今日、ツイッターで訳されたのを読んで本当に涙が...感動しちゃいました
他の方の訳した文章を載せるのは如何なものかと思い自分でも訳してみました 長かった
多少意訳ですがまぁ意味はあってると思います もちろんベースは翻訳サイトですけどね^^;
この前までのコラムは別のブログで紹介されてたのを読みましたが次はCNBLUEについてなので楽しみに待ってたんです
ジョンヒョンにとってこのドラマ出演が本当に良い経験になったんだね
音楽、メンバーに対する気持ち、CNBLUE・・・沢山考えるきっかけになったみたい
元の記事→
こちら
[スターコラム-CNBLUEイ・ジョンヒョン] 3部.CNBLUE、永遠の友情のために!
CNBLUEのイ・ジョンヒョン. 西欧的な容貌にギターを担当している口数少ない青年. 私たちは彼の事はそのように知っていた。
音楽に対する愛情は誰より大きかったし、情熱もまた劣らなかった。 CNBLUEのイ・ジョンヒョンはそのように成長していった。
国内デビューに先立ち日本で路上公演をしながら夢を育てたし、成功的なデビュー後
日本、台湾、タイなどアジア全域にCNBLUEの名前を知らせた。 合わせて米国LA,そしてロックの本場である英国に至るまで。
彼はより大きいところに向かって走って行っている。 はやい成長の勢いだけに未来の姿が期待されるCNBLU.
今より、より良い明日のために応援する。 //編集者注
“僕達も‘紳士4人組’みたいにあんな風に生きよう”
4人組男性バンド CNBLUE. そこにはリーダーでありメインボーカルであるチョン・ヨンファ、
ベースを担当しているイ・ジョンシン、ドラムを受け持っているカン・ミニョク、そしてギターを弾く僕がいる。
2010年にデビューしてもう3年目だ。
時間が経つにつれてメンバーはお互いをよく知って、支持する兄弟のような存在になった。
僕はコリン、ミニョクは‘棚ぼたのあなた’のセグァン役でドラマ撮影の真っ最中で忙しい時だった。
ヨンファ兄はドラマを休んでいて逆に宿舎にいる時間が多かった。
過去僕達がヨンファ兄の帰りを待った日とは完全に反対になったのだ。
兄は‘一人で孤独だ~~’といたずらっぽく不満を言ったりもしたが、僕達の姿を見て最も誇らしげにする人がヨンファ兄だ。
兄は CNBLUEの精神的支柱だ。 大変なことがあってもなかなか表に出さず、弟をよくかばう。
そんな兄がいて僕はいつも心強く頼もしかった。
今のCNBLUEを知らせるのに最も大きい役割をした人はやはりヨンファ兄だ。
ステージの上で歌うだけでなくドラマと芸能番組に出演してCNBLUEを知らせた。
本当に忙しい毎日を送って宿舎に帰ってくれば疲れていても集まっては常に笑顔で弟に接した。
兄の笑顔を見ながら心の片隅でいつも申し訳な気持ちがあったし、また、そのような兄にいつも感謝してた。
無愛想な性格で表現できないがいつも心の中で思っていた。 ヨンファ兄、ありがとう。
ジョンシン、ミニョク二人の弟も同じこと. 僕には本当に何ものにも変える事のできない宝物だ。
ミニョクとジョンシンはチームの末っ子だが本当に中身は深い。
時々、兄たちのために大変な時もあるはずなのに不満も言わない、大人っぽい二人の弟へ いつもありがとう。
ドラマをしながらメンバーらと会える時間が減ったが、特にミニョクとはさらにそうだった。
ミニョクもドラマ撮影で忙しいスケジュールだったから。
それでさらに切なさが大きかったのだろうか。
ある日僕に‘紳士の品格’の4人組のように“僕達もあんな風に成長しよう”と話すミニョクの話にジーンと感動した。
ただぼそっと投げかけた話だったがかなり真剣だったし,僕もやはりそんな気持ちを持っていたので大きな感動だった。
僕らだけでなく‘紳士の品格’を見た他のメンバーも全く同じ思いだった。 ‘
紳士4人組のように僕達もあんな風に生きよう’と。
CNBLUE4人も遠い将来紳士4人組のように素敵な男で、永く厚い友情を持ちながら生きていったら良いだろう。
僕達はデビュー前から一緒に住んだし、特に日本では頼れるのは僕達だけしかいなくていつもそばにいた。
そんなメンバーにコリンで生きる間はあまり会えなかった。
毎日そばにはいたが撮影場にいる時間が多いと一週間に2,3回程度しか会えなかった。
毎日会ってそばにいる時は分からなかったが離れているとその大切さが分かるようになった。
週末に皆一緒に集まればそんなに寂しいことはない。
普段もいたずらをするのが好きな僕たちはある部屋で一緒に絡まって遊びながら久しぶりに会った喜びの代わりにじゃれ合った。
表面に表わしてはいないが‘本当に幸せだ’と感じた。
僕とミニョクのドラマが終わってもう4人で毎日会うことができるだろうと思ったが引き続きジョンシンが演技に挑戦する。
僕がそうだった様にとても緊張しているようだが熱心に練習しただけ良い結果が出るように願っている。
イ・ジョンシン ファイティン!
僕の全てのようなCNBLUE. これからも常に今のように僕達だけの思い出を積んで韓国で、
そして世界を代表するバンドになるその日を待ちこがれている
“音楽は僕の人生の活力源“
音楽を始めたのは高校生の頃、運動を止めた時点からだ。 一人でいる時間が多くて考える事が多い子供だった。
共稼ぎをする両親が家留守のときは色々な事を考え、今後の計画をたてた。
さらに推進力まで。 かたい決意の計画と推進力で両親も説得した。
我が家の教育方式は‘自分て判断しろ’だったためにすべてのことに対する責任は僕にあったし、
それですべてに慎重にならざるをえなかった。
事実初めて両親に音楽をすると話した時賛成はしませんでした。
それで僕はお母さん、お父さんを迎えて僕が今後歌手になるためにどのようにするのか、その間計画した事に対して説明申し上げた。
一言で言えば未来のためのブリーフィング. そんな僕を両親はただ黙って信じてくれた。
それ以後、僕も両親の信頼を破らないために最善を尽くした。
音楽. 他の人より遅く始めたので本当に練習にだけ没頭した。 学院に通いながら最善を尽くした。
それは今も同じこと. 誰かに‘本当に上手だ’でと褒められても頭を横に振る。 ‘まだまだだ’と考えるから。
演技をしながら音楽で満たすことが出来なかった他の部分を満たしたような感じを受けたが、それでも音楽を怠ることはできないこと。
なにしろ一度始めたことは最後までする性格なので演技に対する欲が出たのは事実だが、
音楽は一生僕と共にするパートナーと言うか。
‘紳士の品格’を撮影しながら上手くやりたい気持ちと
また迷惑をかけてはいけないという圧迫感で睡眠も満足に取れないながら演技の練習をした。
そうすると自然にギターと歌の練習時間が減る事になった
それもまた、僕にはストレスだった。
前は毎日のようにメンバーらと練習することが当然の日課の一つだったが、それでまた我を張った。
翌朝早く撮影があるのにも前日夜12時にメンバーらと演奏をした。 体はちょっと疲れても心は一層楽になったし、生き返った。
音楽をしながら得たエネルギーが翌日撮影場での原動力になった。
音楽は本当に着実にしなければならないと考える。
音楽をしなければならないと考えた以後で一日に4,5時間はきちんと練習をしたし、今後もそうするだろう。
音楽に対する欲、抱負が深くなったのはデビュー前、日本での路上公演が一役かった。
日本で路上公演を詞ながら夢を確かめたデビュー前. 体も心も非常に大変だったがただ‘夢’に向かって最善を尽くしていた時だ。
その時期がなかったとすれば今のように音楽に対する熱望が大きくなることもなかったし、
メンバーとの厚い友情もやはりなかったかもしれない。
ギターを弾きヨンファ兄のボーカルの後でコーラスだけしてきた僕が突然ヨンファ兄の代わりをしてメイン ボーカルの位置に立った。
兄がドラマ撮影のため韓国で時間を過ごす時ジョンシンとミニョクが、
そして僕まで三回予定されている日本公演の日程をみな消化しなければならなかった。
ポジションが完全に変わって初めは突然恐れもでて心配だったが、自分自身とメンバーを信じていれば出来ない事はなかった。
その機会によって音楽的にさらに成長することができた。 特にボーカルに対して、そして曲を直接作ってみようという欲もできた。
良い曲を作って聞かせることは本当に貴重なことだ。
誰かが僕の歌を通じて癒されて、感動すること、それは本当に何ものにも変えることのできない幸せだ。
路上公演を最初に始めた時誰も見てくれない空っぽの道に僕たちを見ようと集まったファンたち、
少しずつ増えて何千席規模の公演会場をいっぱい埋めた彼らがいなかったら今のCNBLUE、
そしてイ・ジョンヒョンもいなかった。
僕たちの音楽を好きになって下さるファンがいるからCNBLUEが息をすることができると思う。
アジアツアーから始まりに米国LA公演、そして英国まで。 念願のロックの本場に僕たちの楽器と声が鳴り響く日がきた。
最初に感じた手に余るほどの感謝する気持ちをそのまま大事にし
時間が流れても多くの人々に愛されるバンドになれる様に最善を尽くすだろう。
常に努力するCNBLUEイ・ジョンヒョンになります。 ファイティン!