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遊去のブログ

ギター&朗読の活動紹介でしたが、現在休止中。今は徒然草化しています。

「音の雲」

2025-08-31 18:40:22 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと

こちらに引っ越しました。まだ使い方が分からず、とりあえずこの記事を投稿しただけです。どうなるのかさっぱり分かりません。
yukyo-h’s diary
https://yukyo-h.hatenablog.com/

 これは冨田勲氏の本の題名です。最近読みました。冨田勲というとシンセサイザーとの関係が連想されますが、この本を読んでこの人はとんでもない根気と体力のあった人だったことが分かりました。やはり何でも物事をやり遂げる人というのは気力が充実しているようだと思いました。夢中になれるということは才能です。
本人の話はテレビやラジオのトーク番組などで何度か聞いたことがありましたが、殆どが断片的な話題で全体像をつかむことは出来ませんでした。この本で、今回ようやく人間像に触れられた気がします。
 
 私は、この数年、日常的に、カセットテープに録音した「日曜喫茶室(FM放送)」を聞いています。かなり傷みの出ているものもあり、もう聞けなくなるのではという思いから、いつもこれが最後というつもりで聴いています。2004年4月11日放送の回は「音に魅せられた男たち」というテーマで、冨田勲氏がゲストでした。そのときにこの本を出版したという話を聞いたのです。図書館に行くとそこにはなく他の図書館から借りてもらうことなりました。図書館の相互貸借では延長はできず2週間しか借りられません。私はいつも2回読むことにしているのでぎりぎりでした。
冨田勲氏については「きょうの料理」のテーマ曲の作曲者であることやシンセサイザーを使って作曲や編曲をしているということくらいしか知りませんでした。音楽の世界では特異な立場にいる感じがしていて、氏の編曲作品は面白いと思うと同時に改めて原曲の良さを強く感じました。
 この人はストラビンスキーの「春の祭典」にショックを受けたそうです。手元に本がないので確かめられませんが高校生のときではなかったかと思います。そしてその楽譜を買っています。この本の出版時の値段に換算すると「9万円」くらいの値段になるそうで、当然自分では買えません。親に頼み込んで出してもらったそうですが、この辺りで普通の感覚ではないことが分かります。何カ月も待ってやっと届いた楽譜を見て唖然としたようです。オーケストラには移調楽器がたくさん含まれているので実際に出る音は楽譜に書かれている音とは違うため全部ハ調に書き直したそうです。だけどそれでオーケストレーションがかなり分かるようになったといいます。終戦時は中学生で音楽的には殆ど素人なのにそこまでやるとは何という根性だろうと思いました。だからモーグシンセサイザーを買ったときにも格闘できたのでしょう。

 「春の祭典」と言えば、私も二十歳頃、オーディオマニアの友人の家でこの曲を聞いた時、衝撃を受けました。それで語学学習用のカセットテープレコーダーしかなかったのにミュージックテープ買ったてしまいました。ズビン・メータ指揮のロスアンゼルスフィルで2300円でした。その頃のアルバイトの日給は千円くらいです。これが初めて買ったミュージックテープで、今もあります。その友人が「こちらで聴いた方がいい」と言うので、彼の持っていたティアックのカセットデッキを売ってもらい、ずっとヘッドフォンで聴いていました。再生してみたら50年以上の前のものなのにきちんと音が出ました。そして『ああ、あの時の音だ』と思いました。若い時の記憶は凄いですね。
 同じ頃、ラジオでビラ・ロボスの12の練習曲を聴いたとき、特に第1番にもショックを受けました。それまでのギターのイメージがひっくり返ってしまいました。すぐ楽器屋に行き楽譜を買いました。1800円だったと思います。楽譜を開けてみて、これがどうしてあんな音になるのかと思いました。曲を間違えたのではないかと思いました。楽譜を買ったら弾けるものと考えていたようで、自分は甘いなと今も思います。とはいえ、今も練習しているので、諦めない限りコスパは極めていいようです。まあ、終わりのない世界ですから。

 観衆8万人というドナウ川でのコンサートの模様はNHK特集で見ました。そのときの印象は「どうしてこんなことをするのだろう」というものでした。私は基本的に大規模なものは苦手です。人が大勢集まるところには行きません。どちらかというと誰も行かないところばかり探しています。番組を見たときにはシンセサイザーを使うとそちらの方向へ進むのかなと思いました。馬鹿げているという感じで全く興味は湧きませんでした。私が好きなのは耳を澄ますことだからです。
 この本を読んで、どうしてそうなるのかということが自分なりに分かった気がしています。モノラル、ステレオ、サラウンドと進んで行くと音響に包まれることに快感を覚えるようになるのでしょう。オーディオマニアの友人たちを見ていると音楽ではなく<音響>を楽しんでいるように思えます。莫大な金額を注ぎ込んで機器の性能を楽しんでいるように見えます。それがマニアなのでしょう。
 「源氏物語幻想交響絵巻」の中では、生霊の音を会場内で動かしてみたそうで、この辺りの楽しみ方は「子供」だなと思いました。考えてみれば、私はサラウンドを体験したことはありません。一度聴いてみれば私もその世界にハマる可能性はあります。

 冨田勲は太平洋戦争末期に岡崎で艦載機の機銃掃射を受けた経験があるようで、グラマンとゼロ戦のエンジン音の違いを聞き分けることができないとダメだったと書いています。戦闘機を見てから逃げたのでは遅いのです。戦闘機が低空飛行で山を越えてくるとき、見える前にその音でグラマンかどうかの判断をし、敵機なら竹藪に逃げ込んだそうです。私も一度ゼロ戦が飛んでくるのを見たことがありますが、飛んでくるはずの方の空を見ていても殆ど見えません。「あっ」と気付いてからは、おそらく10mも走る時間はないなと思いました。先日、図書館で戦時中の体験談の展示があり、読みました。地元の女性で、17歳のとき戦闘機の機銃掃射を受けたそうです。この辺りは平野なので隠れるところがありません。何度も旋回して戻り、執拗に撃ってきたと書いていました。そのときパイロットの顔がはっきり見え、にやにやしていたそうで、殺すことを楽しんでいると思ったそうです。

 冨田勲はどうも音への研ぎ澄まし方が尋常ではないようで、音楽を作るとき既に存在する楽器を使わなければならないことに不満を持っていたようです。学生のときにそのことを音楽仲間に話したが誰もそう思うものはいなかったと言っています。バイオリンやフルートなどを使って音楽を作るのではなくもっと違う音が欲しいと思ったそうです。新しい楽器を発明する人はこういうことを考えるのだろうと思いますが、シンセサイザーはまさにこれをシミュレーションできるわけで、冨田氏が飛びついたのは分かりますが、海のものとも山のものとも知れないものに、借金して2000万円も注ぎ込むとはやはり尋常ではないでしょう。
 「モーグシンセサイザーを操作して初めて気がついたのは、人間は自分も含めて、日常耳にしている音から遊離した、まったく聴いたことのない音はたんに雑音としか聞こえず、その音からは共感も感動も得られないということだった。<新しいユニークな音>とは、いままで自分が聴き慣れた音からわずかに離れたところに存在し、そこから離れ過ぎると、だんだん雑音に近くなっていってしまって無機的な音になっていく。つまり雑音とか無機的な音というのは、聴いている人の気持ちがついていけなくなってしまう領域の音ではないだろうかと考えた。(P.97から)」
 「時代の先端を行く」というのは実際には「半歩先」を行くことで、「一歩先」では行き過ぎになり、理解されないというのと同じですね。理解されたいと願うならそうする必要があると思います。金言です。
 
 今、うちの家にはラジオが6箇所に置いてあり、何処に行っても聞こえるようにしてありますが、最高の時間だなあと感じるのは全ての音を消した時です。つくづく困ったものだと思います。冨田氏も明珍火箸の音に魅せられたようですが、何もないところにほんの僅かの音を加えてそれに耳を澄ますというのは実に日本的な良さだと思います。疲れません。
2025年8月31日
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ある閉館

2025-06-30 17:39:22 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 4月24日、ハガキが届いた。「伊勢現代美術館」からで、いつものDMと雰囲気が違う。裏を見ると「閉館のお知らせ」とあった。書面によると開館は2003年となっている。ということは、計算してみると平成15年になる。私が初めてこの美術館に行ったのは開館して間もない頃だったことを知った。
 平成16年から3年間、私はこの地区の高校に非常勤講師として週2日ほど通っていた。その学校の近くの家に「美術館 こちら」という小さな案内板があって、その赤い矢印が、そこを通るたびに目に飛び込んできた。教員に聞くとすぐ近くにあるという。この先は海ではないのかと思ったが、あるとき気になるので授業の後で行ってみることにした。赤い矢印に導かれて道を辿ると、と言っても車でだが、坂を下ったところに大きな建物があった。海に面した、気持ちの良さそうな場所だったが、その日は開館日ではなかったような記憶がある。が、辺りは静まり返っていて、雰囲気は良かった。
 次に行ったときは開館していた。入館料は300円ではなかったかと思うが、記憶違いかも知れない。本館1Fの扉を開けると、がらんとした四角い無機的な空間が広がっていて、左側の壁に大きな黒い絵(?)が掛かっていた。少しデコボコしていたような気がするが、何が描かれているのかさっぱり分からなかった。他にも展示物はあったが記憶にない。多くはなかったと思う。一通り見てから大きな作品の所に戻るとしばらく眺めていた。きっと制作者にとっては<意味>があるのだろう。それが気になった。

 このあたりことは面白い。どんなものでも「作品」を仕上げるまでに作者のつぎ込む労力は大変なものだ。物と向き合っている時間を凝縮したものが形になるわけで、それ自体に意味があるわけではない。ただの<物>である。そこに<意味>を見いだすのは、それを見る人であったり、社会であったりするのだが、作者の心は<作ること>で基本的には報われている。大袈裟に言えば、作品が仕上がったときに『自分は生きていても良かったのだ』という思いを味わうことができるからだ。
 生物にとって発生時点での方向は<生きる>ことである。しかしこれを続けるのはたやすいことではない。生きるためには常にエネルギーを獲得しなければならないが、そのために生命体は競合する。それはやがて<食う‐食われる>の関係、つまり食物連鎖を形成することになり、食うものは獲物を求め、食われるものは逃れるための方策を編み出した。このカモフラージュは見事である。食うものも自分がいつ食われるものになるか分からない。その緊張感の中で自然は成立している。そこでは、得体の知れないものの正体を知ることは生死にかかわることなのだ。だから、物に対面すると本能的に相手が何者なのか見極めようとする感覚が働く。危険かどうかが最初で、次は有益かどうか、そして面白いかどうかと来て、どれにも当てはまらないときには関心を失う。

 私は大きな黒い絵の前で「相手」を見極めようとしていた。制作者に得られる報いは鑑賞者にはない。だから自分で意味を見いださない限り<報い>はない。それができないときは無駄であったとなってしまうからだ。自然の中では<無駄>なものなど何一つないのだが、消費経済社会ではそのようなことが起こってしまうのだ。
 やはりまったく分からなかった。このようなことは現代社会には無数にある。価値が利潤を生むかどうかで測られる社会には想像を超えた用途が夥しくあるし、包装紙やタオルの模様などに有名デザイナーの名前が目立つように記されているのはどちらにとっても有効な戦略だろう。それはそれで構わない。贈答品などは有名デパートの紙袋に入れて渡した方が受け取った方は喜びを表明しやすい効果もある。

『この人はこれを作っていて楽しいのかなあ、明るい気分にはなれそうもないが…』、私は多分そんなことでも考えていたのだろう。そのときドアがパッと開いて「あっ!」という声がした。この館の受付にいた(?)若い女性だった。誰もいないと思ったのかどうか分からないが…、すぐに戸は閉められた。そろそろ閉館時間かも知れなかった。ちょうどいいので私も切り上げた。
 それから何度かここを訪れている。さっぱり分からないものを見て過ごすのもそれなりに面白い。だいたい「分かる」などということは思い込みだ。心の中の世界はチラッと見たくらいで分かるほど浅いものではない。鑑賞というのは自分の楽しみにできるかどうかの問題だ。例えば、この館の外に「魚を釣った喜び」を表現したという作品がある。金属で幾何学的な部品を作り、それらを組み合わせている。<喜び>というのは有機的な生物に特有の現象だと思うのだが、それを無機物の代表のような金属で構成するところからは作者の反骨精神のようなものを感じてしまう。そして面白いと思うのは、その構成物は生物特有の有機的な波動を発生しているように感じられるのだ。<喜び>の本質とは何なのだろうと改めて考えないではいられない。同時にこの作者はどういう人なのだろうかと想像してしまう。これはやはり新鮮な出会いだろう。

 6月30日で閉館ということなのでそれまでにもう一度見に行こうと思っているとDMが届いた。閉館イベントということでライブ演奏をするという。ビブラフォン&バラフォンとなっていた。この演奏者は前にもここでライブをやったことがある。そのとき使っていた楽器が「バラフォン」だった。アフリカの楽器で、木琴の原型のようだった。鍵盤の下にひょうたんがびっしりぶら下がっていた。共鳴器だろう。その所々に白い紙のようなものが貼ってあって、それはクモの巣だという。いかにもアフリカだ。私は子供の頃からアフリカに強く惹かれていた。小学校の図書館で借りたアフリカの探検記を読みふける毎日だった。ゾウ、サイ、ゴリラなど…、わくわくした。
 6月1日、ライブの日、午後から出かけた。山間の道路を抜けて海辺の町に出る。もうこの地区に来ることはないかも知れない。美術館に着くとすでに車がたくさん並んでいた。受付をして中に入るとハッとした。金色が輝いていた。象徴化された動物もいた。心の和むのが分かった。少し先の床にキラキラする場所があり、水飲み場かなと思った。水は生き物にとって生きるために欠かせないものだ。ほっとする。後で知ったのだが今回の展示は「光の部屋」となっていた。金色には特別なものがあると思った。
 前回のライブのときには鹿の骨が並べられてあったことを思い出した。同じ作者なのかも知れない。演奏者との関連は「アフリカ」か。なぜアフリカに惹かれるのだろう。私の場合、やはり「原初的」ということのような気がする。アフリカと聞いただけで強烈な太陽に揺らぐ大気、その熱気の中を移動する無数の動物たちの群れ、後にもうもうと立つ土埃…、そんな情景を感じてしまう。命の本来の故郷というところか。

 これまでにも何度かライブがあった。特に印象に残っているのはバイオリンだ。全く性質の違う2つの演奏、クラシックと即興演奏だが、どちらも図抜けていた。今回の演奏では奏者が演奏後に息を切らしていた。珍しいことだ。気迫が感じられた。
 最後に

 ここまで書いて私は出かけた。29日に閉館イベント第2弾のライブがあったからだ。ジャズだった。サックスとピアノということで、どういうものになるのか見当がつかなかった。第1弾で終わりにするつもりだったのだが、最後ということでもう一度展示を見たいと思った。
 美術館の近くまで行くと道路まで車がずらりと並んでいる。私はかなり離れた所に車を止め、館まで歩いた。館内は客であふれていた。立ち席になるということだったが、置いてある楽器を見に一番前に行くとそこに空いている席が一つだけあったので座ることができた。演奏が始まって時間が流れた。プロはやはり聞きやすいなと思ったが、エンターテインメント的な要素を盛り込んでいるのでいつものスタイルでやっているのだろう。最後の曲になり、奏者の口から「武満徹」という言葉が出た。そして「みよた(MI・YO・TA)(御代田)」と言ったとき聞き間違いではないかと思った。私は2,3年前から言葉がよく聞き取れなくなっているのだ。先日友人と話していてそれは「加齢性難聴」だと教えられたばかりである。演奏が始まって聞き違いでないことはすぐに分かった。一瞬のうちに自分の中で空気が変わった。私はこれまでにこの曲はFM放送で一度しか聞いたことがないのだが、そのときに聞いた話ははっきり覚えていた。武満は若いときに黛敏郎のアシスタントをして、そのときに武満が黛に渡した曲だという。黛はその美しさに驚き、楽譜を引き出しにしまい込んだというのだ。そして武満の葬儀の日に初めてその曲をみんなの前で何度も口ずさんだらしい。黛敏郎は「これほど哀しい曲を知らない」という。たったの9小説。閉館イベントの最後にこの曲がサックスで延々と演奏された。最初の上昇する音形でもう参ってしまった。それに続いて胸に突き刺さる高音のフレーズ。一つの時代を締めくくるのに相応しい曲だった。
 ただ私には不安があった。この後はアンコールになるのだろう。この曲の後に何を持ってこれるというのだろうか。レクイエムのように拍手なしで終わるのが相応しいと思ったがそれは無理だろう。どうするのか。案の定、アンコールの拍手。そこで演奏されたのが「明日に架ける橋」だった。なるほどと納得した。今日で終わってはいけないということだ。今日の気持ちを締めくくって明日に向かおうということか。なかなかいいと思った。
2025年6月30日
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カレーの皿、復活

2025-04-30 14:18:15 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 楕円形のボート型の皿。長い間、庭の隅に捨ててあったもので、中にはボルトやガラスの破片が放り込まれ、泥まみれになっていた。この家に引っ越してから13年になるが、その時からだろうか。皿は縁が少し欠けている。私がやってしまったのだ。それが何時だったのか覚えていないが、それ以来、殆ど使わなかった。使えないほどではないので捨てるには忍びなかったのだが、この家に引っ越したとき、それを家の中に入れるのをためらって外に置いたのだ。捨てたくない気持ちがあったからだが、その皿が次第に汚れていく様子を見ているのには心が痛んだ。

 この皿は、私が二十歳頃に買ったものです。東京、赤羽の小さなショッピングセンターで、ママセンターという店でした。そのときにうどん用の丼も一緒に買い、こちらは今も健在です。値段は覚えていませんが高いものではなかったと思います。当時は食器も数個しか持っていなかったし、何しろ栄養失調になったのもこの時期でした。

 先月のことですが、コンサートの帰りにさびれた商店街を歩いていると一画から歌声が聞こえてきました。人も集まっています。そこに行くと誰かが歌っていました。小さなハープを片手で抱えています。こんなところを見たのは初めてでした。もしかしてこれはアイリッシュハープではないかと思い、立ち止まって見ていました。そのとき店の脇のワゴンに置いた陶器が目に入りました。その中に楕円形のカレー皿がありました。それを見て『これを買えばあの皿を捨てられるのでは』と思ったのです。少し大きいような気がしましたがきれいな皿でした。ここでコンサートをやっていなければ買うこともなかったでしょう。何という偶然かと思いました。
 実は、この日にここでコンサートのあることは知っていたのです。すぐ近くの大きなホールにコンサートのチケットを買いに行ったときこの商店街を通りました。そのときに案内の張り紙を見て同じ日にここでもコンサートのあることを知りました。ちょっと覗けるかなと思ったのですが、見事に忘れていました。
 前に、ギター朗読作品で「森にラズベリーの実る頃」という話を書いたことがあります。その中に、森の中で小さなハープを抱えて弾く人の場面が出て来るのですが、その段階では、抱えて弾けるハープがあるのかどうかも知りませんでした。古い時代のリラや「ビルマの竪琴」での様子から想像しただけでした。この日、このような場面が実際に存在することを確認できたわけです。
 ここでのコンサートはこの商店街が主催or後援しているもののようで、何組もの演奏者が順番で登場します。私がホールでのコンサートの帰りにここを通ったとき、たまたまアイリッシュハープの人が出ていたわけで、そうでなければ立ち止まることはなかったでしょう。偶然というのは面白いなあとつくづく思いました。
 
 久しぶりにカレーを作りました。というよりカレーに作り直しました。いろいろやっていると料理もどうにもならなくなってしまうことがあります。これでは仕方がないとカレーにしてみたのです。ふと、あの新しい皿で食べたらこれでも食べられるのではないかと思いました。見た目はカレーライスですが、味は全くダメでした。このとき庭に放置した皿を、最後にもう一度使ったみたい気持ちが起こりました。

 何年もの放置でひどく汚れていました。ボルトから出た錆びが赤褐色にこびりついています。それを丹念に磨いて落としていくと、この皿はやはりいい形をしていると感じ始めました。大きさもいい。ほんの少し欠けてしまったがこの皿を買ったときの気持ちが甦ってきました。田舎から東京に出て、初めて自分で借りた四畳半のアパートでカレーを作りました。それを楕円形の皿に盛り、食べました。すこししゃれた気分になったのはそれまで丸い皿でしか食べたことがなかったからです。それから50年の月日が流れ、再び手にした皿には感慨があります。少し欠けて2㎝ほどひびも入っていますが、気を付けて使えば大丈夫でしょう。この皿をまた家の中にしまうことにすると心持ちも穏やかになりました。

 考えてみればうちには自分で直して使っているものがたくさんあります。毎日使うコーヒーカップもそうです。47年くらい使っています。その皿は落としたときに真っ二つに割れ、接着剤でくっつけてあります。大阪堺市のダイエーで、千円でした。それ以来、これ以上に気に入ったコーヒーカップに出会ったことがありません。急須は取っ手を折ってしまい、木を削って作りました。茶碗も割った瞬間には目から火が出ました。友人に貰ったものですが、初めて陶芸家の作ったその茶碗を使ってみて、もう他の茶碗を使う気にならなくなりました。

 今度はきちんとカレーを作り、食べ直してみようと思います。どちらの皿を使うか、やはり古い方ですね。裏を見ると絵付けしてありました。今回これに初めて気付き、よく見ると筆記体のkanesuzuという署名の横にC,H,I,N,Aの文字が散らばるように配置されていました。陶磁器の意味のchinaだと思いますが、不思議なことをするなあと面白く感じました。<遊び>があるのは楽しいですね。
2025年4月30日
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ある夢から

2025-03-31 14:08:23 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 知り合いが髪を<水色>に染めている。まさに澄み切った青空の色だった。服装の色も奇抜で、とても仕事場での服装とは思えない。ということは、夢はカラーだったということだ。夢は、普通は白黒だと言われているが、時々色を感じることはあった。しかしこれだけ鮮やかな色は初めてだろう。
 場所は山すその、斜面に寄りかかるようにして建てられた小さな事務所で、いろいろな店にアイデアを提供するコンサルタントのような仕事をしている会社だった。私は、どうも彼の同僚のようだったが、彼はあの姿で顧客の所に行くのだろうかと心配していた。どう見てもまずいだろうと思うのだが、彼の出すアイデアはユニークだが悉く受け入れられるのだ。不思議だなあと考えているうちに目が覚めた。

 フトンの中で呼吸法をしながらこの夢のことを考えているうちに、何故か自分は文科系の人間ではないかと思った。こんなことは初めてだ。これまでずっと自分は理科系だと思っていた。大学も農芸化学科だったし、その前は機械工学科に通っていた。ただ、そのとき工学部は自分に合わないのではないかと思って農学部を再受験したのだが、小さい頃から物を作ったりするのが好きだったこともあり、自分が理科向きであることを疑ったことはなかった。だけど、考えてみれば、何か作業をする前には<効率>ということをかなり考えるものの、実際に作業が始まると『このままでもいいのではないか』という考えが浮かび、何事も一向に片付かないところがあるのだ。

 文系と理系の本質的な違いが何処にあるかは分からないが、事務職は以前から自分に合わないと思っていた。営業などはとんでもないが、営業マンはいろんなことをよく知っているなと感心することは多かった。物事をよく知っている人に敬意を払うのは小さい頃からだろう。自分は何も知らないのに相手はどうしてこんなにたくさん知っているのだろうと感じることは今も日常的にある。
 家で学習塾をやったり、高校で非常勤講師をするようになってからは立場が逆転した。生徒たちは私を<たくさん知っている人>として見ている。私自身は自分が不十分な知識しか持ち合わせていないことをよく知っているというのに。この関係は辛かった。だから努力したが、得る知識は本や資料からばかりで、結局実感がなく、受け売りになってしまう。そこで自分で考えて試してみると殆どうまく行かないのだ。そのうちできるようになるだろうと考えていたが、ついにそこには至らなかった。

 自分が事務屋に向いていないと感じた理由を探ってみると、もしかすると、字が下手なことにあるのではないかと気が付いた。うちの家族で字が下手だったのは長男と三男の私だけだった。姉二人はかなりうまいと評価されている。祖父は、字はうまかったと聞かされた。そこで、どうしてそういうことになったのかを今考えてみた。すると簡単に分かった。今までどうして気付かなかったのだろうと思った。つまり自分は<習う>ということをしなかったからだ。上手な字を真似て練習すればうまくなるわけだ。私はうまくなりたいと思って努力しただけで、結局、<うまい形>を見いだせなかったわけなのだ。
 私は<習う>ことが下手なのだ。習えば大抵のことはできるようになる。私はすぐに自分で考えてしまうから、踏襲すれば得られるものさえ手に入れることができない。そういうことだった。
 何事にも技能は必要だ。それを身に付けるためには修業が必要になる。それなしでは、アイデアはあっても形にはできない。それが自分だなと思った。どうしてそうなるのかというと、すぐ自分で工夫することに面白みを感じてしまうからだ。身の回りの事柄ならそれで何とかなるものが多い。だけど仕事となるときちんとした形が必要になる。アイデアの部分だけではなく、それを支える周辺部が伴って全体になるわけで、どうしても積み上げられた技術や違った能力との連携が必要になってくる。私にはこれがない。私の、何事も中途半端になってしまう理由はここにある。どうも文科・理科とは関係ないようだ。

 ペン習字の本があったはずだと思って捜してみたが、見つからない。50年前に買ったものだが、おそらく殆ど使ってないだろう。上手な字が書けるようになりたいという希望を託したものだったはずだ。だからずっと書棚の端に立ててあったはずで、今までそれはこの部屋にあると思っていた。この機会にうまく書けるようになるものかどうか試してみようと思ったのだが…。ちょうど良かった。止めておこう。<習う>というのは、おそらくそれほどすぐにできることではないのだから。
2025年3月31日
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乾坤一擲的瞬間

2025-01-30 17:33:29 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 年末に自転車のペダルがおかしくなりました。漕ぐとき負荷がかかり、重いのです。何かが挟まっているような感じでした。油を注してみましたが、あまり変わりません。分解すればいいのですが専用の道具がないとできません。自転車屋に持って行くしかないと思いました。とりあえず無理やりペダルを踏んで乗っていましたが、症状が周期的に変化するので何かが動いているのかも知れません。正月にこれでは困るので伊勢まで車に積んで持って行くことにしました。カレンダーを買い忘れていたので丁度いいと自分を言いくるめて…。
 私は極端に出無精です。基本的には、外に出るとほぼ半日何もできなくなるからですが、それで2週間に一度の図書館に行く日を利用して全ての用事をそのときに済ませようとします。それ以外の日に用事に出るのはよっぽどのことです。このときもカレンダーは年が明けてからでもいいのではないかと考えたし、自転車も無理に漕げば乗れるのだからとか、何とか行かないで済ませる理由を見つけようとする始末でした。
 うちの近くに百均はないので出かけたときに買うというのがいつものやり方です。そうすると買おうと思ってから出かけるまでに時間か空いてしまうのでたいてい忘れてしまいます。また忘れた、また忘れた、を3回くらい繰り返しようやく買うのがいつものパターンですが、まあ儀式みたいなものでしょう、その間にその物に対する意識が高まっていくのです。
 残念ながら百均にカレンダーのいいものはありませんでした(12月30日)。「残り物には福がある」とは残り物を捌くための方便かも知れません、やはり早めに買っておくべきでした。仕方なく卓上カレンダーを5つほど買ってから自転車屋に行くと、様子が変です。店のガラス戸には張り紙がしてあり、読みにくいので車を歩道の端に寄せるとガリガリ、縁石でタイヤのホイルで擦ってしまいました。そして張り紙には30日から正月休みに入るとのこと。ようやく腰を上げた結果がこの始末、この一年の締めくくりにふさわしいものというべきでしょうか。結局、次に自転車屋に行ったのは1月21日で、それまでに困ったことは何もありませんでした。

 12月に「日曜喫茶室」の20年前のカセットテープを聞いていたら、その中で「たそがれ清兵衛」の音楽が流れました。そのとき作曲者は冨田勲だとの説明があったのでどうしても聞きたくなりました。うちでビデオテープを捜しましたが見つかりませんでした。録画しなかったのかも知れないと思いました。だいたい、このタイトルを見て、是非とも録画しようという気にはなりません。だけどTVで放映されたときには見ました。意外にたくさんの場面を覚えていて、というより殆ど覚えていました。とりわけ相手の刀が竹みつだと聞いた時の田中泯の目の光、果し合いの前の晩に外に出て小太刀を構えたときの張りつめた空気、川で釣りをしているとき上流から死体が流れてきたときのことなど…。だけど音楽については全く記憶がありませんでした。もちろん音楽が冨田勲だということも、監督が誰かということも知りませんでした。それで図書館に行く日を楽しみに待っていたのですが、残念ながらいつもの図書館にはこのDVDはなかったのです。伊勢図書館ならあるのでは、と思いました。

 自転車屋は伊勢なので、今回は修理を頼んで直るまでの間に伊勢図書館でDVDを見ようと考えていました。いつも自分に都合よく段取りを組むのですが、その通り運ぶことは殆どありません。今回も自転車屋で「預かります」と言われたとき、『その日に持って帰り、明日から通常に』との計画は崩れました。
そのまま伊勢図書館に行きDVDを捜すと、ありました、「たそがれ清兵衛」、今回は音に意識を向けていたのですが、やはりすぐに忘れてしまいました。だけど最初の木を叩くような太鼓の音と笛の音に『この間(マ)は凄い、ただ事ではない』と感じました。音の出ているときよりも音のないときの緊張感の方に心を惹かれるのは日本人だからなのかなぁと思います。ところがそれから後、音の記憶はありません。映画音楽というのはそれでいいのかな、私の場合、ラジオドラマでも音が聞こえてくるのは3回目からです。

 この映画で印象的だったのは夜の暗さです。子供の頃の夜はこうだった気がします。うちの家は便所が外にあったので夜中にオシッコに起きたとき怖くてそこまで行けず、庭の途中にしていました。朝になるとそこに証拠が残っているのでいつも叱られたものです。でも本当に怖かった、魔物が潜んでいるような暗さでした。

 二日後の午前中、電話がかかってきて「重症です」とのこと、ネジが外れないので修理できないと言われました。新しいのを買うしかないかと思いながら引き取りに行きました。店に行くと自転車は分解したままになっていました。ペダルの付いていた部分の内側にはベアリングが付いているのですがそのネジが外れないようです。自転車屋は、無理にねじ込んだのだろうと言います。私も、ホームセンターで買った安い自転車なのでそうかも知れないと思いました。
 その店で自転車を見せてもらいました。いろいろ話すうちに、思い出したように、中古があるがどうかという話になりました。定価7万円のものですが警察への登録料なども含めて4万円弱で買いました。持って帰ろうとすると、点検をしたいので後日取りに来てほしいと言われました。それで分解された自転車だけを積み込んで家に帰りました。
哀れな自転車を見ていると何とかネジを外せないものかと考え始めました。二日後に新しい自転車を取りに行き乗ってみたのですが、壊れた自転車を哀れに思う気持ちはさらに募るばかりです。そしてその翌朝、ひらめきました。パイプレンチ、これで外せるだろうと思いました。
 うちにはないので隣に借りに行きました。隣といっても50mくらい離れているのですが、そこの人は前に水道屋をしていたのでパイプレンチを持っているはずだと思ったのです。長さ1mの鉄パイプを持ち、自転車を引いて隣に行くと、ちょうど出かけるところだったのですが、パイプレンチを出してくれました。ネジをパイプレンチで挟んで左回りに動かしましたがびくともしません。おかしいなと思いましたが、仕方がないと、持ってきた鉄パイプをパイプレンチの柄に差し込みました。そうすると柄の長さが1mになるので極端に大きな力を加えることができるのです。こうなると自転車の方が壊れかねません。乾坤一擲。真剣勝負。たそがれ清兵衛だ!
 ゆっくり力を加えていくとググッと動きました。変な感じがしました。ネジ山が潰れながら滑って動いたのです。これだけの力を加えて外れないはずはない、元は人間の腕の力で締めているのだからこれはおかしい。それで、まさかとは思いましたがパイプレンチで挟みなおし、逆向き、つまり右回りに動かしてみました。すると動いたような気がしたのです。『そんな馬鹿な』と思いましたがもう一度試しました。確かに動いています。そしてついに外れたのです。つまり逆ネジになっていたということです。
 このネジは自転車の右側に付いているのでそこに付けられたペダルは右回りに踏むことになります。そうなるとネジには右回りの力が加わることになるから、このネジには外す方向の力がかかることになるのです。だから逆ネジのはずはないと思って初めは左に回したのでした。なぜ逆ネジなのか、今もその理由は分かりません。
自転車は現在修理中で、連絡待ちです。部品があるかどうかも分からないので多少の不安はありますが、それでも自分の中ではやり遂げた充実感があります。今、シンセサイザーなどを使ったDTMによる音作りを始めようとしているのですが、おかげで気力が湧いてきました。人生最後の仕切り直しをこの波に乗って始めたいと思います。
2024年1月30日
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棋譜を辿る

2024-12-29 14:39:41 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 前に将棋について書いたことがあると思ったので調べてみました。「囲碁・将棋」と「囲碁・将棋 その後」でした。日付は2019.3.19と9.30になっています。5年前ですね。読んでみて、そうだったなと思い出しました。今も将棋や碁に興味は全くありません。その点は同じなのですが目的が少し変わってきたようです。70歳を越えて頭も体もあちこちトラブルが発生するようになりました。杜甫の書いたように「人生70古来稀なり(古希)」、体に故障の出るのも当然というべきでしょう。今のところ時間はかかるものの殆ど自然治癒していますが、…。

 だけどやはり<完全に>元に戻るということは難しいようです。例えば、音をうまく聞き取れなくなってきたのですが、これは治らないだろうと思っています。「アップライトピアノ」で2オクターブ上のシ♭、シ、ドの音がおかしく聞こえるようになってきたことを書きましたが、何とか確かめたくなり楽器屋に行きました。そこにはピアノが数台置いてあり、電子ピアノもあります。店の人に音を出してもいいか尋ねてからまず電子ピアノでラ、シ、ドと弾いてみました。1オクターブ上は問題ありません。そして2オクターブ上。うちの電子ピアノと全く同じでした。やはり自分の耳がおかしいのか。他のピアノも弾いてみました。アップライトピアノですがこの値段は100万円以上します。ポンと1音出してみて唖然としました。『何だ、この音は!』、これが生の音か。電子ピアノとはまるで違います。生の楽器が弾きたいと思いました。

 これまでにも普通の家庭にあるアップライトピアノに触ったことはあります。だけどこんなにいい音はしなかったと思いました。これは楽器の質の違いもあるし、弾いているかどうかにもよります。どんな楽器でも音を出していなければ次第に鳴らなくなります。それにしてもこの心と体に染み込んでくる感じは、うちの電子ピアノでは遠く及びません。残念です。生ピアノを買うことは簡単ですが、その重量と管理と部屋の響きのことを考えると家に置くことは止めた方がいいでしょう。一番いいのはレンタルで弾きに行くことだろうと思いましたが、『こんな地域にそんなところがあるだろうか…。』

 もう音程などはどうでもよくなってしまったのですが、ここはやはりこれを確かめないことには来た意味がありません。数台のピアノで確かめてみました。全部同じでした。明らかに自分の方がおかしいと思ったのですが、どうしても認めがたく、店員に音がおかしく感じないかどうか尋ねてしまいました。そうすると自分では分からないからということでその店の調律師の人を連れてきてくれました。訳を話していろいろ試してみました。同じフレーズを別の高さで弾いてみたりしてみたのですが、やはり例の高さの時だけがおかしく感じるのです。調律師の人にはおかしくないようです。ようやく諦めがついてこれからはこの自分の耳の変調と付き合っていくことになるのだなと思いました。店の人が楽器を弾いてもいいと言ってくれたので少し弾いてから帰りました。これが年を取るということか。

 将棋の本は4巻シリーズの4巻目を見ています。説明の棋譜を辿るとき、今は頭の中だけでやっています。ある図から何手か打った後の図までの間は頭の中だけで進行の様子を保持しなければなりません。4六歩とある場合、頭の中で「4、六、歩」と位置を確かめていきます。苦しいのですが、これが<脳>のトレーニングに極めていいように思い始めました。元は「どこが面白いのか知りたい」ということで本を見始めた将棋でしたが、今では自分には全く合っていないと感じています。だけど、ある一点に踏みとどまってあらゆる可能性を探る、という過程は非常に有益な訓練になりました。誰でも、分からないものに出会うと逃げ出したくなるものです。そうしないで立ち向かうのは極めて苦しいからです。この数年、そのような状況があり、それを支えてくれたのが「棋譜を辿る」という行為でした。その状況を打破した今、新たな効能に気付いたのですが、それは<脳トレ>でした。これには色々な手段があるものの、将棋の場合には「捨てる」という手段が伴います。これが自分という人間の気質を知る上で役に立つようだと思いました。私は物を捨てない人間なのでこれは極めて苦しいのです。捨てるというのはそれによってさらに良い状況を手に入れるためですから、その先が読めていなければなりません。だけど最後まで読めるということはないわけで、そうなると<better>ではないかということで決断することになります。私はそれが苦手なのです。実際の日常生活ではそうしているにも拘らず、飛車・角や金・銀などは簡単に捨てられません。ところが実戦例の棋譜ではそれらをどんどん捨てていきます。ここには相当学ぶところがあると思いました。脳と同時に心の訓練にもいいようです。

 音程がおかしく感じるのは耳ではなく脳で処理がうまくできなくなったためではないかと考えています。人の話す言葉も理解するまでに時間がかかるように感じています。聞こえる音自体も反響が多く感じられ、響き過ぎて何を言っているのか分かりにくいのです。これが神経細胞の情報のやり取りによって起こるのなら、もしかすると改善する可能性はあるかも知れません。「考える」ということも一つの手段だと思いますが、体を使うことによって脳を働かせる方法もあるでしょう。例えば心拍数を抑えるのに呼吸をゆっくりする方法は、そのような肺の動きで副交感神経を刺激してこちらを優位にすることを狙っています。

 脳を間接的に刺激するのに手っ取り早いのは<指>を使うことではないかと思っています。そこで最近始めたことはショパンの幻想即興曲を数小節ずつ繰り返して弾くことです。この曲、私はあまり好きではなかったので弾きたいと思ったことはないのですが、右手と左手が合わない動きをするので、これを意識しながら指を動かすと脳がかなり刺激されるのではないかと思いました。右手が8音に対し左手が6音なので時々合うわけです。またそれも少しずらすと面白いです。ゆっくり弾いたり速く弾いたり、意識を左手に持って行ったり右手に持って行ったりすると違った景色が感じられます。全部弾けるようになろうなどと思わなければ楽しいです。

 先日、図書館でDVDを見ました。「羊と鋼の森」という映画で、調律師の話です。ピアノを構成する部品の多さに驚きました。また調律以前に、これらの部品を作っている人たちがいるわけで、一つの楽器が整うまでにはたくさんの人たちが関わっているんだなあと思いました。それが「社会」の姿なのでしょう。そんなことは当たり前のことですが普段は忘れています。
 どんな楽器でも、私は一つの音を出してそれに耳を澄ますのが好きです。ギターの場合でも、まず頭の中に出したい音を強くイメージします。それから弾くとそれに近付いて行くことが多いです。味見をするときに似ています。調律するときの音の出し方にその姿勢が重なりました。そして音が消えてしーんとしたときのすばらしさ、それが緑の森の中に溶け込みます。いいなあと思いました。
 グランドピアノの調律のあとにラベルの「水の戯れ」、メカの動きと一緒にこの曲を聞いたのは初めてでした。それぞれの部品がこの速い動きによくついて行けるものだと感心しました。この曲を初めて聴いた時、音はどうなっているのだろうと思いましたが、後にNHKのスーパーピアノレッスンに楽譜が出ていましたのでそれで部分的に弾いて楽しんでいるのですが、こんな和音でこんな響きになるのかと驚きます。そのときの講師のミシェル・ベロフが4小節目の終りの拍で、後半、下降するときのレには#を付けるべきだと書いているのも気にかかります。ともかく、これも脳トレにはいいだろうと部分的に繰り返し弾いて遊んでいるのですが、ラベルの頭はどうなっているのでしょうね。
 このグランドピアノのある家、いい家だなあと思いました。映画とはいえ良すぎるのではと思いました。こんな環境は滅多にないでしょうね。ないものねだりはせず、電子ピアノで脳トレすることにします。電子ピアノには、それなりにいいところもたくさんあるのですから。
2024年12月29日

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『性的人身取引』

2024-11-30 10:50:11 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 まさか、ソ連崩壊後にこんな状況が発生しているとは思いも寄らないことでした。
 ロシアの、ウクライナへの侵攻がきっかけになり、近代の西欧の出来事についての本を読み始めました。今年になってからです。「中学生から知りたいウクライナのこと」、「悲しみの収穫 ウクライナ大飢饉」、「万物は流転する」、「おっぱいとトラクター」、「ウクライナを知るための65章」、「バルカン」、「餓鬼 秘密にされた毛沢東中国の飢饉」、そして辿り着いたのが「性的人身取引――現代奴隷制というビジネスの内側」です。
 短い期間なのに、もう何年間も経ったような感じがしています。その間に人間社会についての印象がまるで変ってしまいました。それまで人間には「良識」というものがあり、どんな社会でも共通に通じるものがあるだろうと思っていたのです。いや、思いたかったということかも知れません。今、それは「人」によりけりで、通じる人もいれば通じない人もいるというのが実情だなと感じています。

 この本について簡単に書くことはとてもできません。この本の訳者が記事を載せていますので「山岡万里子」で検索してみてください。また、https://book.asahi.com/jinbun/article/14646556(じんぶん堂)で右下の「書籍情報はこちら」をクリックすると訳者の記事が表示されます。
 訳者も本のあとがきに書いていますが、読めば心を痛めることになるでしょう。だけど「事」が現在進行形であることを考えると、それでも読んで、知ってもらいたいと私も思います。
 ネパール・インドでの話は想像することすらできません。こんなことがあり得るのだろうかと思いました。<騙す>ということから始まる世界が、まさかネパールで行われているとは。それまで私はネパールと言えばエベレストと仏教関連の印象しか持っていませんでした。女性の人権がない地域があろうとは考えたこともなかったのですが、考えてみれば戦前の日本でも、ここまでひどくはないでしょうが、権利という点では近いところがあったのではないかと気付きました。「結婚してから妻を売る」、それを何度も繰り返すというのはどういう理屈になっているのか全く分かりません。
 タイの山岳民族の話は凄まじいです。この人たちはミャンマーでの戦闘から逃れてきた人々だということは知りませんでした。その立場の弱さを利用して働かせる人たちがいるようなのですが、その扱われ方は搾取なんてものじゃない。その労働の成果がスーパーマーケットで売られているとは経済の悲しい姿です。この本の最後に避難所に保護されている少女の話が出てきて、その子が自分の作った作品を著者に見せる場面があります。そのときに著者が褒めると少女の顔に笑みが浮かんだのは救いでした。難民という人々の実態を知らなかったとつくづく思いました。

 この本のことは「中学生から知りたい~」のモルドバの話のところで触れていて、ここで参考文献として出ていました。他の本も同じようにして知りました。一冊ずつ図書館で借りて読みましたが、殆どは他の図書館からの相互貸借で借りてもらいました。その場合、延長できないので2週間しかありません。私は2回読むことにしているのでかなり厳しいです。そのあとで資料として手元に置いておきたい場合は購入します。内容がこれほど深刻になるといい加減なことは話せないからです。
 モルドバについてはショックでした。この国のことはパトリシア・コパチンスカヤの出身地ということで、名前だけ知っていました。この人のバイオリンは凄いなと思っていただけに、この国の政治的・経済的背景を知って驚きました。日本の「ヤクザ」まで出て来るのです。
 アルバニアの「物乞い」の子供たちのところでは、映画館で見た、小学校からの映画鑑賞の一場面を思い出しました。60年ぶりのことでした。昔からあったのですね。
イタリアやオランダの売春婦のことも出ていました。全く知りませんでした。バルカンやウクライナなどの国々では「新聞求人広告」で騙されるケースが相当あるということですが、それに警察への賄賂などが絡まって来ると自分で何とかできる次元を超えています。
 臓器売買の話も出ていました。つい先日、NHKラジオ番組の「青春アドベンチャー」で「4日間家族」というのをやっていましたが、ここで子供の臓器売買のことが出てきたのには驚きました。やはり社会状況を踏まえてのことなのかなと思いました。

 これらの状況の底にあるのは「経済的な貧困」だと思いました。そこに至るケースは様々ですが、経済のグローバル化によりそれが加速されていることをこの本で知りました。それにしても著者のシドハース・カーラ氏はよくこれだけ調べたなと感心します。それを翻訳するということも大変だし、出版するとなると経済的に成立するのかなあと心配になります。出版社の明石書店はエリア・スタディーズというシリーズを出していて「ウクライナを知るための65章」はこの中の一つです。膨大な数があり、よくこれだけ出版するエネルギーがあるなと思いました。

 先日「バンドゥーラの歴史と現在のウクライナ」という公開講座に行きました。講師はウクライナ民族楽器のバンドゥーラ奏者のカテリーナさんでした。ホールでの演奏と話(日本語)の間中、後ろのスクリーンにウクライナの風景がずっと流れていました。色使いがおとぎ話のようで現実の建物とは思えないものが殆どでした。敢えて、破壊される前のウクライナの映像を見てもらうことにしたそうです。そこに悲しみが重なりました。自分にはウクライナのことを伝えることしかできませんと話していましたが、それは私も同じです。今回のブログはこの言葉を聞いて書くことにしたのです。読んでくれる人もいるのだから、書いた方がいいと思いました。
2024年11月30日
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映画「蜜蜂と遠雷」と原作

2024-10-31 13:22:12 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 図書館で、まったく偶然に「蜜蜂と遠雷」のDVDを見ました。というより、何を見ようかなと棚の前にしゃがんで探していたのですが…。
 図書館には2週間に一度手続きのために出かけます。そのついでにDVDを一つ見ることにしているので、棚にあるDVDやビデオのタイトルは既に何度となく見ています。年間で約24本ですから数年あればかなりの数になります。このタイトルも何度か見た記憶はありましたが、興味を惹かれることはなく、というより、このタイトルから内容を想像することができなかったのです。手に取って見る気にもならないほどでしたが、見たいものが殆どなくなってきたこともあり、その日は人差し指でケースの上を引っ掛けて斜めに倒し、側面を見てみる気になったのでした。「田」の字型に4コマの写真があり、ピアノコンクールの話のようだと分かりました。コンピティション(competition)という言葉がチラッと見えた気がして『コンクールとは違うのかなあ』と思いました。ケースを元に戻して他のものを探しながらコンクールの話がどうして「蜜蜂と遠雷」なんだとさらに分からなくなりました。

 基本的に私はコンクールというものに興味がありません。みんな凄いし、腕の差なんか分からないからです。原作では「音楽の世界」について、著者の長年に亘って溜まりに溜まった悶々たる思いが爆発していると思いました。音楽活動を通して自分が感じたことは殆ど書かれています。最初は夢中で楽器を弾いていたのに、やがて他人の評価が気になるようになり、そして再び自分の中で生まれる音を楽しめるようになるまで、殆ど一生かかりました。
 コンクールはプロになるための登竜門のようなものなので、ある人が「1位にならないといけないんだ」と言っていたのを聞いたことがあります。ずっと昔、ラジオで、故はかま満緒氏が「コント作家世界第二位」と言うのを聞いて笑ってしまったことがありました。「第二位」だとどうしてそうなるのか、今も不思議です。
 そのせいもあってか、この原作を読むまで「予選通過」など肩書の何の足しにもならないと思っていましたが、今は一次予選を通過するだけでも凄いことなのだと感じるようになりました。というのは、その個人にとっては重大事件なのだと気付いたからです。これは社会的な価値観と個人的な価値観の、どの位置に立って見るかの結果だと思いました。

 今回、私が原作を読んでみる気になった理由は、映画の場面の中で、いくつか確認したい箇所があったからです。図書館で視聴するとき、自分でDVDを止めたりすることはできません。つまり、テレビや映画館で見るときと同じで、その場で確かめることはできないのです。もう一度見るしかないのですが、それほどたいしたことでもないし、と思ったとき、原作を見た方がいいのではないかという考えが頭に浮かびました。次の時に図書館で尋ねると原作は貸し出し中でした。予約はせずに待つことにしたらそのうち忘れてしまったのですが、8月の終りに図書館に行くと、特別整理期間に入るので1カ月間借りられることが分かりました。それで思い出して「蜜蜂と遠雷」のことを尋ねると出してきてくれました。目の前に置かれた本を見てびっくりしました。厚い。それに何となく形が歪んでいる。これはかなり読まれているなと思いました。装丁もおとなしい包装紙のようで、人の目を引くようなものではありません。それなのにこれだけ傷むほど読まれているのはどうしてなのだろうと思いました。

 この作品を知らない人もいると思うので簡単に説明すると、国際ピアノコンクールに参加した人たちの話で、主要な4人の登場人物は、風間塵、栄伝亜夜、マサル・カルロス・レヴィ・アナトール、高島明石です。それぞれには明確なキャラクターが与えられていて、その違いが絡み合いながら物語は進んで行きます。
 読み始めてすぐに驚きました。「読んでいる」という抵抗感があまりない、つまり読みやすいということなのですが、それだけではなく、あちらこちらにうまいなと思う表現がたくさん散らばっているのです。例えば「全方位、技巧に隙がない」、「飼い慣らした感情」、「規格外の才能」など、自分ならつい説明したくなる表現がたくさんあり、こういう言葉を拾い集めるだけでも話が作れそうな気がしました。

 それよりも何を原作で確認したかったかの話です。主役の一人の風間塵は16歳の少年で、父親が養蜂の仕事をしており、父と一緒にヨーロッパを移動生活しています。それでピアノは持っていないという設定になっています。彼は行く先々でピアノのあるところを知っていてそこで弾いているらしいのですが、映画では彼の師匠が作ったという木製のピアノ鍵盤が登場するのです。もちろん音は出ません。そしてこれを激しく弾いているときに指先から血が出ました。すると少年は小箱から何かを取り出し指先に付けたのです。私はアロンアルファ(瞬間接着剤)だと思いました。実は、冬場の指先のひび割れにこれをつけている人を知っているのですが、前から、大丈夫なのかと気になっていたのです。
 原作に、この場面はありませんでした。どうしてこんな場面を入れたのだろうと気になりました。というのは、この場面から連想したのは武満徹のエピソードで、彼が若い時、家にピアノはなく、紙に鍵盤の絵を描いてそれを押さえたりしていたという話があるからです。そんなことで音をイメージできるのか不思議でした。訓練すればオーケストラのスコアを見て曲をイメージできるのだから楽譜より絵の鍵盤の方が簡単に思えますが、それは訓練を経た後のことではないかと思うのです。スメタナも交響詩「わが祖国」を作曲の途中で耳が聞こえなくなっているというし、どうなっているのだろうと不思議に思っていました。
 試しに、電子ピアノで電源を入れずに弾いてみました。もちろん音は出ません。かたかたいうだけです。こりゃだめだと思ったのですが、意外に指はきちんと弾いていくことが分かりました。そのうちに弾いているところの音楽が脳内で再生を始めたのです。誰でも頭の中で曲を思い浮かべることはできるわけですが、鍵盤を弾いているとその音が同期してくるようなのです。そして実際に鍵盤を弾いている方が頭の中で音を思い浮かべるだけより細かいところまで感じられるようだと思いました。
 『なるほど、そういうことだったのか』、NHKのドキュメンタリー番組を思い出しました。今年亡くなったフジコ・ヘミングさんは、若い時、コンサートの直前に耳が聞こえなくなったがキャンセルせずに弾いたと話していました。音が聞こえなくてどうしてそんなことが出来るのだろうと不思議に思っていましたが、彼女は自分の弾いている鍵盤と脳内に響く音が同期していたから弾き続けることができたのではないかと思いました。

 1カ月借りられたので2度読むことができました。途中からこれについて書きたい気持ちが募ってきて、2回目のときはメモを取りながら読みました。著者が書いているというより、言葉の方が書いてくれといって降りてきているような感じがしました。
 映画の方とはかなり違うので映画を見られた方はぜひ原作を読んでほしいと思います。映画の場合はどうしても商業的に<アトラクション>的な要素が要求されるので「あり得ないような場面」が入って来るのは仕方がないと思いますが、<サビ満載>でなくとも成立するような落ち着いた時代になってほしいものです。
 原作で、第二次予選の課題曲に「春と修羅」を持ってきたのはどうしてなのかと思いました。宮沢賢治の詩集の中で、永訣の朝・松の針・無声慟哭の3編は妹トシの死と関係する詩で、読むのが辛いです。苦しくてなかなか読む気にならないのですが、久しぶりに読んでみました。学生時代、友人に「春と修羅」の「序」を見せられて、何を言っているのか、まるで分からなかったのですが、妙に気になり、特に「心象スケッチ」という言葉に新鮮なものを感じたことを覚えています。
 映画での作曲は藤倉大氏ということで、これは後で知りました。この人の作品はFMで放送されたものしか聴いていませんが、私にはどう受け止めていいものやら分からないものが多いです。その点は賢治さんの「春と修羅」も同じです。それでもいいかなと今は思っていますが、若い時は「分かりたかった」です。
 原作では、読んでいて音楽を聴いているような気分になりました。どんどんイメージが膨らんでいって、多分、実際に音を聴いたらそこまで行くことはないだろうなと思いました。賢治さんの「透明」な感覚を音にするとしたら、自分ならどうするだろう、音を拾ってみようかなと思いました。これは<ギフト>ですね。

<メモ> 原作P.491上段9行目「ラフマニノフの三番を」は二番だと思います。誤植なのか、原稿での間違いなのかは分かりませんが。
2024年10月31日
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アップライトピアノ

2024-09-30 16:04:55 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 8月の終りにFM放送で『江崎文武のBorderless Music Dig!』を聞きました。そこでピアノの話をしていたのですが、「アップライトピアノの音が好きだ」というのです。驚きました。音楽のプロがそんなことを言うとは思いませんでした。この番組では教えられることがたくさんあります。それにしても若いのに、どうしてこんなにたくさん知っていて、また聴く時間があるのだろうと不思議です。私は、無職の今でも、1日にできることはほんの少しで、殆どが雑用で占められてしまいます。が、それが暮らしだと思うことにしています。
 この番組の後、アップライトピアノのことが妙に気にかかるようになりました。きちんとアップライトピアノの音を意識して聴こうとしたことはなかったなと思いました。電子ピアノ(うちには本物のピアノはない)ではいくつかの種類のピアノにスイッチで切り替えることができます。その中にアップライトピアノもあるのですが、これまで殆ど使うことはありませんでした。今よく弾いているのはローランドの電子ピアノですが、これでは「コンサート・ピアノ」と表示されています。グランドピアノのことでしょう。他にフォルテピアノやチェンバロもあります。が、殆ど使ったことはありません。
 これまで基本的には、グランドピアノが本物で、アップライトピアノはその代用品だと思っていました。番組の後、それぞれは別の種類の楽器だとみる考え方があることを知り、試してみました。結果はコンサート・ピアノの方が格段に聴きやすく、アップライトピアノの方はチャチな音です。『やっぱりな』と思いましたが、これらの音は同じ電子ピアノで出しているわけだから意図的に差を付けているとも考えられます。
 FM放送で時々フォルテピアノの演奏を聴くこともあるのですが、思わず聴き入ってしまうことがあります。ハープやリュートのように爪弾いているのではないかと感じたこともあります。「身の丈に合った音」という気がしてこちらの方が自分には合うと思ったことも多いです。だけど電子ピアノで出すフォルテピアノの音はよくありません。だけどこれ以来「いい・悪い」ではなく別の種類の楽器と考えてスイッチを切り替えることが増えました。

 今回のブログを書こうと考えていると、前にも同じようなことを考えたことがあるような気がしてきました。書いたとすればスタインウェイのところだなと思い、資料を捜してみましたが見つかりません。そこで自分のブログを検索したらすぐに出てきました。便利だなあと思いました。「スタインウェイ、再び(2022.7.1)」の終りの方に出ています。もう忘れていました。だけどここでのスタインウェイもアップライトピアノも、どちらも本物での話で、電子ピアノで出す音は音量も調整できるからグランドピアノの音が一番いいと思います。
 そうこうしているうちに高音で音程がおかしいことに気付きました。2オクターブ上のシ♭、シ、ドの辺りの音程がおかしいのです。この辺りの音は曲の山場辺りでよく出てきます。前は異常なかったと思うのですが、故障か。買ってまだ2年です。調べてみると保証期間は1年。しかしローランドのホームページには「ピアノは10年間保証」と書かれている。どうなっているのか。いずれにせよ連絡を取らないと。出張修理となると高額だな。
 ところがローランドのトラブルについての項目を見ると「一部分だけ音程がおかしいということは起こらない」と記されていました。それで、もしかすると自分の耳がおかしいのかと思い、いろいろ試してみたのですが、やはり音程の方がおかしいのです。それで家にある他の電子ピアノ(ヤマハとカシオ)でその部分の音を試してみるとどちらもおかしいのです。2台とも微妙に違いますがやはりおかしい。これらはこの2年間弾いていなかったのでその間におかしくなったのか、それともその前からおかしかったが気付かなかっただけなのか、それとも自分の耳がおかしいのか、もう分からなくなってきました。
 ローランドに問い合わせようとしたのですがどういうわけか登録できません。電話は受け付けないし、そうなるとお手上げです。登録できない理由を調べていくと「違うブラウザで試してみてください」という記述を見つけました。今のところここまでです。試したらうまく行くのか。やってみないと分かりませんが、大変な時代になったものです。やがてもう付いていけなくなる日はそこまで来ているなと思いました。

 音程のおかしい電子ピアノを弾いていると、その音のところで気持ちがカクッとなります。調律が狂っているピアノはこんな感じなのかも知れないと思いました。次に進めないですね。電子ピアノなら調律はしなくていいと思っていたのに、完全にあてが外れました。
2024年9月30日

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『おっぱいとトラクター』

2024-07-31 13:44:17 | ぼやき・つぶやき・ひとりごと
 図書館の相互貸借で借りてもらい、読みました。相互貸借の場合、延長できないので期間は2週間。文庫本で460ページほどあり、いつも2度読むことにしているので厳しかったです。
 この本のことは「中学生から知りたいウクライナのこと」(小山哲・藤原辰史著、ミシマ社)という本で知りました。ウクライナ侵攻があってから、その背景を知らないため、どうしてそんなことが起こったのかずっと気になっていたのですが、ただ、その頃、私も深刻な問題を抱えていて、社会不信・人間不信に心が折れそうになりながら裁判の準備をしていました。本人訴訟(自分でする)のため、4年間ほど図書館で訴訟関係の本を調べるうちに警察・検察や裁判所の実態が分かってきて、冤罪にも強い関心を持つようになりました。たくさんの本を読みましたが、その中でも浜田寿美男氏の「自白の研究」(北大路書房)には頭が下がりました。これも最初は相互貸借で借りたのですが、そのあと自分で買いました。ここまでの取り組みはとてもできるものではないと感心しています。「自白」というものの認識がまるで変ってしまいました。つくづく自分は『お人好しだった』と実感しました。

 去年の9月に決着をつけたものの、心はガタガタで、ようやく「自分」が戻ってきたなと感じ始めたのはこの7月に入った頃からです。「心」の回復には時間がかかるものだと知りました。
一段落のついた去年の秋からウクライナ関連の本を読み始めたのですが、その最初の本が「中学生から知りたいウクライナのこと」でした。この中で参考文献として取り上げられていた本の中に「おっぱいとトラクター」が入っていたのです。が、解説には「おもしろい」と書いているもののどうも歯切れが悪く感じました。他に「悲しみの収穫」(ロバート・コンクエスト著)、「万物は流転する」(ワシーリー・グロスマン著)もあり、これらも相互貸借で読みました。700万人の餓死、ショックでした。こんなことがあったことは知りませんでした。それまでの自分の<人間観>が崩壊してしまいました。心の回復が遅れたのはこれらの本を読んでいたためかも知れません。そしてウクライナの事情が分かってきたあとで読んだのがこの本で、あまりのギャップに戸惑ってしまいました。
 この本はウクライナ出身で、第2次大戦後に難民キャンプからイギリスに移住した家族の「自伝的」小説となっています。著者は1946年生まれなので戦前のソ連での体験はありません。だからその時代の様子は主に父、母、姉の言葉で語っています。父親のニコライは全くエキセントリックな人柄で、多分この通りの人だったのだろうと思います。少し読んでから、ウクライナの惨状を知ったあとの私としてはこの小説の「おもしろさ」に違和感を持たずにはいられなくなりました。無茶苦茶な言葉使いと話の運び方のぎこちなさに四分の三くらい読んだところで、気になって最後の訳者のあとがきに飛びました。そこで著者が前にシリアスな社会派小説を書き上げたがだめだったということを知りました。そして「自己啓発プログラムのなかでたまたま見つけた創作講座に参加し、突如ユーモアに開眼する」とあったので著者の狙いが何となく見えてきた気がしました。

 私の身近なところにはシベリア抑留者や終戦後の大陸からの引き揚げを体験した人たちがいました。そのときの話を子供の頃によく聞きました。俳優の宝田明氏もTVでソ連兵の行為を目の前で直接見たと語っていました。小説家の五木寛之氏も「あのような略奪行為をしたあとにソ連兵が整然と隊列を組んで合唱をしながら帰っていく。そしてその歌がすばらしい。どうしてこのようなことがあり得るのか…、というようなことをラジオ番組で話しているのを聞きました。「音楽」というものに不信感を持ったようです。
 小説の中で、父親のニコライはその辺りのところにもチラッと触れています。私も、ヨーロッパでは残虐行為は歴史的にごく普通の感覚ではなかったのかと思うようになりました。NATO軍のコソボ空爆のことも気になっていたので「バルカン」(マーク・マゾワー著、中公新書)も読みました。つくづく何も知らなかったことを痛感しました。移民のこともようやく分かってきたところです。

 この小説の中では3つの世代を登場させています。親、姉(10歳年長)、妹(著者)で、この世代の違いによって社会認識に違いの出るところを、単純化して表現しています。無茶苦茶なようでもそれぞれの世代の考え方には裏付けがあり、それを尊重しているところはいいと思いました。その家族の中に飛び込んできた、父親の再婚相手である東欧出身の若い女性のヴァレンチナの言葉使い、ひどいどころの騒ぎではありません。原文はどんな言葉で書かれているのか気になりました。訳者はどんな人なのだろうと思って検索してみると草花の溢れる庭が出てきて、ここからあの訳語が出て来るとは…。

 実は29日に「The Wild Pear」をユーチューブに出してしまいました。これは宮沢賢治の「やまなし」をネイティブに頼んで英語で朗読してもらったものです。22年前の録音ですが、「遊去の話」の方で「やまなし録音秘話」を出したときに思いつきました。録音時の出来事をその当時に英訳したものがあったのでこれも一緒に出そうかと思ったのですが、ユーチューブなのでどんな人が見るかわからないから取り返しのつかないことになってはいけないと思い、止めました。だけど直前まで迷っていたのです。私の書く英語だからおかしなところはたくさんあるでしょう。だけどそれを直すことのできる人も殆どいないのです。日本人なら日本語の文章がきちんと書けるかと言えばそんなこともないわけで、それはネイティブにとっても同じでしょう。もうこれらでいいとするしかありません。
The Wild Pear
https://youtu.be/ZLry6aDb1Ss

 ところでこの小説のタイトルの「おっぱいとトラクター」というのは邦訳です。編集の担当者が付けたということですが、この言葉は本文中に一度だけ出てきます。原題は「A Short History of Tractors in UKRAINIAN」で、直訳では「ウクライナ語版トラクター小史」となります。そのためアマゾン・ドットコムでは農業関連本に仕訳されたことがあったようです。この原題でよくベストセラーになったなと感心しました。読もうと思って手にする人などいないと思います。ついでですが、翻訳で、私が腰を抜かすほど驚いたのは「完訳 日本奥地紀行」(イザベラ・バード、金坂清則訳、平凡社)です。これには膨大な訳注が付いています。これがまた凄い。最初は図書館で借りて読みました。読み終えたときには息も絶え絶えという気分。よくここまで訳したものだと思いました。そのあとで購入しました。4冊で1万2千5百円(税別)也。
 ニコライはヴァレンチナと離婚したあと施設に移ります。その部屋での場面で小説は閉じられます。娘夫婦が訪ねるとニコライは裸で「太陽礼拝のポーズ」をしていました。そして「昨日習った」というセリフ。こんなところでヨガに再会するとは。
 私は若いときに体を傷め、ヨガで回復したことがあるのです。どうだったかな、思い出しながら太陽礼拝のポーズをやってみました。これは大丈夫でした。(前後の柔軟はやっているからな。)そこでねじりのポーズをやってみるとこちらは全くダメでした。(ここまでかたくなっていたか。これから少しヨガを生活に取り入れよう。)私も他人から見ればエキセントリックなのかも知れないと思いました。
2024年7月31日

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