吉川祥瑞独語抄

日々気が付いた事、考えさせられる事等綴っております。

原発被害はさまざま/友人の農民たちの苦悩

2012-07-27 09:13:09 | インポート
 私の住まいは、東電福島第一原発から西方65㎞の純農村地域である。周りの友人たちは殆ど農民で、彼らは代々から引き継いだ土地と水を守り、額に汗して米、野菜、果実を栽培し、消費者の食卓に届けてきた。 
 昨日、近所の友人とお茶を飲みながら雑談を交わしたが話題の中心は、原発事故のことだった。彼は、私の家から5kmほど西の山麓(福島原発から70㎞)で観光ブドウ園を営んでいるが、このブドウ園は、郡山市の観光マップにも掲載されて、郡山市の観光スポットの一つになっている。8月下旬の開園式には、市長も参加し、町内の幼稚園生なども招待されて大々的なセレモニーが行われる。その模様は、各テレビ局もローカルニュースで取り上げ、新聞各紙も写真入りで報道する。11月初旬までの開園期間中は多くの観光バスも訪れ、「観光はとバス」なども来園し、土・日には1500人~1600人が来園する。
 しかし、昨年は原発事故の影響で来園客は殆どなかった。「バスきたか?・・・来ないなぁ!」苛立ちと憤りの毎日が続いた。たわわに実ったブドウが朽ち落ちるのを目の当たりにしながら「原発さえなかったら・・・」と怒りを抑えることができなかったという。
 彼は、今年ブドウの栽培をあきらめ、ブドウ園を閉鎖した。年初めに彼に対し「ブドウ作ってダメだったら去年と同じく賠償請求したら・・・」と言ったが、いま、後悔している。「生活は苦しいが、ゼニ・カネどころではないよ、あの思いは二度としたくない・・・」という彼の苦悩が分かるような気がしたためである。彼は、今年も、そして来年以降も損害の賠償請求をするという。当然である。原発事故によってブドウ園の閉鎖に追い込まれたのだから! 損害賠償は、単に経済的実害だけではない、何十年もかけて苗木から育てあげ、実りの喜びを味わってきた生きがいを奪われた精神的損害は計り知れない。


↑ 栽培をあきらめ荒れ放題になっているブドウ園 

 また、別の友人は米と野菜を栽培する大規模農家である。彼は、首都圏の業者を通じに大量の野菜を送り続けてきた。しかし、原発事故後、受注は激減した。「まさに死活問題だ、これまで有機栽培に徹して、自分なりに努力し安心して食べられる安全な野菜を送り届け喜ばれてきた。しかもうまいと言われるのが最大の喜びだった。それがいまでは・・・、金銭的な補償があればそれだけでよいというものではない、今すぐ元の土地に戻して欲しい」彼の野菜栽培ににかける情熱と満足感を奪った原発事故、その憤りと苦しみは、ブドウ園閉鎖に追い込まれた彼と全く同じである。
マスコミは今だに我が家に帰れない原発被災者の過酷な実態をリアルに報道し、原発再稼働反対の国民世論に向き合いつつある。しかし、それ以外の多くの県民がさまざまな苦悩の日々を送り、先の見えない毎日を過ごしている現実も報道してもらいたいものである。
 私は「新日本教育書道院」の顧問として全国各地の地域研修会に呼ばれ指導に当たっているが、行く先々で「先生の処は大丈夫でしょうから」と言われる。そこで、時間を割いて原発事故とフクシマの実態を報告することにしている。なぜなら、原発事故は、広範な地域と多くの人たちにさまざまな形で甚大な被害を与えるし、この状況は今後も長期にわたって続くもので、人間の力ではコントロールできないということを理解してもらいたいからである。
 日本での地震は世界で起こる地震の20%を占めている。しかも大規模地震発生の危険が強まる地震活発期に入ったといわれている。また、今になって、多くの原発施設の下には活断層があることが明らかになっている。それなのに国と電力会社、そして原発推進を唱える学者などは「原発再稼働」である。野田首相とこれらの人たちは、アメリカと財界の「マインドコントロール」に侵され、思考停止状況にあるのではないかと思われるのは私だけだろうか。
 命より大事なものはない。原発問題は、決して「フクシマ」だけの問題ではない。全国民的課題ではないだろうか。


↑ 今年私は試験的に若干の野菜を栽培したが、この畑は作付けしてない

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