今はどうしても、小説の話になりますけれども、いわゆる五感の記憶を想起させる表現に乏しいなあ、と自分の作品を観て(読んで)思います。
演劇の演出家としては、匂いや感触って言うのは使ったことのない、あるいは使うには少しリスクが高すぎて使うことのない感覚です。
でも小説でなら、それは出来る。
なんでしょう、揺れながらもある一つの感覚を探し当てる。
そんな作業が出来つつあります。
結局僕は舞台作品の演出家だな、と思う一方で、舞台の時に考えるように、「小説でしか出来ないことを(僕の場合は特に舞台では出来ないことを)!!」というのをアイコトバに創っていっています。
もっと長く書こうかとも思いましたが、まだまだ海千山千の代物なんで、これぐらいで。
ただ、舞台を創っていっている時も思うのですけれど、ここはこれでいいって完成されていく感覚っていうのがあるものなのです。
あー、この文章はこれでいいな、って。
しかし、それってまだ全体の3分の1もないような・・・。
それはさておきC.D.F.の宣伝を書くのを忘れていましたねえ。
次回2/25(土)はC.D.F. 2006。舞台は、“さびれた小さな動物園の、ある動物の檻の前”
心の優しくない人はこの動物を見ることができないという動物の飼育を任された新米職員。そこに「見えない」と真っ向から言うお客さんが現れて・・・。
この回は参加者が非常に少なかったので、今回逆にやりやすいし、もう一回やってみたいやつです。
樟葉生涯学習市民センターで9:30-12:00です。みなさん、是非お越しください。
あ、あと、3月17日は事務局の都合でお休みになります。申し訳ありません。
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