テレビとうさん

知識は人をバカにする。
智識はバカを人にする。
信じるか信じないかは、自分次第です。

「真実相当性」 と 「真実」

2022年12月27日 | 思想・思考
 例えば、誇大妄想集団が「この世の悲劇は魔女の存在によるもの」として、魔女らしき人を見つけては此の世から排除した場合、「誇大妄想」の特性から言って「魔女の存在を信じるのは合理的」と言えます。

 また、誇大妄想集団が「沖縄戦の悲劇は日本帝国軍の存在によるもの」として、加害者らしき人を見つけて糾弾した場合、「誇大妄想」の特性から言って「旧軍人の悪行を信じるのは合理的」と言えます。

 しかも、その「誇大妄想家」がノーベル賞作家だとしたら、裁判官と雖も、その「真実相当性」の否定は出来ないかも知れません。更に、その判決を聞いた一般人には、その「真実相当性」を疑う余地は無く、それどころか「真実」として受け取ると思われます。

 「真実相当性」とは、 真実と信じるに相当な理由がある事を言うので、有る事象が「真実」である事は必要十分条件ではありません。つまり、例えそれが「ウソ」でも、合理的に信じる理由がある場合は、その結果に対して裁かれる事が無く、且つ訂正する必要もないと「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判」で、ウソを信じた人が勝訴しました。

 「安倍元首相」に対するテロ事件(自作銃が空砲、或いは殺傷能力が無い可能性も有り、殺人犯では無いかも?)や、オウム真理教や極左テロ事件も、「社会の不合理を信じた人」による行動なので、その社会の不合理(その真偽は問わない)に「合理的な真実相当性」があれば、無罪の可能性も残されています。

 問題は「不合理なウソを広めた人」ですが、当然その人にも社会合理性・経済合理性がある場合は「合理的な判断」としてウソを広めた事になり、「真実合理性」を持ち出すと罪を問う事は出来なくなります。

 「コロナワクチンは100%安全だ。全責任は私がとる。」で有名な「河野太郎@konotarogomame」による意味不明なツイートに対し、私が「?」と単記号リツイートしたのですが、数日後に「ブロックされています」の表示に変りました。「?」は誹謗中傷では無く、日本語としても認められている「単なる疑問符」です。どうやら「効能デマ太郎」に対して疑問を持つと、排除されるようです。

 それでも、政府が正式に「コロナワクチン接種が原因で死亡した例は無い」としている事から、「コロナワクチンが100%安全である」と信じるに「真実相当性」が有り、私が排除されるのも止むを得ないと考え、Twitter社に対して「問題点の報告」はしていません。

 一方、望月衣塑子氏や飯山陽氏等にフォローされている「志位和夫@shiikazuo」の場合は、

>> 「自分の国は自分で守る」というレトリックに騙されてはならない。「敵基地攻撃能力」で守ろうとしている本命は米軍だ。
日本に対する武力攻撃がなくても、米国が海外で戦争を始めたら、集団的自衛権を発動し米軍とともに戦う。
その結果は?
相手国の報復攻撃による国土の破壊だ。
力合わせ止めよう! <<

とのツイートに対し、私が「?」と単記号リツイートしてもブロックはされていません。流石に人格の違いが表れたようですww

レトリック:実質を伴わない表現上だけの言葉。

 国家の常識である「自分の国は自分で守る」ですが、日本では実質を伴っていない事は「真実」です。つまり、人格者の「恣意和夫氏」も私同様「今回閣議決定された日本の国防政策(
安保3文書)は実質を伴わない言葉だけだ。レトリックに騙されてならない」と考えているようです。

 この事から、「共産党は、自衛隊を実質的な軍隊として動けるよう、強化する考えだ。」と私が理解する事にも「真実相当性」が有ります。

 この「真実相当性」によって、私が「共産党の党是は、戦争目的の軍拡だ。力合わせ止めよう!」と主張しても、粛清される事は無いと云う事になりますww



「日食」 と 「月食」

2022年10月29日 | 思想・思考
 地球から見て「日食」は、月が太陽光線を遮る事で見えなくなる現象なので、太陽と月の動向を知っていれば、誰でも予測可能です。特に古代の人は現代人よりも月齢にも詳しかったと思われ、且つ太陽の動き(実際には地球の動き)には特別関心を寄せていたようで、多くの人は「日食」や「月食」を自然に受け入れたと考えられます。

 古代人でも明日以降の太陽と月の位置は予期可能だったと思われ、「日食」は部分日食も含めると数年に一回見ることが出来るので、珍しさは有っても、恐怖の対象にはならなかったと思います。

 古代の人が、地球と月と太陽の位置関係が月齢の正体である事を知っていたかどうかは判りませんが、「月食」が自分の住む「地球の影」で起こる現象だとは気付かなかった可能性は有ります。それは、当時は「地べたが球形(或いは円形)」である事すら分らなくても当然だったからです。

 つまり、「日食」より「月食」の方が不思議な現象と考えていたような気もします。古今問わず専門家なら、月と太陽の位置関係は予測できるので、容易に「日食」は予期できたと思いますが、地球の形を知らない古代の人は、「月齢」は知っていても、満月が「月齢」とは反対の円形で欠けていく「月食」は古代の人にとっては奇妙な現象に見えたに違いありません。

 「月読命(月夜見尊)」は月の神でありながら「記紀」には生まれた時以外の記述が無く、神話にしても月に関してはそれ以上の説明を
出来なかったのではないかと思います。

 支那大陸での蔑称である「卑弥呼」が「日御子(日巫女)」なら、確実に「日食」の日時を知っていたと考えられ、(皆既)日食が原因で死亡したり殺されたりはしないと思います。但し、暗がりを利用して暗殺された可能性は有りますが、当日の「日食」は部分日食であったとされていて、それも考えられません。

 現代になり、とある外国人が日本に来て、お年寄りが石を拝んでるのを見て「おばあさん、これは只の石ですよ」と親切に教えてくれたそうです。当然、おばあさんは「知っていますよ」と笑顔で答えたそうです。何方が「本質」を知っていたのかは分かりませんが、「日本人」なら「おばあさん」に共感すると思います。

 実際に見えている部分はその本質の一部でしか無く、見えない部分に真実が「隠されている」事もあります。或いは、単に「影で見えない」だけかも知れません。

 太陽を月が隠している「日食」と同様に、自分の居る所から地球の裏側が見えないのは球形である地球自身が裏側を隠しているからです。石の裏側ですらそのままでは見えません。

 月に地球の影が映っている「月食」と同様に、人間界の混乱は自分自身の影が社会に映っているからです。見えないモノは、他人に隠されている場合もありますが、自分の影で暗くなり見えない事が多いように思います。

 コロナパンデミックは、「ワクチン」「マスク」の隠された真実(コロナに対しては効果が無いが、他の効果は有る)の所為も有りますが、自分の影を恐れた事から始まった現象と言えます。

 「他の効果」の説明は、有料会員限定ですww



「God」 と 「神」

2022年10月27日 | 思想・思考
 多くの国では、「God」は宇宙を創造した「全能の神」です。総ては神の意志なので、人間が戦争をする事も、「武漢ウイルス」の流行も、人間がこれに対抗するのも、人間の意志が入り込む余地は有りません。

 全てが「神の意志」ならば、「God」を信仰の対象にしても何の意味もありません。何故なら、「神」を信じないのも「神の意志」ですし、人間の行動・思想の如何に因らず「救われる(昇天)」か「地獄に叩き落される(粛清)」かも神の意志だからです。「God」を信じる人は「神は全能である」ことを疑ってはいけません。

 若しも「God」を信じない人の存在が「神の意志」でないとしたら、信者にとっては、「サタンの力が勝っている」と認める事になります。但し、信者自身が神の軛から逃れることが出来た場合は、その人は「God」に打ち勝ったと言えます。

 「信教の自由」が保障されている社会では、外見上も内心も、信者とそうでない人の差は殆ど無く、当人の言葉を信じるしか無いのですが、「私は神を信じています」と言う人の言葉を信じるだけであり、実際にそれが真実かどうかは分かりません。神のみぞ知るです。

 「日本はサタンの国だ!」
と嘯いた「イエス・キリストの再来と自称する詐欺師」が創設したキリスト教系の協会がありましたが、「日本がサタンの国であるのは神の意志」である事に気が付かなかったようです。その「詐欺師」は神の力を信じていなかったようで、自らサタンに罰を与え「イブとカネ」を日本だけから巻き上げました。

 何故かその「罰を与えられたサタン」には女性が多く、男のサタンは政治家などになって懐を肥やしました。更に「日韓トンネル」を推進して「日本人」の生き血を総て吸い上げる計画も有ったようです。まさに「サタン」の為せる業です。

 その程度の「詐欺師」に騙される日本人も何ですが、これも戦後教育の結果と言えるかもしれません。但し、「アダムの国」の力を利用して政治家になった「サタン」が、被害者と言えるかどうかは微妙です。

 それはさておき、学問の創始者でも無い菅原道真が「学問の神(天満大自在天神)」と言われたり、野球の創始者でも無い川上哲治が「野球の神様」と言われています。太陽を創造したとされる「太陽神」は世界中にいますが、天照大御神は太陽を創造していないのにもかかわらず「太陽神」と言われています。

 日本の神は、「申し示す」に由来するのか「申:雷(カミなり)」に由来するのかは分からないのですが、萬物の創造主では無いようです。自然が先にあり、それに由来する現象を神に例えているだけで、現在で言う「科学」に過ぎません。

 二千年前の望遠鏡も顕微鏡も無かった時代の「科学的解釈」なので、間違いである事を前提に自然現象を説明しているだけで、それが日本の「宗教(信教)」となりました。現在の科学も、当然ながら二千年後には否定される筈です。

「神(自然)は実在し、神に指名された代理人(預言者・詐欺師)はいない。」・・・と。



「科学」 と 「宗教」

2022年09月30日 | 思想・思考
 昔々、神に遇ったり啓示を受けた人がいて、「その人」の言動によって「宗教」が生まれました。「その人」は神の言葉をそのまま言っているだけなので「その人」には何の罪も無いのですが、「その人」の話を聞くのが単なる人間だったせいで、「宗教」に多くの解釈が生まれて宗派分裂を繰り返し、互いに殺し合いが始まりました。


 「宗派」による最も大きな教義の違いは、「人は、神に無条件に従うべき」と「神は、無条件に人を救う」です。これを言い換えると、「神に従い、救われる」と「死は、神の救いである」です。

 但し、その時の「神」とは、最初に啓示を受けた「その人の神」ではなく、「その人」の話を聞いた人間の解釈する「神」です。「十分の一税」で巨大化した宗派の解釈する「神」もいれば、全財産の寄進を迫る宗派の「神」まで、「理路混然」とし「種々雑多」です。

 「神」に絶大なる包容力が有るかどうかは分からないのですが、「神」に対する正反対の解釈が有るにも拘らず、始祖や預言者は別にして、教祖・宗祖や宗教学者が神の裁きを受けたという話は聞いた事が有りません。何時も聞くのは、信者同士の暴力的な裁き合いですが、その、他人を裁いた信者が神に裁かれたという話も聞いた事が有りません。

 「無神論」を展開する科学的共産主義者の裁きは「粛正」と言いますが、これも何をどう信じるかの解釈の違いに過ぎません。共産主義も宗教と同様に、殺し合いによって生き残った方を「正しい」とするのが正しいようです。それは当然で、生き残った方が間違っているのなら、共産主義も宗教も権威を失い、存続不可能と言えます。

 「科学」の場合は、本来は「定説は間違っている」と考えるところから始まるので、新説の間違いは許容され、寧ろ旧説の方が正しいかも知れませんし、単に正しいように見えているだけかも知れません。

 「マスク真理教」の信者は、日本でコロナ感染者が少なかった時には「マスク着用のお陰」と言っていましたが、感染者数が世界一になってからは「マスク着用はマナーだ」として、いずれにしても「ノーマスク」の人をポアする事で昇華しているようです。

 マスク効果をコンピューターシミュレーションで、恰も「科学的」であるかのような解析をし「正しさ」を主張した学者もいたのですが、それは最初から「マスクには感染予防の効果が有る」との先入観から、パラメータ(引数)を調整した結果かもしれません。その学者が「マスク真理教の信者」ならやりかねません。

 1776年に設立した宗教由来の「イルミナティ」は、厄介なことに「科学」を信奉する「宗教」だったようで、「科学的宗教」と言えるかもしれません。これは「科学的共産主義」と同様に、その名称自体に内部矛盾を含んでいます。

 「共産主義」は絶対に正しいとされ、「宗教」は信じる人には正しいとされ、「科学」は間違っている事を前提にしています。つまり、「科学的共産主義」とは、共産主義が間違っている事を前提に成立していると言えます。

 「イルミナティ」は「科学的(唯物論的)宗教」である事から、成立後間もなく崩壊(1785年)し、地下に潜ったとされています。1919年に成立した「コミンテルン」も「科学的(唯物論的)思想」なので、設立後間もなく解散(1943年)したのですが、地下に潜らずに、各地に散らばった支部が革命を継続しようとしています。

 現在に至るまで、科学を信奉する思想家や宗教家が、科学とは「間違いを前提に成立する学問」である事に気付いていないようです。



「君主」 と 「民主」

2022年07月25日 | 思想・思考
 「民主主義」は民(たみ)に主権があるのですが、「民」には二種類あり「国民」と「人民」です。「国民(=nation)」は国の民なので解りやすいのですが、「人民」の場合は更に二種類あります。

 「人民(=people)」は、所謂「民主主義国に住む住民」で、アメリカ合衆国(合州国)やEU(欧州連合)に住んでいる人です。

 「人+民」の場合は、一部の人民共和国の様に、独裁主義国を構成する「支配層(=human)+隷属民(slave)」を意味します。

 通常「君主」は「国家を治める最高位の人」を意味するのですが、日本国憲法では国民が最高位の人々なので、「君(きみ)」は国民を意味します。

 伊弉諾(いざなき)と伊弉冉(いざなみ)や、翁(おきな)と嫗(おみな)のように、「き」は男を「み」は女を意味し、「きみ(=君)」は人の男女(民とは限らない)の総称を指すとされています。

 その意味からすると、日本語で日本国に対して言う「君主政治」とは「国民による政治」となり、外国では一般的な「王権政治」とは正反対の意味になります。

 これは、日本の神道では「神は萬物に内在する精霊」を意味するのに対して、多くの一神教で言う「神は萬物の創造主」であるのと同様に、「神」が正反対の意味になる事からも理解できます。


 君が代

君が代は 千代に八千代に
さざれ石の いわおとなりて
こけのむすまで


 「君が代」は、和歌(詠み人知らず)を明治になって儀式用の楽曲に使われ、昭和になって国歌として定着したとされています。1999年(平成11年)に「国旗及び国歌に関する法律」で正式に日本の国歌として法制化されたのですが、国歌としては世界最古(約千年前)の歌詞だそうです。

 ところが、「君が代は天皇を讃える歌だ」として忌避する人がいるようです。但し、そう云う人に限って「護憲派」が多いのですが、憲法を無視している事に気付いていないようです。


 憲法第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。


 「国民の総意」で生まれた(実際はアメリカから頂戴した)憲法に「天皇は国民統合の象徴」とされている上に、天皇は男系男子であることは皇室典範に書かれている事から、「天皇は君(男女)では無い」ことは明らかです。


 皇室典範第一条
皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する。


 若しも、天皇を「欧米中式の君主」と信じているのなら、その人は「日本国憲法」を外国語で理解している事になります。勿論、「日本国憲法」は元々は英語なので、私はその人の気持ちを理解できない訳では無いのですが、「悪法も法なり」なので占領統治法(通称、日本国憲法)でも、日本語で解釈して従います。

 例え最初に詠んだ作者が「君」を当時の日本の天皇や王朝を想定したとしても、それはその人の「君」であり、違う人が詠んだ場合は違う人が「君」になるので、多様性を押し付ける「多様性の無い人」に言われる筋合いは有りません。

 若しも「君が代」を天皇による治世と考えるのなら、憲法には改正条項があるので、「象徴天皇」から「元首天皇」に改正すべきと主張しても良いのですが、多くの日本人は外来憲法によって「象徴天皇」と信じているようなので、やはり「君」は国民一般を指すと解釈した方が正しいようです。