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ゆるっと読書

気ままな読書感想文

【ふたり】言葉と行動が表すもの

2022-11-24 20:32:11 | Weblog

どうして、そんなに騒ぐのだろう? 自分に直接関わりがない人たちのことを、ああだ、こうだ、言わなくてもいいのでは?。

週刊誌やテレビのワイドショーで、皇族やその関係者の動向が取り上げられる度、そんなふうに思っていた。

最近は、秋篠宮の長女・真子さんと結婚した小室氏の話題が週刊誌やネットで取り上げられることが多く、 小室さんの母親の金銭問題、小室さん自身の髪型や振る舞い、ニューヨーク州の司法資格試験の合否などの話題があった。皇室に対してそれほど関心が高いわけではない私でさえ、これらのニュースを目にして記憶している。

直接関わりのない一般の人が、自分や家族の動向について、ネット上でああだ、こうだと好き勝手に発言する状況を、ご本人たちはどんなふうに受けとめているのか?

不快だったり、嫌になることもあるのではないか? 皇族やその関係者として注目されることを「辞めたい」と考えた場合には、本人の選択で辞められる仕組みをつくることはできないのだろうか? そんなことを考えたこともあった。

 

高山文彦著の「ふたり 皇后美智子と石牟礼道子」(講談社文庫)は、前の天皇・皇后(現在の上皇・上皇后)が、熊本・水俣を訪れる機会に、当初予定になかった胎児性水俣病患者との対面を実現したことに注目し、その舞台裏を取材してまとめたノンフィクションだ。

母親のお腹の中にいる時に、水俣病の原因となる毒(メチル水銀)にさらされた胎児性水俣病患者は、生まれても長く生きられなかったり、重度の障害を抱えていたりする。彼らの親や家族も水俣病の症状に苦しんでいたり、差別を受けた経験のある人も少なくない。

当時の天皇・皇后が、どのような思いや考えを持って、胎児性水俣病患者に対面したのか。それは、その機会を調整した関係者や、実際にお二人に会った人々の話から、推し量るしかない。

本書に登場する水俣病患者や彼らを支える人々は、当時の天皇・皇后の言葉や行動に「救い」を感じている。

水俣病の症状に苦しみ、差別に苦しむ人生を生きてきた自分たちの存在を、「ずっと心の中に置いている」「忘れてなどいない」というメッセージをお二人の言葉や行動から読み取り、受けとめている。

 

私は、本書で紹介されているエピソードを通して、当時の天皇・皇后の言葉や行動が、法律や制度、補償などでは行き届かないところで苦しんでいる人々にとって「救い」や「支え」「力」になったことを知った。

皇族」といっても、天皇・皇后とその他の立場では役割が異なる点があるだろう。また、当時の天皇・皇后の人柄や考え方に依るものもある気はする。 私にとって「皇族」はワイドショーや週刊誌によるバッシングの対象という印象が強かったが、「皇族」という存在の意義や、彼らの役割について考えさせられる1冊になった。

ふたり 皇后美智子と石牟礼道子 (講談社文庫) | 髙山 文彦 |本 | 通販 | Amazon

 


【ペツェッティーノ】「自分探し」をしてるあなたにお勧めの1冊

2022-09-21 23:06:52 | Weblog

 

「今の自分は、本当の自分じゃない」
「親の前、先生の前、友達の前で、良い子を演じているだけで、本当の自分は違う」など、考えたことはないだろうか。

では、自分とは、一体どういう人間なのか?
その問いに対する答えを探して、あれこれ考える「自分探し」をしている人にお勧めの1冊が、「ペツェッティーノ」(レオ・レオニ・著、谷川俊太郎・訳、好学社)だ。

主人公のペツェッティーノは、自分について取るに足りない「ぶぶんひん」だと考えていた。一体、誰の「ぶぶんひん」なのか? 
それを確かめようとする。

様々な相手に尋ねるが、皆、自分の「ぶぶんひん」ではないと答える。
疲れ果てたペツェッティーノは、こいしの山から転がり落ちて、こなごなになってしまう。それによって、「自分とは、何か?」が分かるという物語だ。

自分のことを誰かの「ぶぶんひん」と思っていた主人公が、何に気が付いたのか?
答えを得て喜びいっぱいの主人公と、その様子を見ている友達について書かれた、ラストの1頁が素晴らしい。

 

ペツェッティーノ―じぶんをみつけたぶぶんひんのはなし | レオ・レオニ, 谷川 俊太郎 |本 | 通販 | Amazon

 


【戦争は人間的な営みである】「戦争、反対!」だけでは足りない理由

2022-09-15 22:58:18 | Weblog

 

戦争なんて、ないほうがいい。平和であることが一番。多くの人が、そう思っているものだと思う。

しかし、戦争は起こってしまう。 「戦争、反対!」と声を挙げることは大事だけど、それだけでは足りないと感じていた。 ただ、一体、何が足りないのか? ずっと言葉にできなかった。

その答えをくれた一冊が「戦争は人間的な営みである」(石川明人・著、並木書房)だ。

 


戦争は「悪意」よりも、むしろ何らかの「善意」によって支えられているのである。人は必ずしも、「優しさ」や「愛情」が欠如しているから戦うのではない。誰かを憎み、何かと戦うには、そもそもそれ以前に、別の誰かを愛し、別の何かを大切にしていなければならない。何らかの意味での「愛情」あるいは「真心」があるからこそ、人間は命をかけて戦うことができてしまう、戦争を正当化できてしまうのだ。

もちろん戦争の悲惨さや悲しさを伝えていくことは、とても大切である。しかし、そうした情緒に訴えるだけが平和教育ではない。むしろ、冷静な視点から「戦争」や「軍事」を学ぶことも、大切なのではないだろうか。
私たちは、交通事故あるいは家事などに対して「火事反対」「交通事故反対」とデモ行進をしたりはしない。交通事故を減らしたければ、「反対」と叫ぶ以前に、自動車、道路、標識、信号機などについて、あるいは運転する人間の行動などについて、研究するしかない。自動車や交通規制について無知であれば、交通安全についても無知であろう。
 同じように、「戦争反対」と叫ぶだけでは意味がないのである。

 私自身、戦争をテーマにした映画や小説などを見たり、読んだりすることがある。それらには戦争の悲惨さ、悲しさが描かれている一方で、家族や友人への愛、友情、仲間との絆、困難に立ち向かっていく勇敢さが描かれている。敵と戦う登場人物の姿がカッコ良かったりして、魅力を感じたりもする。戦争はないほうがいい、平和が一番と思いつつ、愛や友情、勇気などに魅かれることがある。
映画や小説など楽しんでいる時はそれでいいかもしれないが、時と場合によっては、「家族や恋人を守るために戦う」など、戦争に向かっていく理由にすり替わる可能性があることを認識しておく必要はあるだろう。

また、この本を読んで、改めて、「平和教育」の内容について考えさせられた。
過去の戦争について、例えば原爆の悲惨さなどを教わるような機会はあったと思うが、それ以外に何かを学んだ記憶が私にはない。
著者が指摘するように、戦争が起こることを防ぐために、軍事や戦略などを学ぶことも必要なのかもしれない。それがどのようなものなのか知らないと、それが起こることも防ぐことは難しいと思う。

刺激的なタイトルだが、講演をまとめた本なので、著者の話を聞いているようにすっと読める。教育に携わっている方、子育て中の方にぜひ、手にとっていただきたい1冊。

戦争は人間的な営みである (戦争文化試論) | 石川 明人 |本 | 通販 | Amazon

 

 


【モリ―先生との火曜日】いかに死ぬかを学ぶ

2022-08-05 23:41:14 | Weblog

 

「お金持ちになりたい」
「やりがいのある仕事をしたい」
「人から称賛されるような成果を残したい」

どんな生き方をしたいか?と問われたら、
私は、どう答えるだろう?

その答えは、
生活のスタイルから出たものだろうか。
仕事の種類や内容に関するものだろうか。
それとも友達や家族や仲間との人間関係を基盤にしたものだろうか。

「モリ―先生との火曜日」は、「どんな生き方をしたいか?」という問いを読者に投げかけてくる1冊だ。

スポーツコラムニストの著者は、ある時、テレビで大学時代の恩師モリ―先生の姿を見かける。筋萎縮性側索硬化症(ALS)という難病を患っているモリ―先生のもとに、様々な人が訪れ、話をしていくということを紹介している番組だった。

番組を見た後、著者は卒業以来、長年会っていなかったモリ―先生を訪ね、火曜日に通うようになる。
徐々に思うように体を動かせなくなるモリ―先生と、著者は様々なテーマで話をする。
「後悔について」「死について」「家族について」「老いることへの恐怖について」「愛について」「感情について」「お金について」などなど。
2人の会話から、読者も、自分自身の人生について考えることになる。

「いかに死ぬかを学ぶことは、いかに生きるかを学ぶことだ」
モリ―先生の考えは、この一言に表されている。

「GIVE&TAKE」ではなく、「GIVE&GIVE」。
「与えることは、生きること」

幸せを感じることができる人は、どんな人なのか?
何をしている人なのか?
モリ―先生は、自分に残された人生の時間を使って教えてくれる。

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【言葉の温度】「友達以上、恋人未満」と「知り合い以上、友達未満」

2022-06-28 22:16:24 | Weblog

「よく言われる サム(somethingを略した造語で、友達以上、恋人未満を意味する)というのは、

愛に対する " 確信”と”疑い”の間の戦いさ。確信と疑いは、潮の満ち引きのように入れ替わるものだ。

そうして疑いの濃度が薄まって確信だけが残ると、そこで初めて愛が始まるんじゃないだろうか」

 

上記は、韓国の作家 イ・ギジュさんのエッセイの翻訳本「言葉の品格」の中で、

著者が、哲学書を出している出版社の社長さんから聞いた話として紹介されている一節だ。

この一節は、恋愛ドラマ「ボーイフレンド」で登場人物のセリフに使われたこともあり、

よく知られているようだ。

気になる異性について、ただの友達だと考えると何か違う気がするが、一方で、恋人にしたい人かと考えると

それもしっくりしない状態、「友達以上、恋人未満」の状態を、どう表現したら適切か?

「確信と疑いの戦い」という表現を読んで、なるほど、そうかもしれないと思った。

恋愛の可能性がある異性とのはっきりしない関係には、「友達以上、恋人未満」があるが、

もう少し対象者を広げて、はっきりしない相手との距離感を考えると、「知り合い以上、友達未満」がある気がする。

この「知り合い以上、友達未満」の関係については、

大学生の頃、男子同級生と意見が合わなかったことを思い出す。

何がきっかけだったのかは忘れたが、大学の同級生が「友達の数は減らせる」と口にしたことが妙に心に引っかかった。

「互いに気が合う」とか「一緒にいて楽しい」などが前提になって、人と人は「友達」の関係になる。

大学の専攻が同じとか、趣味が同じ、サークルが同じなどで、互いに存在を知っている「知り合い」はできても、

「ただの知り合いの一人」から「友達」になるには、互いに距離感が縮まるような何かを共有しているはずだ。

人数をカウントして、増やしたり、減らしたりをコントロールできるかのような考え方が、当時の私には、しっくりこなかった。

今、振り返ると彼が言おうとしていたことが少し理解できる。

例えば、SNSのFacebookの「友達」を考えると、どこかで1回お会いして「友達」になったものの、それ以降、お会いすることがなく、

SNS上でも特にやりとりすることもなく、そのままになっている人がいる。

大学生の時の私なら、それは「友達」ではなく「知り合い」と位置付けるような関係だが、Facebook上は「友達」だ。

Facebook上の「友達」の数は、アカウントの保有者の意思で、減らすことができる。

ただ、SNS上であっても、リアルであっても「知り合い」と「友達」の間の関係性は残る。

「友達以上、恋人未満」の状態を、「確信と疑いの間の戦い」と表現するなら、

「知り合い以上、友達未満」の状態は、どのように表現したらいいだろう?

「共感や共有と、非共感・非共有の間の戦い」だろうか?

「知り合い以上」の場合、関係の方向性が「友達」ではない場合もあるだろう。

私の場合、パラスポーツの情報発信で関わるライターやカメラマンさんは、「恋人」でも「友達」でも「知り合い」でもなく、

志を同じくする「仲間」、「同志」のような関係と言ったほうが適切な気がする。

自分にとって「知り合い以上」の相手との関係性が、その後、どのような方向性に進むのか。

「友達」に向かうのか、「同志」なのか。それとも人生で教えを乞う「恩師」か。

「知り合い以上、友達未満・同志未満・恩師未満…」の関係で

心の中で、潮の満ち引きのように入れ替わるものは何だろうか?

 

言葉の温度 | イ・ギジュ, 米津 篤八 |本 | 通販 | Amazon

 

「ボーイフレンド」公式サイト

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【世界を手で見る、耳で見る】その一言に、潜んでいるものは?

2022-06-19 20:50:01 | Weblog

「申し訳ない」という謝罪の言葉があっても、

その言葉を口にした時に相手の表情や、醸し出す雰囲気、

それまでの人間関係から考えて、その言葉を口にした相手の心の中に、ほとんど気持ちがないと感じると、

腹が立つことがある。

しかし、その相手と、ある程度の関係を維持しなければならない場合、

「本当は、申し訳ない気持ちなんて1ミリもないでしょ?」などと、キレることはせず、

「いえいえ、お気になさらずに」などと、こちらも謝罪を受け入れる振舞いをする。

逆ギレしたりなどしたら、自分自身が損することを知っているからだ。

「ありがとう」という感謝の言葉であっても、似たようなことは起こる。

「申し訳ない」と比べると、「ありがとう」は、言われて不快になる人が少ないだろうから、

とりあえず「ありがとう」と言っておくことがある。

「ありがとう」と口にしておいたほうが「得」だと判断しているからだ。

 

そんなふうに、

「言葉」が含んでいるもの(意味)と、

それを口にしている人の心・頭の中にあるもの(考え、気持ち、価値観)は、必ずしも一致していないことがある。

その不一致が気になって、居心地の悪さもあって、時々考えることは、これまでもあった。

しかし、堀越喜晴さんの著書「世界を手で見る、耳で見る」を読んで、

言葉を通して、人の心・頭の中にあるものが表れていること。

言葉と、考えや気持ち、価値観が一致している場合に、もっと目を向ける必要を感じた。

一致しているからこそ、浮き彫りになる問題がある。

著者は2歳半までに網膜芽細胞腫(目のがんの一種)で両眼を摘出している。

「目でみない族」の人だ。

例えば、目で見る族が、目で見ない族の人に、「普通の名刺しかなくて、すみません」

と言うことがある。

特に、ひっかかりを感じないで過ぎてしまう人もいるかもしれない。

しかし、立ち止まって、「普通」とは、何か? と考えてみる。

私自身が、名刺を受け取る立場になったとして、

「あなたに渡すための「普通じゃない」名刺は、持ち合わせていなくて、すみません」

と言われたとしたら、どうだろう。

「あぁ、私は、普通じゃないのね」と改めて思わされる気がする。

言われ続けたら、慣れっこになり、ああ、またかと思うようになるかもしれない。

ただ、慣れてしまえば、それでいいという問題でないと思う。

心の奥底でふつふつと、「普通じゃない」と言われることに抵抗したい気持ちが

燃え続けていくような気もする。

目で見る族の私自身を振り返ると、

自分が何気なく放った言葉にも、無意識のうちに潜んでいる偏見や差別がある気がする。

気が付かないまま通り過ぎてきたことがあると思う。

恐ろしいのは、気がつかないままでいることだ。

改めて、「言葉」と、その基盤にあるものに意識を向けたい。

 

本書には、著者が大学で授業をする中で出会った出来事や、大学生の様子などから、感じたことや考えたことを

テーマにしたものも数多く、収められている。

最近の学生の態度や言葉に現れているものは、彼らを取り巻く環境や社会を反映していると思うと、

希望を持っていいところと、不安に思えるところもある。

 

また、著者の息子さんは、2021年夏の東京パラリンピック・マラソンで銅メダルを獲得した堀越信司選手だ。

著者が患った網膜芽細胞腫は遺伝性が高く、息子の信司さんは生後40日で右眼を摘出、左眼はなんとか視力をとどめたという。

本書の中には、信司さんが、幼い時、自分の目が他の友達と違うことを自覚した時のエピソードも収められている

「その時」というタイトルで綴られている一遍は、読みながら、涙がこぼれた。

 

本書は、子育てをされている方、教育に携わっている方に、メディアなど言葉を使う仕事をしている人などに、ぜひ、読んでほしい。

最近、読んだエッセイ集の中で、特にお勧めの1冊。

 

世界を手で見る、耳で見る ――目で見ない族からのメッセージ | 堀越 喜晴 |本 | 通販 | Amazon

 


【赤いモレスキンの女】恋が始まる前までを、いかに楽しませるか。フジテレビ月9のドラマを思い出した1冊

2022-06-05 22:16:38 | Weblog

「赤いモレスキンの女」(アントワーヌ・ローラン著、吉田洋之・訳、新潮クレスト・ブックス)を読んで、私の頭の中には、俳優の中井貴一さんが現れた。

この小説のストーリーと、なんとなく似たようなテレビドラマがあった気がしたからだ。

恋の落ちる(と思われる)男女が出会うまでを描いていて、 仕事や家族に関わるさまざまな出来事が起こって、主人公の男女2人はすぐには出会わない。 出会わないのだけど、互いに見知らぬ2人の距離が少しずつ近くなっているのは、読者・視聴者は読んで・見ていて、分かる。そんなストーリーだ。

「赤いモレスキンの女」は、主人公の男性が、赤いモレスキンの手帳が入ったハンドバックを拾うことから物語が展開する。

手帳に書かれていた言葉を読んで、持ち主の女性のことが気になりだす。

顔も、名前も分からないが、鞄に入っていたものを手掛かりに、持ち主を探し始める。

主人公の男性は脱サラをして、書店を営んでいること。

離婚した妻との間に娘がおり、時々、会っていること。

つきあっている彼女との関係がなんとなく上手くいっていないことなどを描きながら、

鞄の持ち主の女性を見つける手がかりが現れてくる。

こういう展開の場合、読者は、「この2人は、出会う」「この2人は、恋に落ちる」と概ね分かっているので、その分かっている結末までの道のりを、いかに楽しませるか。がポイントだろう。

2人が出会って、恋に落ちることに納得がいくように、登場人物の背景や周囲の人物との関係性を描き、2人の距離が縮まるような出来事を入れていくのだ。

ネタばれになるとつまらないので、詳細を紹介するのは避けたいが、「赤いモレスキンの女」は、フランス・パリを舞台に、洗練された大人の男女の雰囲気が醸し出される。主人公の男性の一人娘も、しっかりと自分の意思を持ち、自立していて、かっこよく描かれている。

ちょっとロマンティックな気分に浸りたくなった人に、お勧めの1冊だ。

この本を読んで、私が思い出したドラマは、1995年のフジテレビの月9「まだ恋は始まらない」だった。

主演は、中井貴一さんと小泉今日子さん。

ストーリーの詳細は覚えていないのだけど、恋に落ちるはずの2人がなかなか出会わない設定や展開について、「おしゃれだなぁ」と思っていたことは覚えている。

調べてみると、脚本家は岡田恵和さん(NHK朝ドラ「ちゅらさん」「ひよっこ」など)だった。

90年代のテレビドラマだけど、今見ても古くない気がする。「まだ恋は始まらない」を改めて観たくなったけど、どこかで見れないかな。

赤いモレスキンの女 (新潮クレスト・ブックス) | Laurain,Antoine, ローラン,アントワーヌ, 洋之, 吉田 |本 | 通販 | Amazon

 


【若きアスリートへの手紙】『スポーツには「力」がある』という考えに潜む危険性

2022-05-29 21:32:59 | Weblog

「スポーツには、力がある」 どこかで聞いたフレーズだ。

私自身が、パラスポーツの記事を書いた時、どこかで使ったことがあるかもしれない。

元フィギュアスケート選手の町田樹さんの著書「若きアスリートへの手紙 <競技する身体>の哲学」を読んで、改めて、これらの言葉を使う際には慎重にならなければいけないと反省した。

町田さんは、次のように書いている。
『スポーツは、スポーツ以外の何者でもない。そして本人が一番分かっているように、アスリートが競技会で行えることは、やはり競技以外にない。にもかかわらず、己の権内を超えて、「スポーツには力があり、感動を与えられる」と猛進するのは、やはり傲慢かつ危険なことなのではないだろうか。』
(本書 P458より)

新型コロナウイルス(SARS-COV-2)の感染拡大により外出自粛が強く求められていた頃、特にワクチン接種が普及するまでの間、「こんな状態でスポーツをしていいのだろうか?」と考えたアスリートは、少なくなかったのではないだろうか。

2021年夏に開催された東京パラリンピックでは、日本代表選手たちのインタビューの中で、 「コロナ禍の中、開催してくださった方に感謝します」 という旨の言葉を数多く耳にした。
SARS-COV-2感染拡大以前、2016年のリオ・パラリンピック、2012年のロンドン・パラリンピックで、そのような言葉を聴いた記憶はない。
「パラリンピックが開催されること」
「パラリンピックで競技ができること」 多くの日本代表選手が、こうしたことの有難さ、価値を実感したのかもしれない。

ただ、彼らの「感謝」の言葉を聞けば聞くほど、私自身は、彼らに対して言葉を返したい気持ちになった。

日本代表選手たちは、コロナ禍の中、トレーニングを続け、パラリンピックでもっとも良いパフォーマンスを発揮するために努力してきたはずだ。
自らが感染しないように、日常生活のあらゆる場面で気を使ってきたに違いない。
「アスリートがいるから、パラリンピックができる」
パラリンピックの競技会場に入り、選手たちの姿を写真撮影していたからかもしれないが、 私は、彼らに対して「感謝するのは、こちらですよ」と思っていた。

本書の中で、著者の町田さんは、「スポーツは必要か?」と問うことについても、触れている。

アスリートはアスリートとして存在しているのであって、競技をすることに引け目やうしろめたさを感じる必要はない。 アスリートは自分が理想とするパフォーマンスを追求すればそれで十分であり、感動の授与や、世界平和、心の結束、経済効果などのために存在しているのではないからだ。

パラリンピックの取材の中で、日本代表選手が「バリアフリー政策」や「女性の活躍推進」などについて意見を求められている場に出会ったことがあった。
私自身も、「コロナ禍でのパラリンピック開催について、どう思うか?」と選手に尋ねたことがある。

しかし、町田さんの言葉を基に振り返ると、「一個人として、どう思うか?」を尋ねるのか。
「アスリートとして、どう思うか?」を尋ねるのか。私自身がまず、整理しておく必要があった気がする。

本書は、町田さんが自身の経験をもとに、若いアスリートたちに伝えておきたいことをまとめた1冊だ。

自らの失敗や反省を踏まえたアドバイスがたくさん含まれている。
「スランプ脱出法」「緊張状態の制圧戦略」「基礎とは何か」「ライバルとは」など、競技力向上に向けたものから、引退後のキャリアデザインなどにも触れている。

若手アスリートにはもちろん、アスリートの指導やサポートに携わる人、メディア関係者にもお勧めの1冊だ。

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【同志少女よ、敵を撃て】京都で「戦争」といえば、応仁の?

2022-05-24 23:09:35 | Weblog

大学卒業後、生まれ育った静岡県から出て、京都市内で生活を始めた頃、 京都の文化や慣習について、さまざまな「噂」を耳にした。

「京都の祇園のお店では、紹介者がない状態で初めて来たお客さんは入れない。”一見(いちげん)さん、お断り″のお店がある」

「創業100年程度では、たいした歴史ではないと思われている。(もっと長い歴史を持つ企業やお店があるから)」 など、いくつかあるが、

その一つに、「京都で″戦争”といえば、太平洋戦争ではなく、応仁の乱のことを指す」というものがあった。

「戦争」というと、多くの日本人がまず思い浮かべるのが、太平洋戦争だろう。1941年の日本軍による真珠湾攻撃で始まり、1945年に終戦を迎えた戦争だ。

一方、応仁の乱は、室町時代の1467年から1477年の約11年、京都を中心に起きた戦だ。京都が焼け野原になったと言われている。

私が耳にした噂は、京都人は京都が長い歴史を持つことを誇りに思っているため、「戦争といえば太平洋戦争ではなく、応仁の乱」を共通の認識としているというものだった。

噂の真偽は、確かめていない。

ただ、同じ国で生活していても、生まれ育った地域や環境、家族や学校を通して身に着けた思想や価値観などによって、「戦争」と聞いた時に思い浮かべるものが異なる可能性があるのだと考えていた。

小説「同志少女よ、敵を撃て」(逢坂冬馬・著)は、第二次世界大戦中、ドイツとソビエト連邦の間で起きた独ソ戦を舞台にした物語だ。

ドイツ語を学び、ドイツとソ連の架け橋になる外交官を夢見ていた少女は、目の前で母親をドイツ軍に殺される。暮らしていた村の人々も皆、殺された。これを機に、少女はナチス・ドイツ軍と戦う道を進むことになる。

少女にとって真の「敵」とは誰のことなのか?

何のために戦うのか?

こうした「問い」を読者に投げかけながら、物語が展開する。

読み始めは、登場人物のセリフや物語の展開に、「ちょっと都合が良すぎない?」と突っ込みを入れたくなったが、後半、主人公の少女にとっての「敵」とは誰だったのかが明確になるクライマックスは読みごたえがあった。

主人公と共に戦う狙撃兵の少女たちはそれぞれ、戦う目的は異なっている。

ナチス・ドイツ軍の軍人、ソ連の軍人、一般の市民もそれぞれ、独ソ戦の捉え方、戦う理由が多様であることを描いた作品だと思った。

生まれ育った地域や環境、家族や学校を通して身に着けた思想や価値観、自らの経験などによって、「戦争」と聞いて思い浮かべるものが異なる。

そのことを踏まえたうえで、史実から学ぶことが大事なのかもしれない。

アマゾン「同志少女よ、敵を撃て」

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【いつもの言葉を哲学する】無意識に使っている言葉に意識を向けると面白い

2022-05-18 21:43:15 | Weblog



「丸い」「四角い」とはいうけれど、なぜ「三角い」とは言わないのか。

なぜ、親になると、子どもに向かって「パパは、・・・」「お母さんは、・・・」などと自称するのか。

なぜ、「パンツ一枚」ではなく、「パンツ一丁」と言うのか。

などなど、

日常的に使っている言葉の中には、言われてみると不思議なこと、疑問になることが潜んでいる。

無意識に使っている時は、これらの不思議に気がつかない。

指摘されてはじめて、「あれ、どうしてなのだろう?」と疑問になる。

いつも使っている言葉だけに、そこから疑問が沸いてくると新鮮だ。

「いつもの言葉を哲学する」(古田徹也・著、朝日新書)

は、多くの人が無意識に、日常的に使っている言葉の例を挙げて、

「これ、不思議じゃないですか?」と問いかけてくる。

なぜ、そういう使い方になったのか。

なぜ、そのように表現するのか。

改めて考えさせる。

それは、言葉やその使い方の基盤となっている

価値観や思想、倫理、歴史や社会的背景などに目を向けることになった。

読み進めるなかで、本書のタイトルに「哲学する」と付けられている理由が分かってきた。

考え始めると深いが、誰もが日ごろ使っている言葉の話だけに、

家族や友達との会話のちょっとした「ネタ」としても使えそうだ。

最近読んだ本の中で、予想以上に、特に面白かった1冊。

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