やわしの司(農と都)

農と都を結ぶ、田畑からの視点

歴史が表に

2005-05-09 08:45:45 | 歴史
「ヤルタ合意」評価対立 米/欧州分断、最大の過ち 露/世界を破局から救った (産経新聞) - goo ニュース
 米国大統領が「ヤルタ合意」の過ちを認めた歴史的意義は大きい。 
『ブッシュ氏は八日、モスクワでプーチン大統領と会談。誤った歴史を自ら正す勇気を持ち、自由と民主主義の価値観を中心に据えた国家こそが「偉大な国」となり得るのだということを友人として訴える見通しだ。』(引用)

根室市発行の『日本の領土 北方領土』より引用させてもらいます。

英米共同宣言(大西洋憲章)(抜粋・ただし;ブログではカタカナをひらがなにしました。)
1941年8月14日大西洋上にて
アメリカ合衆国大統領および聯合王国に於ける皇帝陛下の政府を代表する「チャーチル」総理大臣は、会合を為したる後両国か世界の為一層良き将来を求めんとする其の希望の基礎を成す両国国策の共通原則を公にするを以て正しと思考するものなり
1,両国は領土的其の他の増大を求めす
2,両国は関係国民の自由に表明せる希望と一致せさる領土的変更の行わるることを欲せす
3,両国は一切の国民か其の下に生活せんとする政体を選択するの原理を尊重す。
  両国は主権及自治を強奪せられたる者に主権及自治か返還せらるることを希望す
フランクリン・ディー・ルーズヴェルト
ウインストン・チャーチル

ヤルタ協定(抜粋)
1945年2月ヤルタ会談に於いて作成。
(補足;1945年8月15日ポツダム宣言受諾、同日;占守島にソ連軍武力侵入。
1945年9月2日降伏文書に調印
1945年9月19日ソ連;20日よりクリル諸島と南樺太の領土宣言)
1946年2月米国国務省より発表

 三大国即ち「ソヴィエト」連邦、「アメリカ」合衆国及英国の指導者は『ドイツ』国が降伏し、
『ヨーロッパ』に於ける戦争が終結したる2月又は3月を経て『ソヴィエト』連邦が左の条件に依り連合国に与して日本に対する戦争に参加すべきことを協定せり
1,外蒙古(蒙古人民共和国)の現状は維持せらるべし
2,1904年の日本国の背信的攻撃に依り侵害せられたる『ロシア』国の旧権利は左の如く回復  せらるべし
 イ、樺太の南部及之に隣接する一切の島嶼は『ソヴィエト』連邦に返還せらるべし
3,千島列島は『ソヴィエト』連邦に引渡さるべし
三大国の首班は『ソヴィエト』連邦の右要求が日本国敗北したる後に於て確実に満足せしめられるべきことに意見一致せり『ソヴィエト』連邦は中華民国を日本国の覇絆より解放する目的を以て自己の軍隊に依り援助を与うる為『ソヴィエト』社会主義共和国連邦中華民国間友好同盟条約を中華民国国民政府と締結する用意あることを表明す
1945年2月11日
イヴェ・スターリン
フランクリン・ディー・ルーズヴェルト
ウインストン・チャーチル

以上引用・・・・・・

大西洋憲章は「大統領」「総理大臣」の肩書き付きの署名になっており、ヤルタ協定では「指導者」となっているところに大きな差がある。
大西洋憲章の領土の増大などを求めずとなっているが、「ヤルタ」では対日本戦参加の見返りとして樺太南部・千島列島を割譲する密約が交わされている。
その後ろめたさが肩書きなしの「指導者」なる言葉に集約されている。

政治家の口先一つで領土がどのようにかすめ取られていったか浮き彫りにしたいと思っています。
みなさんからの補足やご指摘をお願いします。

コメントを投稿