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やぶ泌尿器科のあたふた診療録

田舎の泌尿器科医、悪戦苦闘の診療記録

老眼鏡

2005-08-11 | 泌尿器科
「人間は 必ず老いると 老いて知り」

 私が以前、往診でお伺いしていた方が詠んだ川柳である。私自身、まだまだ年老いたという年代ではないが、身体のあちこちで不具合が起こり始めているのも、また事実である。

 その最たるものが目。遠くの方はまだまだ大丈夫で、何光年も離れた北斗七星だって見えるのであるが、近くに至ってはハードカバーの本の文字さえ見えづらいのである。最初は、薬に刻印された小さな文字を読む時だけ必要だった老眼鏡が、最近ではカルテを書く時にも時々使用するようになってきている。

 最近、特に不自由をしているのが在宅で行う点滴。在宅療養中のお年寄りは総じて血管が細く、ただでも点滴しにくいのに、老眼の目では穿刺する時の針と血管の距離感もだんだん曖昧になって来るのである。

 最近、肺炎を繰り返すおじいさん。採血をしようにも、点滴をしようにも、もともと血管が細いうえに血圧も低いものだからさっぱりと見えないのである。このままでうまく行きそうもないので、一旦往診車に戻り老眼鏡を持ち出した。格好なんてつけてられないのである。
 老眼鏡をかけてじっくりと観察すると、かろうじて糸のような血管が見える。「おじいちゃん、これから、どうなるんだろう」というような表情のご家族を前に、「こんな血管じゃあ、点滴なんてできませんな」と引き下がる訳にもいかず、「頑張ってみましょう」といいながら、採血と点滴の準備を始めた。

 大雑把な作業をする時にはかけ慣れていない老眼鏡はかえって邪魔になるため一旦外し、点滴の準備が整ってから腕にゴムを巻き付け、細い血管をバチバチと叩き(ごめんね)、さあ穿刺だと言う時になって・・ないのである。何がって、老眼鏡が。あたりは点滴や採血の準備でいろいろな物品が散らかっている。私生活と同じで整理整頓が苦手なのである。
 
 おいおい肝心な時に、と手探りで老眼鏡を探し(まるで横山やすしの漫才である)、それでも見つけることができないので、一度高い視点から探してみようと立ち上がったその時、足の下でバリっと音がした。

 片方だけレンズが入った老眼鏡をかけて必死に点滴をしようとする私の後で、ご家族が必死に笑いをかみ殺す気配を感じたのは、多分、私の気のせいではあるまい。

こっちの方が大事

2005-08-10 | 泌尿器科
 往診に出向く時は手ぶらでも(もちろん仕事道具は持って行きます)、帰って来る時にはいろんなものを持ち帰ってくることが珍しくない。
 一番多いのは血液であったり尿であったりと検査のために持ち帰る検体である。血液はともかくも尿は要注意であり、うっかり失念して往診カバンの中に放り込んだままにしておいた日には、しばらくして目がしみるような臭気が漂い始める。往診に行く先行く先で尿の臭いがするので、「今日は失禁(尿漏れ)の多い日だなあ」と思っていたら、臭いの元が自分の往診カバンだったなんてこともある。

 嬉しい頂きものは数知れず、桃や西瓜、はたまた蜜柑などの季節の果物を始め、米、数々の野菜、魚、花・・etc.反対に嬉しいものばかりではなくインフルエンザや疥癬(ダニの一種)なんても頂戴した。卑しい性格ゆえ、貰えるものは何でも頂いて帰ってくるのである。

 とあるお宅に往診した時、寝たきりのおじいさんのそばに座って診察をしようとしたら、目の前の窓にたわわに実をつけた梅の木が目に入った。
 「梅の実がなってますねえ」
 別に深い意図はなかったのであるが、私の後に座ってその言葉を聞いていたおばあさんが即座に反応する。
 「先生は梅酒を飲まれるんかね?」
 「はい、最近はあまり飲みませんが、以前は家で梅酒を造ったものでした」
 「そうかえ、なら梅を持って帰りな」
 以前と言っても相当昔、梅酒は死んだ私のおばあちゃんが造っていたので、現在、我が家では梅酒なんて造ってはいないのであるが、今更後には引けない。
 梅の木を眺めながらとことこと何処かに行ったおばあさんを待っていると、その梅の木のほうからおばあさんの声が。
 「先生、何をしてるの。早くおいで」「え?」
 働かざる者食うべからず・・てっきり取り置きしてあった梅の実をくれるものと思っていたがそうではなく、梅の実はこれから収穫しなければならないのである。
 庭に出て梅の木に近づくと、おばあさんは脚立を用意している。用意していた籠を私に手渡し、「ほれ、下でこれを受けて」といいながら、脚立に登って梅の実を取り始めた。
 お年寄りにこんなことさせていいのかなあとは思ったが、どう見ても素人の私よりは手際が良さそうである。私の持った籠はみるみる梅の実で一杯になっていった。
 「あのう・・もう、これくらいでいいんじゃないですか」
 「まだまだ」
  まだまだ・・って、持っているのがかなり辛くなるほど重いんですけど。

 籠に山盛りの梅の実を袋に詰め替えて貰いながら、参考までに梅酒の造り方をお聞きすることにした。
「砂糖1キロに梅の実1.2キロぐらい、それに焼酎かホワイトリカー1.8キロ・・」 
 おじいさんのカルテに梅酒レシピのメモをとり、肩には往診カバン、両手に梅の実がいっぱい詰まった袋を持っておいとまする事になった。今日の往診は大収穫である。 

 「いや~、有り難うございました~」 
 喜々として往診車の方に引き上げようする私に向かって、おじいさんがすがるような弱々しい声で、
 「お~い、わしの診察はぁ・・?」

床ずれ

2005-08-09 | 泌尿器科
 私は在宅で床ずれ(褥瘡)の処置を依頼される事が多い。どういう訳か医者はあまり床ずれに関しては関心がないのか手を出さず、看護師さんに任せっきりなんて病院も少なくない。ところが、皮が剥けた程度の些細なものいざ知らず、筋肉まで腐って骨に達しようかなどというレベルになると、時に外科的な処置も必要となり、看護師さんだけでは手に余るのである。

 近くの訪問看護ステーションの看護師さん達の相談に乗っているうちに、なんとなくその方のお宅まで傷を見に連れて行かれ、結果、たくさんの乗りかかった船に同乗することになり、いつしか泌尿器科にもかかわらず床ずれの処置だけを頼まれる事も多くなってしまった。いまだ、ち○ち○の床ずれなんてのは見た事がないのだけれど・・。

 人間、経験を積むと変な自信が出てくる。大抵の床ずれは治せるような気になってくる。他の医者が見放したような傷でもなんとかなるんじゃないかと思えるのである。そして落とし穴が大きな口を開けて待っている。

 頸椎損傷の方のお尻に床ずれができた。かなり重症と思われた。このタイプの床ずれは下手したら手術で骨を削らなければならない事も多い。ご家族の方が入院を嫌がったので、訪問看護と協力して在宅で治療することにした。実は私自身、この程度の傷は入院しなくても治せるんじゃないかと思ったのである。事実、治療を開始して、改善する傾向も見られたのである。
 ところが、2日ばかりご家族の方に処置をお願いした後でお伺いしてみると、床ずれの底は見えないほどはるかかなた、人が隠れられるんじゃないかと思われるほどの深い洞穴になってしまっていた。「おーい、小野田さ~ん、戦争は終わりました~。出てきてくださーい・・」

 思い切りへこんだ。至急、病院に連絡をとって入院して頂いた。ご本人とご家族には丁重にお詫びした。在宅で粘りすぎた私が悪いのである。病院ではきっと「なぜこんなになるまで・・」って思いっ切り悪口言われてんだろなあ。自業自得だけど。

 自分にブラックジャックのような腕があればいいのに。手術の魔術師などと呼ばれ、どんな傷でもたちまち、その傷の中からウサギや鳩を取り出して・・って違うだろ。

目線を下に

2005-08-08 | 泌尿器科
 困った患者さんを相手にしても、最近はなんとなく落ち着いて話が聞けるようになった。診療所が暇な事もあるのだろうが(きっとそれが一番の要因だな)、こちらにいささか余裕みたいなものが出来てきたのかもしれない。

 大学病院に勤務時代は、毎日毎日がもう一杯一杯の状態で、卒業後3年ぐらいで十人余りの患者さんを担当させられた時などは、病院に出勤するのが心底嫌であった。ゆっくりと相手の話など聞けたものではない。うじうじと不満を訴え続ける患者さんに向かって、「え~い、うるさい」と、何度心の中で叫んだことだろう。

 ある時、「患者さんに対する対応の仕方」などと題した講演を聴く機会があった。詳細は忘れてしまったが(だからいつまで経ってもダメ医者なのです)、印象的な言葉のひとつは「目線を患者さんより下にする」と言うものであった。上から見下ろすように話すと、ただでも医者に対して威圧感を感じている患者さんは、余計に何も言えなくなるからである。

 ある日の事、自分の担当のおじいさんが病室の廊下でうなだれていた。さっそく教えてもらった接し方を実践するつもりで、その方の前に屈んで見上げるように「どうしましたか?」と優しく訪ねた。しかし返事がない。ただ不服そうにしているだけである。
 何度か訪ねているうちに、ついついいつもの自分が顔を覗かせ、その方の身体をもって揺するようにして「どうしたのですか!」と言い放ったところ、
 『げーっ!』 げーって・・。

 吐き気を必死でこらえていた方の肩を持って揺すっぶった私が悪いのである。しかも、その日に限っては私はその方の前に屈んでいたのである。付け焼き刃のテクニックで対処してやろうとしたことが、無言のままで詰め所に戻り、笑いをかみ殺している看護師さん達の前でひたすら頭を洗う結末を招いたのである。

私がやりました

2005-08-06 | 泌尿器科
 別に警察に個人的恨みがある訳ではないし、逮捕された事も尾行された事もない。あえて関係があるといえば、一度、警察署の前でネズミ取りに引っかかった事と(今でも悔しい!)、午前3時半に国道で飲酒検問にひっかかり風船を吹かされたことぐらいである。

 でも気の弱い私は警察が苦手なのである。ちょっと質問されるだけでも心臓がバクバクしてるのがわかるし、下手したら声までうわずってくる。個人的なつき合いを除けば、できればかかわりたくはない職種の方々なのである。しかしながら青天の霹靂、突然、嫌でもお近づきにならなければならない事態に遭遇することがあるのである。

 さる土曜日の午前中、診療所に往診依頼の電話が入った。初診の方で、聞くと普段は近くの内科の先生に診てもらっているのであるが、なんでもその先生は休みの前の日は往診しない方針なのだそうである。それにしても何でわざわざ泌尿器科の私に・・と思ってお伺いすると
「先生は、いつでもすぐに往診してくれるって聞きましたので」
 誰だよ、そんな噂を広めた奴は・・。

 ご家族の方に様子をお伺いすると、4、5日前までは普通に歩いていたが、最近、急に食事をしなくなって寝てばかりいるとのこと。さして深刻な雰囲気でもなかったが、少々気になったので午前の診察を終わるや否や、一番目にお伺いすることにした。

「先生、もう来て頂いたんですか」と娘さん。
 聞けば老夫婦は離れに住んでいるとのこと。娘さんに案内されて離れに行き、おばあさんにご挨拶をする。娘さんは一足先に上がり込んでおじいさんに声をかけている。

「おじいちゃん。先生が来てくれたよ、おじいちゃん、おじいちゃんって」
 その「おじいちゃん」の声が次第に大きく、ただならぬ雰囲気となっていく。
 嫌だなあ~・・という私の予感は現実のものとなる。

「先生!おじいちゃんが・・おじいちゃんが死んでます!!」

 あわてて上がり込んで診させて頂くと、間違いなく亡くなられている。しかも、たった今ってことはなさそうな様子なのである。
「先生!なんでおじいちゃんは死んだのですか!」・・って、わかりませんよ。私はこの方が生きてる時を見たこともないのに。
 
 ご家族に事情を説明して警察に連絡する事になる。ああ、また来るんだ、鑑識みたいな人達がゾロゾロと。そして検死の最後にいつも聞かれるのである。

「ところで、先生のお名前は?満年齢は?」
 この雰囲気に耐えられず「すみません、私がやりましたぁ~!」なんて口走ったらどうしよう。

人体実験

2005-08-05 | 泌尿器科
 今は田舎の診療所でどたばたやらかしている私でも、かつて大学病院に勤務していた時代があった。大学では患者さんの治療に関する「臨床」と、医学に関する実験等を行う「研究」が主な仕事である。

 私の研究テーマは尿路結石症に関するものであり、暇ができれば研究棟に出向き、いろいろと実験していたのである。
 実験が進み、基礎的実験や動物実験である程度のデータが集まってくると、最終的には人間のデータを取らなければならない段階になる。具体的には、さまざまな薬剤を投与した後の血液や尿の変化を調べるといったものである。
 もちろんこれは治療ではなく、乱暴に言えば人体実験なので患者さんにお願いする事はできず、結果、医局員達が自ら薬を飲んで血液や尿を調べる事になるのである。特に若い医局員達は半強制的に実験台として駆り出される。上のドクター達には、私達の顔はきっとネズミとあまり大差なく見えていたのであろう。

 実験の日には薬剤(あれは薬だったのかなあ・・)を服用して、1日に6回も7回も採血したり、尿を容器に貯めたりと結構たいへんだったのである。しかし今、冷静に考えてみると、そうやって集められたデータは一般大衆に当てはまるデータとして報告してもよかったのであろうか。私を含めた若い医者達が概ね正常の範疇に収まる身体だとは、誰も認定してくれた訳ではなかったのに。

 とある学会では、射精前、射精中、射精後の前立腺の形態を観察した結果が報告されていた。私はその報告を聞きながら、それが示す学術的な意味合いよりも、「きっと、あれは若い医者が実験台にされたんだろうなあ」と心底、気の毒になったのを覚えている。いくら上司からの命令だとしても射精中の前立腺を調べられるなんて・・人権擁護委員会からクレームが来そうではないか。長くトラウマにならなければいいけど。

 ある時、上司がカルシウム47という放射性物質を私に注射し、その後の体内での分布を調べて学会で発表した。放射性物質は文字通り放射線を出すため、それを追跡すると体外からでもその分布状況を知ることができるのである。

 その上司が学会から帰ったので成果をお聞きすると、「いやあ、内容はともかくも、お叱りを受けてしまったわ」
「どうしてですか?」
「カルシウム47は人体に投与してはいけないらしいわ。すまんすまん、わっはっは」

 今、思い返してみると、どうもその頃から頭髪が薄くなり出したような気がしてならないのである。違うって?

ぶちぶちぶち・・

2005-08-04 | 泌尿器科
 ちょっと考えれば当たり前の事なのであるが、およそ身体だけが勝手に病気になる人などはいない。身体の調子が悪くなるにつれて、反対に心が爽快になれる訳がない。うちの馬鹿犬だって、体調が悪い時はやはり随分と御機嫌も悪いのである。ましてや複雑な精神構造を持っている人間様となると言うに及ばずである。

 「お前に診てもらっても、全然治らないじゃないか」と罵声を浴びせかけられようと、それは正常な反応なのである(嬉しくはないけど)。私にとって目下の悩みの種は心が先走って病気になる人なのである。

 確認するが、私は泌尿器科なのである。しかし、何かのはずみでこのような方が居着いてしまうと、これがなかなか縁が切れないのである。

 診察に来ると「ぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶちぶち」と不調を訴え続ける。診察時間は30分を越え、いつ終わるのだろうと不安になることさえある。いくら暇な診療所とはいえ、「もう勘弁して欲しいなあ」と思いながらおつき合いしている。

 ある時、いつもと同じように「ぶちぶちぶち・・(以下、省略)」と、ひとしきり不調、不満を訴えた後、「原因はよくわかってるんです」。いつもと違う展開に「え?」と思っていると、
「実は、愛人がいて、その若い娘は優しくて理解があるのですが、妻とはそのことが原因で少々うまくいってなくて・・」
「ぶちぶちぶち!」・・これは私が切れた音。てめ~!

 以後、その方がお見えになっても、あまりまともに話を聞かない事にしている。医者とは思えない態度だって? いいもん、何て言われようと。

久しぶりの出産

2005-08-03 | 泌尿器科
 男性の尿道は長さ約20センチで途中で曲がっているのにくらべ、女性の尿道は長さにして5センチもなく、しかもほとんど真っ直ぐなのである。男がいくら威張っていても、女性が本気になって排尿したら(何という前提なのだ?)かなう訳がない。その勢いでロケットのように飛び上がる事だって出来るのではないか(飛び上がった事のあるかた、ご連絡下さい)。

 とある夜、老人保健施設から入所中のおばあさんが「う~ん、う~ん」と苦しんでいるとの連絡が入った。認知症(老人性痴呆)があるため、聞いても何が苦しいのかよくわからないとのことである。記録によれば数日前から血尿が出ており、発熱も続いていたとのことである。尿路感染症が考えられるが、何か原因があるにしろ老人保健施設では大した検査はできないので、とりあえず抗生物質の指示を出した。

 このまま様子を見て状態が改善しなければ病院に転送だなあ等と思っていると、しばらくしてまた電話連絡が入った。

「先生、先ほど連絡した○○さんなんですが・・何か出てきました」
「は・・?」
「何か出てきてるんです!!」

 君は興奮して何を言っているのだ? 人間の身体から体外に出るものなんてそれほど多くはない。汗、尿、便、血液、鼻汁、嘔吐物、涙、膿汁・・多分、両手があれば足りるほどであろう。

「どこから何が出てきてるんだ?血か?膿か?」報告はもっと簡潔、かつ正確にといらだちを隠せない私。
「多分・・下の方から、何か・・丸いものが・・」って、さっぱり要領を得ないのである。
「もういい。行くから」

 約10キロの道のりを、職員曰く、得体の知れない丸いものを確認するためだけに、ブツブツと文句を言いながら夜道を走る事になった。何が出てきているかぐらい、いくら医学の専門家でなくてももっと的確に表現できるだろうに。丸いもの?馬鹿じゃないのか?

 施設について、相当不機嫌な顔でそのおばあさんの元に行き、オムツをはずすと・・あった、丸いものが。オムツの中には若干の出血とともに、ウズラの卵より二回りは大きい卵形のものがあるのである。「確かに・・ま、丸いな」と言いながらおそるおそる触れてみるとそれは石のような硬さであった。

 それは膀胱にできた結石であった。それが何かの拍子に尿道を通って外に出てきたのである。おばあさんは必死になってこの結石の産みの苦しみを訴えていた訳である。女性の尿道、恐るべし。自力で体外に出た結石部門(あるの?)のギネス記録に申請する資格がありそうな、こんな大きな結石さえ産み落とすのであるから。

 そして、この結石を見事産み落としたおばあさんの顔は、心なしか晴れ晴れとしていたのである。

客観的証拠

2005-08-02 | 泌尿器科
 決して多くはない私の診療所の患者さん達の中でさえ、少々かわった方がいる。
 毎週のように受診する男性。その訴えは「しんどい、足がだるい、頭が重くて痛い」。
 最初は一応検査もしたが、結果は何の異常も見つからず、何度も何度も同じ訴えで受診されるうちに、いくらやぶの私にでも、この方の身体の中に放置すれば大変なことになるような病気はないことぐらいはわかるのである。
 
 最初はそれなりにお相手をさせて頂いていたが、考えてみれば病気でない人に対して健康保険を使って治療費を請求するのはおかしな話であり、さりとて受診したらしたで、それをなかったことにする訳にはいかない。万一の事があった場合、患者さんは受診したつもりで、こちらに受診の記録がないというのは、たとえそれが善意からであっても厳しい追及を受けてしまう可能性があるからである。お金を請求しなければしないで、「あの診療所は只で見てくれる」などという噂が広まりでもすれば、保険者や医師会からこれまた厳しい指導が来ることは目に見えている(患者さんから自己負担金を頂かないのは明確な違反なのです)。
  
 困った私は、なんとか診療所からその患者さんを遠ざけようと、「大したことはない」「治療するほどでもない」と暗に「来なくていい」とほのめかすのであるが、相手の頭の中の予定表にはずっと先までの受診の予定が書き込まれているようであり、必ず週に1度はお見えになる。その度に「しんどい、足がだるい、頭が重くて痛い・・」。
「誰だって、働いてれば疲れるし、足もだるくなります」
「でも、頭が重いし痛いし・・」


「あなたを見てると、そんなに痛そうには見えない!」
 ある日、忙しかったこともあり、つい強い口調でそう言ってしまった。  
 痛みなんてものは客観的に判定しにくいものであるため(採血したって、痛みの数値は出ないでしょ)、さほど痛そうにしていないからと言って、その人には痛みがないはずだなんて話は成立しないのであるが、そうも言いたくなるのである。
   
 ちょっと可哀想だったが、これでこの診療所から足も遠のくのかなあなどと思っていたが、どっこいそんな甘いものではなく、数日してまた机の上にその方のカルテが出てきた。やれやれと思いながらその方を診察室に入れるように指示を出し、診察室の扉が開くと同時に「どうしたの?また頭が痛いの?」と言いつつ、クルリとその方の方を向いて・・そして椅子からずり落ちそうになった。

 その方のおでこ全体に貼られた大きな湿布・・。

「わっ!何なんだよ、それ・・」と私が大きな声で言ったとたん、後で必死に笑いをこらえていた看護婦が吹き出した。

 その方にしてみれば、頭が痛いのだという客観的証拠?を示した訳であろうが、それにしても、いつからその格好をしていたのであろう。そして・・その格好で診療所から出て行くのであろうか? 

 あの診療所では、頭痛を訴える患者のおでこに湿布を貼る・・巷にそんな噂が広まらないことを祈るとしよう。

腹側?それとも背中側?

2005-08-01 | 泌尿器科
みなさんはち○ち○の断面なるものをご覧になった事はあるだろうか。私だって別に何としてでも見たいなどと思った事は一度だってない。やむにやまれずち○ち○を切断しなければならない時などに、嫌でもその断面が見えてしまうだけなのである。もっとも最初は、「断面が金太郎飴みたいだったら面白いのになあ」などと、ちょっと不謹慎な事を思ったりしたものであるが。

 ち○ち○を切断したらしたで、解剖をちゃんと理解していないと断端の処理ができない。出血しやすい場所や大きな動脈の走行する場所を頭に入れておかなければならないからである。

 若かりしころ、解剖の教科書を見ているとふとある事に気がついた。ち○ち○の断面をこちらから観察した時、上、すなわち天井にあたるところを走行する動脈に「陰茎背動脈」という名前が付いている。

 ちょっと待てよ。自分のち○ち○を観察すると、正面から見て断面の天井にあたるところは前の方、すなわちお腹の方を向いているはずではないか。背中の方を向いているのは断面の下にあたる部分ではないのか?不思議に思った私は教授にその事を尋ねた。教授も「う~ん、それはそう決まっているだけだろう」などと、教授にも明確な説明は出来ないようである。

 その時、医局に私の同僚Kが入ってきた。私と同年代の若い医者である。教授は若い医者に対して軽く試験でもするつもりで、「K、陰茎のこの部分にある動脈は何と言うか知ってるか」と尋ねたところ、Kは何のためらいもなく「陰茎背動脈です」と答えた。ちょっと肩すかしをくらった教授が「よくこちらを腹側って間違わなかったな」と言うと、やにわにK、

「教授みたいに、そいつがいつも下を向いてる人には理解しにくいでしょうが、私みたいに元気のいいのを持ってると、そちらが背中側ってのはすぐにわかります」