社に行ってるのか確認なんですね。
呂律の回らない状態での電話でしたから、もう恥ずかしいし、迷惑だし。
「寂しいよ。早く帰ってこいよ。」ここは本音でしょう。
とにかく、妄想・・・・本当に困りました。
今だったら、どう対処できるかな~。やっぱり対処しようがないですね。

いなっちさんへの返信

2016-01-27 20:39:18 | アルコール依存症
高校生のかたから、お母さまが救急搬送されたコメントを頂きました。
本当に心配でしょう。
8年ほど、アルコール依存だった。と書かれております。そうして先週痙攣が起きて救急搬送されたと書かれています。
今は呂律も回らないし、きっとわけのわからないことをお話ししているのでしょう。
いなっちさんが不安でどうしようもない状態で医師に質問しても、医師はアルコール依存のことはわからないとおっしゃっているようです。
いなっちさんが高校生であるのであれば、お母さまはきっとお若いでしょう。
今、酷くても、体の具合がもとに戻れば、きっと回復はすると思います。
でも、ここからが大事なことです。このままアルコール専門病院につながらなければ、きっとまたそんな状態になるはずですよ。
痙攣がおきた。というのはてんかんかもしれないし、体が弱った状態というのはまさしく低栄養状態。
きっと今頃は、せん妄で「この人頭がおかしくなってしまったの?」という状態。
女性はアルコール依存症になる期間が男性よりかなり短いと聞いております。
いなっちさんが小学校のころからお母さまはアルコールにおぼれていたんですね。
小学生の子供が母親のお酒を飲んでの状態を見ていたことはものすごく残酷なことだと思います。
大人だって辛いのに・・・・
私は医師でもないし、実際にいなっちさんのお母さまの状態を見ていないので、なんともはっきりしたお答えはできませんが、若いことも回復がかなり早いのではないかとは思います。
でも、しっかりした大人の人におまかせしなければ、息子さんではまだ無理かと思います。
お母さまのご両親やご兄弟はいらっしゃらないのでしょうか。
ここは絶対に頼っていかないと、一人では無理ですよ。
まずは、入院先の相談室の相談員さん(社会福祉士)に心配なこと、不安に思ってること。医師とうまく話しができないこと。なんでも相談したほうがいいかと思います。もちろん、入院費用とか金銭面での心配があれば包み隠さずですよ。
それから、保健所の酒害相談。ここに出向き、今の状態。これからのこと、相談されたほうがいいかと思います。
とにかく、今診てくださってる先生はアルコール依存症のことはわからない。
じゃあ、体の状態が良くなればそのまま退院ですよ。
また飲める状態になりますから、同じことを何度も繰り返してしまうでしょう。
なんだかな~、飛んで行ってあげたいです。
大丈夫よ!!って勇気づけてあげたいです。
いなっちさん、我が家のダンナも入院中はかなり頭がおかしかったです。
でも、なんとか回復しましたよ。
歩けるようにもなりました。
このままだったらどうしよう。って不安は常にありました。
もし、ですよ。お母さまの状態が酷いままであるのなら、ここは行政に全部お任せしましょう。
行政というのは、国やら県やら市とかのことですよ。
それも、まずは病院の相談員さんに、聞いてみましょう。
いなっちさんのお母さまが早くよくなるように祈っています。

今年もよろしくお願いします。

2016-01-13 20:49:31 | 
皆さん、ご無沙汰しておりました。
更新するのは1か月ぶりでしょうか。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

去年の後半から母の容態が余りよくなくて、秋には入院となりました。
12月からは状態がますます悪くなってしまい、何とか年を越したものの、5日に亡くなりました。
先日、葬儀も済ませ、私は今は仕事に復帰いたしました。
暮れには先生から、もう長くない話をお聞きして覚悟はしていたのですが、長くないのであれば何とか家に帰ってもらい家で看取りをしたかったのが本音です。
なんででしょうか、母は我が家のワンコをかなり気にして会いたい会いたいと言っておりました。
病院の相談員さんにそのことをお話しして、先生の許可をいただいてもらい明日は我が家のワンコを母に会わせる予定だったのですが・・・
とても残念です。
でも、母も高齢でしたから、皆はなんとなくここまで生きてくれたのだから・・・という思いでしょうか。
暮れからお正月にかけては孫たちも次々と顔を見せ、母に会ったのでよかったかな。とは思っております。
母との別れで涙は流したけれど、やっぱりダンナが亡くなった時のことと比べてしまいました。
ダンナはガンで亡くなったのですが、母は肝硬変による肝不全での死亡です。
肝臓がずっと悪い状態だったので亡くなったときに体を拭いてあげたときにあまりに皮膚の状態が酷くて驚きました。
私は訪問介護でターミナルの人のお世話を何人もしましたが、母ほど酷い状態の人はおりませんでした。
ですから、ここまでよくがんばってくれたなと思っております。
医大から、私や母のかかりつけの病院に転院しましたが、院長先生をはじめとして看護師さんやリハビリの先生、ケアワーカーさん。そうしていろいろと親身になって相談に乗ってくださった相談員さんたちには感謝の気持ちでいっぱいです。

さあ、話は変わりますが、皆さん暮れからお正月はいかがでしたでしょうか。
せっかく断酒されていたかた無事に乗り越えられましたか?
この時期、断り切れなくて・・・などと理由をつけて飲んでしまう人が多いと思います。
せっかく断酒していたのに、お正月くらいとか思ってしまうんですよね~
まさしく我が家のダンナも、さ~飲むぞ!!となってしまい、暮れから飲み始めお正月には大量吐血で入院。なんてことありましたからね。
がんばって断酒継続されたかた、ここでもう一度、気を引き締めてがんばってください。
皆さん、今年もがんばっていきましょう。

要介護5という認定

2015-12-13 18:33:08 | ダンナ
久しぶりの更新です。
ちょっといろいろありまして・・・
あ、この前もこんな言い訳していましたね。
入院中の母の容態があまり良くなくて、先日昏睡状態になってしまったんですよ~
まあ、母も高齢ですし、こんな病気だからしかたがないのかもしれませんが、朝、目を覚ますことなく、寝てるのではなくって昏睡になってしまったんですよ。
寝てるのと、昏睡は似て非なるものですから、お医者様だってわかります。もちろん私だってわかります。
なんといってもダンナは何度も昏睡になってますからね。
今回は仕事中だった私に病院から急いで連絡がきて、駆けつけたんですよ。
危ないと言われて、とりあえず、中心静脈への点滴の同意書にサインしました。
今は危険な状態からは脱しております。
原因はアンモニア脳症です。
もしかしたらアルコール依存症のご家族をお持ちのかた、肝臓が悪くてアンモニア脳症になったかたもいらっしゃるのでは?
母は肝臓に大きなのう胞があり肝機能が非常に悪いです。
医大の先生がおっしゃるのには、肝硬変ということです。
ですから、今回アンモニア脳症になってしまったんですね。
肝臓は解毒作用を司る臓器です。うまく働いてくれないと、体に溜まるアンモニアをうまく排出できなくって、このアンモニアが脳にたまり、軽ければ認知症のような、重くなったら昏睡状態になるのです。
先生が上手く対応してくださり母は今回はなんとか助かりました。
でも、母をみていたら、手がグローブをはめたようにむくんで、まるでダンナの末期状態と同じだなあと思いました。
そんな、母ですが、要介護認定がやっとおりました。
要介護5です。
これは介護度が一番重い状態なわけです。
ほぼ、寝たきり、自分では何もできない状態。ということです。
前にも書きましたが、ダンナも末期のがんで退院、自宅での最後を迎えたいということで家での介護にふみ切りました。
ダンナも要介護5でした。
ちょうど、認定調査の人が病院に認定にいらしたときが一番ダンナの状態が悪かったんですよ。
脳腫瘍が多発していたので、体のマヒが本当に酷くて、ダンナは自分でしっかりと座ってることもできなかったのです。
もちろん、手だって動かなかったし。
そんな、ダンナだったので要介護5の認定を受けました。
もう、余命宣告もされ、治療しても大差ない時間しか生きることができないのがわかり、それでも少しの期待もして、とりあえずは放射線の治療は行いました。
でも、やっぱり抗がん剤は1回でやめてしまいました。本当に酷い副作用に襲われました。
抗がん剤はしない。もう何も治療はしないと、緩和病棟がある病院に転院しました。
でも、どうしようもないときだけは入院しましたが、極力家での生活をしたのです。
私は医大を退院したら、もう好きなだけ飲んでもいいよ。と思っていたんですよ。
それが、お酒を飲みたい。とは一切言わなかったんですよ。
あれはなんでしょうねえ~
今でも不思議でしかたがないです。
でも、しらふのダンナでしたから本当に穏やかで、2、3か月と言われた余命でしたが、半年がんばってくれました。
今、思うと放射線はやっていてよかったです。あの治療をしたので脳にあった腫瘍が無くなったり小さくなって、まるで動けない状態だったダンナが一時はある程度動けるようになったからです。
でも、やっぱりがんなんですよ。一気に悪くなりました。
転移してがんが肝臓にいってからはあっという間に悪くなってしまいました。
ダンナは要介護5だったので訪問介護や訪問看護、訪問入浴や福祉用品のレンタルとか利用しました。
まだまだ訪問介護に入ってもらってもよかったのですが、他人の世話にはなりたくない・・・とダンナは思っていたようで拒んでいましたね。
ですからそのぶん私ががんばったというわけなんです。
今だったら、ダンナの介護をダンナにあまり負担をかけずに自分も楽に介護できたのにな~と思っています。
何回も書きますが、私は最後にダンナを介護していた時間は神様がくれた大切な大切な時間だったと思っています。
あの時間がなかったら私はきっと今のような状態ではいられなかったのではないでしょうか。
きっといつまでもいつまでもダンナに未練が残ってしまっていたかもしれません。
ダンナを見送ることができて、私はダンナに対してすべてやりきったという思いがあります。
さて、話が戻りますが、母もここで要介護5の認定を受けました。
母は父の思いもありますので体調さえ戻ったら、在宅での介護をすることに決めています。
かなり大変だとは思いますが、ダンナで経験した介護保険を利用する立場と、実際に介護職をしている立場での経験を生かして、しっかりとそうして無理することなく母の介護をしていこうと思っています。

助手席でのダンナ

2015-12-09 19:03:07 | ダンナ
にゃんこさんのコメントでご主人が助手席に乗って、思うような道順で行かなかったので怒って車から降りてしまった。ということがわかりました。
ああ、まったく私と同じ!!
どうしてアルコール依存症の人って短気なんだろう!!って思います。
さて、思い出せば、我が家のダンナも飲酒中は車は助手席が定位置でした。
以前のブログにも書きましたが、ダンナはお酒を飲むとどこかに行きたくなる。という癖があった?
とにかく、私の嫁入り道具のひとつに自動車があったのです。
我が家のダンナはこの車に乗るのが好きでして、休日となれば、私は運転手。
今でも思い出す、なぜだか行きたがったのが伊豆半島。
あのころはナビなんてなかったから、もうダンナが道案内してくれなければ行くことができませんでした。
ダンナは、助手席に大量のお酒を持ち込んで、私の横で気分よく、飲んでいるわけですよ。
で、運転のしかたをあれこれと注意というか、怒鳴ってくるんですよ。
もっと、スピードを出せ!!とか、あの車を追い越せ!!とか、横から手を出してはクラクションを鳴らしたり、窓を開けては隣の車を怒鳴りつけたり。
もう、ただでさえ、運転が苦手だったのに、そんなダンナを乗せて、わけもわからないところに行くのだからもう怖いのなんの。
伊豆半島になんとかついたら、今度は突端まで行く。と言い出す始末。
ええ、そこまでかなりの距離があるよね。明日は仕事なんだから大丈夫なのかな?と不安が胸をよぎります。

おまけに、酔っぱらって寝てしまうダンナ。
ちょっと、どうするの?この先は道順がわからない。
私はどうしたらいいの?
しかたがないから表示を見てはこっちのほうかな?と行くのですがやっぱり地名すらわからない。
しかたがないので、車を止めて自分も休む。
だって、迷子になりますからね。
本当に本当に嫌でした。
私はダンナと一緒になる前から運転はしていましたが、それは私が住んでいる地域が車でどこにでも行かなければならなかったから。
スーパーも病院も、交通手段が車だったからです。
だから、近所は走っていましたけれど、遠出ともなればもっと運転の上手な人がしたわけで。
車も古くなって車検も来たから、こんな東京では駐車場代も高いから車を手放そうね。とお願いして車が我が家からなくなったときはほっとしましたよ。
とにかく、ダンナは助手席で飲んだくれるのが好き。
我が家に越してきてからは車も必要となって、私はダンナの運転手でした。
ダンナは家で飲むのが好きだけれど、どういうわけか飲み屋のお姉ちゃんに入れ込んで、毎日午前様状態になったときは私に迎えに来い!!と命令がくるんですよ。
もうばかみたいに従順な私はダンナの運転手をやっていました。
ダンナはそのときは後部座席。シートに寝転んでぐーぐーがーがー寝ておりました。
で、飲みすぎちゃって気持ち悪くなるから、急にがばっと起きて、げーって吐いたりしてたんですよ。
その始末をするのも私の役目でした。
ワンコを連れての旅行では行きはなんとか運転するものの、帰る日の朝だって飲んでいるのだから、私が運転して帰ってきました。
まあ、今になって思うのはダンナのおかげで運転が上手くなった。どこでも行くことができる。ってことでしょうか。
とにかく酔っぱらったダンナを乗せての運転ほど嫌なことはありませんでした。

なんでそんなに知ってるの?

2015-11-25 20:25:11 | 
ちょっと、ご無沙汰してしまいました。
いろいろなことがあっての更新となりました。
10日ほど前にご近所の夫婦共々で仲良くしてくださっていたところのご主人が夜中に倒れてしまいました。
夜中の救急車要請での緊急搬送になりました。
とある病気での熱性けいれんと意識混濁でした。
とある病気は致死率がかなり高いです。
奥様は気が動転してしまったそうです。
夜中に私にメールをしてきました。
ご近所の皆さんは夜中に救急車がサイレンを鳴らしてきたのに気がつき、起きだし見守り?野次馬?でしたが、私はそんなことにも気が付かずすっかりと寝込んでおりました。
2階で倒れたので、もし降ろせなかったらと、はしご車まできたそうです。
ご主人は隣の市のかなり救急に対応できる病院に一旦搬送されたものの、原因は尿管結石での腎臓の膿瘍だったそうで、今は急いで泌尿器科の医師がいる大きな病院へ。
というところで、奥様から連絡メールが入り、スマホのメール音で私が気がついた。というわけでした。
「今、埼玉医大か○○医大に連絡してどちらか受け入れてくれるほうになる。」という内容でした。
なんと、熱は42度まで上がり、全身硬直してしまったそうです。
とりあえず、私は友人が飼っているワンコ2頭の朝の散歩と、ごはんやりをすることになりました。
ですから、その夜はひっきりなしの彼女からのメール攻撃で私は全然眠ることができなかったわけなのです。
彼女が状態をメールしてくる。私がその質問に答える。を繰り返したのです。
無事に○○医大に搬送された。血圧が下がってきた。なんだか指に挟んでるものの数値が下がると音がする。もがくから胴をベッドに固定させてる。イノバンとかいう薬だ。ドパミンとかいう薬だ。ソジンとかいう薬だ。オシッコの管も入れられてしまった。等々、メールをばんばんしてきました。
それに対して私は「指に挟んでるのは血中に酸素がどれだけめぐっているか調べるもの」「ドパミンは血圧を上げる薬」「イノバンは弱ってる心臓ポンプ強化の薬」「ソジンは今現在○○病に一番用いられる抗生剤」等々返事をしまくりました。
翌日、救急車でここまできたから、どうやって帰ればいいの?
そりゃ、あなた、電車やバスで帰ってくるか、タクシーでも使うしかないでしょう?
入院手続きをしなくちゃいけない。入院のときに持っていったらいいものは何?
彼女が家に戻ってきてからは、さて私が書類の書き方。高額医療限度額認定証のもらいかた。入院用品の準備。しましたよ~
なんで、私が?とも思いましたけれども・・・・
「パジャマじゃなくって浴衣を持ってこいって言われたの。うちには浴衣なんてないよ。」
「え?レンタルじゃないの?」「う~ん。持ってきてって。」そして電話で問い合わせ、どうやらパジャマのレンタルがないことが判明されました。
埼玉医大ではレンタルがあるので重症患者さん用に前開きのものがあるのですが。
「安いのは○○で売ってる。医大の売店でも売ってるけれど、きっと高いよ。あと、オムツやパッドも必要だと思うから看護師さんに聞いて売店で買うなり、近所のドラッグストアで買うなりしなくちゃダメだよ。」
友人曰く、「由美さんがいてくれてよかったよ~。もう何がなんだかわからないもの。なんでそんなにいろいろなこと知ってるの?」
そりゃ、ダンナがあれだけ入院してたらもう、なんでも来いってな具合でしょうか。
因みに友人は保健室の先生をしていらした人です。
私に言わせりゃ、なんで保健室の先生をしていたのに医療のこと知らないの?です。
友人のダンナさんはとりあえず危機は脱したもののなかなか回復してくれず、悪い状態のままです。
「長期戦になるんだから、ちゃんと無理せず病院に通ったほうがいいよ。」とはアドバイスしたんだけれどな~
どうにも、彼女の考え方はかなり甘いです。
いろいろなことを知ってる。というのは私はダンナのいろいろな病気に関して、自分で調べまくったからです。
私はとことん突き詰めるので、自分が知らないことは嫌なので。
さて、そんな彼女のご主人は定年後けっこうお酒を飲んでいます。
「このままだとまずいよ。アルコール依存症予備軍だよ。昼間から飲むのは本当にまずいよ~」って言ってました。
実際、長年の喫煙や飲酒のせいもあるのでしょうね。今は肺にも水がたまり、肝機能もあまりよくない状態です。
喫煙や飲酒はこういうときにけっこう影響がでたりするのかなと思います。
とにかく、今はご主人の回復を祈っております。
どうなるか・・・ちょっとわかりませんが、私が知ってることはアドバイスできますから。
今回のブログはあまりアルコール依存症とは関係ないことだとは思いますが、これを読んでる皆さん。いろいろなこと想定しておいたほうがいいですよ。
保健所にお世話になることとか(酒害相談)措置入院のしかた。各自治体の手続き。社会福祉協議会の利用のしかたとか。
知ってることで損はないですから。知ってるとへんな言い方ですが得をしますから。
今はネットという便利なツールがありますので、利用したほうが良いかと思います。

やっぱりお金は大事です。その2

2015-11-14 02:10:51 | アルコール依存症
前回、お金は大事だということを書きました。
誤解していらっしゃる人もいる人もいらっしゃるかとは思いますが、アルコール依存症の人でダンナのような体の具合が悪くなる人にはとてもお金がかかるということなんです。
きっと、読んでいて、なんだ、ご主人は公務員だったんだからお給料が目当て。とか年金が目当てで別れなかったんだ。と思っていらっしゃる人もいるかと思いますが。
それが目当てでダンナと別れなかったのではないのです。
私はダンナと一緒になったときは本当にダンナはお金をぜんぜん持ってはいませんでした。
離婚したときに全財産を前の奥様に渡してきたからです。もちろん、家も渡してきました。
ダンナのお母さんが賃貸マンションを借りてくださったのですが、やっぱり仕事上住まいは東京でしたから、狭くても家賃はかなり高かったですし、新居を構える生活用品、電化製品は全部私の貯金から用意しました。
ダンナの給料は低くて、私はフルタイムで働いておりました。
仕事がら残業があたりまえでしたから、上司に頼んで仕事を家に持って帰り徹夜で仕事を片付けたことも当たり前のようにありました。
ダンナはほとんど残業はありませんでしたから、ダンナが飲んだくれてても寝てくれなければ仕事はできなかったし、あばれたりして家の中がめちゃくちゃになっても片付けてそれから家事をこなし、仕事をしていました。
本当によくまあ、そんな生活ができたなあと、今の私は思っています。
たぶん、私自身が若かったからがんばる体力があったのではないでしょうか。
それでも、少しでも余裕があればちょっとづつ貯金に回していくこともできました。が、ダンナは毎月残してきた二人の子供の養育費を払っていたし、ダンナの子供は普段は寄り付きもしないのがお小遣いが欲しくなれば、我が家にやってきてお小遣いをねだっていきました。
毎月のように長男はやってきて、毎回2万円は渡さないと帰ってはくれませんでした。
何か、高いものが欲しければ、買ってくれと言ってきました。
長女は車。我が家はまだ車を買う余裕はないのに、なんでかな~とやっぱり私は不満もありましたが、いろいろなことでお金はかかりました。
結婚式の費用は出してくれ、新婚旅行のお金を出してくれ、お祝い金はくれ。何百万と出しました。
でも、なんで、そんなことを言うんだろう?こういうときだけ、父親なんだから!!と言うの?と思いました。
私だって、たぶんケチではないと思います。
でも、ダンナが何回か危篤になって義母が「パパが死にそうだから、行ってやって!!」と連絡しても、しらんぷりでした。一度も駆けつけてきたことはありません。
そんな子供たちに私はそんなことをしたくはありませんでした。
とにかく、こんなことを書いても愚痴や悪口になりますね。
でも、そんな状態でダンナが体を壊して入院ともなれば、本当にお金がかかりました。
まずは、入院保証金を用意しなければなりません。
保証金がいらないところもあれば、35万の保証金を入れなければならない病院だってありました。
昔は高額医療でも、とりあえずは一旦、支払ってそのあとに高額医療の手続きをしましたから、戻ってくるのは3か月後くらいだったでしょうか。
ダンナはアルコール離脱状態で、せん妄になってあばれたりするので、個室に転室しなければならず、毎日1万円とか、1万2千円とかの個室代金もしはらわなければなりませんでした。
もちろん、自費なのでこれらのお金は戻ってはきません。
1か月入院すれば30万円の個室代金がかかります。そのほかの医療費で月に100万円近くのお金がかかったことも何度もあります。
通院するときもタクシー代はかかったし、こまごましたものにもかなりのお金がかかりました。
私の実家に暮らすようになってからは、私も正社員から途中でパートにもなりましたが、家賃がかからないぶん、働くことを止めてダンナの世話をしっかりできるようになったことはとても楽なことでした。
その頃には、入院先はほとんど医大だったので、入院保証金は15万円。
でも、高額医療も以前とは変わって、先に限度額認定証を頂いて提出していたら支払窓口で限度額までしか支払わなくてすんだので、ほっとしましたよ。
ダンナががんになって最後に医大にかかった月は後からのお知らせでダンナの医療費は1千万円を軽く超えていました。
これには本当にびっくりで、もし、以前のような状態でしたら私は400万円近くの支払を一度はしなくてはならなかったからです。
アルコール依存症のご家族、ときに本当だったら大黒柱であるご主人がいた場合、きっときついでしょう。
やっぱり生活が成り立ちません。
アルコール依存症で働かなくても、病気にならずに医者にかかることもない人であれば奥様が働き手となってなんとかやっていけることもできるかもしれませんが、だいたいのアルコール依存症の人はかなり体の状態が悪くなるので、入院したり通院したりで医療費がかかるはずです。
好きで飲んでいるのだから、死んでもけっこう、好きなように飲んでのたれ死んだらいいわ。とも思ってしまいますよね。
私だって何度も思いましたが、やっぱりもう、このままじゃ、死んでしまう!!と思えばやっぱりほっておくことはできませんよ。
実際、そういうご主人をほっておいて衰弱死をさせた人もいらっしゃって、1審では無罪になりましたが、2審では逆転有罪となった事件もあります。
え、だって、共依存者はアルコール依存症者のアルコールに対することは本人にまかせる。じゃあなぜ?とも思います。
結局はほっておいても、衰弱死でもしたら家族の責任になるんですね。
でも、この奥様はご主人のかたくなな受診拒否や入院させても無理やりの退院をしてきたので、言ってもしかたがない。おとなしく飲んでいてご近所にも迷惑はかけない。もうダンナの面倒をみることや暴力で奥様自身が限界に達していらっしゃったのでしょう。
私はこの気持ちは痛いほどわかります。
死んでもいいと思ったでしょう。でも殺したいではない。この生活からなんとか逃れたい、身も心も疲れてどうしようもなかったと察します。
それでも、飲んだくれて衰弱していたご主人の枕元にはお水をたくさんいつでも飲めるようにはしていらっしゃったとのことでした。
いろいろなサポートの人たちや酒害関係者、団体からの支援もあり最高裁に上告もしたのですが、上告した翌年にこのかたはお亡くなりになってしまいました。
本当にココロが痛みます。
まあ、話もそれましたが、そんな状態なのでお金は必要となるんですよ。
お金がなければやってはいけないんです。
私はご主人が働けなくなって、生活も支え、ご主人の面倒をみてる人には頭が下がります。
私はできただろうか・・・精神的にも肉体的にも追い詰められてきっと共倒れになっていたかもしれません。
最後はダンナが家で亡くなりたい。との希望を叶え、自宅での介護にもなりましたが、それも自分が働いていたらできませんでしたよね。
ダンナを最後まで看取った、自分ができる限りのことができた。それで悔いは残っていません。
もし、生活のために働いていたら、ダンナのこの希望も叶わなかったから。きっと悔いはすごく残ってしまったと思っています。
このブログを読んで、やっぱり不愉快になる人も多いとは思いますが、それはご勘弁願いたいです。
ただ、我が家の場合のことですから。
そこはご容赦ください。

アルコール性てんかん

2015-11-09 22:44:46 | アルコール依存症
アルコール依存症のご家族をお持ちのかたで、経験したかたも多いでしょうか?
アルコール性てんかん。またはアルコールてんかん。
我が家のダンナは何度か経験済みです。
初めてのときは、会社での会議中。
突然意識を失い、椅子から転げ落ちたとのことです。
あわてて救急車を呼び、会社近くの国立病院に運び込まれました。
義母と私があわてて駆けつけました。
行ってみるとまだダンナは検査中。CTを急いで撮ると言われました。
でも、病院につく頃には意識は回復していたようです。
ダンナは背広姿のまま、私たちに向って「ちょっと、待っててね~」と車いすで移動中でした。
会社の人は付き添いで3人の人がいらしてました。
お礼を述べたら、帰って行かれました。
CT検査の結果は何も異常は見つからない。とのことでした。
まあ、そんなことがあったので会社に診断書を持って行かなくてはならず、診断書をいただいたところ「アルコールてんかん」という診断名でした。
それをダンナは会社に持っていきたくない!!と言いまして、その診断書を会社に提出したのか、はたまたしらんぷりを決め込んだのかはもう真実はわかりません。
でも、その後も何年かして2度ほどダンナは失神しましたが、いろいろ調べまくった私は「アルコールてんかんだ!!」とわかりじっと見ていただけです。
どれも家での出来事でしたので、今でもよかったなと思っております。
アルコール依存症者のてんかんは本当のてんかんとは状態は似ておりますが、非なるものです。
アルコール早期離脱状態でアルコールを飲むことを止めてから、48時間以内くらいで起こるものです。
自律神経の発作とでもいいましょうか、そんな状態が起こるのです。
多くは、けいれんして全身筋肉の強直性が起こります。
意識喪失だけではなく、唾液分泌が酷くなったり、散瞳。尿失禁するときもあればかなり酷い状態では呼吸停止を起こしたりもします。
外で急にてんかんを起こしたら、転倒して大けがを負う場合も多いようです。
初めて見たらきっとびっくりされるでしょうが、じっと見ているしかありません。舌をかんでいたらまあ、どうにか何かをくわえさせたほうがいいのでしょうか。
でも、だいたい1~2分で治まりますから。
筋肉の弛緩から昏睡から回復していきます。
これの治療法はありませんね~。
断酒ですかね~
でも、ダンナは自分がてんかんを起こしてたなんてわかってないですから、断酒なんてしませんよ。
本当のてんかんの人はてんかんがおこらないように毎日予防するために薬を飲んでいますが、アルコールてんかんはこの薬では予防できません。
いつも、「ああ、この状態をビデオ録画しておいて見せることができたらよかったな。」と思っておりました。
かなり酷いですからね。
きっと、今だったら、「お、てんかんだ!!ヨシッ!!」ってスマホで動画を撮るかな?
それで、「こ~んなに酷いのよッ!!」って見せるかな?って思いますが、いざとなったらね~やっぱりあせるのでそれは無理かな?
見せることができてもやっぱりダンナはお酒を止めることはできなかったかな?と思っています。
とにかく、治療法は断酒のみです。

アルコール依存症でのDV

2015-11-03 22:41:30 | アルコール依存症
ダンナは酔っぱらうと、機嫌が悪くなれば暴力をふるいました。
機嫌良く飲めば、ほがらかで楽しいのですが、でも機嫌よくしていたかと油断をしていれば突如として機嫌が悪くなり暴力です。
始めはののしってくる、暴言を吐き出す。怒鳴ってくる。
それでも気にくわなくなれば、手を出します。
手だけでなく、物を投げつけてきたりします。
今ならおかしくなってしまうけれど、巨人の星のお父さんのように食事のしたくがしてある座卓やこたつをひっくり返します。
平手で殴るだけでなく、げんこつで殴ってくるので防御が大変です。
顔を殴られると、あざになって翌日が大変なので、顔をかばいますから腕もあざだらけでした。
殴られて気絶したことも一度や二度ではありません。
ダンナが若いころは本当に酷かったです。
どんなことで怒り出すのかわからないのでいつも会話に気をつけて、ダンナの機嫌をそこなわないようになんでもうなずいていたようでした。
たとえば、白いものでもダンナが黒と言ったら、「そうね。黒ね。」と。
ひたすらひたすら、怖かったです。
でも、そのときなんで別れなかったのだろう?と考えますが、飲んで怒るだけでなく、弱気をみせてくるときもあったからです。
ですから、本当に別れたらこの人はおかしくなってしまう。と手を離すことができなかったんですよ。
まさしく、ばりばりの共依存だったというわけなんですね。
ダンナは年齢があがってきてからは、手を出してくるより、私をののしり続けていました。
本当にささいなことや、自分の思い込みだけで怒鳴っていました。
また、それはお酒がぬけると怒鳴ったことを忘れてしまっていました。
ですから、ダンナは自分が私にしたDVの数々をあまり覚えていないんですよ。
アルコール依存症の人にすごく多いパターンを私たちは繰り返してきたんですね。
アルコール依存症者は自分が飲むことに罪悪感を持つようで、それを正当化にしようとするのですね。
ですから暴言や暴力に繋がると思います。
「なんで、お前はおれが酒を飲むと嫌な顔をするんだ!!」ってな具合ですね。
心では嫌ですがなるべく普通の顔をしてるのですが、飲んでるダンナも、きっと飲むのが気にくわないんだろう。って思うので暴力になるのではないかと思います。
私はダンナが手をあげると、外に逃げました。
何時間かたって、きっと寝たであろう時間に家に戻って、やれやれ・・・と私も休みました。
とにかくそんな具合でしたので、休日が続くとそれはそれは嫌でしたね。
翌日が平日仕事があれば、ダンナはある程度まで飲んで寝てくれたのでそう暴力沙汰にはなりませんでしたが、休日が続けば飲み続けてそりゃもう、暴言と暴力でしたから。
5月の連休、夏休み、年末年始。もちろん、毎週末も。とってもとっても嫌でしたよ。
今、ご主人から飲んでの暴言、暴力を受けてる人がいらっしゃったら、家にいないことが一番です。
出かけてしまうのが一番ですね。
世話をやいてもきりがありませんから。

入院するときはどんなとき?

2015-10-31 23:27:32 | アルコール依存症
ダンナは本当に何回も入院しました。
数え切れないくらいです。
救急車に乗ったことも何度もあって、私はダンナが何回入院したのか、何回救急車に乗ったか覚えてはおりません。
何度も書いていますが、アルコール依存症になると、本当にいろいろな病気になったり、ケガをしたりします。
ダンナは入院するのが大嫌いです。
そりゃもう、私がいなくちゃ寂しいから、自由がきかないから、大好きなワンコと離れてしまうから、好きなタバコが思い通りに吸えないから・・・まあ理由はいろいろあるのでしょうけれど。
とにかく、何度も入院しましたが、やはり一番多かったのが吐血です。
初めての吐血では嫌がるものの、怖かったからでしょうか、わりとおとなしく救急車に乗りました。乗りましたではなくて乗せることができました。
でも、吐血に関しては、私もダンナも慣れてしまって、お互いになんとなく「これくらいだったら、まあいいか。」となって入院しないで通院で乗り越えました。
とはいえ、かかりつけの先生は入院してください。と言いますよ。紹介状書きますから。とおっしゃいます。
それをかたくなに拒むダンナ。
しかたがないなあ~とあきらめる私と先生。
そのころでは最強であった「タケプロン」を処方され、毎日点滴に通いました。
絶食(もちろん断酒)して点滴したらそう酷くなければ、出血はわりと早くにおさまりました。
吐血でも、この量はまずい!!と思えば救急車を呼びます。
もうその加減がわかっていたところがすごい?
慣れてきたら、救急車も呼ばずに自動車後部座席に押し込み医大の救急に連れていきます。
ダンナは痛みで苦しくて吐いて苦しくて、連れて行くころにはもう動くことができません。
吐くことだって何かに吐くなんて元気はないので上に向いたりしてたらごぼごぼと血を吐いておりました。
そのときはバスタオルを口に当てておきます。これが一番便利でした。
まあ、貧血も酷いから痛みだけで苦しむのではなくって体中が辛かったはずです。
いざ、入院となると嫌だとだだをこねていたくせにほっとした顔をします。
まあ、意識レベルはかなり悪いので意識なくって運んだこともありました。
吐血での入院は10日から2週間くらいでしょうか。おかゆが食べられる状態で退院になります。
自分から入院したいというケースもあります。
これはなぜだか吐血しないものだからお酒が飲めてしまうのですが、食事が摂れなくなります。
つまりは栄養失調ってことでしょうか、だるくって辛くって歩けなくなってきます。
もう、まっすぐに歩けません。よろよろです。
体重もかなり減って、「おれ、入院したい・・・・」と訴えます。
自分から言うのは本当に酷い状態なんでしょうね。
だいたい1か月くらい入院します。
点滴をばんばんやってやっと頬がふくらんできたな、歩けるようになってきたな。ってところで退院です。
大腸憩室炎での痛みが酷いときや急性膵炎での痛みが酷いときも嫌がらず(嫌がってる暇がない)入院してくれました。
ダイニングで顔から倒れて顔の右半分がペッタンコになったときも救急車を呼ばずに私がダンナを引きずって救急に行きました。
飲み続けて、飲み続けて、動けなくなったときは救急車でした。
だって、引きずるとダンナが白目をむくのですから。痙攣をおこすのですから。ちょっと怖いでしょう。
意識を取り戻してからも、頭はおかしくなるし、ぜんぜん歩けませんでした。
極度の栄養失調が一番怖いです。
アルコール依存症になると独居の人はこれで亡くなる人が多いのではないでしょうか。
本当に入院すればお金もかかるし、前にも書きましたが、やっぱりお金がかかります。
お金は大事です。高額医療制度がありますが、前は一旦支払って手続きをしてから3か月くらいしてから限度額を超えた分が戻ってきました。
今ははじめに限度額認定証を提出しておけば毎月医療費に関しては、その金額までの支払ですみます。
でもね、部屋だって空いてなければ部屋差額がかかるところに入るので、そりゃもう支払が大変です。
入院するのはどんなとき?
それはまず、ダンナが自分から入院したいと言ったとき。
私がこれはまずいぞ、やばいよ!!って思ったときでしょうね。
ダンナは小心者だった(アルコール依存症の人はけっこう気が弱い)ので自分でも認めたくないのでしょうが、私が諭して入院してました。
あとは意識がなかったから入院できました。
アルコール依存症の人って病院が嫌いなんでしょうね。どこか悪いって思いたくないんですよ。
なだめたりすかしたりでやっとやっと入院してくれることが多かったです。
今、思い出すと、なんでそこまで?って思いますけれど、やっぱり見捨てることができなかったのですよ。
でも、今思い出すと東京のアルコール病院に措置入院させるときが一番大変でした。
むりやり連れて行ったからです。
連れていくときはダンナの友人たちが手伝ってくれたからよかったけれど、入院させるまでの手続きが本当に大変でした。
何度も足を運び、医大とかかりつけの先生からの紹介状も手配して、ベッドの空き状況で確約した日付に入れるかどうかもわからなかったし。
このときの入院が一番苦労しました。
でも、ダンナは怒りまくってすぐに退院してしまいましたが・・・・私のあの苦労は何なの?って思いましたよ。
アルコール依存症でどうしても入院させたい。でも本人は飲み続けて入院する気がない。
民間でやっておりますが、病院まで探してくれて搬送してくれるところもあります。
もちろん、事前の打ち合わせが何度もあるとは思いますが、利用される人もいらっしゃるようです。
私も頼もうかとも思ったことがありました。が、はんぱなく高額だったような?
で、支払ったとしてもタクシーで帰ってきてしまうようなダンナだから、あきらめました。
こういうところを利用される人は、だいたい息子さんが引きこもってアルコール依存症であばれて、高齢だから対処することができない親御さんが多いとききます。
ある程度の収入がある人ではないと使えないですね~

アルコール依存症は障害認定ができるか?

2015-10-29 20:10:20 | アルコール依存症
アルコール依存症は心の病です。
ですから、治療するのは精神科です。
さて、アルコール依存症は障害認定ができるのかどうか?ですが、一定の要件を満たせば、障害認定が受けられます。
もう、アルコールのご家族さんをお持ちのかたはこれについては私より詳しい人もいらっしゃると思いますが、ご存じでない人は覚えておいていただけるとよろしいかと思います。
精神障害1級や2級だと一定の要件を満たせば、障害年金だってもらえます。
まあ、アルコール依存症だとそこまでの等級はでないかとは思いますが、「精神障害者保健福祉手帳」の交付対象となります。障害者総合支援法に基づく各種福祉サービスなどが受けられます。
障害者自立支援というものがあり、アルコール依存症での受診に関しては、1割負担で治療を受けることができます。
介護などのサービスを受けることも可能です。
でも、実際にはアルコール依存症の人は病院、それも精神科には行きたがりません。
行かなければ、認定だってできないし、しようと思っても「俺がなんで障害者なんだ!!」って怒る状態ですよね。
もしも・・・もしもですよ、アルコール性てんかんでも起こして、病院に担ぎ込まれたら、これはチャンスですよ。
知ってて、損はありません。
アルコール依存症の人でかなりてんかんを起こす人もいらっしゃいますから。
もう何度も起こして慣れた人には通じないかもしれないので、最初が肝心ですよ。
これを読んでる皆さんはネットでの検索に慣れていらっしゃると思いますので、この事項を検索して調べて覚えておくといいかもしれません。