「人間は 必ず老いると 老いて知り」
私が以前、往診でお伺いしていた方が詠んだ川柳である。私自身、まだまだ年老いたという年代ではないが、身体のあちこちで不具合が起こり始めているのも、また事実である。
その最たるものが目。遠くの方はまだまだ大丈夫で、何光年も離れた北斗七星だって見えるのであるが、近くに至ってはハードカバーの本の文字さえ見えづらいのである。最初は、薬に刻印された小さな文字を読む時だけ必要だった老眼鏡が、最近ではカルテを書く時にも時々使用するようになってきている。
最近、特に不自由をしているのが在宅で行う点滴。在宅療養中のお年寄りは総じて血管が細く、ただでも点滴しにくいのに、老眼の目では穿刺する時の針と血管の距離感もだんだん曖昧になって来るのである。
最近、肺炎を繰り返すおじいさん。採血をしようにも、点滴をしようにも、もともと血管が細いうえに血圧も低いものだからさっぱりと見えないのである。このままでうまく行きそうもないので、一旦往診車に戻り老眼鏡を持ち出した。格好なんてつけてられないのである。
老眼鏡をかけてじっくりと観察すると、かろうじて糸のような血管が見える。「おじいちゃん、これから、どうなるんだろう」というような表情のご家族を前に、「こんな血管じゃあ、点滴なんてできませんな」と引き下がる訳にもいかず、「頑張ってみましょう」といいながら、採血と点滴の準備を始めた。
大雑把な作業をする時にはかけ慣れていない老眼鏡はかえって邪魔になるため一旦外し、点滴の準備が整ってから腕にゴムを巻き付け、細い血管をバチバチと叩き(ごめんね)、さあ穿刺だと言う時になって・・ないのである。何がって、老眼鏡が。あたりは点滴や採血の準備でいろいろな物品が散らかっている。私生活と同じで整理整頓が苦手なのである。
おいおい肝心な時に、と手探りで老眼鏡を探し(まるで横山やすしの漫才である)、それでも見つけることができないので、一度高い視点から探してみようと立ち上がったその時、足の下でバリっと音がした。
片方だけレンズが入った老眼鏡をかけて必死に点滴をしようとする私の後で、ご家族が必死に笑いをかみ殺す気配を感じたのは、多分、私の気のせいではあるまい。
私が以前、往診でお伺いしていた方が詠んだ川柳である。私自身、まだまだ年老いたという年代ではないが、身体のあちこちで不具合が起こり始めているのも、また事実である。
その最たるものが目。遠くの方はまだまだ大丈夫で、何光年も離れた北斗七星だって見えるのであるが、近くに至ってはハードカバーの本の文字さえ見えづらいのである。最初は、薬に刻印された小さな文字を読む時だけ必要だった老眼鏡が、最近ではカルテを書く時にも時々使用するようになってきている。
最近、特に不自由をしているのが在宅で行う点滴。在宅療養中のお年寄りは総じて血管が細く、ただでも点滴しにくいのに、老眼の目では穿刺する時の針と血管の距離感もだんだん曖昧になって来るのである。
最近、肺炎を繰り返すおじいさん。採血をしようにも、点滴をしようにも、もともと血管が細いうえに血圧も低いものだからさっぱりと見えないのである。このままでうまく行きそうもないので、一旦往診車に戻り老眼鏡を持ち出した。格好なんてつけてられないのである。
老眼鏡をかけてじっくりと観察すると、かろうじて糸のような血管が見える。「おじいちゃん、これから、どうなるんだろう」というような表情のご家族を前に、「こんな血管じゃあ、点滴なんてできませんな」と引き下がる訳にもいかず、「頑張ってみましょう」といいながら、採血と点滴の準備を始めた。
大雑把な作業をする時にはかけ慣れていない老眼鏡はかえって邪魔になるため一旦外し、点滴の準備が整ってから腕にゴムを巻き付け、細い血管をバチバチと叩き(ごめんね)、さあ穿刺だと言う時になって・・ないのである。何がって、老眼鏡が。あたりは点滴や採血の準備でいろいろな物品が散らかっている。私生活と同じで整理整頓が苦手なのである。
おいおい肝心な時に、と手探りで老眼鏡を探し(まるで横山やすしの漫才である)、それでも見つけることができないので、一度高い視点から探してみようと立ち上がったその時、足の下でバリっと音がした。
片方だけレンズが入った老眼鏡をかけて必死に点滴をしようとする私の後で、ご家族が必死に笑いをかみ殺す気配を感じたのは、多分、私の気のせいではあるまい。