林芙美子記念館は新宿区下落合にあるのはご存知の方も多いでしょう。
彼女は明治37年5月5日に下関で生まれたと言ってます。しかし、実際には北九州市門司区とのこと。
ところが彼女の生年月日は明治36年12月31日であり、現鹿児島市桜島で叔父の子として出生届が出されています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/19/75/e111bc5952f94c4ca7a55e1fd56d6e30.jpg)
何故こんなにややこしいか?
彼女の母親キクは行商人に恋し、子を宿しました。このことに激怒した父親は彼女を勘当します。彼女の実家は桜島で老舗の旅館だったのです。父親は相手が行商人だったというだけでなく、信用できない男と感じ、旅館を乗っ取られることを拒んだ為と思われます。
実際、芙美子が産まれても、実父の宮田麻太郎は芙美子を認知しませんでした。
それで不憫に感じた叔父が自分の戸籍に入れたのです。然し乍ら、祖父(母キクの父)の気持ちを分かっており、祖父も孫として認めていたと思われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/e5/03b05b98c9248f97327815ef0d7179e4.jpg)
但し、意気地が強く頑固な祖父は、キクを全く許さず、実家に入れることは無かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/bf/049db2e34dc57fb3b72ab57b836c5167.jpg)
なのに、桜島には林芙美子の文学碑があります。
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」
確かに桜島に所縁の小説家ではありますが、その生涯において桜島は決して好ましい地ではありませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/f8/b6eea79f3411e5bfcad8ec75c817755d.jpg)
勝てば官軍負ければ賊軍、この記念碑を見るたびにわたしが強く感じ、寂しくそして悲しく思うところです。
彼女は明治37年5月5日に下関で生まれたと言ってます。しかし、実際には北九州市門司区とのこと。
ところが彼女の生年月日は明治36年12月31日であり、現鹿児島市桜島で叔父の子として出生届が出されています。
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何故こんなにややこしいか?
彼女の母親キクは行商人に恋し、子を宿しました。このことに激怒した父親は彼女を勘当します。彼女の実家は桜島で老舗の旅館だったのです。父親は相手が行商人だったというだけでなく、信用できない男と感じ、旅館を乗っ取られることを拒んだ為と思われます。
実際、芙美子が産まれても、実父の宮田麻太郎は芙美子を認知しませんでした。
それで不憫に感じた叔父が自分の戸籍に入れたのです。然し乍ら、祖父(母キクの父)の気持ちを分かっており、祖父も孫として認めていたと思われる。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/e5/03b05b98c9248f97327815ef0d7179e4.jpg)
但し、意気地が強く頑固な祖父は、キクを全く許さず、実家に入れることは無かった。
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なのに、桜島には林芙美子の文学碑があります。
「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」
確かに桜島に所縁の小説家ではありますが、その生涯において桜島は決して好ましい地ではありませんでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/12/f8/b6eea79f3411e5bfcad8ec75c817755d.jpg)
勝てば官軍負ければ賊軍、この記念碑を見るたびにわたしが強く感じ、寂しくそして悲しく思うところです。