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ハイイロのおと。(移転しました)

感じたこと、考えたこと、備忘録。

ヒトがいないわけ

2005-09-03 22:14:45 | 小話(思い出、感情論)
ヒトが来ない、行かないところに行くときは、最低限の下調べをしよう。
 今日は、財政再建団体候補と自他共にうわさされるH市の市営美術館に行ってきました。行く理由も無く、なんとなく絵画を見たくなったからという、いい加減な理由で立ち寄ったのですが、ひどいありさまでしたよ。
 市街からそう離れてもいないのに、休日にもかかわらず、ヒトがいない。何かいやな予感がしたけれど、入館料1000円を払って、たまたま開催していた展示場へ。
 入ってみて気づいたが、この展示会、外国の芸術家の個展のようなものらしいが、展示作品が少ない、そしてしょぼい。しょぼい紙製の置物が10点くらい置いてあるだけ。これだけで入館料1000円か。何かの間違いかと思って、館員に「もしかして、これだけですか。」と問うと、「はい、これがすべてです。」という。
 確かにヒトがいないのも頷ける。だれが1000円も払って見にくるんだと。鑑賞時間わずか4分だと。お前はパチスロかと。
 美術館の玄関には、でっかい展示会の垂れ幕が掲げられ、パンフレットや美術資料等も売られている。でも、当然利用する市民の姿はない。まったく売れていない。
 これは税金の無駄遣いじゃないか。H市が財政再建団体になりそうなのも頷ける。「中身は何でもいいから、とりあえず何かやっとこうか」という、ハコモノ、費用対効果無視のダメ行政の一端を見たようで、胸糞悪くなった。
 とりあえず、ヒトがいないところに行くときは、やはり注意をしなくては・・・・。

まとめ
 「なんとなくの行動」を否定するわけではないけれど、なんとなく立ち寄るにしても、ヒトがそれなりにいるところに行くのは問題ないかもしれないが、いないところに行くならば、何処であっても、それなりの注意と覚悟が必要。

幸せの物語

2005-08-27 11:38:05 | 小話(思い出、感情論)
・・・
 昔、3にんのコビトが友達になって、一緒に暮らしていました。3にんは生活が大変だったので、役割分担をすることにしました。のっぽのコビトの仕事は、背が高いので3にんの家の修理をすることでした。ふとったコビトは、良く食べるので3にんの食事をつくり、こがらなコビトは、手先が器用なので3にんの服を作りました。3にんは仲良く暮らし、平和で幸せな生活を送っていました。

 ヒトは幸せであっても、なにかと不満をもちたがるものです。

 さて、ある日、こがらなコビトが服の生地を買いに行った際、生地屋の新しい店主に自分達の生活を得意げに自慢しました。新しい店主はこがらなコビトの話が面白くなかったので、疲れてしんどい仕事をやらされて大変ですね、ほかの2人は楽で面白い仕事をしているのにと、嫌味をいいました。
 だって、そうでしょ。
 のっぽのコビトは、家なんてめったに壊れないから、たまに仕事をすればいい。ふとったコビトは、食べることが好きだから、いわば料理が趣味のようなもの。こがらなコビトは、肩がこる細かい裁縫や仕立ての仕事ばかりってわけさ。
 馬鹿にされたこがらなコビトは、もう服をつくるのがいやになり、家に帰るとほかの2人に、自分はもう十分つらい仕事をやってきた、あなたがたと同じ生活をしてるのに不公平だ、一度仕事を交換してみたらどうだろう、と言いました。
 そして、のっぽとふとったコビトがどんなに相談しても、こがらなコビトは耳を貸そうとしませんでした。とりあえずやってみようということになり、くじびきをしたところ、のっぽのコビトが服を作ることに当たりました。ふとったコビトは家の修理、こがらなコビトは食事をつくることになりました。

 次の日、のっぽのコビトは道具箱から針を取り出し、裁縫をやり始めました。ふとったコビトは屋根の上にのぼりました。こがらなコビトは満足そうな顔で台所に立ちました。ですが、厨房の台が高くて、まな板やなべが使いづらいったらありはしません。もたもたするうちに、なべがひっくりかえり、まな板に火がつき火事になりました。
 こがらなコビトは騒ぎ出しました。
騒ぎを聞きつけてのっぽのコビトは立ち上がりましたが、そのひょうしに針でのどをついてしまいその場に倒れました。ふとったコビトも騒ぎにびっくりして、屋根から転がり落ち、そのまま死んでしまいました。
 そのうち火が、こがらなコビトや3人の家もつつみ、すべて燃えてしまい、後に残ったのは灰と消し炭だけでした。

(「明るいお伽話の世界」のグリム童話「子ねずみと小鳥と焼きソーセージ」を改編。)

セミの死骸と子育て

2005-08-16 22:10:11 | 小話(思い出、感情論)
・・・
死にかけセミの断末魔の羽ばたきが聞こえ、セミの死骸が道端に目立つようになりました。
自転車でセミの死骸を踏むと、軽い感触とともに「クシャッ」と乾いた音がして、背筋が凍るような思いをする季節です。

盆休みにいとこの家に行きました。
いとこと久しぶりの挨拶をし、やれやれと腰を下ろすと、目の前のテーブルに、プラスチックの虫かごが置いてあるのが目に入りました。

いとこには、4歳の男の子が一人いるのですが、しきりに虫かごの中を覗いています。
虫かごの中には、セミの死骸が2体、入っていました。
テカった黒い背中、茶色い羽、白いおなか、典型的なアブラゼミの成虫です。

この頃の男の子は、セミの抜け殻とか、セミに異常な関心を持つんですよね。
死骸を拾ってきたのか、捕まえた後死んだのかよく分からないけれど、虫かごの中に木の枝が入っているところをみると、捕まえられた後、子孫も残せないまま死んだのでしょう。
灰色の濁った目に怨念が篭っているようでした。

しばらく男の子は死骸を観察していましたが、何を思ったのか(急に部屋の中の人が増えたので混乱したのか)、虫かごをしきりにシェイクしだしました。

全力でシェイクされる透明なかごの中で、スクラップにされていくセミ。
羽が取れ、目とれ、頭がとれ、おなかの皮がとれていきます。
昔、昆虫図鑑で見たことがあるのですが、セミのおなかって空洞なんですよね。

「むぅ、アレが俗に言うセミの共鳴室ってやつかー」と、夏休みの自由研究みたいなことを冷静に考えつつも、ナナホシテントウしか触れない虫大嫌いの僕は、内心凍りついていました。

なおもシェイクし続ける男の子の横で、何事も無いようにお茶を出し、世間話を持ちかけてくるいとこ。
セミのパーツが乱舞する虫かごから、目も心も離すことができなくなった僕。

なぜ、この凄惨な場面に、いとこがノーリアクションでいられるのか気になりましたが、追求するのも、家庭事情に内政干渉するようなのでやめておきました。
これが子育てをしている親の慣れ・強さというものなのでしょうか。

少なくとも僕が、いとこのレベルまで到達するには、かなりの苦悩が必要なようです。
子育てってやっぱり大変だなと感じた盆休み。

孤独死コワイ

2005-08-06 17:25:42 | 小話(思い出、感情論)
ひとり

「孤独死(こどくし)」
 誰にも見取られずに死亡すること。一人暮らしの高齢者が自室内で死亡し、死後しばらくたって遺体が発見されること。阪神大震災後の仮設住宅から生まれた言葉。



 数年前の8月頃、大阪府豊中市のアパートで孤独死(死因は不明)したお年寄りが発見された。
 そのおばあさんは、近所に身内もおらず、また、アパートの最上階(5階)に住んでおり、その階にはおばあさんしか住んでいなかったため、発見が数ヶ月遅れてしまった(死亡時期は、その年の2~4月頃か?)。
 夏になり異臭に気が付いた階下の住人が大家に相談し、部屋のなかを確認した。ドアを開けると部屋の中にこもっていた異臭がどっと押し寄せた。目の前の廊下にどろどろになった肉と骨の塊があった。部屋には何処から入ったのかたくさんのハエが飛び回り、床にはハエが何世代か生まれたのか、羽化の抜け殻とハエの死骸、蛆虫が無数に転がっていた。
 専門の清掃業者が片付けをしたが、床に広がったシミや汚物は取れても、臭いはなかなか取れなかった。清掃が終了した数ヵ月後、何も知らないヒトが新しく入居した。



 孤独死は表立って報道されることは少ない。しかし、高齢化社会にあっては、日本のどこかで現実に起こっている出来事である。

腐れ子猫

2005-07-22 23:53:14 | 小話(思い出、感情論)


小さいころの話。
梅雨の時期、雨がざあざあ降っていました。
わたしの家の周りはため池が沢山ありました。
ため池の土手の下には決まってゴミ捨て場があったものでした。

わたしは近所の友だちの家に遊びに行っている途中でした。
ざあざあ降りの雨の中、ゴミ捨て場の横を歩いていると、
ゴミカゴの横にふやけたダンボール箱が1箱おいてありました。
わたしが何の感慨も起こさずに歩きすぎようとしたとき、その箱の中から「みぃみぃ」と猫の鳴くような音がしたような気がしました。

わたしは気にはなりましたが、友だちと時間を約束していましたので、ダンボールの中を確かめはしませんでした。

友だちの家でひとしきり遊んだ後、わたしは思い出したようにゴミ捨て場のダンボールの話を友だちに聞かせました。友だちは話を聞くと、すぐ「行ってみよう」と言い、わたし達は先ほどのゴミ捨て場へ向かいました。

ダンボール箱はふたが閉まったままになっていました。確かに中から何かが引っかく音、子猫の鳴き声が聞こえてきます。わたしと友だちは「捨て猫ちゃうんか?」と言いつつ、中を覗き込むような感じでふたを開けました。

中からムワッとした臭気が立ち上りました。続いて黒い羽虫。ざあざあと雨が降る中で箱の中には子猫が5匹入っていました。1匹がダンボール箱の壁を登ろうと引っかいていました。残りの4匹は、最初、寝ているのかと思いましたが、ぺっちゃんこで突っ張ったような不自然な格好でしたので、すぐに死んでいるとわかりました。

わたしと友だちは飛びのくようにダンボールから離れました。子猫が「みぃみぃ」鳴きながら、「ガリガリ」ダンボールを引っかいているのが聞こえました。

その子猫がどうなったのか、もしくは、わたしたちがどうしたのかは覚えていません。ただ、手足を突っ張ったまま硬直した子猫、子猫の顔と体を這う黒い羽虫、つんとした腐った臭いと雨の湿った臭いがまざったもの、雨の降る音、震えるような子猫の鳴き声だけは良く覚えています。

蛇口と水損

2005-07-18 07:06:01 | 小話(思い出、感情論)

7月中旬のことでした。
わたしは当時小学生で、一学期最後の理科の授業を受けるところでした。
わたしとクラスメートは理科室へ移動していました。
授業は午前10時半に始まる予定でした。
しかし、先生は5分たっても10分たっても来ませんでした。
そのうちみんな遊び始めました。
標本に見入る子、机の上にのる子、大きな声でしゃべる子。

わたしはひとり、なんとなく窓際の流し台に向かいました。
窓の外はまぶしく、窓からは隣の保育園が見えました。
部屋の中に目を戻し、部屋の暗さに目を慣らしていると、
流し台の蛇口のひとつに、目が留まりました。

その蛇口は傾いていました。蛇口の根元からチロチロと水が流れ出していました。わたしは、たいしたことのない使命感のようなものにかられ、蛇口を根元から閉めなおそうとしました。

閉める方向に回したはずでした。

「カツッ」と乾いた音がして蛇口が根元から外れました。

気づいたときには、わたしはびしょぬれで蛇口を片手につったっていました。さっきまでの部屋のみんなの喧騒はなく、ただ水がすごい勢いで噴きだす音と、みんなの「水がとまらん!」「バケツもってこい、バケツ」「これ(ゴム栓の束)でふさげ!」「あかん、あかん」「うわっ教科書やべぇ」「あはははは」「せんせ呼べぇ!」と叫ぶ声が響いていました。

先生がしばらくして駆けつけてきましたが、どうにもならず、結局、校長先生も動員して学校の水の大元栓を締めることで水はとまりました。

悪気はなかったということで先生は許してくれましたが、当然理科室は水浸し。下の階の図工室は「床上だけ浸水」していました。
「授業がなくなってよかった」とみんなが言ってくれたことがせめてもの慰め。

「蛇口の裏にはものすごい水圧がかかっている」ことと、「水損」という言葉を知った10歳の夏。

犬の一生

2005-07-15 23:57:35 | 小話(思い出、感情論)


ある家に一匹の飼い犬がいました。
名前を「ジロウ」といいました。
「ジロウ」は生後5ヶ月の時にその家に来ました。

(ジロウは)小さいときは家の中で飼われていましたが、
大きくなると家の外に鎖でつながれるようになりました。
ジロウは吠えるのが好きだったので、近所迷惑を考えた飼い主は、ジロウを敷地の外からは見えない奥まったところに鎖でつなぎました。
ジロウにとって見えるものと言えば、地面とお空と家の壁ばかりでした。
何もすることがなく、楽しみといえば、毎日一回の食事と近所のお散歩だけでした。
ジロウは鎖が嫌いでした。いつも逃げ出そうと鎖をひっぱっていました。
そして毎日のストレスから前よりもっと吠え、お散歩の後、家の中に入るのをひどく嫌がるようになりました。そのうち鎖が切れました。そのたびに新しい鎖が用意されましたが、ジロウは何度も何度も切りました。

飼い主は、ジロウが逃げ出すのと吠えるのが嫌いだったので、
ある夜、ジロウをつれて外に出かけました。
ジロウはいつもと違う時間のお散歩にきょとんとしていました。
飼い主とジロウは、少し離れた役場に歩いていきました。
空には雲のかかった満月がのぼっていて、
ジロウは初めて通る道端の景色を静かに見ていました。

役場の暗い駐車場にはオリがありました。
飼い主はジロウをオリの中にいれ、鉄格子に鎖をつなぐと、
そばの小屋にいたおじさんと二、三、言葉をかわして、
どこかにいってしまいました。
ジロウは、小さいときしつけられた「お座り」の姿勢のまま、
夜の暗がりの中、あいかわらずきょとんとしていました。
雲にかすんだまんまるい満月が、あたりをぼんやり照らしていました。

その家は数年前に立て壊されました。
でも、ジロウが、鎖を削り、鎖から逃れようとしてつけた跡が、コンクリートの壁に今でも残っているそうです。

少しえぐい話。(溺死)

2005-07-09 10:12:03 | 小話(思い出、感情論)
(消防職員(レスキュー)の友人から聞いた話)

河口に近い橋の上から、身投げした人がいた。目撃談及び橋の上に残された遺留品(靴とかばん)から身投げしたのは女性であるらしい。消防が捜索したものの、見つからず、いったん打ち切ったとのこと。約1週間後に付近の海岸を含めた広い範囲内を捜索することにする。(1週間たてば、いったん底に沈んだ水死体の内蔵が腐り、腐敗ガスが腹に溜まることで、浮かび上がってくる。その後、しばらく水面を浮いているが、やがてガスが抜け死体は再び沈む。死体は二度と上がってこない。)1週間後、予想通り付近の海面で仰向けに浮かんでいた女性の溺死体が発見された。死体はなぜか全裸で、水を吸ってぶくぶくになっており、腹は腐敗ガスでかなり膨らんでいる状態であった。非常に臭い。船に引き上げたところ、なにやら女性の下腹部あたりがモコモコ動いている。かまわず死体をビニールシートで包もうとしたところ、股を開いた形で硬直している女性の局部から数匹のアナゴがニョロォッ(ドロッとかもしれない)と濁った海水とともに出てきたとのこと。アナゴに限らず、魚などは、体に穴(口、目、傷口など)があれば、そこから体内に入り、やわらかく食べやすい内臓から食べていくからであるが、友人曰く、それまで火事現場の生焼けの焼死体、事故等で血だらけの死体及び重症者などを見てきたが、この溺死体の惨さは絶対忘れられないものであったらしい。



スマトラ島沖地震では、多くの人が津波に飲み込まれ、そして現在も行方不明のままなのであるが、インド洋の東側海域では上記のような状態になった遺体が数多くあったのだろう。