中年オヤジNY留学!

NYでの就職、永住権取得いずれも不成功、しかし、しかし意味ある自分探しに。

平成くたびれサラリーマン上海へ行く (その3)一人のキャリア女性

2018-03-01 15:44:36 | 小説

いよいよ主人公、松尾次郎は上海の地を踏みます。
上海の有名スポット、外灘(ワイタン)も出てきます。
そこで賑わいを見せる名勝とは裏腹に、次郎は自分の置かれている現実を再認識。

子供時代に例えれば、学校が引けランドセルを背負い家の前に着く。
悪いことに母親が家の前を掃き掃除。
そして母親がやさしく声をかける”学校で何かあったの?”

そんな感じの、本篇(その3)です。




(その 3)
( ひとりのキャリア上海女性 )

上海空港(浦東新空港ができた現在、旧上海国際空港)で、飛行機を降りると乗客は直ちにタクシー乗り場へと殺到する。
イミグレーションで手続を済ませ、それぞれに旅行バッグを手にし、それからが戦争だ。
早く順番待ちへ付くか、否かでタクシーに乗れる時間がだいぶ違う。
次郎も早めにタクシー乗り場に急ぐ、途中で言い寄ってくる、客引きには耳もかさない。
タクシー待ちには、三列でタクシーが入ってくる、タクシー待ちの先頭で指図する係員の指示で客はそれぞれに乗車する。
次郎も係員の指示に従いタクシーをひろい、旅行カバンを運転手の補助で後トランクにいれ、乗り込む。
行き先を“チェンハー・ビングアン(千鶴ホテル)”と告げる。
駅前を緩やかにタクシーはカーブし直ぐに左折する、空港に隣接する道々は夜の9時過ぎゆえ静まりかえり人影は少なく、ネオンが飛行場周辺の街並みを浮かび上がらせている。
そして、車速は増し、高速道路の料金所へと。
“以前は、この高速道路も無かったんだからナ”と次郎は上海の変わりよう見入っていた。

上海のタクシーの運転手は客が誰にしろ飛ばす、彼らの思いはこの客を早く下ろし、次の客に早くありつくことにある。
追いぬきをするために進路変更し、その度に警笛をならし、とても客がドライブを楽しむどうのといった世界ではない。
タクシーの窓越しから次郎の目にも、上海が少しずつ、いや急速かも、変わっているのがわかる。
以前は空港からの道すがら、個人経営のカラオケスナックが、闇夜に豆電球の配列を滝のように屋根から何本も配した店を数多く見た。そのカラオケの豆電球の放つ明かりが、次郎が最初に上海へ来た時の、この街のイメージとして焼き付いている。昼間みると、何のへんてつもない旧い店も、その豆電球のおかげで夜は化けるというやつ
うす暗いスナックの灯りの下で、そこそこに見える彼女も、昼間“スッピン”で街中をあるけば、想像以上に年のいった“〇〇さん”にも似る。
しかし、すこしそうした店が減ったように見える。
理由はわからない、客が減ったか、カラオケのブームが下火になったか、あるいは客がもった高級なところへ行くようになったか。
“なんでも、変わるんだな…・”と次郎はタクシーの外に目をやる。





次郎のこれから行く千鶴ホテルは、それほど上海の中心ではなく、というかややはずれにあるが、日本に帰る時に飛行場に近く便利なのだ。
(千鶴ホテル - 現在、ホテルのオーナーが代わり、名前も変更されています)
三ツ星ホテルで高級でもいが、貧乏くさくも無いちょうど中間といえる、新しくはないが高層なので、マアマアといったところか。
貧乏くさくない、これが、中国人とあい対峙するとき重要なのだ、中国人は外見から人を判断する
次郎は昔、日本にいる中国人に忠告された事がある。
(2000年以前)日本人は良く海外旅行へ行く時、ジーンズで行くが、中国で (現地の)人と会う時は背広を着ろと。
初対面、公式ではいわば背広着用の国なのだ。
次郎は海の者とも、山の者ともわからないこれから会う二人に、とりわけ見栄を張りすぎる必要も無いかわり、自分自身を安っぽく見せてもいけなかった。
これは、別に次郎が発見した事でもない、人に拘わらず、昆虫のような小動物の世界でも異性を勝ち取るためには、これは世の“定石”ではないか。
千鶴ホテルの周りは、夜は暗くひっそりしている、以前上海の日本人の友達からこのホテルを日本人駐在員達はイヤな言い方だが“センズリ・ホテル(男性が独り自慰する行為から)”と呼ぶそうだ。
“そういえば、千のツル、それでセンズリか……”と次郎は苦笑。

タクシーは右手に一般の住宅街を見ながら左折し、ホテルの車寄せへと。
チェック・インを済ませる、一泊450中国元。
ホテルの玄関先で見たベル・ボーイが次郎の旅行カバンをヘルプし部屋まで上がってくる。
チップを10元やり、やっと一人になりホットする。
上着を脱ぎ、荷をほどき、一杯のお茶にありつきヤレヤレと。 飛行機の中では、死人状態で食欲のなにもなかった次郎だか、地上に下りて一気に生きかえった。
“そうだ、ノンビリもしていられない”と次郎。
飛行機嫌いの恐怖感が解除されると、我を取り戻したかのように、行動を起こし始めた。

*(次郎は大学時代第二外国語として、中国語を専攻したので日常会話にはとりあえず問題はない≪以下、会話が中国語いかんに拘わらず日本語にて表記≫)

次郎は受話器をとり“もしもし、松尾です。夜分すいません、たった今、着きました。 ホテルにいます。 千鶴ホテルです、宣上路の(中国では場所を説明する場合、アメリカ同様建物が面する道路名を告げる)。 千鶴ホテルです”。
電話の相手はイタコ紹介の山下から紹介された女性の一人である。
明日の都合はいかがですか? 午前中の9時半は、早いですか。(少し、彼女の返答を待つ、そして) 問題ないですか。 ルーム・ナンバーは1513です。 それでは、明日”と次郎が会うのならこの人が先と決めた女性に約束をとりつけた。
彼女とは、写真も経歴書もとりかわし、もちろん次郎は日本から国際電話で話しもしたことがある。
彼女の名は孫さんという。
彼女は大学を出ている、経歴書によると、中国の船会社に勤めている。
その履歴書だが、英語で書いてある、中国人この世に数多くいるが、30代で英語に精通しているのはかなりのインテリに違いない。
“またなんで、イタコ商会の山下が俺へ、そんな才媛を紹介してくれたのだろうか?”
“まァ、いいか“いろいろな人と、会うのは別に悪いことではない、決まったわけでもないのだから…・・”と、次郎はその先を考えないことにした。
しばらく又、ホテルの自分の部屋で落ち着き、上着を脱ぎ、外を見渡す。
既に暗いが、闇にくれた下界には細々と店を開いている商店がみえる。 客や通行人も既に少ない。
次郎は視線を自分の部屋に戻し、椅子に腰を下ろし、一人でお茶を飲んだ。
次郎は飛行機を降り無事ホテルに着いた安堵感と、始まったばかりの中国での次郎のこれからを思うと、多少の興奮が込みあがる。
そして、その夜は、次郎は風呂をつかい寝に入った。

翌朝、中国特有の街中を走る、自動車の警笛で次郎はおこされた。
どう言うわけか、(当時)中国の自動車の警笛はシングルなのだ、そして、走行中運転手はひんぱんに鳴らす。 その音が、日本人には奇異である。
朝のウトウトしている時に、耳に入る、その奇異な“ビービー”という警笛が、外国での朝を迎えた事を次郎に教える。“そうだ、そうだ、こうはしていられない、彼女が来る、その前に身なりを整えなければ”
うとうととしている次郎は、ムックリ起き上がった。
“9時半だから、少なくとも9時ごろまでには、準備しなければ、これはまがりなりにも、お見合いなんだから”と、次郎。

そして、次郎待つこと久しく、孫さんは9時40分ごろようやく、次郎の部屋をノックした。
“ご苦労さん、遠かったでしょう?”
“そうですネ、少し”と彼女。家は確か豫園(中国の旧い庭園 - 上海の観光スポット)の近く。
彼女を次郎は写真では見たことがあるが、実際には初めての対面である。次郎はなにげなく孫さんの服装に目がいった。
アカぬけているというのが、次郎の印象。 派手でなく、時代遅れでなく、日本人好みである。
彼女はワイン系のスーツに、ブラウンのコートのいでたち。
中国人としては、やや小柄か、そして決して美人系ではないが、頭のよさそうな顔。
“座ってください”と、次郎は彼女にうながした。
そして、次郎自身がホテル備え付けの茶器で自分と彼女にお茶を入れた。
少し話をしただけで彼女の明晰さが、次郎にはここち良かった
彼女に嘘も通用しない変わり、余計なことを説明する必要も無い 二人の会話はすべるように進んだ。
しかし、男と女の関係が縮まった意味でも無い。
その辺は、次郎も時間がかかることを知っている。 次郎も急がなかった.。
次郎は、彼女の気持ちを遠回りに聞くために、自分自身飾らず、ひたすら話しを続けた。
真ともな人間には、正攻法しかない。 誠実にあたるしかない。

そして二人で、ホテル内で昼食をすませる。
お互いに紹介も一通り終り、話もソロソロという感では有ったが、男女の突破口を切り開くには、今の二人はあまりにお互い理性的。
事を急いても仕方ないと次郎は読んだ。
これ以上はホテルの部屋で話しをするのも、たいくつとみた次郎は気分転換にと、どこか、どこかといっても上海はこれといって目新しい所は無いが。
結局、外灘(ワイタン -旧い街並みが川岸に残る)、上海といえば日本人がイメージするその地へ。
冬にもかかわらず、日があり暖かい、日曜日でもあり、たくさんの人が外灘に来ている。
つい最近の中国のどこかでおきた天災のためのカンパを求める若い人達、多分学生と思われる人たちが所々で次郎達にも声をかける。 
若い時と違い次郎はこの種のカンパに応じることにしている、人は自分の物をかたくなに全て握りつづけてはいけないと、解り始めてきている年代だ。
その学生たちは、カンパの人たちに、日本の赤い羽根募金と同じように、寄付した人々に印として赤い丸いシールを、次郎も服の胸のあたりに貼ってもらった。
その後は、次から次と現れるカンパの軍団を孫さんは、さりげなく“もう、おさめている”とかわした。
ヒステリックにカンパを求める学生たちを追い返すわけでもなく、かといって、次郎に更なるカンパの強要をするでもなく、次郎は孫さんの人間性の丁度良さというかを観察する結果となった。

外灘のほぼ中央に来た二人。
外灘の向かい側には今や上海を象徴するタワーがそびえている。 近い将来、この街は更に大きく変わるというエネルギーを次郎は感じる。
左右を見渡すと、あちこちに日本のメーカーの大きな看板が目に入る。
周囲に、NEC、AIWA、SANYO……・日本のメーカーの大きなサインが目に入る。
“こういった個人的な上海訪問でなく、企業の前線として来たいものだと…・・”と次郎は思う。
次郎もこの、中国近代化のレースに何らかの形で参加したいと思いつつも、次郎自身も、次郎の会社も微力過ぎるのを感じていた。
次郎が外灘の反対側の旧ビル群に目をやる、そこいらは旧租借時代の建物が並ぶ、まさに上海の顔といったところ。
孫さんは、次郎に声をかけ、“あそこが、税関で、ちょうどその隣りにあるビルを見てください、あすこの2階が私達のオフィスです。”と、指差した。
そのビルは、威風堂々とした、まさに外灘のほぼ中央に位置する立派なものだ。
そして、そこではたらく孫さんも、同じように立派なものだ。
前からキャリア・ウーマンとは思っていたが、外からとはいえ職場を見せられ、次郎は自分との釣り合いを考えた。
年齢的にもまだ30半ば、挫折を知らぬだろう彼女はこの街、上海では飛ぶ鳥を落とす勢いだろう。次郎は彼女とそのビルが一緒に収まるようにと、携えてきたカメラのシャッターを切った。
そして、周りにいる若い人に頼み次郎は彼女とツーショットの写真を数枚とる。
とりあえず彼女との写真を撮りたかった。
人間の記憶ほどいい加減なものはない。
記憶は時と共に不確かになり、その不確かさは判断を美化することもある。
次郎はその写真をみて彼女への愛情を深めるためというより、後になって彼女をもっと知る手がかりになるかもしれないと。
人は、顔の表情、しぐさに意外と自分の全てが出てしまうことが多い。
次郎の場合も、将来この写真を後で見て、“(彼女は)どうのこうの……・”と思いをめぐらせるかもしれない。

次郎も孫さんと初対面した今日の数時間で、やや次郎と彼女の状況が見え始めた感じがして来た。
今まで日本と中国で二人の手紙や電話のやり取りも含めて、どちらかというと、お互いに積極的で、孫さんが時にはこの話に乗り気にも思えた。
だから、今回、次郎が上海に来る決心がついたとも。
しかし、次郎はひょっとして、これは誤算だったかなと。
次郎は内心で、“これをゲームにたとえたら、俺の負けかも? いや、まだ勝負がついたわけでもないが、ただ、このままでは勝ち目がない。”
彼女はまだ30半ば、未婚、この上海でのキャリア・ウーマン。
挫折を知らぬ。
あたかも目の前で威風堂々としてドッシリとした彼女が働く立派な建物のように、ちょっとした事では彼女の心を動かす事はできないだろう。
次郎が彼女にオファー(差し出せるのも)できるものは、彼女にとって何の価値もないものだろ。

彼女と会える短い時間のなかで、次郎は何らかの手がかりをほしかった。
それがなければ、次へ進めなかった。
ダメなのか、待つ価値があるのか?

少しして、次郎は意を決した。
“コーヒーでも、近くで飲みましょうか? 少し疲れたことでもあるし”と孫さんをうながした。
二人は、外灘の遊歩道に面した大きな通りを渡り、角の比較的大きな独立系のファースト・フード店に入った。
店には活気がなく、パッとしないところだが、今の次郎には店の雰囲気の良し悪しはどうでもよった。
店の大きさの割には客は少なく、落ち着いた話をするのには、逆に空いている店の方がもってこいに思える。
むしろ、誰かに二人の会話に聞き耳を立てられるほうが、次郎はイヤだった。
テーブルにつき、しばらくして次郎は切り出した。
“正直いって、私は日本で、とりわけ金持ちでもないし……・ただ、仕事をとりわけ一生懸命するぐらいの人間だけど ……・・”
とりあえず、中国人が日本人に抱く、日本人の誰もが金持ちというイメージを払拭したかった。

一方で、孫さんの現在の輝くキャリアを口に出して誉めることも、敢えてしなかった。
西洋の諺に、自分が世間の常識や相場に照らして、得をしていることを自ら口外すべきでないという教えがある。
次郎は、その例えの裏返しに、自分が損することを自ら白状する必要はないと、年を重ねた今、ようやく分りはじめている。
次郎の本音としては、経済的な豊かさは保証できないが、自称真面目な人柄で自分を好きになってほしかった。
それは、無理な話なのだが。
次郎も、率直に、孫さんの気持ちを聞き出すのも怖かった。 例えば、このまま付き合ってくれるのか、もしくは、(結婚という形で)日本へ来てくれるのか?
ここで、孫さんには次郎がどうしてほしいか解っているはずである。
次郎には、冗談でも、孫さんの口から、“日本へ来たい”とも“男女の関係は、やはり人柄が一番”と言った言葉が出るのを期待していたのだ。

しかし、彼女は動かない。
次郎は、ついに今回、今ここで結論を求めるのは、性急過ぎる。 今回の上海入りで何らかのメドをつけることは難しい、時間をかけようと腹をきめた。
彼女から、逆にスパットきられるのも辛かった。中途ハンパな状態にしておく方が、次郎には多少なりの慰めにもなる。 これ以上、二人に時間は必要でなかった。

二人は通りに出て、各自別々の帰り路の方角を探った。
次郎が孫さんに、サヨナラを言うときがきた。
太陽も西にかたむきつつある、風もいっそう冷たく感じられる。
外灘の賑わいも峠を過ぎ、帰る人がたくさんバス停に人の列をつくっている。
そして、なぜか外ふく風もひとしお寒く感じ、行き交う人の動きも早く感じる。
次郎は、孫さんに“今日は忙しいところどうも有り難う、これからも手紙書いたり、電話したりしますよ”と誠意をつくす話し方をした。
次郎はすがすがしい表情を努め、多少なりの失意が顔に現れないよう。
そして、次郎は彼女に握手を求めた。
それはそれ程に親しくない男女の関係では、マックスの接触と言えるだろう。
次郎は暗黙に孫さんに求めているのは、何も今日いままで話して来た、仕事上の情報交換でもなく、合弁会社の立ち上げのようなビジネスがらみではない。
最初は、友達からでも将来はやはり、男と女ということになろう。
握手の後、孫さんはタクシーを拾い、次郎の視界から消えた。

どちらかというと、次郎のシナリオの第一幕は彼にとって、ガッカリした形となった。
独り外灘に面したビル街の横を歩く、先ほどらいの人気も目っきり減り、次郎は更に落ち込む。
直ぐにタクシーに乗ってホテルに帰る気にもならず、彼自身の落胆を忘れようとするかのように、人込みを求め南京路へ(上海の繁華街)トボトボと、歩き出した。


(つづく)



コメントを投稿