冷たい朝

自然科学(数学、物理学、化学、生物学)のサイトです。
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見つけられるもの

2018-12-26 05:08:29 | スピーカー

WindowsのPCを消してUbuntuにした。どうして、そういう心理が働いたかというとiPad Pro 11インチ(2018年秋モデル)を買ったからだ。所謂、経済でいう心理が働いているとしか思えない。高い買い物(16万円くらい)をした後は、Linuxに古いPCをしたいものである。私は、ある時期からMacを使うようになった。10.3(panther)辺りで、Mac miniが出た。大学院を中退してから、自暴自棄になっていた。物理学とは、センスがないと出来ない。そして、努力が重要だ。


「その努力を一切しなかった」



何故、努力をしなかったのかと言うと勉強が嫌いだった。当時、トレインスポッティングという映画が流行っていた。(今は2も出てます)それから、一通り太宰治を読み終わってから村上龍という作家の本を読み漁った。僕は、薬物のヘロインを打ってから、芥川賞を取った作家を現代文学で村上龍しか知らない。要するに、楽をしたかったのだ。高校の時のひどい恋愛に疲れていて、1日で断わってくれれば、好きになる臨界点が沸騰しないのではあるけれど、僕が好きになった子は1年6ヶ月後に答えを出した。つまり、同じ教室で勉強して、総合的な偏差値が68〜70になるまで自分と恋愛の距離感が何処かで似ていた。漱石の小説に「こころ」というegoismをテーマにした話がある。高校三年になって、ボンクラに落とされたのだ。優秀クラスの成績がトップなのに!心の優しい先生の影響で、周りの友達が九州大学を受けるのに対して、僕は自衛隊になろうとしていた。


神楽坂という坂道を往復する自衛隊に!

勇敢な貴族的自衛隊に!

私は、学校を出た。

そして駆け出した!

東京市ヶ谷駐屯地という真夏の幻覚に駆け出した!

僕が推薦入試をする時は、防衛大学の入試だった。

防衛大学に落ちた仲の良い友達がいた。

卑怯者!卑怯者!

あの時、夢を見たのは自己欺瞞だったのか?白樺の草木は青々としていた。

防衛大学に落ちた友達は、100mを10秒台で走っていた。

大切にしている。そういった。

僕は、君を忘れない

そういったんだ。

そして、その短距離の名人に捕まえられた。

時空が交錯する。(意味不明な文章へ)

君は、Appleだろう、この前遊びにいった時にそっとパソコンを見たそうだ。生まれた時の記憶があると勇者は言った。センスの悪い冗談を勇者は言った。時代は、言葉からプログラミングに変化している。そうだ!起業しよう。僕は英語も日本語もよく話せないけれど、起業しよう。あいつの為にも、海が好きだった砂場の貴族の為にも!村上龍は度胸がありますね?心療内科の先生に昔、文学ネタで質問した事がある。龍の「限りなく透明に近いブルー」ですか?村上龍さんは、ヘロインは少しだけしかやってませんよ、少しってどれくらいかわかります?

「え!?」

卑屈なブルースが響いた。だから、警察に捕まるような輩じゃないんです、ルンルンキッチンで、あなた、耳かきにごく僅かです。作家というものは、君にとって憧れでしょうから大きく見えるんです。でも、凄い文才です。悪いのは、太宰なんです。太宰と安吾がすべて悪いんです。村上龍さんは、料理教室もやっていた事を話した。僕は、すでに中毒になっていた。リタリンという薬だ。だから食欲がないんですよ、大きな鳥がやってくる時刻になった。僕は非合法が何よりも嫌だった。黒い鳥がくる時刻になって、僕はトランスの鳴り響く中で叫んだ。

「太陽が眩しかったからだ!」

粗暴な集団の集まりは白けて消えてしまった。誰一人笑うものもいなかった。土台、芸術やら、文学は否定されるものではない。ただ、静かに眠りにつく。もう、何十年も時が流れた。僕は、シンギュラリティを信じている。文学とは、母音の「あ」から始まる。その頃、耳かきに「少しだけ」と言う奇妙な心が、青春時代に戻した。自己欺瞞だっただろうか?自己犠牲だっただろうか?やりすぎた春に卑屈なブルースが流れた。「ライン」という村上龍の小説を読んだ事があるか。僕は答えなかった。耳かきに「少しだけ」?何のことだ。


もう、朝になる頃に白い飛行機が飛んでいて、迂回していた。あの頃は幸せだった。幸せな春だった。僕は何気なく、自転車の車輪を漕いだ、白い飛行機は、朝焼けの空を見た。時間は6時40分を指していた。清々しい朝、彼女の家に5時に起きて出かけた。僕が帰る頃、恐らく時計を同時に見た。6:40と刻まれている。彼女は時計を見てくれただろうか。僕は足早に上京した。

あれから、何十年が経ちますか。時計は止まっている。作り物の白い鳥が丁度、小窓から出たままになっている。鳩の形をしているから、鳩時計であろう。洋式風で、それは可愛らしい永遠の時間だ。

 




霊はあるのか

2018-12-18 03:26:54 | 物理学

霊はあるのか。石原慎太郎の「弟」を読んで、そんな事を感じるようになった。今日は、母の命日である。母は、幼い頃から心優しい教師だった。何故、僕はこのような日に霊について書くのか疑問に思う人もいるだろう。僕の洋間の部屋には、文学全集があった。50冊くらいある文学全集から、生まれて初めて活字に触れたのが作家の「三島由紀夫」だった。幼い僕は、その本を指してこの漢字は何と呼ぶのか聞いたものである。母は大人になったら作家というものの描写の仕方がわかる旨を小さな声で囁いた。そうして、国語と心理学の教師は、注意をそらそうとディズニーの映画を見せてくれた気がする。また、僕が建築に興味を示すと、シルバニアファミリーの家族を買ってきてくれた。目を閉じてと母は言った。

僕は、20才の成人になっていた。それまでに、色々な事があった。青春時代の思い出はここでは省こう。大学に入学した。常に、母が支えてくれた事を示そう。僕は九段下の満開の桜の下で入学式を迎えた。そして、すぐに学友が出来た。最初に友達になってくれた学友は自由が丘に住んでいた。学業に励んだ。それから、ふと生まれた時から忘れられない「国語の先生」と呼ばれた三島の文学を読み漁る機会が来た。文章は、僕よりも何段も上で「死」の予感を漂わせながら、すれすれで輝く女性の描き方がもの凄くうまかった。中でも「沈める滝」は、傑作だった。昭和の中で「あなたは私にとってダムでした」と男の凛々しい姿をいうのである。一方、主人公の貴公子、城所昇は功利主義の役割を果たす小物、瀬山が「感動しない人が好きなんだ」とヒロインに告げ口するところを出世や位相の為に、茂みの中で隠れてきく。女性を引き止める事なく、茂みから出ていかないのだ。そうして、ヒロインは(ダム現場の壮絶さをみて)「あなたはダムでした」という。

古代ローマから、霊についてはずっと考えられている問題である。それは、雰囲気が盛り上がっているところではわからない。また、わかるはずもない。そうして、僕は24才の11月24日から書かれた「仮面の告白」という作品に辿り着く。そうして、三島神話が終わり、石原慎太郎が治める東京都で、市ヶ谷の隣の神楽坂で、女だけが行列になって踊る阿波踊りを彼女と見ることになる。僕はちらりと女たちの群れをみていた。「仮面の告白」では、キリスト教のお嬢様に「いつ?」「どなたと?」と童貞を捨てた事を何回も聞かれて、疲れ切って男たちをみて終わる。僕は「女を見ていた」


ワイヤレススピーカー

2018-12-15 13:26:50 | スピーカー

 

Soundcore Mini 2(6W Bluetooth4.2 スピーカー by Anker)【IPX7防水規格 / 15時間連続再生 / ワイヤレスステレオペアリング/コンパクト設計】(ブラック)
クリエーター情報なし
Anker

Bluetoothスピーカーで、防水機能であり、2台同時に繋いでステレオペアリングをしたい人も多い。そこで、今回購入したのが上記のスピーカーだ。Anker製のスピーカーであり、2台をスマートフォンやパソコンに繋いでみた。実際に、どういう風になっているのか気になる読者さんもいるかも知れない。そこで、実際に写真を撮ってみた。


赤と黒をそれぞれ1つずつ買った。箱の中にマニュアルが付いているので、それに合わせて設定すれば良い。1つ4,000円と高価なものなので製品を間違わない事だ。2つペアで使う時は、Bluetoothボタンを3秒押して、スピーカー同士をペアリングするように。また、Amazonのスマートスピーカー(echo)で声によって、複数台を同時に響かせる方法は「マルチルームミュージック機能」で検索して下さい。

 


物理学を名著で学ぶ

2018-12-14 18:30:53 | 英語

物理学を名著で学ぶ

 

数学・物理学を学ぶのは、あらゆる知識がなければならない。順序よく学んで、院試で7割の問題を解くには上で示した専門書をコツコツと解いておく必要がある。しかし、慌ただしい現代で、高校生辺りから得意になるのは、まず英語である。「順序よく」学ぶには、新・英文法頻出問題演習Part 1、Part 2をマスターする事だろう。この本は、非常に難しい。しかし、やっておけば必ず役に立つ。まず、Part 1だけでも良い。眺める程度でもいいだろうと思う。寝る前に、必ず本屋で買って暗記する事。以上、物理学を学ぶよりも、邪道ではなく英文法を学習する為の心理的な実践書でした。


時間が存在する錯覚

2018-12-14 11:34:02 | 物理学

我々は、時間が存在するという事を当たり前のように感じている。実際に、「時間」が存在しないと困るのだ。スケジュールを立てる時も、カレンダーを当たり前のように使って、未来に起こるべきであろう計画を立てていく。しかし、仮にビックバンがあったとして、その時の状態がHe(ヘリウム)で占められていたとする。しかも、単純な振り子のように質点が「区別できないもの」であったとしよう。その時、皆さんは、振り子が宇宙空間の中でただ左右に揺れている事を想像できるであろうか。そうして、それをのんびりとビデオで撮って、巻き戻しをした時に「区別ができるものである」だろうか。

 

まず、①左の図を見てみよう。2次元である。左右に何回も単振動しても、巻き戻しをする時に区別がつかないのである。しかしながら、②右の図のように、青い矢を手前から向こうに放つ。そうすると、仮にビデオカメラでこれを巻き戻ししたら、紫の矢のように向こうから手前に戻ってきて、「時間の区別」が出来るではないか。こういう考え方をしていくと、時間が存在しているのは、一個の質点(粒子)ではなく、多数の粒子が宇宙にランダムにあり過ぎるから、時間が存在しているようにすら思われる。アインシュタインの「相対性理論」に触れる上で基本的な考え方なので、発想を覚えておくと良い。

 

一方、最近の物理学者の中には、時間自体が存在しないと考える人もいる。「現在のこの瞬間が最新の宇宙である」という考え方だ。それでも、腕時計や鳩時計をみていると、やはり時間というものは目の前で動いているのだから、過去・現在・未来が存在して当たり前だと普通は考える。しかし、これにも反芻があって、生きている事とそもそも実在しない人間がいる事(生と死)を考えてみて欲しい。近代芸術では、生まれ変わりなど「大乗仏教」を中心とした輪廻転生の概念がある。そして、「時間とは過去に向かっても、未来に向かっても無限に広がっている」という常識がある。この辺を考えて仏教が支持される理由を、まるでコペルニクス的転回のように考えてみても面白いのではないか。