見出し画像

ChatGPTさんの『古事記』英訳

ChatGPTの『日本書紀』英訳 綏靖天皇 3

『日本書紀』綏靖天皇 3

元年春正月壬申朔己卯。神渟名川耳尊即天皇位。都葛城。是謂高丘宮。尊皇后曰皇太后。是年也太歳庚辰。

二年春正月。立五十鈴依媛爲皇后。〈一書云。磯城縣主女川派媛。一書云。春日縣主大日諸女糸織媛也。〉即天皇之姨也。后生磯城津彦玉手看天皇。

四年夏四月。神八井耳命薨即葬于畝傍山北。

廿五年春正月壬午朔戊子。立皇子磯城津彦玉手看尊爲皇太子。

卅三年夏五月。天皇不豫。▲癸酉崩。時年八十四。

≪英訳≫

In the spring of the first year, on the eighth day of the first month, the deity Kamununakawamimino Mikoto ascended to the imperial throne. The capital was established in Kazuraki, known as Takao no Miya. The revered empress was then referred to as the Empress Dowager. In this year, the celestial year was Kōshin.

In the second year, in the spring of the first month, Princess Isuzuyorihime was enthroned as the empress. She was the Emperor’s maternal aunt. The empress gave birth to Emperor Shikitsuhikotamatemi no Sumeramikoto.

In the fourth year, in the summer of the fourth month, the deity Kamuyaimimino Mikoto passed away and was interred north of Unebiyama.

In the twenty-fifth year, on the seventh day of the first month, the imperial son Shikitsuhikotamatemi no Sumeramikoto was designated as the Crown Prince.

In the thirty-third year, in the summer of the fifth month, the Emperor fell ill and passed away on the day of Mizunotori. His age at the time was eighty-four.

≪この英文の和訳≫

初年の春、一月八日に、神淳名川耳尊(カムヌナカワミミノミコト)は即位されました。都は高丘宮(たかおかのみや)と呼ばれる葛城(かつらき)に建てられました。皇后を尊んで、以後皇太后と称されました。この年は太歳庚辰(たいさいかのえたつ)でした。

二年目の春、一月に、五十鈴依姫(イスズヨリヒメ)が皇后に立てられました。天皇の母方のおばでした。皇后は天皇磯城津彦玉手看(シキツヒコタマテミノスメラミコト)をお生みになりました。

四年目の夏、四月に、兄である神八井耳尊(カムヤイミミノミコト)が亡くなり、畝傍山(うねびやま)の北に葬られました。

二十五年目の春、一月七日に、皇子である磯城津彦玉手看尊(シキツヒコタマテミノスメラミコト)が皇太子に任じられました。

三十三年目の夏、五月に、天皇が病気となられ、癸酉(みずのととり)の日に崩御されました。その時の年齢は八十四歳でした。

令和5年12月29日(金) 2023

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「日記」カテゴリーもっと見る