オメガねこ

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「ブラックフェイス」 と 「差別」

2024年01月30日 | 雑感
 「ブラックフェイス」は、黒人以外の人が黒人を演じるために施す舞台化粧が由来で、今では「黒人差別」として扱われているようです。

 白人が「黒人差別」をしていたのは明白な事実なので、それはそれで納得しますが、黒人差別をしていなかった(とされる)日本で一時流行った「ダッコちゃん」や「カルピスのマーク」、更に「ガングロの黒塗りメイク」が日本における差別に対する認識の低さが原因と批判される謂れは有りません。

 白人とそのシンパが、「有色人種は未開人」であると考えている事がバレないようにするのは、「WOKE(目覚めた人)」と自認する人の典型的な特徴です。つまり、自分が「差別主義者」であることを隠すために、その曲がった思考を「見た目」で他人の行動に擦り付け、罪から逃れようとする言動と言えます。

 その証拠に、「ホワイトフェイス」の場合、「おしろい」で顔を白くしても「目覚めた人」から人種差別と言われることは有りません。これは、顔の色を塗り替えることが差別なのではなく、「黒く塗る」ことが問題だと認識していると言え、そこにこそ歪んだ「見た目」の差別意識があります。

 生物学的男性が「女性」と自認する人は、(犯罪が目的でない限り)自分が男性である事を忌避し何らかの罪悪感から逃れようとしているようにも思えます。「ありのままの自分」を認めるならば、自分の個体形状が性別が変わるほど自然には変わらないので、「見た目」の生物学的性が自分の性別です。

 「自認する性」は、個体の1%にも満たない大脳皮質が考える性別であり、環境によっても変わり得る「思い」にすぎません。更に言うと、「大多数の細胞の意志」よりも「特権的な大脳皮質の意志」の方が優先すると考える、「独裁思考」と言えます。

 自分の体に違和感を覚えても、その違和感あっての自分です。「見た目」で服装を替えるように、顔の色を塗り替えるのは何の問題も無いのですが、合理性を欠いて物理的に「見た目」を変形させるのは、自らの形状を否定だけでなく、同様な他人の「形状否定」にも繋がります。

 自分が自分を否定するのならまだ許されても、他人の大脳皮質で自分が否定される、或いは見る方向を変えると、自分の大脳皮質で他人の「見た目」を否定することは許されません。

 但し、「大脳皮質同士」で互いの思考を否定し合うのは、「個体細胞」を傷つけ合わない限り、民主主義の流儀の範疇です。




コメントを投稿