春も近づきました。飛行機の音が、旋回して聞こえてくる。私はそんな時に物理学を専攻していた頃のことを思い出す。ノスタルジア。そう言われても仕方ありません。何故ならば、夢が現在進行形で走っていた頃の話だからです。才能は懐かしい面影。すっかり忘れやすくなりました。プルーストの「失われた時を求めて」のような作品は難しくて読むことが出来なかった。春がゆっくりと近づいてきます。20代が殆どない私にとって、研究は10年遅れています。人間には、目標がなければ生きていけません。古い言葉で言えば、大義でしょうか?行動というのは、動くゼンマイ時計のようなものであるので、役割を果たした後は、次第に減衰振動していきます。
春の息吹を感じるまで、随分と時間がかかる人もいれば、あっという間だという人もいるでしょう。高校生まではもの凄く時間がゆっくりと流れます。しかし、大学や専門学校に通うと最初の2年間が、はやく感じられます。私は夏目漱石の「坊っちゃん」の主人公の母校である東京理科大学理学部物理学科を卒業した後に、人の役に立ちたいと思って東京工業大学の院に進みました。理学部と工学部の基本的な違いは、自分の思考で新しい理論を発見したいか、人の役に立つことをしたいのかです。従って、理学部は大抵が哲学じみた考え方が多く、工学部はどちらかと言えば学習するうちに人の役に立つことが散りばめられています。しかし、理学部の方が断定的に10年くらい研究していて、基礎が違っていると言ったら曇天返しが起こるでしょう。個人的な意見を言わせてもらうと、私には理学部の方があっていたということです。実際に、神楽坂の毘沙門天の近くに住んでいました。案外、基礎的なことをしっかりしていないと気が済まない主義だったので、多少は神経質なところがあったと思います。
理学部は、基礎研究。
工学部は、役に立つ学問を身につける。
今回はこの二つに絞って、絶望や不安のうちにある方が逆に未来を明るくしてくれることを信じて理系2択で書いてみました。勿論、私のように大学院の研究所を中退した人間が語ることではないです。今、高校生の方などは参考にして下さいね☆
ちなみに、夜間(第二部)の東京理科大学に通っていた女性と東京大学を受けました。その試験では、英語を3割取らないといけなかったのです。私は、3割とれませんでした。その子は受かりました。
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