12月11日(金)雨から雪へ 1℃/8℃
昨夜は法人職員の、お父さんのお通夜に参列しました。
この10日ほど前に、お母さんのお通夜に参列したばかりでした。
朝方起きてすぐ息苦しいと言って、そのままだったようです。
(職員)長女さんはかなりショックだったようで、通夜の式中ずっとうつむいたままでした。
お二人の急な死をどう受け止めたらよいのかわからない、呆然という言葉がふさわしいのでしょうか。
哀しさを通り越して涙すら見せない様子に、その悲しみの大きさがうかがえました。
喪主の長女の夫さんは饒舌で、挨拶の中で「義父は義母に連れていかれたんじゃありません。自分から進んで追いかけていったのです。」
そういわれた言葉が、脳裏に刻まれました。
私にはこの喪主のように、お二人の生前の様子を詳しく語られることなどは決して真似できないなと思いました。
「きょうは死ぬのにとってもいい日」
今日は死ぬのに とってもいい日
すべてが私と いっしょにある
すべての声が私を包む
すべての美しいものが私には見える
悪いことはすべて私から遠ざかる
今日は 死ぬのに とってもいい日
大地が ゆったりとしている
秋の収穫は終わった
私の家は笑いで満ちる
子供たちが 家に戻ってきた そうだよう
今日は死ぬのに とってもいい日
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