『東京新聞』夕刊は、「献花なし、何しに来た」との見出しで、「献花もせず、何をしに来たのか。被爆の実相を肌で学んで、人類的な大きな罪を犯したことをきちんと誤ってほしかった」との広島県原爆被害者団体協議会理事長、金子一士さんの声を紹介している。
一方、アメリカ側の反応のひとつが、次の記事だ。
【ワシントン時事】広島に原爆を投下した米軍B29爆撃機「エノラ・ゲイ」の機長ポール・ティベッツ氏(故人)の息子は5日、CNNテレビに対し、オバマ政権が平和記念式典にルース駐日大使を派遣したことについて、「そうすべきではなかったと思う」と不快感を示した。
アラバマ州在住のジーン・ティベッツ氏は、電話インタビューで、「これまで一度も行われてこなかったのに、なぜ今になって(代表団を)送るのか分からない」と批判。米政府は原爆投下に謝罪していないが、「無言の謝罪かもしれない」と述べた。
また、原爆投下が戦争終結を早め、多数の人々の命を救ったとして、「当然、正しいことをした」と話した。
二つの反応をどう読むか。
被団協の金子さんの反応は、献花も持参せず、訪問もたった1時間。軽く見ているのではないか、と大使の真意に疑義を呈する。
エノラ・ゲイ機長の息子は、これは謝罪だ、原爆は多数の人々を救った、と一般アメリカ人の気持ちを代弁する。
しかし、原爆では加害者のアメリカが参席したこと自体、画期的だ、と評価するしかないのではないか。献花もしました、被爆者とも話をしました、とまではいかないのではないか。むしろ、これが第一歩となって、核兵器を使うことの無意味さが実質的な共通認識になれば、それは意義のあったといえる、と思う。どんなものだろうか。
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