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2013年からNBAを見ています。

マイケル・ジョーダンの知られざる逸話

2021-02-18 15:53:33 | バスケットボール 和訳

今回は記事の和訳です。


 

 

ゲイリー・ペイトン

MJについて君達に伝えたい話がある。

 

確か1年目のプレシーズンでブルズと対戦したときだと思う。だから1990年かな。ブルズと対戦したが、マイケルジョーダンのブルズではなかった、どういう意味か分かるか?ブルズが最初の3連覇を達成する前だったんだ。彼らは88年、89年と立て続けにプレイオフでピストンズにやられていた。

 

僕はドラフトで2位指名を受け、プレシーズンに臨んだ。マイケルジョーダンが一体誰かなんて少しも気にしなかった。僕にとっては「なるほど、彼は良いね…でもそれほどでもない。」という感じだった。

 

MJはその試合のほとんどをベンチで過ごした。僕は、ただのプレシーズンでMJがハードにするわけがないということを理解していなかった。だからB.J.アームストロングが僕についた。僕は彼から19得点をあげた。僕はルーキーだったから、B.Jにボロクソに言った。それからブルズのベンチに向かって走り、MJのことをボロクソに言ったんだ。ベンチを見下ろしたよ。良い気分だった。

 

数週間後、レギュラーシーズンに入って、ホームのシアトルで初めてブルズと対戦することになった。ずっと待ち望んでいた、待っていたんだ。準備はできていた。もちろん、みんなブルズがどんなチームなのか、マイケルがどんな風に街に来るのか話していた。僕は「大丈夫だ。俺はブルズから19得点取ったんだ。MJをやっつけることができると知っている。問題ない。」という感じだった。

 

それから試合が始まる前に集まり、みんなで握手をした。

 

MJは僕とは握手をしなかった。

 

彼はB.J.に振り向き「このくそったれなルーキーは俺に任せろ」と言っていたし、みんな聞いていたよ。

 

くそ、わかったよ。僕はそう思った。クソが、かかってこいよ。

 

試合は進んでいった。僕はマイケルをマークしていた、そしてフィル・ジャクソンが5、6回連続でプレーを指示し始めた。マイケルのためのプレーを指示していた。そしてマイケルは5、6回連続で得点した。マイケルは別次元にいて、自分もそこに巻き込まれたと分かった。

 

ものの数分で、僕はファウルトラブルに陥った。K.C.は僕をベンチに下げた。それから僕はほとんどその試合に戻ることはなかった。僕は0得点に終わり、7、8分しかプレーしなかったことを覚えている。MJは結局33得点あげた。

 

でもそれで終わりではなかった。試合が終わりに近づいていたとき、僕はベンチに座っていて、MJが僕たちのベンチにやってきた。試合はまだ進んでいるにも関わらず僕のそばにやってきたんだ。コーチがそばに立っていた。ベンチのみんなが彼を見つめていた。

 

「あれがプレシーズンで話したことなのか?」

 

狂気じみていたんだが、彼は全く怒っていなかった。ガムをずっと噛んでいたね。

 

「これが現実だよ。NBAにようこそ、お坊ちゃん。」

 

その年ブルズは優勝した、そしてそれから5回さらに優勝することになった。

 

ドミニク・ウィルキンス

マイケル・ジョーダンがスーツとネクタイをつけ、私たちのロッカールームに入ってきたのを覚えている。僕たちのロッカールームで一体何をするつもりなんだ?と思った。

 

「しっかり靴紐を結べよ。長い夜を送ることになるぜ。」

 

ただロッカールームに来ただけなのか?と疑問に思った。なんといえばいいのか分からなかった。衝撃だった。

 

彼はその夜60得点をあげた。

 

フランク・ニリキナ

僕が16歳の時にMJから言われたことを伝える。

 

僕は「こんにちは、マイケル。質問してもいいですか、あなたの成功に必要なものはなんだったんですか?」と言った。

 

彼は考えて、それから「君はバスケットボールを愛する必要がある。試合を愛さない限り君は偉大にはなれない。世界中の誰よりもバスケットボールを愛していれば、君は喜んで犠牲を払うようになる。喜んで朝早く起きるようになる。最高の選手になるために必要なことをなんでもするようになる。でもまず初めに、バスケットボールを愛する必要がある。」

 

とてもシンプルに聞こえるが、考えれば考えるほど、僕の人生でより重要なものになっていった。多くの人は「君はどこまでよくなれるの?君の限界はどこ?」と訪ねてくる。僕にはその答えは分からない。NBAで何が起こるのか僕には分からない。でも僕は自分がどんなことよりもバスケットボールの試合を愛しているということは分かっている。

 

だから、彼はレジェンドなんだ。僕はこの3年間ずっと彼が言ったことを考えてきた。

 

助言してくれてありがとうございます、Mr. ジョーダン

 

Merci, GOAT.

 

ケンバ・ウォーカー

ジョーダンは僕に電話してきた…そしてもちろんすぐに彼の声だと気付いた(その瞬間でさえ、僕は「まじかよ、マイクだ」と考えていたのを覚えている)。本当に落ち着いていて、本当にクールだった。彼はただ「ケンバ、私たちは君を信じている。それを知っていてほしい。私たちは君を信じているし、素晴らしいことを期待しているんだ。」

 

なあ、僕は誇張なんかしない。MJの言葉は僕の人生を変えたんだ。

 

コディ・ゼラー

マイケルになんと言おうか想像していた。僕は彼に、あなたが史上最高だと伝えるだろう。僕は彼に、人生を通してずっとあなたを見てきたと伝えるだろう。14歳のコディー・ゼラーにとって、全ては夢だった。

 

それから彼は、「分かった。電話をリッチに渡すとするよ…」

 

僕は固まった。それはマイケルジョーダンを意味していた。僕は慌てて「ありがとう、Mr. ジョーダン」、あるいはもしかしたら「分かった」とだけ言ったかもしれない。覚えていないんだ。少しの間、史上最高のバスケットボール選手を相手にずっと慌てていたし、それがマイケル・ジョーダンだと分からなかったんだ。

 

マイケル・キッド=ギルクリスト

僕は18歳の少年で、ハイスクールバスケのユニフォームを一年ほど取り上げられていたとき、僕は地球上で史上最高のバスケットボール選手と電話で繋がっていた。

 

電話で繋がっていただけじゃない…彼が僕に電話してきたんだ!

 

マイケルジョーダン。MJ。GOATが電話…僕に?

 

「僕はただ君を歓迎したいんだ。」彼は言った。「そしてこの街は早く君をサポートしたくてたまらないよ。チャーロットは君を暖かく迎えるよ」

 

 


マイケル・ジョーダンは1963年2月17日に生まれ、今日58歳の誕生日を迎えました。

・6度の優勝

・ファイナルで6勝0敗

・6度のファイナルMVP(最多)

・5度のMVP

・14度のオールスター選出

・新人王

・最優秀守備選手賞

・10度の得点王

・通算得点歴代5位

・1000億円を稼いだ初のNBA選手(現役&引退後を合わせて)

...

など、彼の功績は数えきれないほどあります。

 

しかし、僕が思う一番の功績は「次の世代へ多大な影響を与えたこと」だと思います。

みんなジョーダンのようになりたがった。

コービー・ブライアントは、ジョーダンのすべてをコピーするという鋼の意志を持ち合わせており素晴らしいNBAキャリアを送りました。レブロン・ジェームズも、貧困を経験した幼少期にジョーダンにずっと憧れNBAを目指しました。

そんな彼らが、現在進行形でさらに次の世代へインスピレーションを与えています。

ジョーダンがいなければ、コービーやレブロンはいなかったかもしれないと考えると、彼の功績が自ずと分かってくると思います。

 

ブログを読んでいただきありがとうございます。

それでは失礼します。


引用元:

OGPイメージ

The Legend of Michael Jordan | The Players' Tribune

“A legacy is built by more than what is seen. It is given, not earned....

 

 


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