”神様、仏様、稲尾様”の稲尾和久さんが亡くなりました。
稲尾さんが活躍したのは半世紀前、チームは西鉄ライオンズ。そして、”野武士軍団”と呼ばれた豪快なチームを率いて日本シリーズ3連覇を成し遂げたのは、”三原マジック”の三原脩監督。その三原マジックとは・・・。
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◆最強の西鉄ライオンズ
読売ジャイアンツの補強が着々進んでいるようですね。
横浜のクルーン、ヤクルトのラミレスもジャイアンツ入りとか。
約半世紀前のスター軍団といえば、やっぱり読売ジャイアンツ。
そのスター軍団を3年連続で下したのが、西鉄ライオンズでした。
野武士野球といわれ、未だに”最強”の称号をつける人がいるくらい強力だったようです。
物心ついたころの西鉄ライオンズは、とにかく弱かった。
その上、八百長事件で主力選手が解雇され、”球界のお荷物”とまで言われました。情けなかったな~。
その後このチームは、太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズとチーム名が変わり、ついには西武ライオンズとしてフランチャイズを埼玉に移転。
この時の悲しさは、今でも忘れませんよ。「九州からプロ野球チームがなくなった・・・」。
◆三原マジック
早稲田出身の三原さんは、ジャイアンツの看板選手であり監督でした。
でも慶応出身の水原茂さんが監督に就任し、居場所のなくなった三原さんは、逃げるように福岡にやってきて西鉄の監督になるわけです。
『必ず、ジャイアンツを見返してやる!』。
西鉄の監督に就任した三原監督は、ノンプロと変わりないレベルの低い選手たちに落胆します。
『この戦力では戦えない』。
チームの根本的な改革が必要と感じ、高卒で入団した中西太・豊田泰光・稲尾和久など、20歳前後の選手を我慢して起用することで、チームの骨格を作ろうとするわけです。
1956年、パリーグ優勝。
でもスター軍団、常勝軍団のジャイアンツとの日本シリーズの直前、若い選手たちは『とても勝てない』と尻込みをしています。
第一戦の作戦会議。
三原監督は緊張する選手にこのように言うのです。
『第一戦は、負けていい。ジャイアンツの選手を見るだけでいい』。
ベンチにいる選手をすべて使い、ジャイアンツに対する恐怖感を取り除くことに注力するわけです。
第二戦以降は連勝。そして日本一。三原監督は、ジャイアンツに雪辱を果たします。
有名な1958年の日本シリーズ。
3連敗で後がなくなった西鉄。
三原監督はどう出たか・・・。
『大下(飲んべーの四番バッター)、10万円やるから、今夜は選手たちに腹いっぱい飲ませてやってくれ』。
自分は徹夜マージャン。
迎えた第4戦の朝。
雨。
試合中止が午前8時に決定。
この一日が、選手の休養と気分転換になり、その後、奇跡の4連勝で3連覇を達成。
ちなみに第4戦では、稲尾投手がさよならホームランをかっ飛ばし、”神様、仏様、稲尾様”となるわけですが、このキャッチを考えたのは、実は三原監督だったようです。
この本には、一見”マジック”と思われる采配の裏に、実は緻密な計算と選手マネジメントがあったことが書かれています。
興味深い1冊です。
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稲尾さんが活躍したのは半世紀前、チームは西鉄ライオンズ。そして、”野武士軍団”と呼ばれた豪快なチームを率いて日本シリーズ3連覇を成し遂げたのは、”三原マジック”の三原脩監督。その三原マジックとは・・・。
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◆最強の西鉄ライオンズ
読売ジャイアンツの補強が着々進んでいるようですね。
横浜のクルーン、ヤクルトのラミレスもジャイアンツ入りとか。
約半世紀前のスター軍団といえば、やっぱり読売ジャイアンツ。
そのスター軍団を3年連続で下したのが、西鉄ライオンズでした。
野武士野球といわれ、未だに”最強”の称号をつける人がいるくらい強力だったようです。
物心ついたころの西鉄ライオンズは、とにかく弱かった。
その上、八百長事件で主力選手が解雇され、”球界のお荷物”とまで言われました。情けなかったな~。
その後このチームは、太平洋クラブライオンズ、クラウンライターライオンズとチーム名が変わり、ついには西武ライオンズとしてフランチャイズを埼玉に移転。
この時の悲しさは、今でも忘れませんよ。「九州からプロ野球チームがなくなった・・・」。
◆三原マジック
早稲田出身の三原さんは、ジャイアンツの看板選手であり監督でした。
でも慶応出身の水原茂さんが監督に就任し、居場所のなくなった三原さんは、逃げるように福岡にやってきて西鉄の監督になるわけです。
『必ず、ジャイアンツを見返してやる!』。
西鉄の監督に就任した三原監督は、ノンプロと変わりないレベルの低い選手たちに落胆します。
『この戦力では戦えない』。
チームの根本的な改革が必要と感じ、高卒で入団した中西太・豊田泰光・稲尾和久など、20歳前後の選手を我慢して起用することで、チームの骨格を作ろうとするわけです。
1956年、パリーグ優勝。
でもスター軍団、常勝軍団のジャイアンツとの日本シリーズの直前、若い選手たちは『とても勝てない』と尻込みをしています。
第一戦の作戦会議。
三原監督は緊張する選手にこのように言うのです。
『第一戦は、負けていい。ジャイアンツの選手を見るだけでいい』。
ベンチにいる選手をすべて使い、ジャイアンツに対する恐怖感を取り除くことに注力するわけです。
第二戦以降は連勝。そして日本一。三原監督は、ジャイアンツに雪辱を果たします。
有名な1958年の日本シリーズ。
3連敗で後がなくなった西鉄。
三原監督はどう出たか・・・。
『大下(飲んべーの四番バッター)、10万円やるから、今夜は選手たちに腹いっぱい飲ませてやってくれ』。
自分は徹夜マージャン。
迎えた第4戦の朝。
雨。
試合中止が午前8時に決定。
この一日が、選手の休養と気分転換になり、その後、奇跡の4連勝で3連覇を達成。
ちなみに第4戦では、稲尾投手がさよならホームランをかっ飛ばし、”神様、仏様、稲尾様”となるわけですが、このキャッチを考えたのは、実は三原監督だったようです。
この本には、一見”マジック”と思われる采配の裏に、実は緻密な計算と選手マネジメントがあったことが書かれています。
興味深い1冊です。
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三原マジックの部分は聞いた事があります。
緻密な計算無くしては成功しないでしょうね。
西鉄時代は全く知りませんが、西部(森監督)時代は強かったですよね!
見習うところです・・・
でも先日テレビでジャイアンツの選手はどのチームよりも練習量が多いんだとか
目に見えないトレーニングが大切なんでしょうが、最近のジャイアンツはチョット・・・
採用で東京に来ています。
初めてレンタルパソコンというのを借りてみました。
勝負事 スポーツを見ているといかに人の気持ちが大事かって感じます。
信頼できる先輩 何事も経験って吹っ切れた?選手 絶対見返したいという監督・・・・
中小企業も 人の気持ちしだい。
大企業に負けているのは どうせかなわないって最初から決めちゃう気持ちの部分かも・・・最近はそう感じていますよ。
せっかくレンタルしましたからね ここからも応援のポチっ!
小さい時の記憶で、「南海ホークス」対「クラウンライターライオンズ」戦を観に行きました。ほんと弱かったです。大阪のおじさんのヤジが的を得ていて、なんば球場が大爆笑でした。「ひどい言い方するなぁ」と大人のヤジを不思議な光景で受け止めてました。今はパリーグの球団はどこも盛り上がってますから、昔とは大違いですね。
凄い男たちです
なるほど、三原マジックなる言葉はよく耳にしていたのですが、
そんな出来事があったのですか。
プロの選手たちをまとめるマネジメントに興味津々です。
広岡監督が強くしたんですね。
懐かしいです。
スターであっても努力を怠らないのですね。なるほど。
学生の数はいかがでしょうか?
成功を祈ります!
ヤジが可笑しくて、可笑しくて。
観客が少ないので野次もよーく聞こえましたよ。