アルコール依存症ダンナと共依存妻よ~memorial~

平成25年7月7日にアルコール依存症だったダンナが他界しました。書ききれなかった思いを綴っていこうと思います。

初めての入院

2007-02-28 19:42:28 | ダンナ
結婚して3年もたった頃でしょうか。ダンナのお酒の量が増えて会社も休みがちになってきたのです。
私はその頃前の会社をやめて、家から歩けるところに職場を見つけて働いていました。
休みがちのダンナのためにお昼に家に帰れるようにしたのです。
その頃のダンナは連続飲酒が始まって、朝から晩、夜中までお酒を飲んでいます。
あるとき、吐くようになって熱が出てしまい、汗が止まらなくなって着ている物はびっしょりです。
ダンナの母の知り合いの病院にタクシーで行きました。
もちろん、入院です。
初めての入院となりました。
ダンナの母が院長先生と話しをしてなるべく長く入院させてほしいと頼んでくれたのです。
私はほっとしたのを覚えています。
ダンナの血液検査の結果は思いもよらずにそれほど悪くなっていなかったので皆でびっくりしたのです。
ただし、お酒で上がってしまうγGPTは500を超えていましたし、わずかに黄疸の数値が高かったのでした。
ちょうど、1ヶ月の入院でした。
退院が決まったときは本当にがっかりしました。
入院している最中は寂しがりやのダンナは毎日行かないと大変です。
それと、お酒ばかりの生活でしたので栄養失調にもなっていました。病院食だけではおなかがすいてしかたがなかったようです。
体が元に戻そうと要求するのでしょうね。毎日おにぎりやサンドイッチを作って持って行きました。
仕事が終わってダンナのところに行くとダンナは本当にうれしそうです。
いつもニコニコと楽しい日々でした。
そうか~、お酒を飲まなければこんなにやさしい人なんだと思いました。
だからダンナがいつまでも入院していてくれたらなあと思っていたのです。
そうして退院。
退院して真っ先にしたことは私への命令です。
「おい、お酒を買ってきてくれ」の言葉でした。

顔色を伺う

2007-02-28 19:12:50 | 
平日で明日は仕事というときは、ダンナもあまり飲みません。
飲まないとはいうものの一升瓶に半分は飲んでしまいます。
でも平日の夕方はわりとおだやかで私も楽でした。
しかし、いつもより量が多いな?っと思ったときは要注意です。うかつなことは言えません。
ダンナの問いかけに考えて自分では思ってなくてもおかしいふりをしたり、意見に賛同してみたりとすごく顔色を伺っていました。
どういう一言で怒るのかだんだん覚えて、ダンナの機嫌をそこなわないようにいつもしていました。
そのうち飲まなくていてもいつもダンナの顔色を伺ってる自分に気がつきました。
その頃は共依存などということはまったく知りませんでいた。
今思うと、これはまさしく共依存ですよね。
この頃から私の神経はいつもピリピリしていました。
実家の父母に会いたいと思ってもダンナが反対します。
怒るので実家にも行けません。
実家の父母は私がダンナとうまくやってると思っていたようです。
父母にはダンナがひどい暴言を吐いたり、乱暴をしたりすることをだまっていました。
ダンナのお母さんには「今度、あのこと暮らしたら私は死んでしまうわよ。」と一度だけですが言われたのです。
今思うとこれは脅し以外の何物でもない言葉ですよね。
あ~、やっぱり離婚はできないんだなあと思ったものでした。

夜歩き

2007-02-28 00:38:07 | 
ダンナの機嫌が悪いとき・・・・どうするか。
口答えはしないということを覚えました。
どうしても暴力がすごいときは怖くて家にいられません。
そのときはマンションを借りていてそのマンションの敷地も広かったのです。
夏は一番奥の塀に寄りかかってじっと時間がたつのを待っていました。
冬は寒くてしかたがないので、深夜もやってる喫茶店でコーヒーを飲んだり、駅前の大通りを行ったりきたりしながら時間のたつのを待っていました。
2時間か3時間もそうして帰ると、ダンナは冬ならこたつで夏ならそのまま寝てしまています。
それでほ~っとして私も寝ました。
ダンナの荒れ方にはしかたがないこともありました。
離婚したのはいいですが、子供をすごくかわいがっていたので寂しかったのだと思います。
それでもあたられる私はえらい迷惑です。
日曜日も飲みすぎると、月曜日の朝のひどい二日酔いが待ってます。
ダンナはこの二日酔いがひどいと、迎え酒をしたくなるわけです。
そうして会社を休んで、そのまま飲み続けることもけっこうありました。
公務員ってなんだか普通の会社と違って、お休みが多いし、休みやすいみたいでした。
ダンナが休んでも私は仕事は休めません。
しかたないので、手早くお昼の用意をしてでかけます。
寂しがりやのダンナは私の会社に酔ってTELをかけてくるのです。
それも一度や二度ではなく何度も何度もです。
ろれつの回らない声でかけてくるのですからたまったものではありません。
取り次いでくれる人きっとへんだなと思ったことでしょうね。

ダンナとの結婚

2007-02-28 00:16:10 | 
ダンナと結婚する約束をしたとき、ダンナのお母さんがやけに早く結婚を進めてくれました。
一方、我が家の両親は、ダンナがバツ1で子供もいたのでちょっと考えたらと言っていました。
でも、ダンナのことが好きだった私は躊躇なくダンナといっしょになりました。
それが今から21年前。
私が27歳でダンナが39歳のときでした。

結婚してすぐにわかったこと。
この人の飲み方は尋常ではないということです。
ダンナの仕事は公務員。残業もほとんどありません。
家にはすっとんで帰ってきます。
最初は共働きでしたので買い物をしたりして家に戻る私のほうが帰るのが遅かったですね。
家に戻ると、ダンナがもう日本酒を飲んでいます。
すごい速さでぐびぐびと飲むのです。
明日も仕事というときはちょっとセーブして日本酒の一升瓶の半分くらいを飲んでいました。
けっこうおとなしく飲んでいましたね。
ところが、そのころは土曜日は半日の仕事でお昼には帰ってきます。
そうなると土曜日は昼間から飲み始め、食事も満足にとらずにずっと飲んでいます。ちょっと寝ては起きてまた飲み始めるのです。
そうなると、怖い!!文句を言い出します。ちょっと言い返すと殴ってきたりもしました。
ダンナの母が早く結婚してという意味がその頃よくわかりましたね。
とにかく、日曜日も朝というか、土曜日の夜中からずっと飲んでいましたね。
お酒が少なくなると怒るのでいつもお酒の用意をしていてなくならないようにしていましたし、食べたいと急に言い出すので食事をすばやく出せるようにそれもダンナの気にいる食事をすばやく出すようにしていました。
これが私の共依存の始まりになるのでしょうか。

ダンナと私の紹介

2007-02-27 23:51:56 | ダンナ
結婚したとき、ダンナがこんなにひどく飲むなんて知りませんでした。
ダンナはバツ1で最初の結婚もアルコール依存症で子供二人を妻に預け、離婚したようです。
そのときは結婚したときに建てた家も取られ、貯金もすべて相手に渡しての離婚だったようです。
ダンナと知り合ったのは仕事でのこと。
私より一回りも年上でお酒を飲むけれどとっても楽しい人でした。
それが私の間違いのもとです。
お酒を飲むと人が変わったようになってしまい、暴言は吐く、暴力がすごくて怖くて怖くてしかたありませんでした。
若かった私は離婚するなどと考えもせずにじっとがまんしていました。
やさしくて気の弱い、お酒を飲まないときのダンナはそんな人です。
これから結婚してから、20年たつ私たちの思い出をここに綴ろうと思っています。