※ この記事は、震災後5カ月を経た8月13日に、その日起こった事の記憶を手繰りながら記したものです。
夜8時、本日搭乗予定の出発便のキャンセルが決まりました。もはや空港にいても何も解決しないので、とにかく東京方面を目指して帰途につきました。まずは空港内のガソリンスタンドで燃料を満タンにしました。次に、数時間以上かかる見通しのため、空港ちかくのエクセル東急ホテルへ立ち寄って腹ごしらえをすることにしました。ホテルに着いて、レストランで食事だけ出来るかどうか尋ねてみると、地震による交通マヒに対応して、避難客に無料でビュッフェ形式の夕食が提供されていました。これは本当に有難かった!
夜9時半、成田を出発して、一般道路で東京方面へと向かいました。引き続き首都圏の高速道路は全線閉鎖され、交通情報でも幹線道路は大渋滞です。最初に見つけたコンビニでペットボトルの飲料水とスナック類を買い込み、長時間ドライブに備えました。テレビでは市原の石油コンビナート火災も報じられていたこともあり、印旛沼にかかる甚兵衛大橋が通行止めになっていたため印旛沼の北を迂回して、途中の江戸川、荒川をなるべく上流の橋で渡る方が良いと考えて、印西市、鎌ヶ谷市、松戸市を通って水戸街道で都心に入るルートを選択しました。鎌ヶ谷あたりから所々で渋滞に引っかかることがありましたが、基本的に渋滞は郊外へ向かうので、私たちとは反対方向でした。松戸で水戸街道に入ると、新葛飾橋は都心から徒歩で帰宅してきた大勢の歩行者で数珠つなぎでした。都内に入ると幹線道路の渋滞が激しいことが判り、それに対して、すでに午前1時を廻ったこともあってマイナールートはほとんど交通がありませんでした。そこで、スマートホンの地図アプリを駆使して、柴又、青砥、立石、新小岩を通って何とか都心まで帰って来ました。休憩のため、日比谷の帝国ホテルに立ち寄ってみると、ホテルはロビーや大宴会場などを帰宅困難者のための一時立ち寄り所として開放していました。ここまで来れば、もう自分の庭みたいなものです。渋滞している日比谷通り、桜田通り、六本木通りなどはなるべく直交で横切るようにして主に都道ばかり使って、明け方4時、青山学院前に到着しました。ここでは社長のお嬢様が帰宅できずに足止めされていましたので、無事にお嬢様と合流できました。同時に、首都圏の地下鉄と小田急線が一部ながら運転が再開されたと報道されていましたので、社長とはここで別れて私は表参道から地下鉄と小田急線で生田の自宅へと向かいました。
明治神宮駅を出発してまもなく、余震の緊急地震速報のために乗っていた地下鉄がトンネル内で停車してしまうと、しまった!地下鉄には乗るんじゃなかった、と少し後悔しましたが、ほどなく運行を再開してくれました。その後の小田急線も含めて、緊急地震速報のたびに電車は一時停止しましたが、朝5時半過ぎに何とか帰宅しました。