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寄り道フィッシング、釣りと自然を語る

釣りや自然を気ままに語ります。

ニジマス放流の善悪

2025-08-09 22:05:00 | 日記
種の保全を重要視する動きが活発である現代において、逆境するかの様に毎年行われている漁協による外来種であるニジマスの放流。
それに対する私の見解を今記事では述べたいと思う。ちなみに見出し画像はイワナです。

まず漁協の最大の役割とは、漁業権の保有及び運営に尽力し河川資源の乱獲や漁場の争奪を防ぎ、禁漁期間を定めたり漁具を制限したり放流事業を計画することである。
これだけ聞くと漁協は種の保全に厳格であると思われそうだが、実態は毎年計画的に外来種であるニジマスを放流しており、これは都道府県の漁協のホームページに放流実績が記載されているので確認して欲しい。

種の保全という観点で単刀直入に言えば、ニジマスを放流するという行為は最悪の行いであると言わざるを得ない。
ブラックバスやブルーギルの様に特定外来生物に指定されていないとは言え、ニジマスが日本の生態系に及ぼす影響は少なからず可視化されている。
簡単にニジマスの脅威を説明すると、同じサケ科である在来種のヤマメやイワナに比べ成長が早く大型化しやすいという特徴がある。
これは暗に生息域が重なるヤマメやイワナとの縄張り争いにおける優位性を示す根拠となる。また同じサケ科であることから食性も重なることは必然で、自身より小型の在来種から餌を奪うことなど容易いわけである。
ヤマメやイワナのみならず、餌となる在来の水生昆虫や陸生昆虫もその影響をもろに受けてしまう。
上記の内容だけ聞けばニジマスの放流がいかに害悪な行為かと思われるかもしれない。

ただこれは種の保全のみに焦点を絞った論評であり、視点を少し変えてみると一概にニジマス放流が悪とは言い切れない実態が浮かんでくるのである。
漁協のニジマス放流については、在来種の保全を蔑ろにした商業放流であることは間違いないと思う。

しかし、先に述べたようにニジマスは短期間で大型化しやすい魚であり、スポーツフィッシングとしてかなり人気である。人気であると言うことはニジマスを目当てに釣り人が多く河川に赴くことになる。ニジマスの放流は漁協関係者の利益になるだけでなく、その地域に暮らす人々の利益にもなる。

イワナやヤマメと同じサケ科であるニジマスも生息出来る範囲は限られており、そういったサケ科の魚が主に活動出来るのは比較的綺麗な清流に限定される。こういった渓流魚が生息する周辺地域というのは自然豊かではあるが往々にして過疎地域である。
そんな場所で生活を営んでいる現地の人たちにとってニジマスを目当てに来る釣り人は地域経済を活性化してくれる貴重な生活資源であることは言うまでもない。
つまりこのニジマス放流には“生態系を揺るがす環境問題”と“過疎地域を支える生活資源”というジレンマを抱えているのである。

声高にニジマスの放流が悪と声を上げることは簡単だが、もしニジマスの放流を辞めてしまったら釣りやそれに付随した産業は急激に廃れ、地域住民の生活を一気に圧迫してしまうことになる。

そういった場所へたまに観光で訪れる人々には、過疎地域における道路インフラや美しい景色は地元住民の尽力によって保たれているということを知っていて欲しい。

昨今、熊の被害が頻繁に取り上げられており、それに対して「引っ越せばいいじゃないか」との言葉を投げる者がいる。

不便で周囲に娯楽施設もない田舎で冬は大雪に見舞われるような場所に、それでも住み続ける人々の中には強い郷土愛や先祖への畏敬の念が培われている。
私は近代に産まれた若輩者であるが、それは現代日本人が忘れかけている尊い信念であると理解できる。

ニジマスを取り巻く問題には、種の保全と産土を尊ぶ思いという二面性に喘ぐ割り切れない現実があるのではないだろうか。

信仰と畏れ

2025-06-07 03:07:00 | 日記
山岳渓流へ釣りに赴くという趣味も早20年近くになるが、未だ山中に入ると言い知れぬ不安感や不気味さを感じることがある。いや、言い知れぬわけではなく、熊との遭遇やオオスズメバチに襲われるかもしれない等の危機意識からくる焦燥感が肌感覚として深層心理に警告音を鳴らしているのかもしれない。

ここ数年、渓流において釣りを始める時、釣りを終えた時共に参拝を欠かすことなく行なっている。特に形式に重きは置いていないが何となく二礼二拍手一礼を必ず行うことがルーティンとなっている。更には解禁初日にはお神酒を持参し安全祈願も行なっている。
今までの経験上で特に何か超常的な経験をしたわけでもなく、宗教的に強い思想を持っているわけでもないが、六感で神秘性や恐怖感を感じる場面には度々遭遇する。

早朝の渓が濃い朝霧に覆われてそこに日光が差し込み川一帯に反射した光景は筆舌に尽くし難いものがあり、この景色は何が何でも守らねばとの意識さえ芽生えてくるほどであった。
また以前に林道で不意に尻もちを着いてしまったことがあったが、尻もちを着いた瞬間土と草の良い香りに包まれ地面は落葉の累積で柔らかくまるで抱き抱えられる様な感覚に陥ったこともあった。
上記のいずれもただの自然現象で片付けられることではあるが、生と死の境界が極めて身近な深山幽谷においては言葉通りの神の見えざる手が働いていると考えてしまうのも無理はないと言えるのではないか。

逆もまた然りで、釣りの最中に沢の音に紛れて笑い声や話し声が聞こえることがありかなり不気味で嫌な気分になることもある。
更には川を覆い尽くすかの如く土砂崩れによる深層崩壊で山肌が削れていたり、林道が崩落してる場所を見ると「もし事が起こっている時に自分がここにいたら…」と自然の脅威を見せつけられることも度々ある。

ある年にとある山岳地でその山に精通した地元の老人がキノコ取りの最中に遭難して亡くなったことがあった。
人の生死など山の神様の気分次第でどうとでもなってしまうという意識と畏れが私の山岳信仰の根源である。

海へ注ぐ渓流②

2025-06-02 12:15:00 | 日記
前回の記事の続きとなります。

海岸へ直結している渓流でたくさんのヤマメを釣ったが、その体色に着目してみるといずれも陸封型の風貌であることに気が付いた。
所謂ヤマメは個体差はあれど体側上部が薄い錆色、側線に薄紅色の線が走り、くっきりとした規則的なパーマークと不規則なゴマ模様が特徴的な魚である。
対して降海型であるサクラマスはヤマメの特徴的な模様の一切が消失し銀一色となっている。ヤマメは海へ降る過程で徐々に体色が抜け銀色へと変化していくが、この現象を“銀毛”や“スモルト”等と呼ぶ。

  上:銀毛ヤマメ 下:陸封型のヤマメ

こちらの2匹は3年前の渓流解禁時に県内の内陸寄りに流れる支流にて釣ったヤマメだが、こうして見比べてみると降海型と陸封型の違いがより明確になる。

前回記事にて紹介した最初のヤマメは標高10メートル程で海岸から約300メートル程度しか離れていないまだ海を近くに望める渓で釣れたわけだが、その体色は陸封型のそれであった。
本来海まで行かずとも本流の中流域付近を泳いでいるヤマメは全てが降海型といって差し支えないだろう。
しかし今回私が赴いた川では本来降海型のヤマメしかいないであろう最下流部に陸封型のヤマメが泳いでいるという面白い事象が起きていたのだ。
なぜ当該河川にはこの様な事象が起きているのか考察していこうと思う。

まずその川(今後はA川と呼称)の流域の狭さによるものが一つ考えられる。正確な広さは不明だが地図を見た限りではかなり狭いことが窺える。
降海型のヤマメは川を降る過程で徐々に銀毛していくが、この流域の狭さでは体色が消失する前に海へ辿り着いてしまうだろう。
それならA川にはそもそも陸封型しか存在しないのではないか?との疑問も生まれそうだが、それはあり得ないと断言出来る。
まず陸封型と降海型はどの様に別れるのかというと、餌場争いで勝った個体が陸封型として川に残り、負けた個体が海へ降っていくという完全に後天的な事象である。A川には稚魚も豊富に泳いでいたことから繁殖行動も盛んに行われていることが推測出来る。川に魚が増えればそれだけ縄張り争いの数も増えるわけで、あれほどの魚影の濃さであれば降海型ヤマメの出現は必然と言える。

そこで着目したのが多量にいた稚魚の存在である。実は下流部に多量に泳いでいた稚魚の群れだが堰堤より上ではほとんど姿が見えなかったのだ。ヤマメの成長速度については環境によって様々であるがA川の様な流域が狭い小規模河川であれば生育は緩やかになることが考えられる。ちなみにヤマメが海へ降る年齢は生後1〜3年と言われている。A川の下流部を泳いでいた小さな個体群がその年齢に該当し、降海の途中だったというのが私の見解である。

いずれにしても初めて訪れた川のことなので妄想に近い様な考察だが、極めて魅力的な川であることは間違いない事実である。今後も色々な時期に釣査に訪れたいと思う。

   A川で釣ったヤマメの塩焼き

海へ注ぐ渓流①

2025-05-31 12:24:00 | 日記
先日、県内某所の渓流へ釣りに行ってきました。内陸の渓流というものはより大きな本流へと注がれ大河川となりやがて海へ流れ出るもので、日本海側の渓流に関しても基本的には同様である。しかし日本海側には山塊のすぐ麓に海が広がっている土地も多々あり、渓流が大河川を介さず直接海へ注がれる場所もある。先日の釣行は海と渓流が一堂に会する様な場所であった。

車を停めて早々に準備を終え熊鈴を鳴らしながら降り立った場所は森の中ではなく海岸である。何とも場違いな格好だが海岸にはそれなりの流量の綺麗な淡水が流れており渓魚が好みそうなポイントもある。更に何かの稚魚も泳いでいる。
海へ注がれる最下流部から300メートル程遡行するとすぐに山の入り口の様相を呈する鬱蒼とした木々に囲まれる。参拝を済ませ釣り支度を始める。
まだ背後に海が見える場所で早速ポイントを絞り何度か仕掛けを打つと目印が下流に素早く引ったくられる様な強いアタリが来る。やり取りの後釣り上がったのは良型のヤマメだった。

  海岸から300M付近で釣れたヤマメ

いかに綺麗な渓流が流れているとはいえ標高にして10メートル程度の場所である。その為川を泳いでいる稚魚たちはおそらくウグイだろうと考えていた。当日はあいにくの曇天だったが、そんな場所でヤマメが釣れたのはまさに青天の霹靂であった。

渓相は非常に良かったが藤の木や笹に頭上を覆われている場所が多く、餌釣師としては難所が続きその後は多くの好ポイントを見送って上流を目指した。
沢を歩いていると常に稚魚が泳ぎ回り、緩流帯には日向ぼっこをしている良型のヤマメの姿もありこんなに魚影が濃い渓は久しぶりに思えた。

遡行を続けていると小さな砂防ダムに辿り着き再度竿を振る。相変わらず稚魚がワラワラと泳ぎ回っている。
ツンツンとアタリ、合わせると強い引きで縦横無尽に走り回る。この川のヤマメは生気に溢れている気がする。

    堰堤直下で釣れたヤマメ

砂防ダムを越えると天上が開けた針葉樹林帯となり快適に釣りが出来るようになった。
河原を歩いているといつのものか分からないが人の踏み跡があることに気付く。アクセスはしやすい場所だが正直かなりマイナーな川で、付近では海釣りは盛んなものの渓流釣りのメッカとは言い難い場所である。どこにでも物好きはいるものだなと思いつつ魚がスレていないか心配になったがその後も直近で釣り人が入ったとは思えない程よく釣れた。









  堰堤より上流で釣れたヤマメたち

写真以外にもたくさん釣れてかなり楽しませてもらった。ほとんどが良型の個体だったが、中でも特に良型のヤマメを3尾持ち帰らせてもらうことにした。
しかし今回の釣行は釣りを楽しむことはもちろんだが別の目的もある。それは当記事のタイトルでもある「海へ注ぐ渓流」を通した渓魚の疑問点と考察である。次回の記事で改めて述べたいと思う。

在来種の定義とC&Rの善悪

2025-03-23 21:14:00 | 日記
3月も後半になり桜の開花予想がしきりに取り沙汰される季節となりました。
今年は山域での降雪が盛んで新潟の山岳地は未だ春を迎えられずにいます。

今月解禁を迎えた渓流釣行は既に二度に渡り、参拝を兼ねた初日は大雪と雪代による増水に見舞われ坊主を喰らう結果となりましたが二度目の釣行でようやく新年初渓魚の顔を拝むことができました。


毎年思うことですが早期の山岳渓流釣りはポイントが釜や淵に限られ、大半の時間は雪代で足元が見えづらい川の遡行になるし林道では足を雪に沈めながら息を切らして歩かなければいけないしで苦行に近いものがあると感じざるを得ません。

解禁初山女魚は持ち帰るにはやや小ぶりな為リリースしました。その後は釣果が振るわず納竿となり帰路に着きました。

私はシーズン序盤で山女魚や岩魚を釣り、持ち帰って食べたらその後の釣行では基本的にキャッチアンドリリースを心がけていました。大量に釣って山岳地の渓魚を無闇に減らすべきではないと思っていたからです。しかし最近リリースという行為の「善悪」はいずれなのか?ということをしばしば考えてしまいます。
この記事では種の保全という観点における「善悪」について考えたいと思います。

釣り人の常識ではキャッチアンドリリース(今後はC&Rと表記します)は好意的に評価されがちです。勿論ブラックバスやブルーギルなどの特定外来生物のC&Rは法律で処罰の対象となります。
それでは特定外来生物に指定されていないニジマスやブラウントラウトに関してはどうか。ブラウントラウトは特に北海道で生息域を拡大しており在来の生物に対する脅威となっていることから法的な強制力はないがC&Rは推奨されるべき行為ではないものと考えられます。ニジマスはかなり大型になるし在来生物への悪影響は少なからず出ているものと考えられるためC&Rはやはり非推奨であると思うが、何故か外来種であるニジマスは毎年漁協による放流がなされています。正直生態系への影響は鑑みず釣り人の為の商業放流ではないかと穿った見方をしてしまいます。

県内にある仙見川では新潟には存在しないはずの天魚が釣れます。


       仙見川の天魚

仙見川に天魚がいる経緯は不確かで、かなり昔に誤放流が行われてしまったとの情報がweb上にありますが定かではありません。
現在、当該河川の放流実績に天魚は該当されていないものの仙見川で山女魚の姿をこれまで見たことはなく、釣れる渓魚は天魚と岩魚のみです。仙見川の天魚は国内外来種であると見て間違いないのではないでしょうか。
こちらに関しては後程触れることとします。


日本に生息するイワナ属はニッコウイワナ、エゾイワナ、ヤマトイワナ、ゴギの4亜種です。


       ニッコウイワナ

この4亜種存在するイワナ属は分類学上極めて遺伝子が近縁な為に別種として扱うかどうかが曖昧で外見の相違点でしか差別化出来ないという意見もあるようです。
ただ間違いなく見た目が特異な地域個体の岩魚も存在する以上この4亜種を同一視することは罷り通らないと私は思います。

新潟に生息する岩魚は大半がニッコウイワナで一部エゾイワナも生息しているようですが今回はニッコウイワナのC&Rについて考察していきたいと思います。
例えば魚野川中流域で釣れたニッコウイワナをC&Rすることは善いことなのかと問われたら答えはYESとは言い難いと思います。
ここで述べる私の意見にはかなり賛否が分かれることになるかと思いますが、魚野川という新潟随一の渓流河川は岩魚の放流も盛んに行われており、ここで放流されている個体群のルーツがC&Rの善悪に大きく関わってくる要因となります。
一口にニッコウイワナと言っても、かなり特徴的な体色の地域個体も存在します。


書籍「イワナの顔」より相ノ又沢のニッコウイワナ

なぜ仮に魚野川で釣れた岩魚をC&Rすることが善ではないのかというと、まずは釣れた放流個体のルーツの出所が不明瞭なこと。それに加えてルーツが曖昧な放流個体と在来個体が交雑し遺伝子汚染が生じている可能性があることが挙げられます。
この個体群が生息域を広げ交雑していけば在来個体が減少することは想像に難くありません。したがって放流個体は持ち帰り、在来個体はリリースすることが最善なのではないでしょうか。


しかし私の考察にはかなり大きな欠点があります。それは放流個体と在来個体、交雑個体をどのように見分けるのかということです。稀に他の個体とは異なる体色を示す個体が釣れることがありますが、体色が特徴的だからといって在来種であるという根拠にはなり得ません。逆もまた然りで、ありきたりの体色だから放流個体であると断定は出来ないのです。
そもそも在来種の定義とは何なのか。先にも述べた通り分類学上イワナ属の4亜種はごく近縁という見方もあるようですが、かなり特徴的な地域個体群が存在する以上4亜種にとどまらず更に細分化して分類すべきなのではないかと思います。

ただ、ルーツの曖昧な個体を放流することに加えて、放流個体と在来個体の交雑はかなり深刻な問題だと思います。
先に述べた仙見川の天魚を見ると事の深刻さがよく分かると思います。現在仙見川を含む阿賀野川水系では当然ですが天魚の放流など行われていないにも関わらず天魚が釣れ続けています。これは昔放流された天魚が山女魚との生存競争に勝ち続けているのか、山女魚と交雑し朱点という体色の特徴を残しているのか。いずれにしても(国内)外来種が在来生物に干渉している事実は残るわけです。

在来種とはっきり判別する術があればC&Rは善であると断言出来るが、そもそも在来岩魚の資料が少なすぎて判断材料に困り果てているのが現状の種の保全における課題でしょうか。

しかし、林道の整備により源流域へのアクセスも容易であり、大型の養殖岩魚を源頭放流している個人までいる様な現状で果たして在来岩魚など残っているのでしょうか。
かつての「幻の魚」は今と昔ではその意味合いが大きく変わってしまったのかもしれません。