オメガねこ

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「バリアフリー」 と 「アクセシビリティ」

2021年04月20日 | ニュース
 国鉄の民営化以前に「無人駅」がどのくらい在ったのか、或いは全く無かったのかは判りませんが、今では「駅」そのものが、と言うより「路線」自体が無くなってきています。

 普段は「踏切が邪魔だ!」とか「電車がうるさい!」とか言う人たちも、路線廃止の話が浮かんでくると「残念だ!」とか「交通弱者を見捨てるのか!」と言う人達が湧いてきます。実は、実際に「湧いている」のではなく「偏向報道」がそう見せているだけなので気にするまでも無いのですが、特定の意図を持った集団が入り込むと、異常事態に陥ります。

 鉄路を維持するために「無人駅」が増えたのですが、それは経費を削減する事で「安価な公共交通」をより多くの市民に提供できる事を意味します。但し、「ベッドに寝たきり」の人が人並みに観光旅行に行きたいと思ったからと言って、その「より多くの市民に、寝たきりの人も含まれる」と思う人はいないと思います。

 「寝たきりの人」は市民では無いのか?
 「公共交通機関」なら市民の要望に応えるべき!

等と言う人は、民主主義の意味をはき違えています。

 「無人駅」は、実は鉄道会社の意志で造っているのではなく、廃止を前提にした提案を「周辺住民の要望」を受け入れて残されている場合が多いそうです。つまり、一人で無人駅を利用できない「乗客」はその介助を「鉄道会社」にではなく「周辺住民」に要望すべきです。これを「民主主義」と言います。

 民が主体になって民を助ける事に「民主合理性」が有るのであって、それが「経済合理性」を無視できるのは「共産主義」です。

 「××民主×」と名乗る政治集団には、是非とも周辺住民への協力要請をするように、お願いしたいと思います。企業の言う「より多くのご利用」は、「一人の利用を増やす為に最善を尽くす」と云う意味では無く、「相対的に利用客を増やし、利益を上げる」と云う意味です。一人減っても二人増えれば良しとします。

 例えば無人駅を利用する車いすの乗客を移動させる為に、一人に付き4人の鉄道職員が付くと、「乗客のスペース」を「職員4人」が奪う事になり、「経済合理性」は勿論の事、寧ろ「民主合理性」に欠くと言えます。但し、「国会議員とその関係者」が自己負担せずに(税金負担で)新幹線を利用する事は、他の一般乗客から座席を奪った事になります。それでも国民が文句を言わないのは、「国民が選挙で選んだ」からであって、これは「民主合理性」の一つです。

 勿論、「無人駅」に職員を配置すると「無人駅」ではなくなるので本末転倒と言えますし、エレベータを設置するにも「無人駅」では緊急対応が出来ないので、恐らく違法行為になると思います。

 これらは、「日本語で言うバリアフリー」は決して「フリー(自由・無料)」では無い事を示します。本来の意味は「アクセシビリティ」であり、単に段差をなくしたりする事ではなく、社会での(移動の)汎用性を意味し、例えば、目の不自由な人にしてみれば、ウロチョロする子供や自転車・車イスは「障害物」になるからと言って排除する事が「バリアフリー」とは言えません。

 「アクセシビリティ」から「民主合理性」を取り除いたのが、最近騒がしい「バリアフリー」問題です。「バリアフリー」が行き過ぎると、「経済合理性」によって「無人駅」そのものが廃止になり「民主合理性」も失われます。

 バリアフリー:
対象者を「障害者を含む高齢者」に限定することが多く、社会生活に参加する上で生活の支障となる物理的な障害や、精神的な障壁を取り除くための施策、若しくは具体的に障害を取り除いた事物および状態を指す。

 アクセシビリティ:
利用しやすさやアクセスのしやすさのことであり、交通の便などの意味も含む。広い種類の利用者が製品や建物、サービスなどを支障なく利用できる度合いを指していることが多く、ノーマライゼーションの推進の理念から、社会のすべてに適用される意味合いがあり、当然「健常者」も含む。




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