今回は記事の和訳です。
ゲイリー・ペイトン
MJについて君達に伝えたい話がある。
確か1年目のプレシーズンでブルズと対戦したときだと思う。だから1990年かな。ブルズと対戦したが、マイケルジョーダンのブルズではなかった、どういう意味か分かるか?ブルズが最初の3連覇を達成する前だったんだ。彼らは88年、89年と立て続けにプレイオフでピストンズにやられていた。
僕はドラフトで2位指名を受け、プレシーズンに臨んだ。マイケルジョーダンが一体誰かなんて少しも気にしなかった。僕にとっては「なるほど、彼は良いね…でもそれほどでもない。」という感じだった。
MJはその試合のほとんどをベンチで過ごした。僕は、ただのプレシーズンでMJがハードにするわけがないということを理解していなかった。だからB.J.アームストロングが僕についた。僕は彼から19得点をあげた。僕はルーキーだったから、B.Jにボロクソに言った。それからブルズのベンチに向かって走り、MJのことをボロクソに言ったんだ。ベンチを見下ろしたよ。良い気分だった。
数週間後、レギュラーシーズンに入って、ホームのシアトルで初めてブルズと対戦することになった。ずっと待ち望んでいた、待っていたんだ。準備はできていた。もちろん、みんなブルズがどんなチームなのか、マイケルがどんな風に街に来るのか話していた。僕は「大丈夫だ。俺はブルズから19得点取ったんだ。MJをやっつけることができると知っている。問題ない。」という感じだった。
それから試合が始まる前に集まり、みんなで握手をした。
MJは僕とは握手をしなかった。
彼はB.J.に振り向き「このくそったれなルーキーは俺に任せろ」と言っていたし、みんな聞いていたよ。
くそ、わかったよ。僕はそう思った。クソが、かかってこいよ。
試合は進んでいった。僕はマイケルをマークしていた、そしてフィル・ジャクソンが5、6回連続でプレーを指示し始めた。マイケルのためのプレーを指示していた。そしてマイケルは5、6回連続で得点した。マイケルは別次元にいて、自分もそこに巻き込まれたと分かった。
ものの数分で、僕はファウルトラブルに陥った。K.C.は僕をベンチに下げた。それから僕はほとんどその試合に戻ることはなかった。僕は0得点に終わり、7、8分しかプレーしなかったことを覚えている。MJは結局33得点あげた。
でもそれで終わりではなかった。試合が終わりに近づいていたとき、僕はベンチに座っていて、MJが僕たちのベンチにやってきた。試合はまだ進んでいるにも関わらず僕のそばにやってきたんだ。コーチがそばに立っていた。ベンチのみんなが彼を見つめていた。
「あれがプレシーズンで話したことなのか?」
狂気じみていたんだが、彼は全く怒っていなかった。ガムをずっと噛んでいたね。
「これが現実だよ。NBAにようこそ、お坊ちゃん。」
その年ブルズは優勝した、そしてそれから5回さらに優勝することになった。
ドミニク・ウィルキンス
マイケル・ジョーダンがスーツとネクタイをつけ、私たちのロッカールームに入ってきたのを覚えている。僕たちのロッカールームで一体何をするつもりなんだ?と思った。
「しっかり靴紐を結べよ。長い夜を送ることになるぜ。」
ただロッカールームに来ただけなのか?と疑問に思った。なんといえばいいのか分からなかった。衝撃だった。
彼はその夜60得点をあげた。
フランク・ニリキナ
僕が16歳の時にMJから言われたことを伝える。
僕は「こんにちは、マイケル。質問してもいいですか、あなたの成功に必要なものはなんだったんですか?」と言った。
彼は考えて、それから「君はバスケットボールを愛する必要がある。試合を愛さない限り君は偉大にはなれない。世界中の誰よりもバスケットボールを愛していれば、君は喜んで犠牲を払うようになる。喜んで朝早く起きるようになる。最高の選手になるために必要なことをなんでもするようになる。でもまず初めに、バスケットボールを愛する必要がある。」
とてもシンプルに聞こえるが、考えれば考えるほど、僕の人生でより重要なものになっていった。多くの人は「君はどこまでよくなれるの?君の限界はどこ?」と訪ねてくる。僕にはその答えは分からない。NBAで何が起こるのか僕には分からない。でも僕は自分がどんなことよりもバスケットボールの試合を愛しているということは分かっている。
だから、彼はレジェンドなんだ。僕はこの3年間ずっと彼が言ったことを考えてきた。
助言してくれてありがとうございます、Mr. ジョーダン
Merci, GOAT.
ケンバ・ウォーカー
ジョーダンは僕に電話してきた…そしてもちろんすぐに彼の声だと気付いた(その瞬間でさえ、僕は「まじかよ、マイクだ」と考えていたのを覚えている)。本当に落ち着いていて、本当にクールだった。彼はただ「ケンバ、私たちは君を信じている。それを知っていてほしい。私たちは君を信じているし、素晴らしいことを期待しているんだ。」
なあ、僕は誇張なんかしない。MJの言葉は僕の人生を変えたんだ。
コディ・ゼラー
マイケルになんと言おうか想像していた。僕は彼に、あなたが史上最高だと伝えるだろう。僕は彼に、人生を通してずっとあなたを見てきたと伝えるだろう。14歳のコディー・ゼラーにとって、全ては夢だった。
それから彼は、「分かった。電話をリッチに渡すとするよ…」
僕は固まった。それはマイケルジョーダンを意味していた。僕は慌てて「ありがとう、Mr. ジョーダン」、あるいはもしかしたら「分かった」とだけ言ったかもしれない。覚えていないんだ。少しの間、史上最高のバスケットボール選手を相手にずっと慌てていたし、それがマイケル・ジョーダンだと分からなかったんだ。
マイケル・キッド=ギルクリスト
僕は18歳の少年で、ハイスクールバスケのユニフォームを一年ほど取り上げられていたとき、僕は地球上で史上最高のバスケットボール選手と電話で繋がっていた。
電話で繋がっていただけじゃない…彼が僕に電話してきたんだ!
マイケルジョーダン。MJ。GOATが電話…僕に?
「僕はただ君を歓迎したいんだ。」彼は言った。「そしてこの街は早く君をサポートしたくてたまらないよ。チャーロットは君を暖かく迎えるよ」
マイケル・ジョーダンは1963年2月17日に生まれ、今日58歳の誕生日を迎えました。
・6度の優勝
・ファイナルで6勝0敗
・6度のファイナルMVP(最多)
・5度のMVP
・14度のオールスター選出
・新人王
・最優秀守備選手賞
・10度の得点王
・通算得点歴代5位
・1000億円を稼いだ初のNBA選手(現役&引退後を合わせて)
...
など、彼の功績は数えきれないほどあります。
しかし、僕が思う一番の功績は「次の世代へ多大な影響を与えたこと」だと思います。
みんなジョーダンのようになりたがった。
コービー・ブライアントは、ジョーダンのすべてをコピーするという鋼の意志を持ち合わせており素晴らしいNBAキャリアを送りました。レブロン・ジェームズも、貧困を経験した幼少期にジョーダンにずっと憧れNBAを目指しました。
そんな彼らが、現在進行形でさらに次の世代へインスピレーションを与えています。
ジョーダンがいなければ、コービーやレブロンはいなかったかもしれないと考えると、彼の功績が自ずと分かってくると思います。
ブログを読んでいただきありがとうございます。
それでは失礼します。
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