帝の寝所である清冷殿の脇に、公達が宿直する場が設けられている。日中からの雨は日が暮れて間もなく止んだが、月は厚い雲の上に隠されており、公達がたむろしている廂には、低く提げられた釣り灯籠と、部屋の奥の燭台からもれてくる灯りが薄暗くのびるばかりであった。
今夜の宿直は、理能と洋泉の他に四人の公達がいる。他の四人はいずれも理能らより年上で、酒などを酌み交わしてあちらの大臣、こちらの親王と、噂話しに興 . . . 本文を読む
自邸に帰ってきた理能は、部屋で濡れた衣を着替えて一息ついた。指貫もはかず下袴姿、直衣は袖を通しているだけで襟を開けたまま脇息に持たれて、外の雨を眺めていた。そこに、理能に良く似た男がやってきた。
「理能! 久しぶり!」
その男も、理能とさして変わらぬ、くだけた格好で、入ってきた。
「兄上。」
「帰ってきたようだから来てみたけれど、どうやらずいぶん疲れているようだね。出なおそうか?」
「 . . . 本文を読む
東三条邸(とうのさんじょうてい)の暁の対は、大騒ぎだ。三つ子の姫たちが、先ほどの雷鳴と稲妻に驚いて、雷鳴よりも大きな声で泣いている。こうなっては、桜の上も小さい姫方の乳母も泣き止ませるのは至難の技。
「もう、気の済むまでお泣きなさい…」桜子(おうし)は、張りのある元気な三人の泣く様子をただ見ていることにした。泣き声が聞こえなくなってくるような感覚の中、こうして我が子を見比べていると、小さいなが . . . 本文を読む
書庫の外、すなわち蔵人所では延安(のぶやす)が、紀雅道(きのまさみち)、藤原只寿(ふじわらのただいき)、そして千里(ちさと)に囲まれるようにして座り、身を小さくしていた。書庫の中では、異母兄の安顕が二人の蔵人の頭に詰問されているだろうと思うと、恥ずかしくて、情けなくてすぐにでもここから逃げ出したい気分だった。
ふだんならガハガハと笑う藤原只寿も、むすっと黙り、いつも物静かな紀雅道はより押し黙っ . . . 本文を読む
「私もそのぉ、蔵人として働きたいと思っておりました。頭の弁(とうのべん)殿や頭の中将(とうのちゅうじょう)殿のお働きぶりを耳にすると、なんと素晴らしい方々であろうかと、そう思いまして、つい、お二人のお働きをこの目で直に見てみたいものだと…。」
桐生安顕(きりおいの やすあきら)少納言は、上目遣いで理能(まさとう)と洋泉(ようぜい)に言う。
「だから、私を陥れるようなことは言わない、と申される . . . 本文を読む
空は一段と雲があつく、低くなってきた。
洋泉(ようぜい)と理能(まさとう)は太政官府へと歩いていた。太政官府はそう大きな建物ではないが、二人がいつもいる校書殿に比べると、朱塗りの柱なども施されず地味で威厳のある佇まいだ。西の小さな門から入って建物の間を通りぬけると小さいが玉砂利が敷かれた前庭に出る。
「中弁(ちゅうべん)、珍しいな。」
建物の階から男が一人降りてきて、二人を呼びとめた。
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潤連が、潤ませた目をじっと閉じて久遠入道に出会ってからのこれまでを思い出し、その思い出の中にいるようだった。その様子にさすがの洋泉も声をかけられず、小さな声で理能に話しかける。
「理能。で、なぜ承香殿の女御が太刀を?」
理能も小声で、承香殿の女御から聞いた話を伝えた。
「じゃ、洋子もいたのか?」
「えぇ、初めておめもじ叶いました。」
「な~にが、オメモジだ。」
「梨壷の女御様も、お . . . 本文を読む
理能は、眉間に皺をよせ、太刀を大事に抱きながら歩いていた。校書殿の蔵人所を素通りしてしまい、洋泉に呼びとめられ、気がついた。
「理能ぉ!」と、洋泉。
「あ、アハハハハ~。いや、女御様の前で緊張したものですから、それが解けてぼぉっとしてました。」
「承杏殿の女御? 帝に呼ばれたのでは…」
肩を落として座っている潤連が理能のほうをチラリと見た。
「理能殿、そ、それは!」と、理能の抱えてい . . . 本文を読む
呼びに来た宿直の公達は、清冷殿(せいれいでん)を通り過ぎ、承杏殿(じょうきょうでん)まで理能を案内した。帝に呼ばれたはずなのに…と理能は思ったが、承杏殿の中は明るく、御簾越しに女人が何人かいるのが分かる。奥に几帳を立て、どうやらそこには承杏殿の女御がいらっしゃるようだ。
薄暗い廂に理能が座り、深く頭を下げ「頭の弁、萩原理能、まかりこしましてございます」と挨拶する。すると、几帳の奥から、女人 . . . 本文を読む
「これはいったいどういうことだ」洋泉が女房達を一喝した。
「蜜連のものどもが…」と顔を隠した誰かが小さく言った。
「み、みつれん…だと?」
洋泉は、甲高い声を出して驚いたように言う。一人一人の扇をどかし、顔を見た。男ではない。
何人目かの扇の手を払いのけられた女が、
「あまりにも小ざかしい蜜連の者ども…。潤連の君はあのとおりの情けない格好。どこからか覗き見て、思い知るが良い」
と憎憎 . . . 本文を読む