4/29(水)晴れ、ツレアイと娘と3人で群馬県は真田の里、沼田を歩きました。
天狗と水芭蕉をあしらった沼田駅では市長と駅長がお出迎え、ここから滝坂という
急な上り坂を市街に向けてただもう歩きます。右にカーブした先の階段を抜けてさ
らに急な坂を登って?やっと市街。左に曲がると沼田公園、沼田城址に到着。ここ
まで2Kmです。
この坂が自然の要害となった沼田城には争奪の歴史があります。北から上杉、南
から北条、西から武田(真田)の勢力戦です。城主がくるくる代わりました。天正18
年(1590)に真田昌幸が沼田城を秀吉から改めて与えられ、昌幸は長男信幸を城
主に据えました。真田家はそれから5代91年の沼田城主時代を築きました。とこ
ろで徳川家康は本田忠勝の娘小松姫を養女にした後に真田信幸に嫁がせていま
した。こうしたことから真田信幸は父昌幸と弟真田幸村と関が原、大阪冬の陣、夏
の陣で東西に対峙することになったのでした。武田、豊臣の忠君から西軍につい
た父と弟も石田光成には反感を抱いており、真田家存続と武士の一義を貫く葛藤
は歴史好きな人には興味のつきないロマンでしょうね。ちなみに真田幸村は夏の
陣で亡くなる前に忍者軍団であった彼の家来を解散して農民に帰したそうです。
沼田公園(城址)から登って来た駅と子持山方面をのぞみます。
真田家2代目城主信吉が三の丸に時報として設けた鐘楼。
春霞の向こうに谷川岳が見えます。
武尊(ほたか)の山並みもまだ真っ白です。
だまし討ちした沼田平八郎の首を真田昌幸が検分した石。近くにある天狗堂。こ
の天狗面は日本一大きい木製天狗面だそうです。
沼田公園には素敵な建造物があります。土岐家は明治の藩籍奉還までの127年
間沼田藩主をしていました。大正13年に渋谷に建築されたドイツ風住宅です。外
観とは別に和室があり、この日お茶の接待を受けました。ヤマシャクヤクと緋毛
氈、お饅頭に濃茶。少し緊張しましたけど、茶の湯の雰囲気を味わいました。窓辺
の生け花も素敵でした。ツルニンジンやツキニキニンドウの左に見える深いワイン
色の花はクロロウバイというのだそうです。もうひとつが沼田藩薬種御用達を務め
た生方家。歌人の生方たつえさんの家です。東日本では最も古い町屋造りの建築
物だそうです。天井がやたらに高く、でも2階があってはしごで上がる構造はそこ
に住まわせた従業員を逃がさない工夫とか、、。寒さ対策もあって窓が全くありま
せん。沼田公園からハナミズキの道を辿って三光院に行きます。
真田氏5代信利が奉納した県指定重要文化財、眼は水晶はめこみです。
もみじには小さな赤い花がたくさん咲いていました。次に天桂寺行きます。二代目
沼田城主真田信吉の墓があります。火葬されたのはあの天狗を祀る迦葉(かしょ
う)山です。墓石の天蓋には真田家の六文銭が刻まれていました。
この日は柳波祭りです。明治25年に沼田市で生まれた作詞家、林柳波は「おんま
のおやこはなかよしこよし」、「うみはひろいなおおきな」で知られています。本町通
りがお祭りモードでした。子供用のおもちゃでトラクタってすごい!。
真田信幸が移築した須賀神社(1612)の祭典が沼田祇園祭(おぎょん)の始まりだそうです。
立場なのでしょうが、小松姫は嫁いだ真田信幸の父である真田昌幸、弟真田幸村
が沼田に訪れた際に城に入れませんでした。(彼らは西軍でしたから)それで、女
丈夫と謳われました。
山並みを 、その眺望を楽しんで滝坂をゆっくりと駅にくだりました。