日課・・・ ラジオ体操。
朝食は
焼きたてパンならぬ焼きたて餅。こんがり焼けてて食べるとパリパリして、
いくらでも食べる。切り餅4個がくっついてこんな形になった。
晴れの朝。
ラジオ・テレビ・ネットのニュースは
・機械受注(12月)
-1.7% 前回 -16.2% (前月比)
-26.8% 前回 -27.7% (前年比)
・国際収支-経常収支(12月)
1254億円 前回 5812億円
4985億円 前回 6541億円 (季調済)
経済指標悪化の中、首相は8日の講演で日本の経済は「傷は浅い」「大変
じゃない」の楽観論。
本当にそう思っているのか?
JAへ。自治会役員親睦会の買物があり、預金の引き出しをする。小額で
気が引ける。
昼間は晴れてたが
夕刻散歩の時は曇ってた。
ガソリン・灯油価格は変化なし。
Nさん・Fさん・Xさんに挨拶。いつも二人なのに、きょうは初めて出会う「Xさ
ん」と三人組で歩いておられた。
早く目覚めた時に布団の中で読んでいた『日記 及 断片 下』の明治44
年の所を読み終える。
■ 漱石年譜
■ 漱石 『日記 及 断片 下』
明治44年(1911年、漱石44歳)は漱石にとって最も多時な年だった。
・文部省からの学位授与を辞退
・家のお手伝いさんの嫁入り支度、媒酌人
・大阪での講演後吐血し、大阪・湯川病院に入院
・帰京後、痔の手術を受ける。その後も通院。
・朝日新聞社幹部のごたごたで責任をとり辞表提出
・そして、漱石の一生において一番の悲しい出来事は、最も愛していた
五女雛子の急死
明治44年の日記には、
12月3日[日]
○(座敷にあった、ひな子の生まれる5~6年に買った炭取を見て)
・・・其炭取はまだどこも何ともなく存在してゐるのに、いくらでも代りのあ
る炭取は依然としてあるのに、破壊してもすぐ償ふ事の出来る炭取は
かうしてあるのに、かけ代のないひな子は死んで仕舞つた。どうして此
炭取と代る事が出来なかつたのだらう。
○昨日は葬式今日は骨上げ、明後日は納骨明日はもしするとすれば
待夜である。多忙である。然し凡ての努力をした後で考へると凡ての努
力が無益の努力である。死を生に変化させる努力でなければ凡てが無
益である。こんな遺恨な事はない。
○自分の胃にはひびが入つた。自分の精神にもひびが入つた様な気
がする。如何となれば回復しがたき哀愁が思ひ出す度に起るからである。
漱石全集 第二十六巻 『日記 及 断片 下』 p.80 岩波書店
と書いている。
■ きょうのタマちゃん
のち