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遊去のブログ

ギター&朗読の活動紹介でしたが、現在休止中。今は徒然草化しています。

月光は白く河原に

2009-11-26 08:12:15 | プログラム
 ついに締めくくりのコンサートが終りました。<ギターと朗読>という新しい試みを始めたのが11年前で、そのきっかけになったのが今回の話でした。「月光は白く河原に降りそそぎ」、これがそのタイトルです。この舞台になったのは南アルプスの深い谷にある河原なのですが、そこに行ったとき私はまだ30代の半ばでした。実は、その頃、ずっと体調が悪く、この分では40代は入院生活かもしれないと感じていました。精神と体が分離しているというか、自分に合わない仕事をしていたためだろうと思いますが…。
 最初は手の甲の、ちょうど親指の付け根あたりに小さな水泡が出来て、それが潰れるとそこから透明な体液が流れ出しました。普通なら,それはすぐに固まってかさぶたになるのですが、流れは止まらずポタリポタリ滴になって落ち始めたのです。そのときはちょうど得意先の会社に出向いて仕事をしていたので取りあえずティッシュで押さえておいたのですが、それがすべての始まりでした。このことはまた別に書くこともあると思います。
 体力はかなり落ちていたのですが、そのとき胸に迫ってきた想いは、学生時代からよく登っていた南アルプスをもう一度歩きたいということでした。もしかすると体力的に途中で歩けなくなるかもしれないと思っていました。それでもいい、入院生活で徐々に弱っていくよりはそちらの方がいいかもしれないという気持ちもありました。それで一週間の予定でテントを持って出かけたのですが、悲愴な気持ちはまったくありません。もう一度あの自然の中に行けるという嬉しさでいっぱいでした。
 山旅は苦しいものでした。ただでさえ厳しいのに体力が落ちているのだからなおさらです。それでも気が張っているので何とか持ちました。そして、山を降りる日がやってきました。3000mの山頂から一気に下りました。ほぼ1日下ったところでぽっかり美しい広い河原に出たのです。そのときの感動は今も鮮明に覚えています。
 それから10年以上も経って急にギターの二重奏をすることになりました。その間、4,5年、体調は最悪の日々が続いたのですが、あるきっかけで中国気功のトレーニングを始めることになり、それで劇的に健康を取り戻したのでした。そのお陰で40代の半ばはギターのことを考えることができたのですが、その流れの中で二重奏をする機会が生まれ、曲と曲とをつなぐ話を書くことを思いついたとき、頭に浮かんだのが、南アルプスのあの河原でした。
 それ以来、ギターと朗読の話をずっと書いてきたのですが、3年前にそれを発表する機会を自分で作りました。そして、今回でこれまで作ったものをすべて発表することができました。一仕事終えた気分です。第一期終了というところです。今も次の話を書いていますが、これからは自分の色がさらに濃くなっていくと思います。
 今回の「月光は…」は、二重奏と朗読の三人でやったものを一人でやるということで、技術的にかなり厳しいものがありました。コンサート前日まで最後まで弾けるかどうか怪しい状態でした。新しく加えた最後の曲は途中で分からなくなる場面もありましたが、全体として描こうとしたことは伝わったと思います。それに、この日は椎の実のクッキーをたくさん焼いていったのでそれだけでも喜んでもらえたのではないかと思っています。ただ内容としては練習が足りないので、これから2,3年、弾き込んで作品を完成させるつもりです。他の作品ももう一度弾き込んで完成させ、録音したいと思っています。
 最後に、コンサートの解説から一部を掲載します。
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 この話を最初に書いたのは1998年8月のことでした。二重奏をすることになり、その選曲に当たって、前に積まれた楽譜の山、30cmくらいの高さはあったでしょう。その中から私が選んだのはソルの練習曲の一つ、「月光」という愛称で親しまれている曲でした。理由は単純で、前に弾いたことがあり、練習が楽だろうというそれだけのことでした。
実はこの曲、高校時代から知っていたのですが、一度もいいと思ったことがありませんでした。教則本などでは必ずといっていいほど取り上げられる曲で、いい曲だという話はたくさん聞いていたのですが、私にはそれが不思議でなりませんでした。
 この練習曲には別の作曲家が何人もメロディーを被せています。そのうち、二人の作曲家のものを使うことになりました。並べて弾けばおもしろいだろうという単純な発想だったのですが、それだけでは物足りないということでアレンジをさせられる羽目になりました。それで仕方なく曲を書いたのですが、今度は自分で物足りなくなり、曲と曲をつなぐ話を書き出してしまいました。誰かこれを読んでくれる人がいれば…、と話していたところ、朗読する人が見つかった、早く原稿を欲しいということになり、途中までの原稿を渡してしまいました。2週間後、初めて合同練習をすることになったのですが、そのときに朗読者の方から「終り方がどうもおかしい」と言われました。途中までだということがきちんと伝わっていなかったのです。残りの原稿を渡し、その日、初めて通し練習をしました。そして、その次の練習が、本番当日のリハーサルということで、今考えると「かなり甘い取り組み」だったと思うのですが、その割にはスムーズに行きました。
 今回は、それを一人でやります。私が、<ギターと朗読>という形の活動を始めるきっかけになった話なので特に大切にしたい作品です。ところが改めて見直しているうちに、前回盛り込めなかった部分を書き加えたくなり、そうしたら長さが倍くらいになって、曲数も増えてしまいました。一応、完成はしたのですが、練習が追いつかず苦しい状況です。最後まで辿り着けるかどうかわかりませんが、チャレンジしてみます。
 準備不足で冒険して行き詰まるというのは、子供の頃からの私の行動パターンなのですが、この性格は死ぬまでなおりそうもありません。
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プログラム 「風はジブラルタルに向かって吹く」

2008-10-02 13:04:31 | プログラム
~~~~~  プログラム  ~~~~~
                               2008年9月14日、10月12日
1.映画「太陽がいっぱい」から     作曲 ニノ・ロータ
                       編曲 遊去
2.「ノックグラフトンの昔話」     アイルランドの民話
3.「風はジブラルタルに向かって吹く」 作 遊去

<参考>
1.今、改めて考えてみると、この映画に、誉められるような行為は一つも出てきません。魅力的な人物像というものもありません。どの登場人物も、もし、身近にいたとしたら、親しくなりたいと思うことはないでしょう。それなのに、映画の印象は強烈です。潤いのない、若い彼らの心の動きが、青春期の自分に重なって見えたのかもしれません。心の空洞を埋めようと情熱を傾けられるものを求めてさまよっていた頃を懐かしく思い出します。
恐らく、屈折した環境で育ったのではないかと思われる青年、トム・リプレーが、富豪の息子であるフィリップ・グリーンリーフから、その恋人のマルジュと、彼の全財産を奪い取ろうと完全犯罪を企てる話ですが、その計画は最後の最後で破局を迎えます。
地中海の晴れ上がった空の下、ヨットの上で、トムがフィリップを一瞬のうちにナイフで刺し殺す。すると、それまで穏やかだった海は急に荒れ出し、そこに、殺人現場の目撃者のように白い帆船が現れた。トムは、フィリップの体を何とかシートで包み、紐で縛って、錨を結び付け、ようやくのことで死体を海に投げ捨てる。
その後、トムは、殺したフィリップになりすまし、着々と計画を実行していく。そして、今、トムは浜辺の籐椅子に深々と身を沈め、完全犯罪の成立を確信して、その完了の時を待っている。
「気分でも悪いのですか。」と尋ねるウェイトレスにトムは答える。
「気分が悪いだって? とんでもない。最高の気分だよ。太陽がいっぱいだ。」
そのとき、港では、トムが売却しようとしていたフィリップのヨットが引き上げられていた。船体が海から上がると、その後ろからスクリュウに絡みついた紐が現れた。ピーンと張った紐が海から引きずり上げてきたものは白いシートに包まれている。そして、そのシートの隙間から腕が一本はみ出していた…。
すべては終ったが、トムだけはそれを知らない。浜辺の店の奥の方で刑事の鋭い目が光っている。「電話ですよ」と呼ばれ、幸福に輝いた顔でトムが店の方に歩いてくると、背後の海上に、この結末を見届けようとでもするかのように黒い帆船が一艘現れた。

2.アイルランドの昔話を一つ紹介します。「あれっ、これは。」と思われるのではないでしょうか。
「妖精」は、私のイメージでは、小さくて可愛くて、困ったときには助けてくれるというような存在です。これはディズニー映画の影響かも知れません。ところが、アイルランドやイギリスの人たちは「妖精」は人間に危害を加える存在として、恐れを抱いていたようです。

3.「私は…」と、話は一人称で進んで行きますが、自伝ではありません。創作です。
この話は、最初、スペイン舞曲第5番「アンダルーサ」に添えるために書きました。10年以上も前のことです。4年ほど前、音楽と朗読を組み合わせた形にするために書き足していったらどんどん長くなってしまい、最後は、どうやって話を切り上げるか、苦しむ羽目になりました。
使用曲は、「入り江のざわめき」…アルベニス、「サラバンド」…プーランク、「11月のある日」…ブローウェル、スペイン舞曲第5番「アンダルーサ」、第2番「オリエンタル」…グラナドス、「子守唄」…テデスコ。
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「やまなし」

2008-05-25 12:04:12 | プログラム
           ~~~~~  プログラム  ~~~~~

                          2008年5月11日、6月8日
1.「プラテーロ」   詩 ファン・ラモン・ヒメネス
             曲 マリオ・カステルヌォーヴォ=テデスコ
2.「サティー」
3.「やまなし」    原作 宮沢賢治

<参考>
1.ヒメネス (1881~1958) は「プラテーロとわたし」という詩集を残しました。「プラテーロ」は彼の飼っていたロバの名前です。この詩集は、1907年、ヒメネスが26歳のときから書き始められ、5年後にその大部分を完成して世に出されましたが、その後もさらに書き加えられ、1916年に、現在の完全な形として再び出版されました。日本語訳は伊藤武好・百合子です。テデスコ (1895~1968) はこの中のいくつかの詩に音楽を付け、詩の朗読とともに演奏する形にしました。しかし、今回は朗読と曲とを切り離した形で演奏します。

2.エリック・サティー(1866~1925)はピアニストで作曲家です。奇妙な題名の付いた曲でよく知られていますが、サティー自身も極めてユニークな人物です。フランス北西部、ノルマンディー地方に生まれ、のち、パリに定住する。
この話は20年くらい前に書いたものですが、サティーの「子供の音楽集」の中に書き込まれた言葉の断片を使っています。ずっと音楽と組み合わせること考えていたのですが、今年の3月、ついにその作業に取り掛かり、それに合わせて言葉も書き直しました。今回が初演です。

3.「やまなし」は、1923年(大正12年)4月、岩手毎日新聞に発表されました。このとき賢治さん(1896~1933)は27歳。この半年前に妹のトシが亡くなっています。まだ相当応えていたはずです。鑑賞した人を豊かにする芸術作品の多くが、実は、作者の厳しい状況のもとで生み出されているようです。やはりそうなのだろうなと思います。皮肉なことですが、満たされているときには何もする気になりません。

         「やまなし」の補足
1.やまなし … バラ科ナシ属の落葉高木。10~15mに達する。山梨県のことではありません。東北地方で実が熟すのは11月とされています。そのため「12月」というタイトルを誤植(印刷ミス)と考えて「11月」としている本もあります。
2.クラムボン … 「不詳」とされていますが、これは、多分、「泡」のことだろうと考えています。つまり、これはカニ語で、日本語に訳せば「泡」あるいは、「泡坊主、泡小僧」というところでしょうか。
3.樺の花 …「 樺桜のこと。」…といわれてもわからない人が多いでしょう。私も見たことはありませんが、「落葉高木で10~15mに達し、晩春に白い花をつける」そうです。
4.幻灯 … スライドのこと。賢治さんの時代にはビデオはなかったから、「幻灯」が最新ハイテク機器だったのでしょう。
5.カワセミ … スズメくらいの大きさの小鳥。背中は真っ青で腹はオレンジ色。飛んでいるところを見たらまず見間違えることはありません。清流に住むと言われていますが、小俣町にもいます。
6.金剛石の粉 … ダイヤモンドの粉。ここでは北極や南極のような極寒の地で細かい氷の粒がきらきらと宙を舞う「ダイヤモンドダスト」のようなイメージでしょう。
7.遠眼鏡 … 望遠鏡のこと。

☆カニの家族に名前をつけました。
 お兄さん…プク一(イチ)、 弟…プク太、 お父さん…プク松、 お母さん…ここでは出てきませんが、家で洗濯をしています。お母さんの名前は「プク」だけです。
つまり、このお話は「やまなし」と「プクファミリー」の物語ということです。
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プログラム 「コロちゃんのアマゾン探検」 2008年2月10日

2008-03-17 13:02:16 | プログラム
       ~~~~~  プログラム  ~~~~~   2008年2月10日

1.「絲綢(しちゅう)之路(みち)」   喜多郎 作曲
2.映画「禁じられた遊び」から
3.「コロちゃんのアマゾン探検」   遊去  作

<参考>
1.「絲(し)」は「糸」の旧字、「綢(ちゅう)」は「どんす(緞子)」、つまり、文様を織り出した厚手の絹織物のことです。で、「絲綢(しちゅう)之路(みち)」は、と来ればたいていピーンとくるのではないかと思いますが、ここでピーンと来ない人も「喜多郎」と聞けば「あー、あれ、あれ」となるでしょう。しかし、問題はここからです。この「あれ」がすっと出ず、「あれ、あれ、あれ、…」と展開すると、聞いている方も待ち切れず、つい、「わかった、わかった、あれやな、あれ」と応じてしまう。少々先の思いやられる会話です。
 「シルクロード」はNHKのドキュメンタリー番組で、そのテーマ曲が「絲綢之路」でした。曲は知っていてもこのタイトルを知っている人は少ないのではないでしょうか。まず、字が読めない、意味がわからない、うちの広辞苑にも載っていません。そうなると、自然、「あの曲、あの曲、あのシルクロードのテーマ…」となるわけですが、実は、私も楽譜を見るまでそうでした。
 番組は人々の暮らしと歴史を綴っていくものでしたが、音楽は、それとは対極にあるような超近代的な楽器、シンセサイザーを使っていました。これほど異質な取り合わせはないでしょう。よく採用したものだと思います。喜多郎もすごいが、彼を抜擢したディレクターの眼力には感心します。
 他に類を見ない番組と音楽に当時の私は夢中になり…、と書きたいところですが、実は、本放送は一度も見たことはありませんでした。だいたい、「シルクロード」と聞いても「ああ、『絹の道』か、中学のとき覚えたな」というくらいで全く興味がなかったのです。人間というのは変わるものだなとつくづく思います。
 番組が終わり、シルクロードブームも去り、そして、テーマ曲もあまり演奏されなくなったころ、たまたま買った曲集に載っていたこの曲を弾いてみて、そこで初めて目が覚めました。そこにはそれまでに聞いたことのない新しい感覚があったからです。それからはひたすら番組の再放送を待つ日々です。そして、あの、ラクダの足元を大写しにした冒頭部分を見たときには、待った甲斐があったと思いました。

2.映画の舞台は第2次大戦中のフランス。街道はパリからの避難民で溢れ長蛇の列。そこへドイツの戦闘機の上空から機銃掃射。橋のたもとで両親を亡くしたポーレットは死んだ子犬を抱いて川沿いの道を一人とぼとぼ歩いてくる。たまたま出会ったミッシェルがポーレットを自分の家に連れて行き、ここで数日間一緒に暮らすことになる。翌日、ポーレットは死んだ子犬埋めようと水車小屋の中で地面を掘っているところへミッシェルがやって来た。埋めた子犬の所を見ながらポーレットが言う、「子犬はひとりでかわいそう…」ミッシェルは小屋の中にあるフクロウの巣に行き、そこから死んだ1匹のモグラを取り出して子犬の横に埋めてやる。ミッシェルがポーレットを元気付けようとするように言う、「そうだ!ここにいっぱい墓を作ろう。」そして、次々と死んだ生き物を集め、仲間を増やしていった。そして、墓に立てるために十字架を盗み始め、とうとう本当の墓から14個もの本物の十字架を盗み出してしまう。それが見つかってミッシェルは家に帰れなくなり、水車小屋の中で異様な光彩を放つ墓の前に座って一人リンゴをかじっている。
 夜、こっそり家に帰ったミッシェルにポーレットは尋ねる、「きれい?」「ああ、すごくきれいだ。明日見に行こう。」
 翌日、制服を来た人が2人、ドレの家にやって来た。ポーレットを孤児院に入れるため引き取りに来たのだった。それを知ったミッシェルは十字架の在処を言うからポーレットを家に置いてくれと頼んだ。ミッシェルは大人の言葉を信用して白状したがポーレットは連れて行かれる。ミッシェルは水車小屋へ駆け込み、盗んだ十字架を次々川に投げ捨てる。流れていく十字架の向こう側を、ポーレットを乗せた車が土煙を後に残して走り去っていく。
『ロマンス~サラバンド~メヌエット~エチュード~ロマンス』

3.黒いオルフェ関連、シンプルエチュード(ブローウェル)、ブラジル風バッハ第5番(ヴィラ・ロボス)などの曲を使用。
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プログラム 「夕陽がシチリアの海に沈むとき」 2007年7月8日

2008-03-17 12:53:45 | プログラム
       ~~~~~  プログラム  ~~~~~    2007年7月8日

1. ルイ14世の秘密
  パヴァーヌとガリアルド        P.アテニャーン (仏)
  村人のブランル            R.バラール   (仏)

2. 夕陽がシチリアの海に沈むとき
  シチリア舞曲             Anon. ( anonymous 作者不明の )
  イタリア舞曲             H.ノイジードラー

<解説>
P.アテニャーン(P..Attaingnant) (15世紀の終り頃~1553)
 定量音楽を可動タイプで印刷した最初のパリの音楽出版家。音符と譜線部分とを1つの活字のようにして組み合わせた印刷法で、1528~50年に多数の楽譜集を出版した。それらは現在貴重な資料となっている。

R.バラール(R.Ballard)  (?~1606)
   作曲家のバラールはルイ13世のリュート教師で、楽譜出版の権利を国王よりさずけられたといわれていますが、ルイ13世(1601~1643)は在位が(1610~1643)であったことを考えると、晩年に幼少の皇太子を教えたということになります。

H.ノイジードラー(H.Newsidler)
   1536年、ドイツでリュート曲集を出版している。

「パヴァーヌとガリアルド」
 パヴァーヌは16世紀初頭の宮廷ダンスで、スペイン起源と思われ、くじゃく(pavo)をまねた威厳に満ちた様子でゆっくりと踊られる。ガリアルドは16世紀に広く行なわれたイタリア起源の陽気なダンス。しばしば、緩やかで重々しいパヴァーヌの後に組み合わせて用いられた。

「ブランル」
 フランス起源のダンス。語源は<揺れる branler >で、輪になって足を横へ運ぶのが特徴。16世紀初頭からルイ14世時代まで広く愛好され、あらゆる階層の男女によって踊られた。

<ルイ14世の秘密>
 ルイ14世というとフランス絶対主義の絶頂期の王であり、またヴェルサイユ宮殿を建設した人としても知られています。今日は、そのルイ14世にまつわるエピソードのいくつかを紹介したいと思います。

<夕陽がシチリアの海に沈むとき>
「島」という言葉から私が連想するのはせいぜい菅島か答志島くらいの大きさです。それに比べると実際のシチリア島は小さな「大陸」といってもいいくらいの面積を持っています。ずっと昔、「シチリア島」という名前しか知らなかったときには、何となく「小豆島」くらいの大きさだろうと思っていました。どちらの島も行ったことはありませんが、調べてびっくり、何と、あのアルキメデスもこの島で住人でした。もちろん、小豆島ではありません。
 この話はシチリア島について調べる前に書いた話なので、漁村がいくつかあるような小さな島をイメージしています。
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プログラム 「鹿踊りのはじまり」 2007年4月8日

2008-03-17 12:44:51 | プログラム
         ~~~ プログラム ~~~
                           2007年4月8日

1. プレリュード ハ長調 BWV846      J.S.Bach作曲
2. <さくら>による主題と変奏        横尾幸弘作曲
3. 鹿踊りのはじまり             宮沢賢治原作

◇解説
1.太陽系・外惑星探査機、ボイジャーが打ち上げられてから、今年で30年になります。打ち上げ2年後の1979年には木星に接近し、1986年に天王星、1989年には海王星、そして、今、ボイジャーは地球から150億キロメ-トルのところを、秒速15キロメーロルというスピードで遠ざかっています。
 このボイジャーに積まれている1曲が、実は、このプレリュードなのです。これは、いつかこの曲がET(地球外生命)の耳に届き、彼らに宇宙のどこかに知的生命体がいることを知らせる、という目的を持ってのことですが、さて、どのように再生することになっているのかが気にかかるところです。

2.「桜」といえば「花見」、すぐに明るい日差しのもとのにぎやかな春の一日を思い浮かべますが、日本には各地にいろいろな種類の桜があります。その咲く時期も4月の上旬から下旬にまで広がっていて様々です。日本最古の桜は山梨県北巨摩郡武川村大字山高にある「山高神代桜」で樹齢千八百年余りといわれています。樹高は24mもあるそうで、こうなると、ちょっと夜桜でも、という気分には なれそうもありません。
 光に溢れた昼間の顔と魔性を感じさせる夜の顔と、その両方を合わせ持ったところに桜本来の姿があるのかもしれません。今回の曲は、桜の持つ、得体の知れぬいくつもの顔を覗かせてくれるようなアレンジになっています。

3.私がこの作品に出会ったのは二十歳くらいのときでした。文庫本の中の一篇だったわけですが、特にこの話が気になったのを覚えています。何か因縁のようなものを感じたのかもしれません。それが今回のような形になるとは思いませんでしたが、「勘」というのは怖いものだなと思います。
この作品に取り組んだのは9年前のことでした。一通りの音を書き上げるまでに5年かかりました。それから弾けるようになるまでに4年かかりました。このあたりで切りをつけたいと思っていたのですが、ここまで来た以上、この作品の英語版を作らないわけには行かないだろうという気がしています。これもやはり因縁というものでしょうか。
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プログラム(森にラズベリーの実るころ)

2007-11-08 14:07:16 | プログラム
        ~~~~~  プログラム  ~~~~~
                            2007年11月11日

1. 詩   「野菊」     
2. 雑学  「その糸を辿って」     
3. 物語  「森にラズベリーの実るころ」

<参考>
1.「野菊」という言葉は、身近で、優しい響きのする言葉だと思いますが、実際に野菊を見て楽しんでいる人はあまりいないのではないかと思います。「菊」が、栽培技術を競う華やかな世界の花であるのに対し、野菊はその対極にあるような花です。
 野菊はノコンギクやヨメナのことで、文字通り野や山に咲く多年草です。ちょうど今の季節、うす紫の小さな花をたくさん付けて道端に咲いていますが、あまりきれいとは言えません。というのは、野菊の花は一つの株でも一斉に咲くのではなく、蕾ができたものからポツリポツリと咲いて行き、先に咲いた花は次々に枯れていくので、一つの株に枯れた花やきれいに咲いた花や咲きかけのものや蕾が同居することになってしまいます。そうすると、どうしても人間の目には枯れかかった花が目立ってしまうので、何処となく薄汚れた感じがしてしまうのですが、虫たちにとっては長い期間蜜を吸えるありがたい花なのです。
 野菊を楽しみたいときは、咲きかけの蕾のある枝を取ってきてコップに挿しておくと2,3日で開きます。その清楚な花の美しさは栽培種には見られません。そして、花が枯れても放っておくと今度は根が生えてきます。私は、これを見て「清楚」というのは、内に野生のたくましさを秘めた姿なのだと思うようになりました。

2.小学校のとき工作の時間に糸電話を作ったことがあります。話した声が糸を伝って相手に届くというのです。出来上がった糸電話を初めて試すときの興奮、今も覚えています。ところが実際には、相手の声は糸電話の反対側の耳から聞こえてきました。糸がたるんでいてはだめなのです。何とか糸を辿った音が聞きたいと思い、糸を強くピーンを張ったら糸電話の紙がバリッと破れてしまいました。

3.木苺は、この辺りでは5月の末から6月にかけて実をつけますが、イギリスでは7月の終わりから8月がシーズンで、真夏の食べ物になります。今でもその時期になると野原に木苺の実を摘みに行き、ジャムを作る人たちもいるそうですが、多くはスーパーマーケットに買いに行くようです。現在では木苺も栽培されていて一年中手に入るということですが、実りの季節を待ち遠しく思う心は大事にしたいと思います。
日本の(といってもこの辺りのことですが…)木苺はそれほど甘くはありませんが、野山を歩いているとき、見つけた木苺の実を取って口に入れるのはとても楽しいことです。酸味の中の僅かな甘味、それこそ、却って自然の風味といえるでしょう。時々かなり甘いものもありますが、それを見つけたときの嬉しさは大人であることを忘れさせることがあるのでよくよく注意してください。
ここでの使用曲は、グリーンスリーヴス、Titolo indecifrabile、Nachtanz、Se io m’accorgo ben mio D’un altro amante、美しいドゥーンの岸辺、春の日の花と輝く、埴生の宿、サリー・ガーデン、庭の千草です。他は自作です。



         「野菊」
                 島木赤彦
野菊の花を見ていると、水の流れる音がする。
野菊の原のくぼたみに、泉が湧いて居りました。

野菊の花を見ていると、コオロギの鳴く声がする。
野菊の原の草の根に、虫がかくれて住みました。

野菊の花を見ていたら、雲が通って行きました。
空に浮かんで行く雲の、影が花野に動きます。

虫と泉の音のする、野菊の原はしんとして、
雲の通った大空は、いよいよ青くなりました。

島木赤彦
 本名、久保田俊彦。歌人。大正15年没。51歳

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