私の両親は商売人で・・結構な苦労人
小さい頃・・多分幼稚園の時に父親は社長をしていたかと・・
ただその時は小さい商社をしていて 従業員も10人以上いたような
そして母親は経理をしていて いつも家には居なかった記憶
それと業績が思うようにいっていなくて とうとう 私が小学3年生の頃に倒産
その頃から親は大変なんだと気づくようになり・・家では出来るだけおとなしくしていた暗い小学生の思い出
そして 大きな波があったらしく その間東京の遠い親戚の家に居候したこともありました
そんな後 玄関の前にとんでもないものが 置かれるのを見て それは 鳥の足
大きなビニール袋に鳥の足がいっぱい入っていて 血が下に溜まっていて 何これ と思ったものですが
その時から両親は新たに飲食店を始めていたのでした
毎朝早く家を出て 夜遅く帰ってくる両親
多分借金を返すため 毎日必死に働いていたんだと・・
私はその頃は多感な中学生 なんで飲食 それに 中華料理店
何故その商売をしているのか 何もわからない状況でした
そのうち チラシ配りをしたり お箸を袋に詰めたりと手伝いはしていましたが・・
母親は口を開けば お金ないねんから と言っていたあの頃 今思い出しても切ない日々でしたね
そして 私はその頃から飲食店の繁盛店が気になるようになったのです
どうしてお客さんが並ぶのか どうしたら儲かるのか とかばかり気になり・・
その歳 15歳・・その時にお付き合いを始めたのが とんでもないお金持ち
しかも 中華料理店
大阪の上六では名が通ったお店
そして 家にはお手伝いさんがいるような
楽天的な私はそんな彼氏を羨ましがったりはしなかったんですが
多分父親は嫌な気分になっていたと思います
そんな頃からわたしもいつか 自分で商売をしたいと思っていたのかもしれません
確実に親の背中を見て生きている時代。。
でも 不思議なもので 結婚するならサラリーマンと決めていて その後結婚したのは普通のサラリーマンの息子さん
そのチョイスが駄目だったのか・・
ある時からやっぱり 自分で商売を始めたいと思い出し・・今に至るわけです
今に至るまでの経緯を飛ばしてしまいましたが・・長くなるので。。
今 父親が作り上げたお店は 繁盛店になっています
調子がよかった時は 4店舗あったお店でしたが 今は1店舗でしっかりお客様をつかんでいるお店になっていると思います
いつも父親が言っていた言葉 お客様には喜んで頂く 美味しかったまた来ますと・・父親のサービス精神も人一倍だったように思います
喜んでいただく というのは どんな商売も共通です
父親の商売に対しての情熱を受け継いで行かなければと 最近特に思うのです。。
なんだか自分ごと過ぎましたが・・
商売・・永遠に勉強ということです
YAT with YAMANAKA mokuzai(ハウス,リフォーム,ガーデン&エクステリア)