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ONCC 史跡探訪クラブ

史跡探訪の活動記録・紹介

第5回 大阪船場 道修町、他

2025-08-07 | 日記

第5回 大阪船場 道修町、他

今回(8月5日)は9名で大阪船場、道修町の博物館巡りに行きました。
当日は 伊勢崎市で41.8度の酷暑日で大阪でも猛暑日でした。
メトロの北浜駅に9時40分に集合して、スタートしました。


今回の主目的は 製薬会社の多い道修町の各社の博物館巡りです。

 


旧三越の南側にある旧小西家史料館です。
2001年に登録有形文化財より格の高い国重要文化財に指定されています。

 


奥の座敷は一時期は絨毯を敷いて社長室として使われていました。大正期に海外から窓ガラスを入れ、大事に使われています。

 


前栽には燈籠や蹲(つくばい)も配され落ち着いた空間になっています。

 


台所には大きいへっついがあり、50名の食事が作られ、家族は畳の間、番頭は
板の間、丁稚は土間で立って食べたそうです。

 


青山ビルの北極星で名物のオムライスを頂きました。

 


右手の奥に少彦神社、ビルの3階にくすりの道修町資料館があり、ビデオなどで分かり易く解説して貰えました。

 


武田薬品の杏雨書屋の資料室には国宝3点を含む重要な資料があり、一部が公開
されています。 今は地図の歴史展でした。

 


田辺三菱製薬史料館はビルの2階にありビデオ他で分かり易いです。 
やなせたかしは1939年~1941年宣伝部にいたようです。

 


塩野義製薬本社のロビーには社標の分銅や浮世絵が多く、展示されています。

 


今橋通りの緒方ビルの4階に種痘除痘館記念資料室があります。
緒方洪庵は京都から痘苗を導入して大坂他に広げました。

体調がおかしいと思ったら、いつでもリタイヤできる大阪市内での史跡探訪だったので良かったと思います。 
それにしても今年の夏は異常に暑く、万博に2回目に行く意欲が低下しています。

 


第4回 淡路島 安藤建築、他

2025-07-05 | 日記

第4回 淡路島 安藤建築、他

今回(7月4日)は8名で淡路島の安藤忠雄建築、他を見に行きました。
阪急神戸三宮駅に9時に集合して、9時25分発の淡路交通バスに乗り、淡路島に向かいました。

今回の主目的は大阪で開催中の安藤忠雄青春展でも紹介されている淡路島の建築巡りです。

 

往路はバスで明石海峡大橋を渡りました。中央径間は1911mで世界一長かったのですが、今はトルコのチャナッカレ橋が2023mで第2位になりました。

 

東浦ICで下車して、徒歩15分位で、本福寺に着きました。

 

少し登ると、本堂の上の大きい円盤状の池があります。 途中から池の下に降りた所に、本堂があります。

 

午前中に行ったので、まだ睡蓮の花が開いていました。 午後には閉じてしまうそうです。

 

国道迄10分位下りて、バスに乗り、夢舞台に移動しました。結婚式で使われる「海の教会」が見られました。

 

大半の建物が、安藤建築の特徴のRCの打ちっぱなしです。 海も綺麗に見えます。

 

斜面を利用して百段苑があります。お花が綺麗に咲いていました。

 

ホテルの近くの国際会議場も安藤建築です。

 

バスで岩屋の移動して、絵島も見ました。国生み神話の登場する「おのころ島」伝承地の一つです。

 

帰路は 高速艇で、明石港に向かいました。

 

明石海峡大橋を下から見上げるととても高く、立派です。

 

明石港からは 途中 魚の棚商店街にも寄りましたが、イカナゴ漁の不振で高価でした。


第3回 河内長野、烏帽子形城跡、他

2025-06-19 | 日記

第3回 河内長野、烏帽子形城跡、他

今回(6月16日)は8名で河内長野市の烏帽子形城跡、高野街道、他に行きました。
昨日迄は涼しかったの、急に夏日となり、暑かったです。

南海高野縁の三日市町駅に 12時30分に集合して出発しました。


今回の主目的は古い城跡が保存されている烏帽子形城です。 麓との標高差は100mですが、色々工夫をされた山城です。

 


駅前近くに、多門丸(楠木正成の幼名)が大江時親と観心寺の龍覚坊に教えてもらうため片道7kmの山道を通ったという顕彰碑があります。

 


三日市町は 高野街道の大きい宿場町で本陣もあったとのこと。 いくつかの宿も残されています。

 


三日市町交番は昭和27年に建てられた木造の駐在所です。 今は駅前に機能は移転され土日は情報基地として活用されています。

 


烏帽子形山の中腹に烏帽子形八幡神社があります。 本殿は入母屋造りの檜皮葺きで彩色も美しく国重要文化財です。

 


道路を少し上がると烏帽子形城跡の石碑が見えます。 近くの駐車場にはトイレもあり水分補給もしました。

 


山に入っていくと、防御性を高めるための堀切があります。

 


頂上近くの曲輪には2棟の建物の礎石が復元されています。 瓦葺きの建物と推定されています。

 


頂上近くからは大阪方面が良く見えてハルカスもうっすら見えました。

 


横堀も綺麗に残されています。

 


尾根筋を北進すると、烏帽子形古墳があります。 横穴式石室があることから古墳時代後期の物と推定されています。

 


高野街道を北上すると、西条合資会社があります。創醸は1718年ですが、昭和46年からは金剛寺ゆかりの「天野酒」を復活しています。

 


高野街道の記念碑が作られています。銅鐸と鐘をイメージしたようです。

 


河内長野駅の近くに、東高野街道と西高野街道の分岐点の追分があります。

 

当初の計画では西高野街道と中高野街道との追分まで4km歩く予定でしたが、暑さのために意欲が低下し、ここで解散することにしました。 おかげで3kmだけの短い史跡探訪でした。

 


第2回 茨木市 吊り橋 

2025-05-20 | 日記

第2回 茨木市 吊り橋

今回(5月19日)は14名で3月に開通した茨木市の日本一長い吊橋に行きました。
JR茨木駅からは直行バスも出ていますが、利用者の多い阪急茨木市発の阪急バスで行きました。


今回の主目的の吊橋は安威川ダムで堰き止められた池に架けられています。

 


全長は420mで、2位の三島スカイウォークの400mよりも長いです。

 


右岸の橋脚高さは60mで、近くで見ると結構、高いです。

 


ハーネスを付けた人が降りてきましたが4500円で、価格も高いのでパスです。

 


いよいよ渡り始めましたが、足元の部材が下方はあまり見えないようになっているので恐怖感は少ないです。

 


真ん中付近には バンジージャンプ設備もありますが、1万円以上もします。

 


吊り橋を往復しても良いのですが、左岸の道路で堰堤経由で帰ることにしました。
右奥には以前、行った竜王山が見えます。

 


1967年の北摂豪雨災害を契機に計画され中央部は近傍の岩石と土を盛り立てた
強いダム構造をしています。

 


堰堤からは、茨木市や大阪方面もよく見えます。

 


下流側もなだらかな構造になっています。

 


昼食は無料テントが平日なので空いており、利用できました。

 


近くの売店でお好み焼きを頼みましたが本格的で美味しかったです。

 

曇り空のお陰で、暑くもなく、楽しい一日でした。

 


第1回 子安地蔵寺、葛井寺

2025-04-22 | 日記

第1回 子安地蔵寺、葛井寺

今回(4月21日)は9名で橋本市の子安地蔵寺と藤井寺市の葛井寺に藤の花を見に行きました。

難波駅から南海高野縁で御幸辻駅まで移動し、11時に着きました。 出発前にスマホのマップの使い方を全員で練習し、順番に先導することに挑戦しました。

今回の主目的は藤の花で有名な子安地蔵寺です。

 

初めて降りたという人が多い高野線の御幸辻駅からスマホのマップを頼りにスタートしました。

 

西へ緩やかに登って行くと、途中に遅咲きの山桜が綺麗に咲いていました。

 

40分位で無事に子安地蔵寺に着きました。行基菩薩により創建された古刹です。
御本尊は 日本最古の地蔵菩薩です。

 

十種以上の藤の花が植えられており、これは白カピタンと思われます。九尺藤も見頃でした。

 

子安地蔵寺は「関西花の寺二十五ケ寺」の二十四番札所で藤の花の他にシャクナゲも咲きだしていました。

 

アヤメの花も咲き始めていました。
近くの公園でお弁当を食べて、藤井寺駅へ南海と近鉄で移動しました。

 

葛井寺は渡来人葛井氏の氏寺として創建。千手観音菩薩像は普通は42手ですが、1041手もあり、国宝に指定されています。

 

本堂近くには見事な藤棚があります。

 

藤の花と御堂と青空が美しいです。

 

最後には全員、グーグルマップも何とか使いこなせるようになり?、充実した一日でした。
次回の例会までにマスターしたいですね。