ついに最後になりました。正確には最後の音でしょうか。
さて、次のセリフの違いはなんでしょうか。
「あたしたち、息がつけるようになるわ」
「あたしたち、息がつけるようになるんだわ」
実はこれ、今なぎさ高校の「演劇入門」でやってるど直球の課題です。
どがつくぐらいの豪速球を入門なのに最初からやらせています。
超有名劇作家のマスターピースの最後のセリフです。
その約120年ぐらい前の長ゼリフを彼ら16、17歳にやらせています。
これ「んだ」があるか無いかの違いですが、僕の感覚では確信の度合いが異なる気がします。「なるわ」だと絵空事のようにも思えますが、「なるんだ」となると根拠があってそう言っているようにも思えます。
「なるんだ」は恐らく「なるのだ」となります。
現代文講義で有名な田村秀行先生の「のだ、のである」の法則が思い出されます。
後ろから前の文を説明する役割があること、そして我がベスト学習会の石川Jr.先生がおっしゃっていた「のである」は主張、という法則は金言です。当時はその凄さがまだ半分ぐらいしかわかりませんでしたが今はこういう仕事をし出してからよくわかるようになりました。
それでこの「息がつけるようになる」ということの確信を言い表して戯曲が閉じられています。
「信仰とは望んでいる事柄が実現するという確信だ」とは聖書の言葉です。
ということは、やはりここは確信がある、強い想いがあると解釈したいと思います。希望がないとね。困難な世の中を渡っていけません。
投稿がものすごく遅れました。明日はもう利賀の一次課題戯曲が送られてきます。
「のだめカンタービレ」の千秋さんが指揮者コンクールに出るところを勇気付けに読み返したりして準備してきましたが、果たして何が出るやら。ヤマは当たるのか。
そもそも9時からの稽古のために早起きする練習をしなくてはなりません。普段11時からしか仕事してませんから・・・。2時間も早く起きる・・・。
ということでこれも朝早くに投稿していたりして。
次回から、名前は変えず新連載を始めます、お楽しみに。
Tomo Matsuura
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