よし笛と仲間たち

よし笛音楽に興味のある人たちの情報交換と交流を深めるラウンジ。
よし笛のやさしい音色で、人びとの心に幸せを…

一難去って、うれしい助け合い・協働に感謝

2009年10月26日 14時23分41秒 | 思うこと

         ↑ 客席が設けられ、コンサートを待つばかりだったのに…  

 

新型インフルエンザの”見えない敵”ウィルスに、振り回された。

25日は、「豊かな湖(うみ)づくりフェスティバル2009 in 南郷」に協賛して、

ウォーターステーション琵琶を拠点に活動する「琵琶の会」も

『水辺の♪よし笛コンサート♪』 はじめ、各市民団体の活動をアピールするポスターセッションと工作教室などを、催すことにしていた。

               

「新型インフルエンザにかかってしまって。すごい高熱です」「中学校で学年閉鎖、ウチの子は発熱はしていないが咳と口内炎がひどくて」「人が集まる場所へは自粛するようにと禁足令」「中学生の姉がダウン。妹は大丈夫だけれど…」

前々日から、こんなメールや電話連絡が相ついだ。

               

本番前夜になって、状況は悪くなるばかり。

『水辺の♪よし笛コンサート♪』に参加できるメンバーは5人か。この調子なら、さらに減るかも。

              

こんな少人数では、コンサートでアンサンブルも成立しない。

なによりも、インフルエンザのためとはいえ、来て下さったお客さまには失礼。

思案のあげく「中止」もやむなし。苦渋の決断をした。

参加できるメンバーの保護者に電話を入れて、事情を説明した。

みなさんには了承していただいたものの、翌日に備えるメンバーの様子を聞いて、心を痛くした。

                   

「こんどは難曲が多いからと、いつになく一生懸命練習していました」

「楽譜を演奏順に並べて整理し、譜面台を用意したとことです」

本番に備え意気込む顔、楽しそうな顔、顔、顔。

病床に伏している子もかわいそうだけれど、出鼻をくじかれた元気な子の落胆の様子は想像がつく。

当日。

コンサートを告知してくれた新聞社が取材に来てくれるかもしれない。

いつもなら、報道していただくことは、うれしい。

連絡はしたものの、この日ばかりは、忙しい記者さんたちに無駄足を踏ませては申しわけない。

対応と謝罪のため、終日、会場で控えた。

ただ、この日は県内で町長選、市議選があり、県内初の裁判員裁判をひかえており、各地で各種のイベントが目白押し。

これらの記事で紙面はいっぱいになるにちがいない、などと勝手なことを考えていた。

心にもない話だが、1社の取材もなく、ほっとした。

それにしても、ジュニアたちの顔を思い浮かべながらの、苦しい、長~い1日ではあった。

                 

子どもの1日も早い回復を願わずにはおれない。

                

なにより、うれしかったのは、急きょ、琵琶の会の加盟団体「旧南郷洗堰を保存する会」のメンバーが、快くピンチヒッターをつとめてくださったことだ。

コンサートの時間帯に、紙芝居『洗堰ものがたり』を2ステージもつとめてくださった。

助け合うこと、協働を、これからも大切にしてゆきたい。

「旧南郷洗堰を保存する会」には、ただただ感謝あるのみ。

 


よし笛演奏の可能性を追究しよう

2009年10月22日 15時53分26秒 | よし笛いろは塾

『平城山』を演奏しようとすると、よし笛の”守備範囲”を超える音がある。

この曲は、イ短調。

最初の1・2小節は、低いミから入り「ミ・ミ・・レ・ミ」と吹く。

この(F管のよし笛では、ファ)は、出せない、ことになっている(?)。

たいていの《よし笛運指表》には、書いてない。

この1・2小節を1オクターブ上で演奏するという方法がなくはない。

また曲そのものを移調することもできなくはない。

だが作曲者の平井康三郎氏の意図を尊重するならば、低いミから入りたい。

1小節は、mf から”クレッシェンド・ディミヌエンド”だから、1オクターブ上でもよいかも知れない。

ふたつ目の短歌(歌詞)のアタマ(13小節目)は、ひとつ目の短歌と同じ旋律だが、

mp で、dolce(柔和に) の指示がある。

1オクターブ上では、強すぎる。

こちらは、短いフレーズの繰り返しだけに、変化をつけたい。

また歌詞も「涙おとしぬ」へとむかう。

                

そこで、 「シ」の演奏の奥の手 を紹介する。

指は、左手・右手で、7つの指穴を押さえる。難しく言わなくとも「ド」である。

つぎに、指はそのままにして、マウスピースを唇の奥へ押し込む

乱暴に聞こえるが、要するに、上唇が、U字形に空いた”窓”の上部に少しかぶさるようにする(写真を参照)。

 ”よくないアンブシュアのかたち”だ。

そ~っと吹いてみよう。

最初はなかなかシが出せない。出せても安定しない。

あとは練習しだいだ。 

   このシは、しょっちゅう出てくるものではない。

   だから出せなくてもよいのだ、という論法は間違っていると思う。

   高い音階についても然り。

もっとも、このシを出すには、各音のピッチが正確で、低音域が楽に出せる笛であること、が条件。

まっ、無理なく、高い「ミ・ミ・シ・レ・ミ」でも、いいか。

よし笛演奏の可能性を追究していきたい。


君待つとわが恋ひおれば…あきのかぜ吹く

2009年10月22日 14時11分08秒 | 思うこと

『平城山』は、歌詞(短歌)といい、平井康三郎の曲といい、

どこか悲しく、寂しげで、センチメンタルなところが好きだ。

                                                  

つい最近、なにげなくチャネルを合わせたらNHKテレビ『歌謡コンサート』をやっていた。

春日大社の万葉植物園からの中継だった。      

       ♪~ああ君待つと わが恋ひおれば わがやどの                      

                    すだれうごかし あきのかぜ吹く~♪

神妙に(?)、緊張気味に歌っている小林幸子さんを見た。

その歌は『万葉恋歌 ああ、君待つと』であった。

作曲は、あの『千の風になって』を作曲した新井満さんと紹介されていた。

              

のちに調べたら、そもそもこの歌は、奈良県立万葉文化館館長の中西進さんが、新井さんに依頼したのだという。

新井さんは、万葉の歌4500首のなかから、最終選考にのこった女流作家の5首をモチーフに構成したそうだ。

その5首は、額田王の短歌(万葉集巻四 488)のほか

磐姫皇后の短歌    

       ”きみが行き けながくなりぬ やまたづね     

               むかえは行かむ 待ちにか待たむ”(同巻二 85)  

       ”かくばかり 恋ひつつ あらずは たかやまの         

               いわねしまきて 死なましものを”(同巻二 86)   

       ”ありつつも きもおば待たむ うちなびく          

               わがくろかみに しものおくまでに”(同巻二 87)

播磨娘子の短歌    

       ”きみなくは なぞ身よそはむ くしげなる           

               つげのおぐしも とらむともはず”(同巻九 1777)

                                  

 額田王は、斉明~持統朝にかけての女流歌人。

滋賀県竜王町の鏡王の娘で、大海人皇子(のちの天武天皇)の寵愛を受けていたが、のちに天智天皇の妃になった多情な女性。

『万葉恋歌 ああ、君待つと』は、自由奔放に生きた万葉の女性たちの恋歌

「人を愛することは、待つこと」とだれかが言った。

『平城山』でも”人恋うは悲しきものと…””いにしえも、夫(つま)に恋し、なら山の道を歩きながら涙を落とした”と歌っている。

「恋することは、悲しいこと」か。

ますます『平城山』が好きになった。


万葉の歌に思う

2009年10月21日 16時39分18秒 | 思うこと

へいかん先生の『南部牛追い唄』は、オーボエで、なんどか聴かせてもらった。

哀愁をさそう音色に、胸がしめつけられる。

「音の葉」誕生のブログで、音は、ことば以上に人の心にしみいる力がある、と書いた。

正直なところ、歌詞がつくと、私には、やっぱりよくわかる。

さる10月18日、の「愛のリラクセーション・コンサート2009」で、

ソプラノの西側槙里子さんが『平城山』『出船』『宵待草』『里の秋』を歌われたようだ。

「音の葉」の代表・くぼたさんが「かわせみの掲示板」のレポートによると、

となりの席のご夫婦が「なぜか涙が出ます」と話しておられたという。

竹久夢二は”待てど暮らせど、来ぬ人を…”とやるせなさを、

『出船』では港での別れを切なく歌う。

戦地に行った父、留守を守る母子が”ああ、父さんよ、ご無事でと、こんやも母さんと祈ります”の『里の秋』。

たしかに、ウルウルとくる。 

私個人としての極めつけは『平城山(ならやま)』。

作詞の北見志保子は、歌風・結社を超えた「女人短歌会」をつくるなど明治に活躍した高知出身の歌人。

歌人・橋田東声と結婚、のち東声の弟子で12歳年下の浜忠次郎とフォーリング・ラブ。

フランスへ”強制留学”させらた浜への思いを、

磐之媛が夫・仁徳天皇に寄せた思いに重ねてつくった短歌が『平城山』。

         人恋うは 悲しきものと 平城山に

            もとおり来つつ たえ難かりき

         いにしえも 夫(つま)に 恋いつつ 越えしとう 

            平城山の路に 涙おとしぬ

この短歌に同じ高知出身の平井康三郎が曲をつけた。

よし笛にぴったりの曲だが、よし笛では出せないとされている「低いド」より下の「シ」(ハ長調)が出てくる (F管のよし笛では「低いファ」)。

それが出せるんです。

”とっておきの演奏法(?)” を、改めて書いてみたい。


「やましな」について思うこと

2009年10月21日 15時42分57秒 | 思うこと

「山科よし笛アンサンブル 音の葉」は、「アスニー山科」で呱々の声を上げた。

JRからも、京阪電車からも、地下鉄からも近い。

受講生にとって、こんなに ”足場”がいい所 はない。

山科を東へ行けば、逢坂(坂に出あい)越、小関越で大津京へ出る。

西へ行けば、京の田に出あう逢田(粟田口)がある。

南は、大宅(おおやけ)、石田(いわた)、木幡(こわた)をへて、宇治や淀へ出る。

北には大文字山がたちはだかる。

古くから、まさに 山科は”T字形の交通の要衝”。

琵琶湖をはさんだ「あふつ(大津)」の対岸に「志那」漁港がある。

山ひとつ(逢坂山)を越えた所にあるからヤマシナ(山志那)、

山のない志那に対して、山のあるシナ(山志那)。

どうやら、こっちが山科の語源らしい。

こう見てくると、山科は、よし笛のふるさと琵琶湖とは無縁ではない。

それどころか密接なつながりがある。

そのヤマシナに、よし笛文化が根付くことを願う