想い出のエピソード

自らの体験や人から聞いた、過去の失敗談や面白い出来事を思いつくままに紹介

誤作動?

2010年03月31日 23時13分03秒 | 日記
28年前のできごと

会社近くの雀荘で4人で3人打ちをしていた。私は、抜けていた時、池川君の
手を後ろからじっと見ていた。彼の配パイはかなりよく、あっという間に高い
手を聴牌(てんぱい)した。
 

池川君は、聴牌(てんぱい)した時、一息つくため、台の下の棚にあるタバコの
箱を探していた。その時、私は、池川君が誤って、牌をかき混ぜるスイッチに
触れたのを目撃した。

突然、目の前にあるマージャン台の上にある牌がグラグラ揺れだした。池川君
は、あわててタバコを灰皿に置き、「だれや!ちょんぼをとるで~、高い手を
聴牌してるのに」と叫んだ。
  

私は、即座に「池川!誤ってスイッチを触ったのはお前や」と言った。
 



37年前、岡山のスポーツセンターでテニスの合宿をした。宿舎について部屋に
荷物を置きに行った時、後輩の林口君が、ふざけて消火器を持って、「打つぞ」と
みんなにホースを向けた。
 

すると、突然、ホースから勢いよく消化液が噴出し、止まらなくなり、廊下は、
あっという間に、水びたしになった。みんなで雑巾を持って、長時間廊下を拭い
たのを覚えている。
 

夕方、宿泊施設のオリエンテーションがあった時、職員が、「火災の時は、備え付け
の消火器を使ってください。早速、いち早く訓練をしていただきましたが」と皮肉を
言われた。
  

九死に一生

2010年03月30日 22時58分14秒 | 日記
37年前、自動車免許を取得した3ヵ月後の年末に高野山をドライブした。

高野山ドライブウェイは急なカーブが多かったが、慣れるに従い、相当な
スピードでコーナリングを楽しんだ。急カーブを何度もタイヤの音を鳴らし
あっという間に頂上に着いた。
 

奥野院あたりで車を止めてハンドルを触っていると、停車しているのに、
ハンドルが簡単に回るのに気づいた。相当ハードなコーナリングをしたので、
ハンドルがおかしくなったかなと思った。
? ? ?

車を降りて、前輪を確かめようとした時、路面が凍結しているのがわかった。
停車中、ハンドルが簡単に切れるのは、故障でなく、路面が凍結しているため
だとわかった。猛スピードで山を登ってきたのを思い出すと、背筋がぞーっと
した。
 

下りは、おそるおそる慎重に走り、ふもとまで1時間近くかかった。



この数年前、友人の近東君は、車で北海道に行った。長い直線路を走って
いた時、小便に行きたくなり、車を停車し、立ちションをした。

すると、警官が寄ってきた。近東君は、「しまった!立ちションを注意され
る」と思ったらしい。
  

すると、警官は、「あなたはラッキーですね。もう少し走っていたらスピード
違反で捕まってますよ」と言った。

昔のスピード違反の取り締まりは、一定区間を車が通過することで、スピード
を計測する仕組みだった。近東君はそのスピード違反計測ゾーンの中で立ちション
をしたのだ。
  


負けん気

2010年03月29日 23時17分15秒 | 日記
28年前、当社の新春懇親会は、異例の長時間宴会になった。

宴会が始まり、やがて、いつものカラオケタイムになった。トップバッター
の役員さんが歌った後、カラオケ機器に突然、歌の点数が表示された。
宴会場にあったのは、いわゆる、点数がでるカラオケだったのだ。
  

トップバッターの役員さんは、自分の歌の点数を見て特に変わった様子は
なかった。しかし、2番手に歌った人が、自分より高い点数がでると、
トップバッターの役員さんは、どうも納得できないという表情になった。
 

その後、歌った人々も、自分より歌が下手と思っていた人物の点数が自分より
高いと、一様に納得できない様子だった。極めつけは、学校の音楽のような
歌い方をする橋木専務が歌った後、かなりの高得点が出たのに場内は騒然と
なった。
  

その後、2回目、3回目の歌を歌いたいという出席者が続出し、宴会終了予定
時間は、まさに、宴たけなわという状態だった。そして、リターンマッチの
希望者が続出し、宴会はいつ終わるか、わからなかった。
  

後日、会社の福利厚生の備品として「点数の出るカラオケ」を購入することに
なった。
  

話好き

2010年03月28日 23時37分41秒 | 日記
15年前、私の上司の福川氏は話好きで有名だった。話の進め方は、まず、
前置きがあり、つぎにそれを受けた話題になり、その後、本題になり、最後に
まとめがあるという展開である。

私が、初めて福川部長の話を聞いた時は、棚の商品を少し移動しようという
話で、前置きは日本経済や社会情勢だったのでびっくりした。
 

ある日、福川氏と一緒に昼食に行った。食事をしながら会話をしていると
福川氏は、人生二度結婚説という自説を話し出した。若い時に年配女性と
1回目の結婚をし、年を取ってから若い女性と2回目の結婚をするという
内容で、これをすることによって日本社会は活性化するというものだった。

私は、何気なく「部長!面白い説ですね。もし、これを堺屋太一さんが
言ったら世間の反響はすごいことになりますよ」と言った。
  

すると、福川氏は、「八津田君、喫茶店に行こうか」と執拗に誘ってきた。
普段は食事後、すぐに仕事をする上司なので、私もびっくりした。そして、
その後、喫茶店で福川氏は、話の続きを熱心に語り始めた。
 

2時間近く、話が続いた時、女性社員があわてて喫茶店に駆け込んできた。
そして、「福川部長、お客様がお待ちです。早く事務所に戻ってください」と
催促した。
 

後で聞いたが、福川部長は、3人もアポをすっぽかしたらしい。
 

接待

2010年03月27日 22時44分50秒 | 日記
10年前、お世話になったコンサルの松川先生を招いて一席設けることに
なった。役員の江上氏は、持田氏に同席するように言ったが、持田氏は、
「八津田君が適任かと思います」と進言した。

私は、酒が飲めないのでその旨を告げたが、江上氏は、一向に構わないと
いうことなので、安心して同席することにした。
 

松川先生、江上氏と私の3人で、北の新地の料亭に行った。話が弾んだので
私は、少しくらい酒を飲まないと失礼と思い、ビールをグラス1杯、ひれ酒
をグラス半分飲んだ。

やがて、お開きにしようということになり、私は、その場で立ち上がった。
すると、松川先生が私に向かって、驚いた表情で「大丈夫ですか?」と聞いて
きた。
  

私は、「なんとたいそうな」と思い、「大丈夫です」と答えた。すると、先生は
「八津田さんは、いま立ち上がろうとした瞬間、机に額を打ったんですよ」と
あわてて言った。私は、身に覚えがなかったが、どうもその瞬間の記憶だけが
飛んでいたようである。

そこからである。私は、急に吐き気をもよおし、トイレで思い切り吐いた。そして
水を飲んだ後、気分が悪くなり、座敷に横たわり女将に介抱された。先生は、
「江上さん。私はタクシーで帰りますので、八津田さんをよろしく」と言って、帰ら
れた。
  

しばらくすると、私は、江上氏の役員車に乗り、自宅まで送っていただいた。

翌日、秘書課の須藤女子から、江上役員が朝一番、「昨日はえらい目にあった」
と言っていたと聞いた。
  

インターネット秘話

2010年03月26日 23時41分32秒 | 日記
10年前のできごと

当時、私はパソコンがほとんどできなかった。しかし、社内のネットビジネスの
プロジェクトのメンバーに選ばれた。

プロジェクトの会合は、2週間に1回のペースで行われたが、ホームページ
やバナー等の用語がまったくわからず、苦痛の会議であった。
 

そのプロジェクトには私と同じレベルの人物がもう一人いた。彼は5年後輩の
稲川君で、いつもプロジェクトの後、2人で「ウェブってなんやろ?リンクって
なんや?英語より難解やな」と慰めあっていた。
 

これではいけないと思った私は、奮起し、デスクトップのパソコンを購入し、家の
リビングルームに置き、家族みんなで使い始めた。私は、教則本を購入し、ワード
にエクセルと精力的に練習を始めた。
 

しばらくすると、ネットサーフィンもそこそこできるようになり、世の男性が興味を
示すアダルトサイトも家族が寝静まってから見るようになった。
   

ある晩、アダルトサイトを見ていると、画面を消しても消しても新たな画面が出てくる、
いわゆるポップアップウィンドウになってしまった。どうしようかと迷っていた時、
突然2階から家内が起きてきて、リビングルームに近づいてきた。
  

私はたいへんあせった。画面右上の×印を急いで何度もクリックしたが、いくらでも
新しい画面が出てどうしようもない状態になった。もうだめだ!と思った私は、窮地の
策として、パソコンを抱きかかえた。
  

それを見た家内は、「パソコン抱えてなにしてるの?」と言った。私は、「パソコンの
場所を移動しようと思って、いま悩んでいるんだ」と苦し紛れの発言をした。
  

思い込み

2010年03月25日 23時35分16秒 | 日記
5年前のできごと

1年後輩の小木君は、管理職だが、決して店長や役員ではない。彼は、
職務上、売場を巡回することが多かった。巡回時は、時々部下の女性
酒本さんもバインダーを持ち同行した。

ある日、小木君、酒本さんの2人で売場を巡回していた時、近くの売場で、
中年男性のお客様が販売員にクレームを言っていた。そのお客様は、結構
長時間クレームを言っていたが、遠くに歩いている小木君と酒本さんを見つ
けた。
 

そのお客様は販売員に「あそこに秘書を連れて歩いてるのは、社長やな。
この件についてちゃんと社長に報告しておけ」と言って、売場を立ち去った。

言われた販売員は、大いに戸惑った。
 

続いて、30年前のできごとである。私は、他社の人事部の早川さんにたずね
たいことがあったので、電話を入れた。

私が、早川さんをお願いしますと言うと、先方の女性は「当部に早川という
者はおりません」と言った。私は、再度電話番号と先方の部署を確認し、
間違いないと確信すると、「間違いないです。人事の早川さんです。」と
強く言った。この時、私は、電話の女性は新人かもしれないと思った。
 

だいぶ先方の女性とやりとりをしたが、結局早川さんはわからなかった。
その時、先方から「矢津田さんですか、先日はどうも!」と早川さんの声が
聞こえた。私は、「やっぱり間違いなかった、よかった!」と胸をなでおろした。
 

続いて、早川さんは、「矢津田さん!私は、早川でなく荒瀬ですよ」と言った。
 



おにぎりとスープ

2010年03月24日 23時33分18秒 | 日記
36年前のできごと

坪外君の下宿に6人がたむろしていた。深夜12時を超えた頃から、みんな
お腹がすいてきたので、夜食を買いに行こうとした。

しかし、全員の所持金を合わせても100円にも満たなかった。みんな我慢
しようとしたが、空腹感はだんだんと増し、耐え切れなくなった。
 

その時、坪外君が、「以前、自炊をしていた時、実家から仕送りの米があるぞ」
と言った。みんな希望の光がさしたように笑顔になった。
 

その米は、押入れの中のカバンの中に新聞紙でくるんであった。ところが、
新聞紙の中の米を見て、みんなあぜんとした。なぜなら米の中に、アリの
ような虫、すなわち、コクゾウ虫がたくさんいたからだ。
  

しかし、みんな空腹感が最高潮に達していたので、あきらめなかった。
みんなで協力して、コクゾウ虫と米の仕分けを行った。だいぶ時間を要したが
やっと3合分ぐらいの米をより分けた。

さらに幸運なことが起こった。使い古しのカレールーが数切れ見つかったのだ。
川本さんが「このルーでスープをつくろう!」とうれしそうに叫んだ。
 

その後、共同の炊事場に行き、コイン式のコンロでご飯を炊き、湯を沸かし
カレールーのスープを作った。そして、ご飯が炊き上がるとみんなでおにぎりを
作った。
 

1人2個のおにぎりとコップ1杯分のカレースープの味は格別だった。私が
スープを味を堪能していると、中にキャベツまで入っていた。私は、「キャベツ
が入ってるが、どうしたんですか?」と聞くと、先輩の幸山さんが「ゴミ箱に
あったで~」と言った。
  

私は、一瞬ドキッとしたが、空腹を満たす至福の味を堪能していたのでまったく
気にならなかった。みんなおいしそうにおにぎりを食べ、スープを飲み幸せ
そうだった。
 

食べ終わると、空腹感はなくなったが、まだ仕分けしていないお米があったので、
再度みんなでお米とコクゾウ虫を仕分けしていた。

その時である。後輩の松本君が「ア!」と声をあげた。みんなが注目すると、
彼がより分けた1粒の米が割れ、中にうじ虫のような虫がいた。みんな、あわてて
他の米を割って中がどうなっているか確かめると大半の米にうじ虫のようなものが
いた。
  

名物係長

2010年03月23日 22時48分50秒 | 日記
どこの会社にも名物係長がいるものである。

30年前、人事部給与係の森山係長は給与に関することはなんでも知っており
みんなから一目おかれていた。しかし、机の中は乱雑で書類があふれかえって
おりひどい状態だった。

ある日、上司が「森山君!○○資料を見せてくれないか?」と言った。上司は
急いでいるような感じだったので、私は、どうなるか注目した。森山係長は
机の引き出しを開け、乱雑に突っ込んだ多くの資料の中から、すぐに該当資料を
取り出した。
 

あまりにも鮮やかな対応だったのでびっくりしたが、森山係長は、どんな書類でも、
乱雑な机の中から一瞬にして取り出すらしい。まさに名物係長だ。
 

森山係長は、マージャン好きで、私は良く対戦した。メンバーは同じ部屋にいる
者で集まったが、たまにメンバーが足らないことがあった。

その日もメンバーが1人足らなかった。私は森山係長に「私の同期の企画室の
国森はどうですか?電話してみますが」と言うと、森山係長は即座に「国森君は
今日は休みや」と答えた。
   

私は、森山係長が1000人近い本部後方部門の社員の出退勤までおさえているのに
びっくりした。
 


返品

2010年03月22日 22時47分54秒 | 日記
百貨店の仕入れ形態に「返品条件付買取仕入れ」というものがある。これは、
売れ残った商品を取引先に戻すことができるという条件で、百貨店が商品を
仕入れることである。

私は、陶器売場に配属後、すぐにこの返品の仕事を教えてもらった。返品伝票を
作成し、該当商品をひもをかけて取引先に返品するのだ。私は、返品商品にひもを
かけていると、中に、まっぷたつに割れた大皿があった。

先輩社員に、「これはどうするんですか?」と聞くと、先輩社員は、「簡単だ」
と言い、割れたお皿の片方を紙に包んでひもをかけた。

私は、もう片方の皿が残っていたので「先輩!片方の皿を包むのを忘れてますよ」
と言った。すると、先輩は、「これはこれで別に返品するんだ」と言って、その皿
を箱に入れひもをかけた。  

5年前、後輩の伏本君は、返品条件付きで話を進めていた商品について、相手先から、
突然「ノー返品」と言われた。  

彼は、憤慨して「いくらなんでも、突然取引条件を一方的に変更するのはおかしい、
なんでや?」と大きな声で抗議した。  


しかし、取引先の担当者は、不思議そうな顔をしていた。いや、取引先だけでなく社内
関係者も首をひねっていた。
  

真相は、先方が「納返品」と言ったのを、伏本君は「ノー返品」と誤解したのである。