吉川祥瑞独語抄

日々気が付いた事、考えさせられる事等綴っております。

なんと 子供の3人に1人が甲状腺に しこり/県は特別な対応必要ないというが!

2012-08-27 22:45:04 | 原発問題
 今日8月27日、福島県は今年3月末までに実施した県内の子供38,000人の甲状腺検査の結果について発表した。その結果は、ほぼ3人に1人の36%に しこりなどが見つかった。


 しかし、県では、「しこりなどは通常でも一定程度できるので、特別な対応は必要ない」と説明している。



 内閣府「原子力被災者生活支援チーム」は、事故の影響かどうか見極め、保護者やこども達に安心してもらうため、放射性物質に影響されない地域で甲状腺のしこりなどの発生率を把握するとしている。



 私は、ここで2つのことに憤りと疑問を感じた。一つは、「原子力被災者生活支援チーム」とは何事か!国は明確な加害者ではないか。あたかも困っている者を助けるような態度は断じて許せない。第2は、放射性物質に影響されない地域とは日本のどこなのか。これまでの国の情報隠しや捏造まがいの発表などを考えると、果たしてどれだけ信用できるか疑問である。


 
 「放射性物質の影響のない地域の調査結果からみても心配ない」などの「安全神話」づくりのための目的として行われる調査ではないのかと疑いたくなるのは果たして私だけだろうか。真に保護者やこども達に安心してもらおうとするなら、このようなやり方ではなく、しこりが発見されたこどもについてはただちに精密検査を実施し、異常が確認されたら完全な治療を行うこと。異常がなくても今後定期的・継続的な検査を行うこと。異常が発見されたらただちに治療する体制を確立すること。こうした万全の検査体制と医療制度を、国・県の責任で実施すべきである。



 今日の県の発表を聞いて、多くの県民は「この県の発表はいつかどこかで聞いたような気がする」と感じたのではないか。福島県の放射線健康リスク管理アドバイザーである山下俊一氏(福島県立医科大学副学長)が以前発言していた内容と全く同じである。



 かつて 山下氏は「・・・甲状腺ガンは通常でも一定の頻度で発症する。結論の方向性が出るのは10年以上後になる。県民と我々が対立関係になってはいけない。日本という国が崩壊しないよう導きたい。チェルノブイリ事故後、ウクライナは健康影響をめぐる訴訟が多発し、補償費用が国家予算を圧迫した。そうなった時の最終的な被害者は国民だ。」と発言している。 未来あるこども達のいのちと健康よりも経済負担を優先させるような医師に福島県民の将来を託すことはできない。



 

1996年にIAEA、WHO、EUの三者合同会議の総括「チェルノブイリ事故から10年」で事故と因果関係が明らかと特定された小児甲状腺ガンの発症は、ベラルーシの場合次のようになっている。
 1975年~1985年(チェノブイリ事故発生前の10年間)   7人
 1986年~1996年(チェノブイリ事故発生後の10年間) 506人    
 実に72倍になる。しかも小児ガンの発症は、事故発生後5年前後から急増している。福島とベラルーシを同列に見ることはできないかもしれないが、3人に1人が甲状腺にしこりのあることが判明した現状を直視し、緊急な対応と対策を講じる必要があるのではないか。





 私の地元(郡山市三穂田町)のこども達は、まだ甲状腺検査を受けていない。原発事故の数か月後に「うちのこども達が鼻血を出したんだけど放射能では?」と電話をくれた友人から今日「大丈夫だろうか」との連絡が入った。







 国・県の責任ある対応を強く求めていかなければならないことをあらためて痛感した。



 
 

薬師岳頂上に立ち、登山に魅せられた若き日の思い出が!

2012-08-25 21:54:37 | インポート
 今日8月25日、しばらくぶりで安達太良・薬師岳の頂上に登った。但し、ゴンドラで(脊柱管狭窄症で、登山ができないため)。
 今日は朝から快晴で、下界はすでに30℃を超える猛暑だったが、薬師岳頂上は、清々しい涼風が心地よく、登山に明け暮れた若かりし頃の思いに浸ってきた。


 ↑ 薬師岳山頂から岳温泉方面を見る


 あの頃は、平日4時頃に仕事を終わり、職場で登山装備に衣替えしてバスで岳温泉へ。 くろがね小屋管理人の大内さん(岳温泉の八百屋さん)の奥さんからの預かりものを背負い温泉湯樋に沿ってに登り始める。、ころがね小屋到着は午後8時過ぎになる。



 自分で持って行ったウイスキーで大内さんと晩酌、翌朝4時前に起きて頂上に向かい、ご来光を拝んで下山、岳温泉の旅館の大浴場で汗を流しバスで職場に戻りスーツに着替えて仕事に就く。
 こんな登山は、ほとんどが金曜日だった。翌日は土曜日で、仕事が半ドンだったためである。

 
 
 独身時代はこんな生活をしてエネルギーを発散していたのである。薬師岳の頂上から安達太良の頂上を眺めながら、さまざまな山の思い出がよみがえってきた。

↑ 薬師岳山頂


 
 ある年の11月23日(勤労感謝の日)の午後2時過ぎ安達太良山頂に4人の若い女性たちが立ちすくんでいた。軽装で、青ざめた顔をして血の気の引いた白い唇を震わせていた。当日は雪とガスで視界は数メートル、気温はマイナスの状況で、すでに数センチの雪が積もっていた。遭難寸前だった。



  この日は、まだ登山経験の浅い同僚3人を誘って塩沢登山口から鉄山~馬の背経由で山頂に着き、彼女らに出会った。リックサックなどをくろがね小屋に置いて頂上まで登り、天候急変で動けなくなったとのことだった。自分たちの補助装備のセーターなどで彼女たちの防護体制をとり、慎重に下山、くろがね小屋に到着した時は、大内さんたちが救助に出発するところだった。「吉川さんだったかー、よかった!」大内さんの安堵した言葉を今も鮮明に覚えている。


 ↑薬師岳から安達太良山頂をのぞむ  




 
 今は当時と違い、くろがね小屋から山頂までやその他の山頂付近のルートの岩石などに赤ペンキなどでルートの表示があり、初心者でも安心して登れるようになっている。


 
 また、いまは薬師岳までゴンドラで登り、そこから歩き始めて約1時間半で頂上に立つことができる。初めての方も是非挑戦してみたらどうでしょうか。



  しかし、山は甘くみないことが大切です。天候の急変に対応できる万全な装備と充分な食糧を持って経験豊かな方と共に登ることをお勧めします。


首相官邸前集会に連帯する郡山集会に参加してきました

2012-08-18 00:14:40 | 原発問題
 今日、郡山駅前広場で首相官邸前集会に呼応する集会が開かれ、私も参加してきました。午後6時から1時間、雨の中での集会でした。


  ↑雨の中の集会


 この集会では、参加者が次々と自分の思いや主張を述べるリレートーク形式で進められ「放射能汚染からこどもを守ろう」、「国、東電や原発村の人たちは責任をとれ」、「原発ゼロを勝ち取ろう」など次から次と参加者がマイクを握り訴えました。





 今日の集会の参加者は30人程度でしたが、その中に、ニュージランドの女性も参加していました。彼女は日本の文化・芸術に興味があって5年前に来日し、日本の風土に魅せられ、現在三春町で英会話教室の講師をしているとのこと。 彼女は、「電気万能の生活様式を考え直すべきではないかと思う。原発のない安心して暮らせる社会のために・・・」と訴えていました。彼女は「祖国の両親が原発が危ないすぐ戻ってきなさいと言っているので、残念だけれど帰ることにしました」と話していました。



 また、郡山合唱団の2人の女性も参加し、「ふるさとを汚したのは誰」を歌い、参加者に感動を与えました。この曲は、北嶋誠さん(茨城県在住)が作詞・作曲したもので、福島県浜通りの公演の際、地元の人たちと話した時の中身をそのまま歌にしたとのことです。


     

 北嶋さんがリーダーを務める「ヒューマンファーマーズ(茨城)」は、昨年行われた「なくせ!原発10・30大集会inふくしま」でこの歌を歌いました。会場を埋め尽くした人たちから「東電!」「国だ!」と掛け声のように声が上がりました。


  「ヒューマンファーマーズ」のメンバーは「農民連」の会員で、農民の心と古里に思いを込めた曲を歌いながら各地で公演しています。


 郡山での集会も、少人数からのスタートとなりましたが、参加者は、「来週も、再来週も、そして、これから毎週金曜日に集まろう」と確認しながら散会しました。

田中俊一氏が原子力規制委員会委員長に就任されたら大変 ?  /100mm?は健康に影響なしと言う

2012-08-17 21:36:58 | 原発問題
 いま、政府は原子力規制委員会の委員長に田中俊一氏(元原子力委員会委員長代理)を起用しようとしている。



田中氏は、原発事故が起こった2011年度に、原稿料や講演料の名目で、原子力の啓発活動などを行っている日本原子力文化振興財団や日本原子力産業協会、放射線関連商社など原子力関連団体や企業から29万円の報酬を受け取っていたことがマスコミ報道で明らかになった。

 

 この報道を見て私は、「やっぱり!」とうなずいた。
私は、昨年7月に田中氏の「講演」を聞いている。田中氏は「今回の事故について反省している」と表明しているとのことだったので、講演会に参加してみた。

 
 

その講演会での田中氏の講演内容には唖然とした。「100ミリ?までは健康に影響はない。私は飯館村(全村避難地区)に行って、キノコや野菜をバンバン食べてきた。」、「いまは、空気中に放射性物質は無い。現在、第一原発から放射性物資は出ていない。」というのである。原発事故から4か月後の話である。


 

私は、全く納得できず、「100ミリ?まで影響ないとの判断基準や放射性物質の飛散はないという根拠」などについて質問したが、まともな回答は得られなかった。


 


田中氏のこうした「放射能汚染と健康についての安全基準」ともいうべき「知見」をもって原子力規制委員会のトップに就任されたら大変なことになるのではないか。空恐ろしい限りである。


 




戦後67年・地上戦のトラウマがいま沖縄の高齢者に!/蟻塚亮二医師らが「PTSD」と診断

2012-08-14 21:40:17 | インポート
明日は終戦から67年の日になるが、 8月12日放映のEテレ・ETV特集 『「沖縄戦・心の傷」~戦後67年 初の大規模調査~』を見て衝撃を受けた。
この特集は、「いま、沖縄で戦後初となるある調査が始まっています。看護師や精神科医が沖縄戦を体験した高齢者を対象に、戦争が精神にどのような影響を及ぼしたのか、聴き取り調査を行っています。終戦から67年、沖縄戦を生き残った高齢者たちがいま、原因不明の不眠やうつのような症状、からだの痛みに苦しんでいます」のナレーションから始まる。

 沖縄は、住民を巻き込んだ大規模な地上戦が3か月間も繰り広げられた。まさに住民の生活の場そのものが戦場となり、沖縄県民の4人に1人が犠牲になり、犠牲者は約10万人と言われている。そして、生き残った人たちも心に深い傷を負った。

 蟻塚医師は言う。「本土の大空襲の場合は、戦火の下を逃げた。空襲だから逃げた。ところが、沖縄戦は自分たちが唯一気持ちを安らげる家庭とコミュニティとか、そういう空間が殺戮の現場だったわけですね・・・。それは、トラウマ(心的外傷)の質は(本土)と比較にならない・・・」と。
 
  蟻塚医師は、8年前から沖縄県内の心療内科で診察を行っている。
映し出される蟻塚医師と患者の会話の場面が強く印象に残った。「初めにお伺いした時は、『何とか事故死することはできないだろうか』 って、そのことだけが一生懸命で・・・」 「そう!つらかった時の思いをギューっと自分で抱え過ぎたっていうかさ、そこで自分を責める力も強かっただろうなと思うね・・・」蟻塚医師の患者に寄り添う温和な表情と語り口は患者にひと時の安らぎを抱かせるように感じた。

 また、別の患者は原因不明の足の痛みに悩まされているという。「私は戦争中に亡くなった人を踏んづけたことがあるんです。ベターっと足にくっつく・・・なんていうかあの感覚というのかな、あれはね、もう忘れられなくてね・・・」
 蟻塚医師は、「60年以上前に感じた後ろめたい思いが足の痛みとなってあらわれたPTSD(心的外傷後ストレス障害)ではないか・・・他にも身体障害を呈する人が、沖縄戦の中でも何人かおられるんですね・・・」と語っている。
 蟻塚医師が診察しただけでも沖縄戦によるPTSDとみられる患者は、この2年間で125人以上にのぼったと報告している。

 一般的にPTSDはトラウマとなる体験から6か月以内に発生すると言われている。ところが、地上戦を経験した沖縄の高齢者は、60年以上の時を経て発症している。
 蟻塚医師は、「戦争当時、子供の頃というのは記憶に生々しいわけだから、残るわけですよね。それが、戦後ある程度一般的な社会生活をしなければならないから、頭の中の『戦争の記憶』が占めるスペースが少なくなって『生活上の課題』が頭の中を占領するようになってくるから『戦争記憶』ってある程度押しのけられてしまう。でも息子に家業を譲って生活上の食べていくっていう課題が薄くなったときにまた、記憶がよみがえってきた、そう思いますね。」とその深刻さを指摘する。


 今日、蟻塚医師から次のようなメールが入った。
 「・・・福島も沖縄と似た『解決のめどのつかない困難』とこれから長く同居することになります。似たような症状が出るかもしれないと思って診療に当たっています。いい知見ができればいいですが・・・」と。

 蟻塚医師は、福島県から沖縄に避難した人たちの診療に力を注いでいる。先日も「福島の避難患者が、大飯原発再稼働に大きなショックを受け、『私らは忘れられた』と涙を流しながら悔しさを訴えていました。」とのメールが届いた。


 地上戦の惨禍を体験した沖縄の人たちと、原発事故の過酷な中で先の見えない日々を送る福島県民の心の傷は、その深部で連なっているのではないかとさえ思える。
 大飯原発再稼働は、“福島県民の苦しみを一顧だにせず、福島県民を見捨たことの宣告”としか我々福島県民には思えない。これは、福島の悪しき被害者意識だろうか。
 

 蟻塚医師は今月下旬、山形講演の途中に私の自宅に立ち寄ることになっている。今年3回目となるが、一杯酌み交わしながらこの「被害者意識」と沖縄の思いについて話し合ってみたいと思っている。
 

原発避難仮設住宅を訪問/郡山被災者線センターの活動に参加

2012-08-11 18:23:04 | 原発問題
 今日、原発事故により郡山に避難している仮設住宅を訪問し、避難している皆さんの話を聞いてきました。
 この訪問活動は、郡山被災者支援センターがボランテア活動として行っているもので、今回は9回目です。
 今日は、郡山市富田町稲川原の仮設住宅に避難している川内村の皆さんを訪問しました。

 ↑川内村の皆さんが避難している仮設住宅 
 
 今日の訪問活動には、神戸から車で9時間かけて支援に駆けつけてくれた金田峰生さん(日本共産党国会議員団兵庫事務所長)たち4人の方々も参加してくれました。地元支援センターからは10人が参加し、”傾聴ボランテイア”として避難者の皆さんから実情や悩み、要望などを聴いて回りました。
 
 
 兵庫県からは、これまで5回にわたり延べ30を超える方々が支援活動に駆けつけてくれ、その都度、支援物資として兵庫県産米「コシヒカリ」を持参、訪問先の各家庭に配り喜ばれています。


  ↑兵庫から駆けつけてくれた(右から)金田峰生さん、一人おいて金田さんご夫妻(峰生さんのご両親)、清永さん


  ↑仮設住宅の皆さんの要望などを聴きながら
 
 今回も1.5kg入りの米袋を持って各家庭を訪問し、避難生活の模様や要望・意見などを聴いて歩きました。兵庫から米を持参して支援に来てくれたことに、各家庭からは感謝のことばが寄せられ、過酷な避難生活の実態や要望が訴えられました。
 
 
 私たちの訪問に応対してくれた60歳代の女性は、「国が帰村してもいいと言っているが、まともな除染もしないのに帰っていいのかどうか迷っている。原発事故で、息子は東京に移住し、家族バラバラになってしまった。原発の再稼働なんてとんでもない、何を考えているのか・・・。一刻も早く除染して安心して住めるようにして欲しい」と話していました。
  また、別の中年女性は「ここ2~3日の国会を見るとイライラしてしまう。私たちのことなど全く無視して何をやってるのか。福島に来て、住んで、ここで国会をやってもらいたい。そうすれば、いくらか原発が分かるんじゃないか。」と怒りをあらわにしていました。

  
 しかし、なかには「どうしようもないし・・・」とか「別に何もありません」と無気力状態とも思われる方もおり、避難者の方々の複雑な”心情と苦しみ”を知ることが出来ました。
 古里を追われ、先の見えない日々を過ごしている避難者の生活の実態と怒りの声を広く訴え、世論化し、政治に突き付けていく運動を急がなければならないことを実感した一日でした。

  ↑ボランテイアに参加した支援センターメンバー 

 川内村は、警戒区域が解除され、帰村できることになっています。そのため、今日は盆での一時帰村の留守宅が多くありました。
 支援センターでは引き続き支援活動を行うことにしています。

 
 

原爆と原発事故から核廃絶を考える「原爆展」/三春町

2012-08-08 19:02:15 | 原発問題

 今日、三春町で開かれている「原爆展」を」見てきました。この展覧会は、町民有志による実行委員会(会長・橋本奉明)主催で毎年8月に開催され、今年で第9回になります。

↑展示コーナー入り口に峠三吉の詩


↑会場入り口で、左から 飛田さん、橋本さん、私

 橋本さんは私が勤務していた職場の後輩で、現職時代から平和運動にかかわってきたことから、定年退職後、奥様と2人で「第1回原爆展」を開催しました。これがこの「原爆展」の始まりです。現在は、三春町、三春町教育委員会、マスコ各社の後援をを受け、毎年来場者が500人を超える夏の一大イベントになっています。
 今年は,「原爆と人間(見るに堪えない被爆者の姿)」30枚、「惨状 広島・長崎(破壊し尽された市街地)」9枚の写真が展示されています。

 ;">↑息絶えた弟を背に少年が焼き場に、軍人顔負けの直立不動で(軍国教育の恐ろしさが)span>


;">↑プラットホームの母と子・長崎原爆の翌日   
 
 また、会場には、橋本さんが作成した広島型原爆の原寸大の模型も展示されています。


 ;">;">↑広島型原爆原寸大の模型  

 橋本さんは「人類が核の脅威から解放されるよう声をあげていきたい。原発過酷事故が起きたら人間の力では全くコントロールできないことが今回の事故で明らかになった。原発ゼロの社会を次世代に引き継ぐことが私たちの使命ではないか」と訴えています。
 また、今年は、東電福島第一原発事故に伴う避難区域の現状をを伝える写真展示コーナーも設けられ、多くの来場者の注目を集めています。
 三春町在住の写真家飛田晋秀さんが今年の1月29日、3月18日、3月21日の3回、浪江町、双葉町、大熊町、富岡町の各町に立ち入り許可を得て入り撮影した102点の写真が並べられています。

 ↑警戒区域(立ち入り禁止区域)の放置されたままの崩壊建物


↑人影のない商店街


↑放置され野生化した牛


 ↑飼い主をなくし、さまようダチョウ
 
 飛田さんは「福島県選出の民主党国会議員から〝党本部で写真展を開きたい〟と打診され写真を貸し出したが、日程すら打診されずに開催された。自民党本部での写真展でも、議員の反応はあまりなかった」と言います。
 飛田さんの写真展は、東京や岐阜などで開催され、各方面から注目と関心が寄せられています。飛田さんは「写真を見ながら話を聞いてもらいたい。福島への関心を忘れられないよう被災地の現状を伝えていきたい」と話し、全国各地での展示に意欲を燃やしています。
 この原爆展は8月7日~9日、「三春町交流館まほら」で開かれています。開館は午前10時~午後5時30分、入場無料   




通学路の放射線量を測定/育成会役員も多くのホットスポットにびっくり!

2012-08-04 17:28:27 | 原発問題
 今日、私の地元、郡山市三穂田町で通学路の放射線量測定を行いました。今日測定した区域は一集落から小学校までの通学路で、町内全通学路の一部です。
今日の測定地点は35ヶ所で、地上1m、50cm、5cmの測定値を記録しました。その結果、地上1mで1.420μ?/hの場所がありました。35ヶ所の内訳は1.00μ?/h以上が3ヵ所、0.9μ?/h~0.99μ?/hが4ヵ所、0.8μ?/h~0.89μ?/hが6ヵ所、0.7μ?/h~0.79μ?/hが5ヵ所、0.5μ?/h~0.69μ?/hが8ヵ所で、35地点のうち0.5μ?/h以上の地点は26ヶ所ありました。 また、地上50㎝では、1.0μ?/h以上の場所が15ヵ所あり、高いところでは2・22μ?/hの所もありました。 地上5㎝では、1.0μ?/h以上の地点が28ヶ所ありました。そのうち2.0μ?/h~2.99μ?/hの場所が4ヵ所、3.0~3.99が3か所、一番高いところでは4.10μ?/hありました。この放射線量値は東電福島第一原発から65㎞離れた地域です。

↑高線量に驚きながら


 原発事故直後の汚染状況と現在の状況は変わっていました。事故後1年5ヶ月が経った現在、当時ホットスポットだった場所から放射性物質が雨などで流され、新たな場所に滞留して高線量の場所が生まれたためです。従って、事故当時の概念で現状をみたり、現在のホットスポットを把握しないで除染を行っても効果は低いものになってしまいます。いま、急いでやらなければならないことは、ホットスポットを見つけることです。そのうえで、効果的な除染を行うことが何よりも大切です。まづ、放射線量測定を行い、新たな汚染マップを作るところから始めることが喫緊の課題と思われます。
 今年1月から「放射性物質汚染対処特別措置法」が施行されました。この法律は、国の除染管轄地域以外は各地方自治体が除染することになっています。今回の測定で明らかになったように、まず通学路の除染を急がなけばなりません。校庭の除染だけでは子供の「被曝」を防げないことは明らかです。文科省が年間被曝量を1mmシーベルト以下としていますが、今回の測定結果を見れば、この基準の達成は不可能です。
 ただちに各市町村の担当部署と相談し、除染を要請することが必要と思われます。 子供たちの将来に責任を持つ私たち大人が、いま、何をおいてもやらなければならないことは、子供たちを放射能汚染から最大限防護することです。
 今日、測定行動に参加した子供育成会の役員たちは「こんなに高いとは思っていなかった、会員に呼びかけ、区長などとも相談して手を打たなければ・・・」と高線量地が多いことに驚きながら急いで対策を立てる話し合いをしていました。
 今日測定に使用した測定器は、「日立ĀLОKĀシンチレーションサーベイメータТCSー172B」で、日本国民救援会本部が全国から寄せられた救援募金により購入して、福島県本部に2台支援物資として送ってくれたものです。この測定器は、これまでも各地で利用されており「本格的な測定器」として喜ばれ、感謝されています。

 ↑高線量を示す測定器

国民救援会全国大会に参加/救援運動の役割実感

2012-08-03 08:33:51 | 国民救援会
 7月28日~30日の3日間、日本国民救援会第56回全国大会が神戸市のシーサイドホテル舞子ビラで開かれ福島県代表代議員として参加してきました。大会には、47都道府県から、代議員、特別代議員、中央役員、顧問など461人が参加、他に大会要員104人が大会成功のため献身的な役割を果たしました。議案討議では68人が発言し、全国各地での救援活動の体験と教訓が語られました。代議員は異口同音に「人を助けるって すてき!」の救援会運動の原点に立った取り組み内容を報告しながら、「苦労と喜び」の経験を楽天的に語り、会場を沸かせる場面の連続でした。
 大会初日、福島県の特別代議員として参加した浪江町議会議員 馬場績さんが特別報告を行い、今なお16万人の福島県民が古里を奪われて避難しており、いつ帰れるか先の見えない過酷な日々を送っている実態を自らの体験を交えながら報告しました。また、「”昨夜、友人が避難先の2階から転落し重篤状況にある”との知らせが参加途中の電車の中の携帯に入った。酒に酔っていたらしイが残念でならない。酒でも飲んで気を紛らわさなければ生きていけない毎日なんです。みな同じ思いなんです。」との報告に会場は大きなどよめきに包まれました。家族と地域コミニテ―がズタズタに分断され、悲劇的な事態が多発している状況を具体的に話す馬場町議の報告に参加者は大きなショックを受けていました。東京葛飾から参加した知り合いの代議員から「馬場さんに東京に来てほしいのだが、頼んだ見てくれないか」との要請を受け、早速馬場町議に連絡、当事者間で日程調整に入ったようです。また、重要な段階に入っている「国公法弾圧2事件のたたかい」の特別報告があり、府川事件の再審無罪の勝利報告とお礼のあいさつが桜井昌二さんからあり、参加者から大きな拍手が送られました。


↑ 原発事故の実態を報告する馬場町議


↑ 国公弾圧2事件での勝利に向け決意表明する堀越さん


↑ 再審無罪の報告と国賠訴訟でたたかうけついを表明する桜井さん

 夜は、夕食懇親会が開かれました。この日はオリンピック開会日と重なったため、会場には「特設聖火台」が設けられて点火式が行われ、聖火台に”聖火が燃え上がる”なかで「国民救援会開会」が宣言され、盛大なセレモニーが執り行われました。


 聖火が点火され、「あかあかと燃える聖火台」

夕食懇親会終了後、名張毒ぶどう酒事件を描いた東海テレビ制作のドラマ「約束」の試写会があり、200人近い大会参加者が2時間を超えるドラマを食い入るように鑑賞しました。上映後、参加者は異口同音に「事件を克明に描いており、すごくよかった」と感想を述べていました。
 このドラマは、奥西勝さん役を仲代達矢さん、奥西さんの母親役を樹木希林さん、事件当時の奥西さん役を山本太郎さんらが熱演し、ナレーションを寺島しのぶさんが担当しています。ドラマは、今年暮れから来年にかけて全国の映画館で上映される予定になっています。
 ドラマは、はじめに「事件から51年、これは獄中からいまも無実を叫び続けている死刑囚の物語です。」のナレーションが流れ、「この番組は『名張毒ぶどう酒事件』の長期取材を基に構成しました」のテロップが映し出されて始まります。ドラマは、事件内容を克明に、しかも忠実に描きながら進みます。そして、ドラマ最後の鈴木泉弁護団長の記者会見の模様は、見るものに権力に対する新たな怒りを呼び起こさせます。第7次再審差し戻し審で、名古屋高裁が「不当決定」を下したことを伝えるために、入院先の病院に奥西さんを訪ねた模様を報告する記者会見です(奥西さんは不当決定当日、肺炎を起こし、八王子医療刑務所に入院しました)。鈴木弁護士は涙をにじませ、怒りをあらわにします。「・・・奥西さんに会ってきました。細く痩せ細ってしまった腕にですね、手錠がかけられているんですよ(涙をにじませながら、歯を食いしばり・・・)、もう、奥西さんは何十年も前に無罪の判決を受けた人ですよ、それを、あーだ、こーだと理屈をこねて、何ら証拠がないのに無理やりさせられた自白だけですよ奥西さんが有罪だということをわずかながら示している証拠は・・・、奥西さんに死刑の宣告をし、その死刑の宣告を維持し続けた裁判官は50人以上おり、私は彼らの責任を問いたい!!」
 2012年5月名古屋高裁は検察側が主張もしていない理屈を持ち出し、推論に基づく「不当な決定」を下し、奥西さんの「再審開始」の扉を再び閉ざしてしまいました。東海テレビが確かな取材を基に、真正面から真実に立ち向かい、一連の事実を忠実に描いたドラマを制作したことに拍手を送ります。是非多くの人に見てもらいたいと思います。このドラマは、体調に不安を抱えながら無実を訴え続ける86歳の奥西さんを一刻も早く死刑台から取り戻すための大きな力になるに違いありません。


↑ ドラマ「約束」のタイトル画面
 
 大会2日目は、えん罪、人権侵害事件で多くの発言がありました。東電ОL殺人事件の「支える会」客野美喜子さんが東京高裁の再審開始決定について報告、ゴビンダさんのお礼の言葉も交えながら国民救援会の支援に感謝を述べました。名張毒ぶどう酒事件では三重の砂野代議員が奥西さんの一日も早い獄中からの救出のため最高裁判所宛の署名活動の強化を訴えました。仙台北陵クリニック筋弛緩剤えん罪事件では、守祐子さん(守大助さんの母)が、2月10日仙台地裁に再審請求書を提出したことを報告しながら、支援の訴えを行いました。東住吉えん罪事件では、朴さんの母・李文子さんが再審開始を確定させて無罪を勝ち取る決意を表明しました。日野事件の阪原美和子さん、袴田事件の袴田秀子さん(袴田巌さんの姉)、がそれぞれ当事者の家族の立場から支援を訴え、高知白バイ事件、大崎事件、豊川幼児殺人事件、介護ヘルパー窃盗えん罪事件も当事者や関係者が支援を訴えました。


↑ 東電ОL事件の再審開始決定の報告と謝礼を述べる客野さん


↑ 名張毒ぶどう酒事件 特別面会人・稲生(いなう)さんの訴え


↑仙台北陵クリニック筋弛緩剤えん罪事件 守祐子さん(守大助さんの母)の訴え

 午後の討論には私も参加し、郡山支部活動の経験を報告しながら「憲法から原発事故をどう見るか」発言しました。「・・・馬場浪江町議の報告の通り、現地福島は、家族も地域コミニュテーもズタズタに分断され、数々の深刻な事態が発生している。まさに、憲法で保障されている生存権、財産権、教育権、職業選択権など基本的人権が一方的に奪われている。この事態は単に福島だけの問題ではなく、全国民の将来かかわる深刻な問題で、「原発被害者に対する救援」の課題として位置づけるだけで足りるものではない。人権団体としての国民救援会の大会決定は「原発事故は憲法を真っ向から蹂躙するもの」と明確に位置づける必要があると思う・・・」との補強発言をしました。その結果、大会議案は「福島原発事故は住民の生存権・財産権をはじめ基本的人権を根こそぎ奪ってしまいました。原発が憲法と相容れない存在であることが明らかになりつつあります。・・・」の文言が追加・修正されました。この問題は福島県本部常任委員会の議案討議で議論され、大会で補強意見として発言し、修正を要請することになっていた問題です。

↑私も討論に参加、支部活動報告と補強意見について発言

 3日目は討論と討論のまとめが行われ、議案修正(原発問題)も含め議案は全会一致で採択されました。また役員選出と大会スローガン、大会アピール、諸決議の採択が行われ、参加者全員の「団結ガンバロウ」三唱で大会の幕を閉じました。
 大会は、豊富な救援活動の経験と教訓が交流され、国民救援会運動の新たな到達点を確認するものとなりました。そして、あらためて国民救援会の存在と役割の大きさを
自覚する意義ある大会となりました。


↑大会参加の福島県代議員(右から 馬場特別代議員、吉川、石川、鈴木、栗城 の各代議員)span>