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雪姫鳥の独り語

雪姫鳥の山暮らし、日常に感じる事。
雪姫鳥のニットの紹介、旅した国の回想。
食べ物や子育て、雪姫鳥のエコライフ。

喜多郎さん

2012-09-23 09:49:55 | いのちの祭り

お祭りの最終日、喜多郎さん登場、88以来です

パートナーはファーイーストの頃から、存在は知っていたようだが

やはり、NHKのシルクロードからですね

震災で二人の友人を亡くされたようで

彼のメッセージは、ぐっときました、言葉だけでの人も多いのですものね

雨も時々小降りで、天の助けですね

笛の演奏は、デニスさんの肺活量にはかなわないけれど

喜多郎さんのエレキは、私にとって最高だった

音楽はあまり分からないけれど

ドン、ドン、ドン、ドン、、、、と響く音は太鼓のようで

今のトランスのはしり、アナログのような音で心に響き

いつまでも聞いていたいようでした

89年に出産の為、バンクーバーに滞在中

聞かせていたのが、地元のヒーリング系のショップで購入したKitaroのテープと

パートナーが好きなローリングストーンズ

息子はどうやらロック系

主催者のセブン(ピンクのTシャツ)と帽子を被ったパートナー(にんじん)

街暮らしと山暮らしだけれど

フリーダムを追求た音楽好きのセンスは、何だか似ている

喜多郎さん、昨日は大町でコンサート

http://www.dia.janis.or.jp/~geo1/kitaro/

演歌の十津川村とは違いますね

喜多郎さんの居た八坂村でも、震災後、人が移住しているよう


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フリーダム

2012-09-22 10:51:10 | いのちの祭り

周囲から束縛されずに言論、表現、思想などを表明でき

痛み、苦しみ、差別、飢餓などから解放される

フリーダム、この言葉を強く感じた いのちの祭り2012

2つのステージの間には池があり、それぞれにくつろぎながら

音を楽しみ、空間を楽しみ、静かな気配を楽しむ

事細かな注意、アナウンスなど何もないけれど

聞こえる音で、ステージに人は集まり

夜明けまで楽しめる、カフェバーもある

祭り広場には、ハプニング

大人も子供も一緒に

叩いて楽しみ、観て楽しむ

広大な富士の裾野に、タウンができた

争いも無く、事故も無く、大声で騒ぐ人も無く、天候もそれなりで

それぞれが、マナーを守りながら、勝手に楽しむ

ナチュラル系のファッションが多く

衣食住を意識始めた、団塊の次世代が多かった

自由には責任が有る

サブカルチャーが、少しずつ一般的になって来た


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音楽の力 

2012-09-20 18:45:17 | いのちの祭り

 いのちの祭り’88は反核をテーマに

部族と呼ばれた人達のスピリットで始まった

それから思うと、今回はオートキャンプフェスティバルのようだった

多くのキャンパーはいのちの祭りの意味を知らない世代、一般人

今回はフクシマの事もあり

音楽を通じて部族の意識が、一般社会に広がる事を願う

レインボーステージ

ピースドーム

いつもBGMのように音楽が流れていた

特に有名な外国のミュージシャンが来るわけでもないが

音と音がシンクロしたりして、ゆったり流れていて

何だか、スローに時が流れ、とっても静かな平和な空気に包まれていた

日常の疲れを音楽で癒す、自然の中、騒音のない世界に浸れる

私は夢中になるほど音楽好きではないが

カッコイイ人、お洒落な人、素敵な人、観ているのが大好き

勿論、ジャンルに関係無く、好きな音もある

その一人がPJ

パートナーが昔、仕事で少し関わったレゲエ界のプリンスだったPJ

個人的な付き合いはないけれど

にんじん、久しぶりとステージから言われ

パートナーは、裏方冥利につきると言っていた

PJは沖縄で暮らし、商業主義システムをあまり頼らずに

自分の音楽で生きて行くようだ

彼の成長を観るのが楽しみです

日本中には、田舎暮らしをするミュージュシャンが多い

有名人に頼らなくても、音楽も地産地消できる時代になったのですね

音楽の力を改めて感じたお祭りでした


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懐かしさに包まれて

2012-09-19 17:19:20 | いのちの祭り

 

ふもとっぱらキャンプ場、入場は八時、関係者以外はまだ少ない初日

富士山は雲に覆われて姿は見えないけれど

この眺め、何だか懐かしい

カナダのポーラの自宅からの眺めと似ている

なだらかな丘のドームハウスから見るビューと似ている

初めて来たのに、懐かしい、何だか故郷に帰った気分

険しい山に囲まれた、アジアの山岳地帯のような十津川

広大な丘陵地に、さえぎる建物の無い富士の裾野

久しぶりにカナダのドライな空気に包まれたようだった

そう、私の懐かしい未来がここに、祭りにあった

 


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いのちの祭り 2000

2012-09-13 06:19:48 | いのちの祭り

捜し物は、捜すのをやめた時に見つかるもの、、、、

祭りの写真が見当たらなかったのに、先週息子が来て整理の最中

何度も捜した場所から、出てきた

2000年のお祭りは鹿島槍のスキー場で

カナダからちょっと精神的に病をして帰国直後

美麻の友人を訪ねて、お祭り会場へ下見して、キャンプ場所を

当日、ここに行くと友人達が既に来ていた

感性の似た者は、やはりここを選ぶのかと

会場は広く、山を眺めながら下の広場まで散歩

カナダの疲れを癒し、久しぶりの異空間にほっとした

ティピやパオ、見ているだけで楽しい

コンサートステージ

ショップも並び、山中に出来たエコタウンのよう

この竹仏堂さんがチャイ屋もしていて

毎日、ここに座ってくつろいでいた

いのちの祭りを、知っている人は少ないだろうけれど

この2000年のお祭りは、多くの若者が都会から来場し

キャンプしながら、コンサートやショップが並ぶお祭りは

すっかり定着したように思う

衣食住の基本や、物質社会、精神性、、、ワークショップも多く

遊びと学びと喜びのお祭り

 


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いのちの祭り ’92 元気村

2012-07-25 06:11:19 | いのちの祭り

1992年のいのちの祭りは、愛知の旭高原の元気村

この年は息子も3歳になり、車で初めて遠出

東京の福生から会場まで、途中のキャンプ場で一泊した

祭りの写真が、一枚しかなく、祭りも台風襲来で、記憶があまりない

途中で建物に避難したけれど、パートナーは新しいテントを試すと言って

テントで過ごしていた、無事だったけれど、何と言っていいやら

ただ、この祭りは私達にとって、大きな転機のきっかけだった

祭り会場の駐車場で、友人の森水沙ちゃんとばったり

彼女達は当時、十津川村に住んで居て、六ヶ所でも逢い

パートナーに会った頃に彼女にも出会っていて、古くからの友人

特に連絡を取り合う仲ではないけれど、共通意識や感性が近いのか

旅の途中のバリ島でも、偶然に出会っている、不思議なご縁です

パートナーの友人も本宮に住んでいたので、田舎暮らしの場を探しに

祭り後は、十津川へ、熊野灘の林で、一泊しながらの道中でした

森さん達は、片川に住んでいて、今では私のジョグコース

本宮から葛川を抜けて来たので、十津川の印象は、まさに秘境

大野線に入っても民家は見えず、こんな場所に人が住んでいるのか?

そして3日間位の滞在中、ずっと雨、出かけたのは温泉だけ

それなのに、パートナーは十津川に決めたと言い

翌年の5月に森さんを頼って引越し、今の場所に落ち着いて20年

いのちの祭り’93は阿蘇の天草で開催され、その後は後継場所がなかった

天草には参加していないけれど、十津川の暮らしが

私達にとっては、いのちの祭りのようでした


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いのちの祭り’91 六ヶ所

2012-07-21 07:21:23 | いのちの祭り

いのちの祭り’91は使用済み核燃料の再処理場建設地の六ヶ所

結局1993年から建設され、2兆1930億円も費用をかけ、未だ完成していない

お盆前の開催だったように記憶しているが、新幹線など切符は取れず

あの頃は、長距離バスなど無かったような

パートナーは免許を持たないので、慣れない私の運転は無理

六ヶ所行きのツアーバスが出ると知り、キャンプ用具は友人に頼み、参加できた

当時の情報は、自然食品店や、友人からのネットワーク

牧草を借りての祭り、施設は何も無かった

笹を刈り、使える木材が用意されていたので、それぞれが

トイレも穴を掘り、笹で囲んだ

ほとんどパートナーがしてくれたと思う

寒かった、それでも3千人くらい集まった

温泉行きのバスも出て、小さな村が出来たようだった

2歳になったばかりの息子は、何も記憶は無いだろうけれど

体感しているので、脳裏のどこかに刻まれているだろう

祭り後も、女性達だけのキャンプが続いたりしたけれど

再処理場の建設は、始まった

部族の女性と、私は言うが、コミューンを支えていたのは女性達

このころから、女性達のパワーは社会運動にもなり

今の脱原発抗議行動も、多くのウーマンが原動力になっていると感じる

母性の感性が、政治にも絶対必要になっている


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いのちの祭り '90

2012-07-20 06:21:51 | いのちの祭り

いのちの祭り88は、一万人を集めて、新しい祭り文化となっていった

最後のオールナイトは、8月8日の末広がり、喜多郎がしめた

週刊朝日かな特集され、ゴミひとつ落ちていなかったと、記載されていた

そして、祭りは90年の大仙(鳥取)へと続く

私はこの間、妊娠中に2ヶ月もネパールに行き、出産をカナダでし

帰国後は、福生市に住んでいた

祭り主催者の青山さんと山田魂也ことポンちゃんが、福生の友人と我家に

大仙の祭りまで、間があき、皆の意気をあげるのに、東京でしたいと

福生は、カニ坂公園で祭りをしていたので、場としては都合良い

カニ坂は、住宅街も近いので、川沿いの新しい公園を借りた

息子も小さく、大仙には行けれないと思っていたけれど、思わぬいのちの祭り

ところが、急だったので警察や住民への根回しをしなかった

ネットも無い時代、まさか大勢来るとは?と言うのが本音

今ではエスニック風ファッション何て普通だけれど、当時はまだ一般的ではない

若者が集まっているならともかく、髪を伸ばした中年が変な格好をしている

前夜から車で乗り入れ、まるで川原乞食のように見えたのだろう

土手側には団地もあり、婦人達が何だろう?と言う顔をして眺めている

中断はされなかったが、警察に通報され、カニ坂まで貸さないと言われる

市役所へ平誤りに行き、何とかカニ坂は続けられることに

あれから22年、伊勢のお祭りもそうだが

音楽とエコスタイルのお店、大きな祭りになるとセミナーやワークショップ

クラフト中心のお祭りなど、このスタイルは全国に広がった

フクシマの事故で、脱原発は一般的になっているが

いのちの祭りの普及は、多くの若者から次世代へと

その意識の繋がりは、末広がりになっている

ファッションも思考も多様化し、長い年月を経て

自由とは何か、民主主義とは何かを、それぞれの人が考え初めている


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いのちの祭り ’88

2012-07-19 12:44:11 | いのちの祭り

 12年ぶりに開催される命の祭り2012http://inochinomatsuri.com/

初めてのいのちの祭りは1988年、八ヶ岳で開催された

この祭りの記録は、プラサード書店発行の一冊の本にまとめられている

当時、長期の旅から帰国、国立市に住みだした頃で

パートナーは、バンドの関係で、このまつりの会議に参加していた

彼自身も、生きる事の意味を追求していて、コミューンを旅していたので

祭りの趣旨、NO NUKES ONE LOVE をテーマに

福生でも祭りを立ち上げていて、来年で30回を迎える

私も19歳で知り合った人から、日本の部族、コミューンの事を知り

西表や奄美で、祭りの主催者達とは出会っていた

この祭り以前から、諏訪瀬島や長野の実麻などでは、お祭りがあったけれど

大きな祭りは初めて、場所が中々見つからなかった

結局、有料の場を借りるしかなく、入場料とっての祭りになった

彼らのような人達をヒッピーと呼んでいたけれど、今ならエコロジストと言える

反体制と言っていたけれど、人権を主張しているクリエイターと言える

あれから、原発は54基にも増え、起きてしまったフクシマの事故

今、集まらなければという思いは、皆が感じているだろう

当時の主催者は何人も亡くなっているけれど、祭りが立ち上がったのは嬉しい

私は音楽に関わっていないし、祭りでショップを出すわけでもない

ただ、祭りの雰囲気、その場に居たい、ただそれだけで心がほっとする

親しい友人が居るわけでも、逢いたい人がいるわけでもないが

二十歳の頃から見て来た人に逢うと、ほっとする

私を覚えていなくても、私の名前など知らなくても

ただその場で、同じ時を過ごし、同じ思いを過ごすだけでいい

皆に出会えたから、私は私として生きて来れた

私にとっても、いのちの祭り


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いのちの祭り 2012

2012-07-11 06:05:22 | いのちの祭り

 http://inochinomatsuri.com/

12年ぶりのいのちの祭り

1988年にNO NUKES ONE LOVE で始まった

私はこの祭りの主催してきた人達を、19歳の時に知りました

群馬の片田舎、農家に生まれ育ち、社会意識など全くなく

ただ、普通と違う自分の環境から、自分の人生を捜していた

今思うと、出逢うように導かれていたのかも

多様性の価値観と、共通意識

私は彼らのサブカルチャーに、真実を感じた

自分が自分であることに、怖くないと

 

 

 


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