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雪姫鳥の独り語

雪姫鳥の山暮らし、日常に感じる事。
雪姫鳥のニットの紹介、旅した国の回想。
食べ物や子育て、雪姫鳥のエコライフ。

松本deジョギング

2013-10-23 19:00:44 | 

展示中、6日間の朝ジョグができました

松本城周辺は、工事中で、お堀の回りは走れなかったけれど

駅やあがたの森、商業地は、ほぼ走りましたね

開智学校を見たのも久しぶり

 

どこから見ても、美しい西洋建築

例年なら紅葉しているようだけど、始まったばかり

 

神社にも、公園にも、街中にも井戸があって

松本ジョグは、水分補給に困りません

来年は、もっと練習して、大町マラソンを走りたい

あがたの森の南には、こんな美しい鳥居の神社がありました

スイスのようなレストランも

中町通りの中ほどに、サムサラはあります

9日間、お世話になりました

来年も宜しくお願いします


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松本城

2013-08-25 13:30:58 | 

松本城は、いつ見てもいいなと思う

大竹しのぶさん主演の朝ドラ“水色の時”で

お城の周辺を自転車で走る姿が、懐かしい

夕方でしたが、蓮のつぼみがかわいくて絵になりますね

十代の終わりに信州に憧れて

アンノン族のように、新宿から夜行で松本へ

そして、大糸線で穂高や白馬へ

ご縁があって、何度来たか数え切れない

そして、ニットクリエイターとして展示販売を10月に松本で

草間弥生さんの故郷だけあって、バスもアートしています

私にとっても、精神文化の故郷

何だか長い年月をかけて、自分を見つけて帰ってきたようです

雪姫鳥のニットとご縁が

松本でより繋がればと思います

朝のジョギングをするのが、楽しみですね

 

 


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周遊券の旅

2013-08-03 18:41:30 | 

今朝のTV番組、旅サラダで礼文島の桃岩荘ユースホステルが出てきました

旅人は俳優の大和田獏さん、学生の頃、周遊券で三週間、北海道を旅したよう

1970年代、カニ族と呼ばれた旅人が多かった頃ですね

私は70年代の終わり、それでも周遊券はありました

北海道だけでなく、全国各地にミニ周遊もあり、国鉄の旅はチープでした

今でも有るようだけれど、便利になった分、高い

何でも早ければ良いわけでなく、飛行機もあるのに、新幹線ばかり増えて

急行が減ったように感じます

利用する人も、忙しい生活の人が多いからでしょうか?

狭い日本、そんなに急いで何処へ行く、、、何て言葉が流行ったことも

何でも、かんでも、お金を出せばやってくれる時代ですが

旅も工夫して、時刻表を眺め、駅に泊まったり、夜行を使ったり、、、

思考力、想像力、、、、未知との遭遇があり、自分発見もあり

旅は学びの場でした

リニア新幹線などの予算があるなら、在来線を増やしてほしいですね

桃岩ユースの中は、囲炉裏があったかどうか?記憶にないけれど

奇麗になっているけれど、変わりません

今日は朝から、懐かしい未来に出会ったようでした。


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奈良井宿

2013-05-21 14:03:06 | 

晴れの予報なのに、どんより曇り空

ちょっと畑に出たら、気温は高く汗ばむ

昨日、久しぶりに見たSPAPの番組、三浦春馬さんの、お肌の奇麗な事

比べたら申し訳ないけど、木村さんも老けましたね、我が身もそうだけど

四月にR19で上京した時、奈良井宿に寄りました

中仙道木曽路の宿場町

いつもは、夜だったり素通りしてしまうけれど、早朝にちょっと

橋の上から、こんな感じ

ここから宿場町まで、線路下をくぐりぬける

いいですね

時代劇のロケ現場のよう

生活の空間でもあるのですね

島根の石見銀山は、世界遺産になったけれど

日本の宿場町、どれくらい残っているのだろうか?

どこも、かしこも、企画された商業ビルやショップばかりで

ここはどこかな?って思うほど個性が無い街が多いので

こんな空間に出逢うと、嬉しい

旅は寄り道が楽しい

 

 


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トレッキング

2011-12-06 13:37:32 | 

ネパール、アンナプルナ山系のマチャプチャレ

BSアーカイブで、昨夜と今日、女優さんがヨーロッパアルプスをトレッキングしている、紀行番組を見た。女優さんの顔が、晴れ晴れといいお顔をしていて、自然の力を感じ、私のトレッキングを思い出しました。

ネパールへは1986年にチベットから入り、暮れから正月にかけて、パートナーとトレッキングをしました。7~8泊したように記憶しています。途中のプーンヒルで元旦を迎え、温泉にも入りました。喧嘩ばかりしていて、雪道を迷ったり、思い出深いトレッキングです。ブログに書いたようにも思いますが、紀行文としてはないようで、記憶をたどりながら、書いてみようかと。インターネットで地図など捜しながら、気分を味わいたいですね。

1988年の暮れにもネパールへ行きましたが、妊娠中だったので、パートナーだけ、トレッキングに行き、私はポカラで散歩しながら、毎日マチャプチャレを見ていました。チャイ屋でサモサを食べながら、雄大な景色を当たり前のように見ていましたね。

ちょっと忙しいので、年内を目標にネパールトレッキングの旅、お楽しみに。


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ネパール 農家民宿

2010-11-13 17:55:16 | 

黄砂です。何とか昼頃に走れた、明日は9時に走るぞ。

十津川村の農家民宿、何だか懐かしい。

私と夫が十津川に来たのは、友人とのご縁もあるけれど、ネパールで農家民宿や、空家を借りて、滞在していた事があり、山村の暮らしが日本の原型のようで、懐かしかったのも、理由のひとつです。

1986年8月の末に神戸から上海へ船で渡り、中国からチベットを経て、ネパールへ入りました。ゴルムドまでは、ブログにも書きましたが、この旅はネパールからインド、タイ、インドネシア、オーストラリアと一年三ヶ月も続いたので、旅が日常生活のようであり、記憶しか残っていません。

カトマンズは夫にとっては、懐かしい街で二度目でした。この後も1988年の11月に妊娠中にも関わらず、訪れて年越してから、帰国した。

夫は昔、旅の途中で肝炎を患い、カトマンズに逗留しながら、マクロビで自己治療した事があり、思い出の場所でした。街をブラブラしていると、日本人で夫の古い知人に出合った。彼の情報で、カトマンズ郊外の目玉寺院で有名な‘スワヤンブナート’からリングロードを超えた付近の集落で、間借りできると言う。自分はもう出るから、次に借りたらと言われ、早々にそこに間借りした。

小さな集落で、斜面に家が散在し、見晴らしの良い場所の農家でした。主屋と離れがあり、2室が貸間でした。私の記憶では、朝夕の食事が5ルピーずつ、宿泊が10ルピーだったように思う。一人一泊2食で20ルピー、当時のレートで1ドルだったように記憶するが、確かではない。

朝食は主屋で頂く、とうもろこしの粉をスープに入れたお粥と、少々の野菜。夜は大根カレーが主の田舎料理で、特別な物ではなかったが、二週間は居たように記憶するので、毎日でも飽きなかった。もちろん、農薬も普及していないし、化学調味料も彼らは知らない。

布団はないから、寝袋を使い、浴場も無いので、近所の共同の水場で、水シャワーや洗濯をする。石鹸が珍しいのか、すぐ貸してと言われた。冬でも太陽は眩しく、布を巻きながらの水シャワーは楽しい、昔の井戸端会議のような、光景があった。

農作業も、ネパールのカラフルな民族衣装のまま行なっている。素足の足首や手首には、ジャラジャラとアクセサリーが着いていた。日本の野良着とは、かなり違う、色鮮やかな世界でした。

この後、湖のあるポカラに移動しても、夫を覚えているネパール人に会い、小さな屋根裏部屋のある一軒屋を借りた。眺めが良く、湖も見え、時には霧も立ち込め、街へも歩いて行けた。そんな懐かしさが十津川村に残っていたのです。

1988年のカトマンズで知り合った日本人と、翌年、出産で行ったバンクーバーで、また偶然であったり、不思議なご縁というのは、同じ感性で生きる者が、見えない糸で繋がっているのかな?とも思います。

十津川の農家民宿も、何だかご縁がありそうで嬉しい。

コメント (1)
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モントリオールの紅葉

2010-10-27 17:45:22 | 

寒くなり、秋を感じますが、紅葉はまだですね。ちょっと、モントリオールを思い出す。

マウントロイヤルという丘から見た、モントリオール 

紅葉に樹氷

1983年11月6日 寒かった

カナダ第二の都市、モントリオール、フランス語圏なので、とってもお洒落な街でした。1976年にオリンピックが開催され、ケベックシティよりは、英語が通じました。最近は映画祭で有名ですね。

1983年の5月から半年間を、トロント郊外のポーラ宅で過ごし、その後ケベックへ、モントリオールからニューヨーク、そしてヨーロッパ。ドイツから北欧、パリからローマ、アテネ、そしてエジプトを経て帰国したのが、1984年の3月でした。

秋になると、この頃の風景が浮かんできます。


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小豆島で過ごした夏

2010-08-21 12:26:08 | 

今朝の旅番組で、瀬戸内国際芸術祭2010が紹介されていました。

1979年の夏を過ごした、小豆島を思い出しました。

小豆島オリーブユースホステルでヘルパーをしました。

二十四の瞳の舞台になった、岬の分校です。

’79年は春に九州を一回りする旅をして、夏は小豆島でユースのヘルパーをし、冬は再び北海道へ行ったり、旅していましたね。

オリーブユースは目の前が海で、初めてウインドサーフィンを体験しました。アサリもバケツに一杯採れて、湯がいて冷凍にしていました。サイクリングで分校に行ったり、2ヶ月位過ごしましたね。ヘルパーも入れ替わり、けっこう何人もいましたが、ロングは私を含め三人だったように記憶しています。

神戸から船で行きましたが、岡山からも行けますね。息子が高校二年生の時、初めての友人との二人旅が、友人の親戚のある小豆島でした。直島にも行き、お土産に買って来た絵ハガキが、草間弥生のパンプキンでした。

陽に当たり、変色しています。

まだ、暑い日が続きそうですが、これから夏休みの人、瀬戸内でアートにひたるのもいいかもですね。私もいつか、行ってみたいですね。

 


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北海道の旅 函館

2010-07-21 16:05:52 | 

二風谷から苫小牧へ向かう国道まで、新聞社の人の車に乗せて頂き、降りてすぐ次の車を捜す。運良く、苫小牧ナンバーの車が止まり、‘函館ナンバーのトラック’を捜すようにアドバイスされた。そして、苫小牧付近で降り、函館ナンバーのトラックが来た時に手を上げてみると、意外と簡単に見つかり、函館まで乗せてくれました。

もう、疲れて寝てしまいましたが、目覚めるとアンパンと牛乳が買ってあり、食べるように勧められた。そう言えばランチも食べていなかったと、有難く頂いた。何を話したか.聞かれたかは、覚えてませんが、安心して乗っていた記憶は残ってます。

大沼公園ユースに宿泊を予定していたのですが、夕食には間に合わないので、近くの商店付近で、トラックを降りた。ありがとうございました、本当に嬉しかった。

小さな商店でしたが、まだ開いていてカップラーメンを買う。若い女性が出てきて、お湯をいれましょうか?と聞かれ、他にも何か言われて、胸が熱くなった記憶がある。今なら、コンビニがあり、お湯をいれたり、温めたり、当たり前の事ですが、人と人とのふれあいに感激したのだと思う。

蝦夷富士と呼ばれる要諦山。確か電車からも見えたと思う。

美幌ユースに宿泊に来たヘルパーさんがいたり、出身校の後輩がいたり、ご縁がありました。現在の大沼ユースと同じなのかは?分かりません。

函館は、外人墓地や教会付近を散策したり、坂の街でしたが、横浜と似ていて感じ良かった。函館山の夜景が有名ですが、行ったかどうかは覚えていない。

最後の夜は、宿泊費を浮かせるにに、深夜映画を見ました。‘皇帝のいない八月’でした。何度もくり返し上映していましたが、途中から寝ました。

10月10日、当時は体育の日で祭日でしたね。それでも、函館空港に行き、スカイメイトで羽田便のキャンセル待ち、すぐに乗れたように思います。

この後も、冬は白馬のスキーロッジでバイトしたり、九州を一周したり、小豆島のユースでヘルパーしたりと、けっこう日本を旅しました。それも、この初めての北海道の体験が私にとって、忘れられない感動が多く、フリーターしながら旅をする人生の始まりになりました。


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北海道の旅 支笏湖~二風谷へ

2010-07-20 13:28:32 | 

支笏湖のユースに泊まり、北海道三大秘湖のひとつオコタンペ湖ツアーに参加した事は、ブログに書いてあるので、読んで頂ければ嬉しいです。

美幌のユースでヘルパーをしていた人で、アイヌの研究をしている女性がいた。特にアイヌの歴史に関心があったわけでは無いが、白老奥地にある、アイヌのお墓の写真を見て、文化・風習の違う人達に興味があったのかも知れません。

支笏湖ユースで、二風谷を勧められた。翌日は函館に向かう予定で、、二風谷まで行くと、交通機関では函館へは行けないと、分かってはいましたが、ヒッチすれば何とかなると、早朝に支笏湖を出ました。

最初どう、ヒッチしたかは覚えてないのですが、その日は9台乗り継いだ記憶があります。勇払原野や牧場の光景を何となく記憶しています。

現在では、萱野茂二風谷アイヌ資料館となっています。当時、萱野さんの娘さんが結婚されるので、木の船を造ってました。何年かぶりのアイヌ式の結婚式だと、嬉しそうに話していらっしゃいました。アツシ織りの実演も、ショップでしていました。

手仕事には深い味わいがあります。アツシ織りアイヌ伝統的な文様を、改めて知りたくなりました。

その日は、新聞社の人が萱野さんを取材されていて、帰りは途中まで、車に乗せて頂き、それが7台目でした。

その後の記憶はあるので、また明日。


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北海道の旅 レトロな小樽と新しい札幌

2010-07-19 14:01:50 | 

この旅は1978年10月で、現在の風景とは異なっているかと思います。

稚内から夜行で、札幌まで来た。途中で乗り換えたのか、何時に着いたのかは記憶にはない。

中の島公園と、あの有名な時計台。帆布で作られた懐かしいリュックが写っているので、そのまま観光地を回っていたのかも知れません。時計台は写真ではいい感じなのですが、前が車道になっていて車の群れ、ちょっとイメージが違っていた。

北海道大学キャンパス内のポプラ並木。当時は有名で、観光スポットです。ここだけポプラ並木があるだけですが、どなたかが、皆さんそこで写真を撮りますよと言って、私も撮ってくれました。2004年の台風で、半数が倒れたようですが、現在はどうなのでしょう。

雪祭りで有名な、札幌の大通り公園。何故か修学旅行生と記念撮影、岡山の高校生と書かれています。何か話していて、写真でもと言われ、私のカメラでもついでに撮ったように記憶しています。

赤レンガの北海道庁旧舎、1888年の建物です。市内ではここが一番良かったと、アルバムに書かれている。こういう古くて洒落た建物は好きです。

札幌から電車で小樽へ、そしてバスに乗って、ここを見学している。旧国鉄のキャンペンポスターに使われた鉄道。小樽は北海道の鉄道発祥の地で、運河沿いにあったように記憶する。今ではガラス細工や、石原裕次郎記念館で有名だけれど、このレトロな街並がいいですね。道路も舗装されていなかったのかな?どうして、わざわざここへ行ったのだろうか?

アルバムに、古い街小樽と、新しい町札幌。潮の香る港町小樽を、いつかゆっくり歩いてみたい、そして札幌の知られていない所を捜したいと、コメントしてありました。

札幌のユースに泊まり、観光地めぐりでした。最後に雪印の工場見学で、チーズを頂き、サッポロビール工場見学で、無料のビールを飲みました。今思うとまだ19歳でしたね。

そして、千歳駅からバスで支笏湖に向かいました。


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北海道の旅 利尻島

2010-07-18 14:34:41 | 

1978年10月1日、礼文島の香深港から、利尻島の鴛泊港まで、船で行く。一時間もかからなかったように思う。今では閉館になっているが、利尻のユースに宿泊。

利尻富士とも呼ばれる、山が浮かんでいるような丸い島。登山の時期は終わっていて、姫沼まで歩いて行った。礼文島から一緒だった、確かジュエリーデザイナーの仕事をしているという、京都の女性と一緒でした。とっても静かで、二人きり。

ユースのヘルパー達が、最後に清掃登山に行くという。この頃から、登山でゴミを捨てる人がいたのですね。今朝も、礼文島の高山植物を守る為に、外来種の西洋タンポポを抜いているのを、偶然TVで見ましたが、自然を守るには人の力が必要不可欠ですね。

一泊して、翌日は稚内へフェリーで行き、夜行列車でいっきに札幌まで行く。


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北海道の旅 桃岩荘

2010-07-17 16:36:02 | 

1978年9月30日、礼文島桃岩ユース・ホステル、第13回閉所パーティ。

ヘルパーをしていたのは、学生さんか?フリーターだったのか?お酒なしの宴会、歌って、踊って、皆はじけていた。ヘルパーさん達がノリノリで、関西弁が飛び交っていたように記憶する。

お勝手部隊の女の子達も紹介される。別れを偲んで、涙ぐんでいる人もいた。皆さん、その後、どんな人生を歩まれたのだろうか?

礼文島には、他のユースもあったようで、寸劇をしに駆けつけていた。集まった人の多いこと、こんなにいたのかと、驚く。

旅もいろいろあります。一人静かに過ごしたい、個人的な仲間とだけで、楽しみたい。そんな旅には、ユースホステルは向かないかもしれませんが、出会いを求めたり、賑やかな雰囲気が好きな人には、ユースはお勧めです。桃岩荘は、旅番組で紹介されたり、今でもあの頃と変わらない様子、嬉しい。中高年の旅人も増えているようで、昔を懐かしんだり、行きそびれた人達が、また旅に出ているのでしょうか?

何だか私も、また行ってみたくなりました。

次は利尻島に、向かいます。

雪姫鳥の思考と感性

コメント (3)
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北海道の旅 愛とロマンの礼文島

2010-07-15 18:37:48 | 

1978年9月28日、稚内港から、礼文島の香深港まで、フェリーで行く。

礼文の港に着くと、Y・H(ユースホステル)から向かえの車が来ていた。日本一のきちがいY・Hとして、当時有名な桃岩荘。1860年代に造られたという、ニシン番屋を使っていた。ヘルパーによる余興や、見送り、そして当時はトンネルを抜けると、桃岩タイムが適用され、時計の針を変えたりした、そんな事もあり‘きちがいユース’と呼ばれていたようです。

このY・Hの企画で、‘愛とロマンの八時間コース’というのがある。礼文島の西海岸には道路がなく、歩けるようになっている。北端のスコトン岬まで、朝一番のバスで行き、夕暮れまでには桃岩荘に戻るという、トレッキング。約30kで高低が無いので、比較的楽だけれど、山のように天候が変わる。

今思うと、このトレッキングが私のマラソンの原点。1981年に西表島を横断したり、ネパールのトレッキング、走ろうと思ったのは、長時間歩いたりした経験で、何かを感じたからと思う。

このコースは熊笹の間を歩いたり、海岸線に出たり、穴あき貝を拾った記憶もある。名前も顔も覚えていないが、ひとつの目的で同じ時間を共有し、その時は同士になれる。サッカーの応援で見知らぬ者同士が、ひとつになる感覚と似ているように思う。もちろん、当時は売店もなく、Y・Hで用意してくれたお弁当と、お茶だけ。

桃岩荘から見る、猫岩と夕陽。これを皆で見ながら、無事完歩を祝います。

そして運良く翌日は、10月から5月末まで休館になるので、桃岩荘の閉所パーティ。


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北海道の旅 北の果て

2010-07-14 18:48:43 | 

最北端の地、宗谷岬。晴れると、樺太が見えるという。歴史の事など、考えもせずに、ただ北の果てに来て記念撮影。

稚内公園にある氷雪の門。宗谷岬から、どう移動したのか?車で来た観光の人に乗せていただいたように記憶する。そして、ノシャップ岬。稚内へ行ったという思い出しかないが、冬には凍死する人がいると、泊まったユースホステルで聞き、何だか日本ではないように感じた。

次はいよいよ、礼文島。とっても懐かしい思い出があります。


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