凡そ「文系」は哲学的と思われ、「理系」は科学的と言われています。
「文系」の代表例が「人文学」で、実験によって実証できない事が多く科学的では無いとされ、これを逆手にとって「科学は万能では無い事の証明」とする哲学者もいますが、勝ち誇った負け犬です。その証拠は、負け惜しみに「人文科学」と云うキメラ学問を創作し、人文学の内「確率論で証明できる部分」を取り出して研究するようになりました。
「文系」の代表例が「人文学」で、実験によって実証できない事が多く科学的では無いとされ、これを逆手にとって「科学は万能では無い事の証明」とする哲学者もいますが、勝ち誇った負け犬です。その証拠は、負け惜しみに「人文科学」と云うキメラ学問を創作し、人文学の内「確率論で証明できる部分」を取り出して研究するようになりました。
現在では、人文学と人文科学とは同じとされていますが、それは「哲学」が科学に敗北したに過ぎません。
人間の行動を確率論で説明できると云う事は、母数に「大衆」を持ってくることが必要になり、それは「社会科学」と言えます。社会学に統計学を取り込むと「大衆社会科学」になり、民主主義の基本です。最近は「統計」を無視した政治が蔓延り「ワンフレーズ政治」「利権・金権政治」など、非科学的な「誘導」が行われています。
人間の行動を確率論で説明できると云う事は、母数に「大衆」を持ってくることが必要になり、それは「社会科学」と言えます。社会学に統計学を取り込むと「大衆社会科学」になり、民主主義の基本です。最近は「統計」を無視した政治が蔓延り「ワンフレーズ政治」「利権・金権政治」など、非科学的な「誘導」が行われています。
この「誘導」が行き過ぎた場合は「独裁政治」になるのですが、誘導された人民は気が付きません。寧ろ、自分たちの思い通りに動いていると錯覚します。例え気が付く人がいても、反対運動をすると粛清されるので、結果として「真の民主主義」が成立し、総てが100%の同意で社会が動きます。
これが「文系」の強みで、非科学的な手法を利用し、結果として完全な「科学」を造り上げる事が出来ます。これを「共産主義」と言い、矛盾は地面に埋めるか、或いは天に昇華する事で成立する社会体制と言えます。「MaoZedong」は昇華され、「KongZi」は一旦埋めましたが再利用の為に掘り起こされました。全てに整合性が有り、矛盾を感じる人は粛清されるので存在できません。
矛盾の無い社会を、「理系」は否定する事は出来ません。現存する人民の100%が支持しているのだから選挙も不要で、「正」とする以外にありません。例え人民が飢えに苦しんでも、それは自ら望んだことと判断します。「理系」は、既に定義済みの「0」「1」「100%」を否定する事は出来ません。
「共産主義」が最も嫌うのは宗教です。「文系」のもう一つの強みは論理的な「正」を必ずしも「真」とする必要がない所にあります。宗教学は、「文系」の分野の内でも非科学的な学問と言えますが、「科学的共産主義」に抗う最も有効な手段になり得ます。「哲学」では「0」「1」「100%」を簡単に否定出来る・・・と云うよりも、否定する事が出来て初めて「哲学者」の栄誉に与れます。
ところが、何故か最近の宗教団体は「共産主義」に宥和的です。
事実;現実に有る事。または、(一神教の)神がなした事。
真実;共有された事実。または、そう思う事。
「理系」は現実を「事実」とし、「真実」である事を証明するのが得意ですが、「文系」は「真実」を認めると存在価値は無くなります。現在の様な「虚偽の現実の時代」にこそ「文系」の出番があります。現実が虚偽の場合に「理系」が論理だてて反証しても「陰謀論」で片付けられます。「陰謀論」は「文系」の得意分野です。「理系」が陰謀のシナリオを作っても直ぐに矛盾に突き当たり完成する事は有りませんが、「文系」は矛盾をモノともしません。
「民主主義」は、その構造自体に矛盾が内包されていて、「上級文系」の学者と自称する輩がシタリ顔で「少数意見の尊重」などと、口をへの字に曲げて説教します。ところが「共産主義国」の話になると、穏やかな顔つきになり、共産党宣言を流行らそうとします。
--共産主義者は、自分の見解や意図を隠す事を恥とする。共産主義者は、彼らの目的は、既存の全社会組織を暴力的に転覆する事によってのみ達成できることを、公然と宣言する。支配階級をして共産主義革命の前に戦慄せしめよ! プロレタリアはこの革命において鉄鎖の他に失う何物もない。彼らの得る物は全世界である。--
万国の「底辺文系」よ、団結せよ!
そして、共産主義支配階級を戦慄せしめよ!
真実;共有された事実。または、そう思う事。
「理系」は現実を「事実」とし、「真実」である事を証明するのが得意ですが、「文系」は「真実」を認めると存在価値は無くなります。現在の様な「虚偽の現実の時代」にこそ「文系」の出番があります。現実が虚偽の場合に「理系」が論理だてて反証しても「陰謀論」で片付けられます。「陰謀論」は「文系」の得意分野です。「理系」が陰謀のシナリオを作っても直ぐに矛盾に突き当たり完成する事は有りませんが、「文系」は矛盾をモノともしません。
「民主主義」は、その構造自体に矛盾が内包されていて、「上級文系」の学者と自称する輩がシタリ顔で「少数意見の尊重」などと、口をへの字に曲げて説教します。ところが「共産主義国」の話になると、穏やかな顔つきになり、共産党宣言を流行らそうとします。
--共産主義者は、自分の見解や意図を隠す事を恥とする。共産主義者は、彼らの目的は、既存の全社会組織を暴力的に転覆する事によってのみ達成できることを、公然と宣言する。支配階級をして共産主義革命の前に戦慄せしめよ! プロレタリアはこの革命において鉄鎖の他に失う何物もない。彼らの得る物は全世界である。--
万国の「底辺文系」よ、団結せよ!
そして、共産主義支配階級を戦慄せしめよ!
私は超現実主義者で無知無能ですから、物事をしごく簡単に
主張します。これが正しいかどうかは判断できませんが
複雑に考えると、単なる論争にしか発展しないのでは?と思います。
なので、独断と偏見で考えた場合には下記の様に主張したい?
理系は「事実」を基に「真実」である事を証明する?
例えば、統計学なのかどうかは解りませんが100人に問いかけ
51人の賛成とえると、「真実」であり正しいと考える?
文系は「非科学的な手法を利用し、結果として完全な「科学」
を造り上げる事が「真実」?物事の中に何かがあると科学的に
立証する?
100人の中で、51人は間違っているかを考えるんだろうと思います。
上記の2つは相反するものですが、大事なのは真実が掴めるか?
世の中には暴力、脅迫、金銭的な誘導などという色々と外部的な
要因が多い。
なので、「性善説」で考える場合と「性悪説」で考える場合
とは結果が違うのか?を立証しないと意味がありません。
ですが、立証したところで結果を覆すことが出来るか?
恐らく、答えは「NO」だろうと思います。
理由は、米国の選挙の中で何が行われたかどうかが立証できない
からだろうと思います。トランプか?バイデンか?
色々な憶測の中ですが、結果が「バイデンの勝利」です。
ここで事実は、「バイデン」が正しい民主主義のもとに決定された
事になりました。
これが「理系」か「文系」かといってみても机上の空論だろうと
思います。
簡単に言うと、両者の理論も「権力」、「金力」、「思想」、
「宗教」、「ロビー活動」、「プロパガンダ」、「洗脳」などの
前には何の意味もなさないと思います。
なので、正義及び真実とは何か?それは立証できるという「暴論」に
しかならない?
よって、物事が粉飾され、歪曲されることが多い?
それは、あたかも正しいという数字を利用するからだろうと思います。
大きな疑問として残るのは、世界を動かしているというユダヤ?
ロスチャイルド、ロックフェラー、フリーメイスン等という
不思議な組織の存在は、理系から解明は出来ない。
また、文系の力を駆使しても複雑すぎて真実に近づけない?
或いは、近づこうとすると強制的に粛清される?
例えば、次のような動画をご覧下さい。
https://www.youtube.com/watch?v=dSCoWmpKz70
この動画で主張している人の半分以上は理解できますが、
残りの部分は立証は不可能だと思われます。
なので、結論から言えば、議論しても結論に導くのは相当に無理があると思います。
簡単に表現すると、ケセラセラの世界だろうと考えます。
「トランプとバイデン」---バイデンが勝ったように見えますが、DSによる米中戦争の謀略だと思います。
ルーズベルトとフーバーの関係に似ていて、これは日米戦争の切っ掛けになりました。
「性善説と性悪説」---見る方向により善悪が逆転するので証明は出来ません。勝った方が「性善説」を主張します。中共も米国も、自分が本来的な善になります。
ワンワールドは、下部構造に於ける議論が許されるのを「民主主義」と言い、許されないのは「共産主義」とされているだけで、全体的には議論とは無関係に動いています。