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やぶ泌尿器科のあたふた診療録

田舎の泌尿器科医、悪戦苦闘の診療記録

体温測定

2005-08-30 | 泌尿器科
 最近は耳で測定するような体温計も出来てきたが、普通、体温は脇の下で測定することぐらい子供でも知っている。でも大人になると、もっといろんな所で測れることも知るようになるのである。
 
 大学勤務の頃、朝、病棟の患者さんを回診していると、ある患者さんが「歯科に受診したい」と訴えられた。泌尿器科で入院中に歯の状態が悪くなる事だってあるだろうから、「いいですよ」とお返事し、紹介状を書くために症状を詳しくお聞きすることにした。

 「虫歯ですか?」とか「歯茎が腫れてきたのですか?」とか、自分が知ってるような口の中の症状についてお尋ねするのであるが、どうもはっきりとした返事が返ってこないのである。朝の忙しい時間帯だったのであまりその患者さんにだけ時間を割くこともできず、「後でもう一度伺いますから」とお伝えし、とりあえず他の仕事をこなすことにした。

 詰め所に帰って夜勤の看護師さんに「○○さん、歯科受診希望らしい」と伝えたところ、その看護師さんの様子が少々おかしいのである。
 「どうしたの、何かあったの?」と尋ねると、その看護師さんの口から驚くべき事実が語られることになったのである。
 
 歯科受診を希望された方は少々神経質な方で、毎日、何度となく自分の体温を測り、その度に看護師さんに微熱があるなどの訴えをしていたらしい。忙しい看護師さんは体温のちょっとした変化にいちいち長い時間をかけて説明することもできず、また、実際に医者に説明を求めるほどの症状でもなかったため、あえて報告もせずに適当にあしらっていたようであるが、それがその方にとっては非常に不安だったようである。

 そこに現れたのが看護学生。長い時間をかけて話を聞いてくれる学生達に自分の体温のことを根掘り葉掘り問いただしたのである。
 「何故、朝の方が体温が低いのか」「36.9度は病的な体温じゃないのか」

 患者さんからの鬼気迫る訴えに、学生達は必死になって教科書で調べては応えていたのであるが、ある時、その患者さんは「身体のどの部分の体温が最も正確なのだ」という問いを学生達に発したのである。
 
 早朝、宿題の答えを考えてきた一番目の学生。「やっぱり直腸温じゃないでしょうか」
その方は枕元に置いてあるマイ体温計を、おそるおそる肛門から挿入して温度を測ったのである。

 そしてまことに絶妙のタイミングでその方の所に二番目の学生。
 「体温は舌の下でも測定できます」

 昨夜、学生達はいろいろと調べて来たのであろう。その必死さに報いようとしたのか、看護学生が差し出した直腸に入れたばっかりの体温計をためらうことなく口の中に・・そこであっと我に返ったのである。

 結果的にこの騒ぎの元をつくって恐縮する看護学生に、一応の注意をする看護師の顔は思い切り笑っていた。

緊急採血

2005-08-29 | 泌尿器科
 大学で勤務していた頃、研修医の受け持ちの患者さんが極度の貧血になってしまった。回診でその事実が判明し、教授から「何故こんなになるまで気がつかなかったのだ。至急、輸血するように」ときついお叱りを受けた次第である。

 研修医は慌てて血液センターに連絡を取っていたが、あいにくその患者さんに合うAB型の血液の在庫が底をついており、とても今日中には血液が手に入りそうにはないとのことであった。いくら教授から厳命されたとはいえ、ない袖は振れないのである。でも、そんな言い訳が通じる現場ではない。何としても血液を確保しないと、それこそ自らの血液が凍るような恐怖を味わうことになるかもしれないのである。

 八方塞がりの研修医がとことこと私のところに来て「先生、確かAB型でしたよねえ」。
 こいつの考えていることは手に取るようにわかるのである。切羽詰まった顔はすでに吸血鬼への変身が始まっている。「400ccほど、頂けませんか?」 やっぱり・・。

 日本人の場合、ただでもAB型は少ないというのに、どういう訳か当時、私達の医局員たるや教授を筆頭にB型ばかりが集まっていたのである。その割合たるや、医局の上層部の人達は自分達が血液が必要となった場合に備えて、B型の人間を優先的に入局させていたのであろうかと勘ぐりたくなるほどであった。

 私の血液さえあれば、とりあえず当面の危機は脱出できそうなのに、私がそれを拒否したことによって患者さんの容態が悪化するのを目の当たりにするのはいかにも寝覚めが悪い。結局、しぶしぶながら採血に同意することになったのである。

 外来のベッドに横になり、左腕から採血を始める。普通の注射や点滴と違って採血用の針は、針先から除けば向こう側が見えるほど太いので、半端じゃなく痛いのである。左腕から流れ出す自分の血液を見ていると、採血していた看護師さんが突然、

 「あ、これ・・200cc用のパックだ」
 すなわち、その入れ物にはどうしても必要な400ccの血液は入らないのである。
 「先生・・どうしましょう」って言われても、私にはどうしようもないではないか。
 
 哀れ私は両方の腕から同時に200ccずつの採血をされることになってしまったのである。同じ400ccの採血でも、こっちの方がずっと身体にこたえるように思ったのは気のせいだったのであろうか。

 私の血液の効果なのか、その患者さんの容態はほんの少しは持ち直したのであるが、元々手術不能の進行癌だったその方は、早晩、帰らぬ人となってしまった。

 患者さんをお見送りした後、その研修医がボソッとひとこと。
 「あれだけ弱っていた方に、先生の血液はちょっと刺激が強すぎたんですね」

 しまいに殴るよ、君。

新紫斑病

2005-08-27 | 泌尿器科
 皮膚の下に出血すると、皮膚を通してその血液が赤黒く見え、それはやがて紫に、そして黄色に変わって消失して行く。医学用語ではこれを「紫斑(しはん)」と言う。殴られた後に出来る「青たん」やキスマークはこれと同じである(ちなみに、亡くなった後に皮膚が変色する「死斑(しはん)」とは全く別のものです)。

 当時、まだ若かった内科のA。前日までは特に変わったこともなかったのに、ある日出勤すると顔中にリング状の紫斑が出ていたのである。

 「わ!何、それ・・」
 出会う人、出会う人に驚かれたり、不思議がられたり。でもAは何も言わず、黙々と仕事をこなしている。別に熱があるでもなく、身体が怠そうでもなく、とりたてて体調は悪くはなさそうなのである。

 医局でボーッとしていた私の前にその顔で現れたA。その顔の紫色のリング達は一向に消えて行きそうにはない。

 「おい、いったい何なんだよ、それ。豹みたいな顔をして・・」
 何も応えないA。
 「変な伝染病じゃないだろうなあ。子供さんや患者さんに移ったら大変だぞ」

 あまりにしつこい私の追求に、ついに重い口を開いたA。
 実はAは初めての子供が出来たばかりで奥さんはその子供にかかりっきり。家に帰ってもあまり奥さんに相手になってもらえないのである。一人でテレビを観ながら、ふと目に留まったのは奥さんが使っている搾乳機。直径3センチぐらいのガラスの筒の先に血圧計にようなゴムの袋がついており、それをへこませてから乳頭に押し当てるとガラスの筒の中が陰圧になっておっぱいが吸い出されて来るという代物である。
 手持ちぶさただったのか、何となくそれを自分の顔やおでこに押し当ててペコペコとやりながらテレビを観ていたのであるが、その吸引力たるや半端ではなかったのである。そして翌朝、起きて鏡をみてぶっとんだ。吸い付いた後という後に、紫斑が形成されてしまったという訳である。いわば、とてつもなく大きな蛸に、顔中に吸い付かれて山ほどのキスマークをつけられたのと同じなのである。

 話し終わったA。小さな声で「あの、格好悪いから、できればみんなには内緒にしておいてもらえますか」
 
 それから半日もしないうちに、Aの顔面に出来た紫斑の真相は病院中の人間が知るところとなったのである。許せA、こればっかりは私の胸の内だけにはしまっておけなかったのだ。

ここが悪い

2005-08-25 | 泌尿器科
 バイ○グラの登場以来、勃起不全の治療目的で診療所を訪れる方は爆発的に増加した。しかしながら、いくら世の中がオープンになって来たとは言え、診療所で性に関する話をする時には、やはりなにがしかの羞恥心を伴うものである。さらに男性にとって勃起不全というのはいたくプライドを傷つけられるものであり、いくら話す相手が医者とはいえ、なかなか正直に悩みを打ち明けることは難しいのである。小さな声でボソボソと、遠回しに話される方も少なくない。だから、問診票(初診時、診察の前に受診目的などを聞くアンケートのようなもの)の「性的障害」の所に丸印がついていると、診察が長くなることも覚悟しなければならないのである。

 最近お見えになった50歳台の男性の方。診察室に入っていただいて、「どうされましたか?」とお決まりの文句で診察を開始すると、自分の股間部を押さえて「ここが悪いので困っている」と言われた。
 まあ、泌尿器科に来られるかたは大抵そのあたりが悪いのである。尿の出が悪いとか、尿道から膿が出るとか、はたまた尿が漏れるとか・・。

 「えーと、具体的にどう悪いのか教えて下さい」と言いながらカルテの下にはさまっていた問診票を取り出すと「性的障害」のところに丸印がついている。すなわち勃起不全の状態をして「ここが悪い」と言われたのである。
ちょっと悪いことをしたなあと重いながら、「それはお困りですね」といって、改めて詳しい状況をお聞きすることにした。

 「持続時間が短いということでしょうか?」「性欲が低下したということですか?」
 いろいろ尋ねるがさっぱりと話がかみ合わないのである。

 「ここが悪い」と言っていた患者さん。ついには「ここが悪さをする」と言い直した。
 「え?」
 「こいつが悪さをするので困っている」
 「あの・・そこが元気がないということじゃ・・」
 「元気がありすぎて悪さをするんじゃ。ここが悪さをせんようにする治療はないのか」
 「そこが元気がありすぎて、あちこちの女性に手を出すのを私に治せと言われるのですか」
 「そう言うことやな」

 お前なあ。それはお前のそこだけが悪いんじゃなくて、お前全体の問題だろうが!

そんなものを飲んではいけません

2005-08-20 | 泌尿器科
 私は職業柄、毎日毎日、患者さんと話をする。若い時は、その話の中からいかに迅速にかつ正確で有意義な情報を掴むかに一生懸命になりすぎ、それに関連しない枝葉の話は私にとっては情報を混乱させる邪魔者に過ぎなかった。話が横道に逸れると強引に引き戻したり、強制的に中断させたことも珍しくはない。そうでもしないと、外来に溢れかえる患者さん達をほどほどの時間で診察することが無理だったのである。外来が大幅に遅れるとその後の処置に支障をきたし、結果、検査や手術を待っている患者さんや他のメンバー達に迷惑をかけることになる。ほどほどの時間で診察を終わらせる事はJRほどではないにしろ、かなり重要なノルマだったと言える。
 
 今でも時間内に診療が終わらないと往診に支障を来すので困るのであるが、大きな組織で動いている訳でもないので、そのあたりは随分と余裕が出来た。診療時間の大部分を与太話に費やし、肝心の医療に関する話は二言三言なんてことも珍しくはない。ゆっくり聞いていると、それはなかなか面白いお話も聞けるのである。

 いくらやぶでも医学的知識に関しては患者さんより多い(と思う)。別にことさら難しく話してくれなくてもいいのであるが、医者慣れしているような方は、時々無理に専門用語を使おうとして墓穴を掘る。そこで「それは違うでしょ」なんて突っ込みを入れると、その後の面白い話が聞けなくなるので、ふむふむと興味深げに聴き続けるのである。

「先生、週末から熱が出て頭痛がひどかったんです」
「それで、どうされたんですか」
「先生の所は閉まってるので、薬局にいって解熱鎮痛剤を買ってきました」
「その薬を今、お持ちですか?」
「持ってないですけど、名前はわかります。あの・・バ、バ、バッファ・・」

 助け船は出さない。自分で思い出すから会話が弾むのである。さあ、頑張れ。

「バ、バ・・」と飽きるほど言った後、「思い出した、バッファロー!」

 いくらなんでも、それは飲めんだろ・・。

普通が一番

2005-08-19 | 泌尿器科
 最近、やたらと尿路結石と前立腺の病気の方が多い。
 もともと泌尿器科は内科と比べて守備範囲が相当狭いので(隙間の医学なんて呼ばれてます)、診る病気が偏る傾向がなきにしもあらずなのであるが、この頃、その偏り方がかなり極端なように思うのである。結果、来る人、来る人に同じような説明を繰り返すことになる。同じような病気の人を何人か集めて「はい、みなさん、聞いて下さ~い」などと一度で説明とすませる訳にもいかないし・・。

 たまにはちょっと変わった説明もしたいなあなどと思っていたところ、診察室に現れた90歳を超えるおばあさん。椅子にすわるや否や、
 「きられました」
 「は?」
 
 私は時々、口から出る言葉が漢字に変換されてから出てくればいいのにと思うことがある。「きられました」は「着られました」はたまた「切られました」? 医療機関に来る理由であれば後者の方が妥当なのであろうが、さりとて目の前のおばあさんはどこも痛そうにはしてないし、血がにじんだ包帯をしている訳でもない。
 
 「きられたって、何が?」 「内臓が」
 なるほど、手術をした事があるということなのか。

 「で、いつ頃、どんな手術を受けられたのですか?」
 「手術ではありません。切られたのです」
 「え?・・誰に?」
 「れいに」

 まただよ。その「れい」ってどんな漢字なのだ? なんか嫌な予感がするよなあ。

 「三人のれいが相談して、私の眼を切り抜いて分けたのです」
 ・・やっぱり。「れい」って「霊」のことだよ。で、何で泌尿器科なのだ?

 「その霊が尿の出口を切って・・」

 あの・・やっぱり尿管結石や前立腺の病気がいいです。

オーファン・ドクター

2005-08-17 | 泌尿器科
 私の町では、泌尿器科の医者は私一人しかいない(でも、繁盛はしていない)。
 だから泌尿器科関連の領域で急に状態が悪くなったりすると、患者さんは結構困ったことになるのである。腐っても鯛、やぶでも医者、溺れるものは藁をも掴むのである。急患センターや公立病院から診察を依頼されることも稀ではない。みんな、可哀想になあ。

 私もそれなりに責任は感じるので、容態が急に悪くなる可能性のある方々には、自宅や形態電話の番号を書いた緊急連絡先をお渡ししている。急患センターや公立病院以外にも、特別養護老人ホームや老人保健施設などの福祉施設や介護保険のケアマネージャーさん、あちこちの訪問看護ステーションにも私の緊急連絡先をお知らせしている。

 例えば薬の場合、現在の自由経済の枠の中では、あまり使用されないであろう薬に対して、大金を投じて開発に着手する製薬会社などない。いくら患者さんに必要とされていようと、その対象がほんの僅かな数の患者さんであれば、結果としてその薬剤は利益を生まないからである。高血圧だのコレステロールを下げる薬だのは次から次へと覚えきれないほどの薬剤が供給されるのに対し、HIV(エイズ)や再生不良性貧血などといった希少疾患に対する薬剤の開発や研究は決して盛んだとは言い難い。こういった医療現場では必要性が高いにもかかわらず、経済的な問題で研究や開発に着手されないような希少疾病用の医薬品を「オーファン(orphan:孤児)ドラッグ 」と呼び、その研究開発には補助金が交付されたり、申請が優先的に受け付けられたりするなどの特典が設けられているのである。

 ふむふむ、さすれば医療現場ではそれなりに必要なのに、対象となる患者さんが少ないためにあまり儲からない、結果としてなり手がない泌尿器科の医者というのは、いわば「オーファン・ドクター」ではないか。医者がうじゃうじゃといる大都会ならともかくも、片田舎で爪に火を灯すように細々と開業している泌尿器科の医者には、ちょっとばかり補助金なんぞを支給してくれないものであろうか。だれか今度の選挙公約にしてくれない?

 丑三つ時、枕元の電話が鳴った。聞いてみるとどうも尿が出にくいらしい。はてさて泌尿器科のものか、はたまた内科が原因か。この方は近くの内科のかかりつけ医のドクターがいるため、確か救急連絡先はお渡ししていなかったように思うのであるが、どうして私の家の電話番号がわかったのであろうと不思議に思いながらも、一旦かかりつけの内科のドクターに診ていただいて、その上で私の領分なら改めて診察させてもらおうと説明しようとしたところ、

 「いつも診てもらっている内科の○○先生に電話したら、泌尿器科の先生に診てもらえって言われて、先生の家の電話番号を教えてもらいました」

 かくしてオーファンドクターは今日も真夜中の道をひた走るのである。

親知らず

2005-08-16 | 泌尿器科
 私はかつて腎臓移植に携わっていた。県における第一例目の死体腎移植は何を隠そう私達のチームが行ったのである。死体腎移植の場合、腎臓が提供されるとわかった段階でその腎臓が移植可能な候補者を選択し、急遽移植する施設に来て頂くという慌ただしい行程になるのであるが、親子や兄弟間で行われる生体腎移植の場合には、随分と前から準備が始まる。腎臓を提供する方、腎臓を受け取る方両方の検査でなかなか大変なのであるが、特に腎臓の提供を受ける方は、術後、強力に免疫を抑え込む治療が行われるため、術前に可能な限り感染源となる病巣は取り除いておかなければならない。通常では問題にならない感染症が下手をすれば命取りとなりかねないほどの重症感染症と発展する可能性があるからである。
 話を聞くとなるほどと思われるであろうが、一般の方々があまりピンと来ないのが実は虫歯。虫歯も立派な細菌感染症であり、未治療の虫歯があると強力に免疫抑制をかけた途端に暴れ出す可能性があるのである。だから準備期間がある生体腎移植の場合、術前に虫歯はちゃんと治療するし、治療が間に合わないと判断された場合には、虫歯は後腐れなく全部抜かれてしまうのである。「先生~、5本も抜かれた~」等と情けない顔をしていた若者を私は知っている。
 
 ちょうどその頃、私の親知らずも痛み出した。町の歯科医院を受診する暇などあったものではなかったので、大学の口腔外科に行って治療をお願いすると、私の知り合いであった口腔外科の助教授が診察するや否やのひと言。
 「おい、こんなもの持ってたら移植なんてできんぞ。抜いてしまえ」 
 私は腎臓移植はするが、とりあえずされる予定はない。とにかく痛みを止めて、仕事に支障のないようにして頂ければいいのである。訳のわからない理由でいきなり抜けと言われても・・。

 「まあ、ちょっとばかり考えさせて下さい」という間もなく、「ほら、口開けて」と言われて麻酔をブスッ。「アガガ・・」と言う間に親知らずを抜かれてしまった。まあ、これで治療は終わりだから等と自分を慰めていると、抜歯後にベロベロになった歯茎を縫合しながらその助教授、「おや、反対側の親知らずも虫歯になり始めてるわ。こっちの治療が終わったら抜いてやる」

 何とか都合をつけてキャンセルしたかったが、勝手に予約をキャンセルなどしようものなら、やっとこ?を持って追いかけて来そうな方なのである。覚悟を決めて受診すると、その助教授は「おい○○。これ抜いとけ」と言って若いドクターを御指名。不安だよなあ。

 「えーと、上側のこれですか。じゃ抜きますね」その若いドクターの後で助教授の悪魔のひと言。「ついでに下も抜いてしまえ。そんなの大事に置いといてもそのうちに虫歯になるだけや」

 かくして私は、上下の親知らずを一挙に抜歯される事態に陥ってしまったのである。きっと若いドクターの練習台として、これ以上ない理想的な患者であったのだろう。あまりの急激な展開に身体が強ばってしまい、思い切り緊張して大きな口を開けていたら・・何と次の瞬間に口が閉じなくなってしまったのである。
 「なんやお前、顎が外れてるやないか。わはは・・」

 抜歯後の影響で顔は見事に腫れ上がる、顎関節は痛む、でもって口腔外科では「親知らずを抜きに来て、顎が外れた奴」との評判になる。今思い出しても、とても悲しい思い出なのである。いつか助教授が血尿を出したとき、膀胱鏡を担当するのは私以外ないと、固く固く心に誓っているのである。見てろよ、豪快に検査してやるぞ。

2005-08-13 | 泌尿器科
 大学や地域の基幹病院に勤務していた頃は、早朝から出勤し、とっぷりと日が暮れてから帰宅するという生活の連続で、まだ日が明るいうちに外に出ると何か落ち着かない気持ちになったものである。
 それがこの地に来て往診を初めてからというもの、連日、太陽が燦々と輝く真昼の時間に走り回ることになり、そのおかげで季節の移り変わりとともに見せるさまざまな町や自然の姿を目にする機会に恵まれることになった。

 真夏の風景はなんといっても蝉。近年の猛暑で南方系のクマゼミが幅をきかせ、私達が子供の頃に一番たくさん目にしたミンミンゼミはほとんど見かけない(今年は少しいるようだが)。往診中に見つけたクマゼミが群がる木には、今年もびっしりとクマゼミがくっついていた。よく見てみると、木に群がるセミたちは後ろ向きに移動するのである。他のセミが接触すると(後に目はついてないからね)「ジジッ」と身体を震わせて威嚇する。すると文句を言われた方のセミは「悪かったなあ~」とばかりに、「ジッ」とひと鳴きして方向を変える。見ていて飽きないのである(鳴かないのもいるけど)。
 
 セミは何年も地中にいて、ようやく地上に出てきたと思ったら、わずか1週間の命だというのは何度も聞かされたような木がする。最後の最後に暗い地面の下から光り輝く世界に出て、空を飛び、恋をして死ぬ1週間というのは、セミにとってどんな時間なのであろう。あるいは長く耐えて頑張った結果、最後にご褒美として与えられる夢のような時間なのかもしれない。 
 この1週間という時間は、私達人間にとってはいかにも短か過ぎて可哀想な気がしないでもない。あるいはセミにとっては充分すぎるほどの長い時間なのだと言う見方もあろうが、もしそうだとすれば地中の数年間は気の遠くなる程の長い時間ということになる。

 しかしながら蛍は成虫になればもはや水しか口にせず、わずか1~2日でその生涯を終えるらしい。そういえばカゲロウの命も確かその程度のものである。

 蛍やカゲロウに比べれば少しだけ長いたった一度っきりのセミの夏。

 これをして、少しだけ長いことをセミロングと言うようになったことを知る人は少ない。知らなくていいけど。

とどめ

2005-08-12 | 泌尿器科
 あるいは身内の方を病院で看取った経験のある方ならご存じかもしれないが、心臓が今まさに止まりそうになった時に、胸から心臓に直接長い針を突き刺して薬(主にアドレナリン)を注射する処置がある。心臓が止まりそうになると必然的に血圧も下がり、腕や足の血管から注射をすることが難しくなり、しかもたとえ注射することに成功したからといって、停止しかけた心臓ではその薬を全身に行き渡らせることができないため、やむなく直接、心腔内に注射するのである。幸いにも心臓の筋肉は非情に丈夫なため、細い針が突き刺さったとしても、風船のように心臓が割れることもなく、また針を抜いた後から勢いよく血が噴き出し続けることもない。だからといって、この処置は絶体絶命時に行う最後の手段みたいなもので、手足に注射するような血管が見つからないからといって、安易に心臓に注射なんてしてはいけないのである(当たり前だろ)。

 通常この処置は、事故や容態の急変などで、本来なら止まるべきではない心臓がアクシデントで停止しそうになった場合などにやむなく行う処置なのであるが、どういう訳か私が卒業した頃には、癌の末期等で亡くなる方にも、もれなくこの処置が施されていたのである。

 初めて癌末期の患者さんの臨終に立ち会った時、先輩の医師がその患者さんの心臓にアドレナリンを注射するのを目の当たりにして、「あんたは一体・・何をするのですか~!」と叫びそうになった。目の前の患者さんは癌の末期で、今まさに命が尽きようとしているのである。その方の心臓にブスッと針を刺して心臓マッサージとは・・。私が想像していた看取りの場面とは天と地ほども違ったからである。

 以後、何度かの看取りの場面でも同じことが繰り返され、看護婦さんによっては、患者さんの身体の上にまたがって心臓マッサージをする方もいた。いくら綺麗な看護婦さんでも、今まさに死のうとしている時に身体の上に乗っかられたら嫌だろうなあなどと思ったのは私だけだったのだろうか。

 もし心臓に注射して、心臓マッサージをして、それで心臓が動き出したら・・晴れて癌の末期状態に戻るだけである。しかし、右も左もわからない当時の私は、言われるままに見よう見まねで同じような処置を続けたのである。

 患者さんのご家族はこのような処置についてどう思われているのであろう。「病人になんてひどい事をするんだ・・」だろうか、あるいは「親身になって一生懸命頑張ってくれた」なのか。あえて聞く勇気もないまま数年が過ぎ、そしてまた同じ看取りの場面に出くわした。私の担当する患者さんではなかったので、同僚がする処置を手伝っていたのであるが、その同僚は例によって心臓に注射、心臓マッサージ・・。処置の甲斐無く亡くなられた時、頭を下げる同僚に患者さんの息子さんがひと言。

「先生の手でとどめをさして頂いて、親父も満足だと思います」

 以後、私は患者さんの臨終に立ち会うにあたり、このような理不尽な処置は決して行わないという当たり前の事を決心したのである。