本日まで書いて、真剣とは思われんこともありながら、真剣過ぎるわけだが、その特にお魚さん理論は、私が中学生までに真剣に考えていた、それは高校生になったら断食にという切実さか、それは当然イカとして、まさか40才を過ぎてどうしてもスケートボード(括弧内2023.1.17追記 数年前に大切なことなんで、これは一応インターネットサーフィンにアワオドリしたけど。最近だと先日、メルカリさんで、ずっと誰にも気付かれずに狙っていた、結城市立図書館の書棚で学んだ「天皇の軍馬(半日以上この間違えた書名の侭のこのブログページで過ごしましたが、「靖国の軍馬」でございました。新書ですね。同じ書棚にあった「動物と戦争」という本も確実に記憶に留めて遠いし立派な巍峩(幸田露伴さんの山の随筆で初めて知った単語を駆使してみました。)だし、再び訪れることはあるまいとその本の存在は図書館でしか知り得なかったということ。もう売れてしまったかも知れないけども、メルカリさんで、たぶん初めてだろうけど「心は孤独な狩人」(新訳ver)が500円以下で状態悪いけど紙面は綺麗そうなのが出ていましたと、有益な、私とお互いに全く関係ないことをお伝え申し上げます。)」だけは久しぶりにインターネットサーフィンでアワオドリして購入したけど。安かったし、そして久しぶりに本当に美本。個人差はげしいけど、個人的に一頁に一生分に値するものがりょうほんにはあると思う。1分に一生分に値する人間性と社会性が相対性であることもあるという普遍性と同程度に。
そして本日青空文庫さんで幸田露伴氏の山の随筆を一頁拝読した。
笑える。
これを書ける人間性と社会性は人間性と社会性があるのかないのか。(数ヶ月か数年で文藝としての人間性と社会性という部分ではそのリョウシキキカンとしての名人芸はすげぇもんがこのおっさんもある。とこれ以上書くと余程よく書きすぎるからこの辺りで追記はちょうどよかっぺ。)
しかしそれは分かりやすく考えれば、生活インフラというのはそのブンギョウザ以外の大多数にとっては第一に何から作るのか、何から考えるべきかすら意味不明である。
それが出来る人間性と社会性はという論法は万能細胞であるけれど、それでしか発展性というものは基本原理としては叶わない。ようかどういきの人々の調和と言ってもいいけれども。
追記にしても書きすぎたが、今回ぐれぇはよかっぺ。)しか眼中になかったじぶんにそれはそれは効いた甲イカになった15才の初夏(早生まれなんでね)を思い出すきっかけにもなったが、中学生までの真剣さほど真剣な思索はなかったという考え方を適用してしまえば、私の10年間ないし15年間は、中学生までのその真剣さに辿り着いた。或いは戻った。(括弧内2023.1.17追記 お魚さん理論という具体的ということがそれであるということにしたらそれ自体を中学生の時に考えていたわけではないっす。そのようなことを考えていたということ、知識もないわけで、男らしさということへの漠然さもあるわけで、それでも断食しか考えてなかったかも知れん。起きてる間中も眠いだけだったので数日に一度思い出す程度で。雑誌が好きだったのでボクシング雑誌、映画雑誌、エロ雑誌は真剣に読んでた。雑誌って相対性というか人間から人間から人間へ、人間のドリョクショウから人間のドリョクショウから人間のドリョクショウへ。これも雑誌ってマルダシドコンジョウの美質のいちぶがあるからだろうね。美質なんてぇもんじゃねぇという人間性と社会性としてではない部分としてのことを考えると。
雑誌も、大多数の人々は先ずもって、紙や活版を造り出すことすら不可能というか意味不明なわけだし。)
その時期に、例えば歴史や地理、生物や物理、将棋や囲碁、手芸やプラモ作りなどに真剣に取り組んだ人々はその真剣さはそれほどの集中と情熱はそれに未だにあるだろう。それからの時空間の差異、それからの交通安全の差異などは別として。
私の場合オナニーもその時期特に熱中していたわけだが、それは特にこの時期は寒いし、新年になり、キュウカンのかっこつけどもとのカイリセイサンコンプのためにしかならんような指を八本丁寧に腫れ上がりっくす(特に大袈裟になるほどでもない。大袈裟な腫れ上がりでもない。既に変色は青紫になり、八本腫れ上がり腫れ上がってないとしか見えない切なさをも実現である。(括弧内2023.1.17追記 来年書こうと思ってたけど、昨年末にアワオドリは三本ね。1本余計だったけど多い分にはいいわけで、何も何かに暖まろうとしたわけではなくてね。取り敢えず今んとこ、これからのこのブログが半年以上このページだけでやっつけで進んじまうということになりかねん程の書きすぎということに関しましては、もっと書きすぎになっていく追記になりますので当括弧内はこれにて。))でオナニーどころでもなく、最近足早になるのも身体の稼働を意識せねばぎこちないというかそれほど真剣にボーンガンソウに励んでちっとも面白くはないながらちょっと面白くはあったかもということで悩みながらハゲましていく苦悩。
視力と考え込むってぇのはハゲがますと思う。
前屈みというか下向きというか明るい未来?みてぇなの考えるほど暗くなるというか落ち込むというか。
浅田次郎さんの書籍んとこだけにそのワンコンプだけ書いただけだけども、実はもっと個人的に書きたかったけど誰からも喜ばれんがしかもなんとマルクスの書籍んとこにきっちりはっきりくっきり書いて(時差はセコイヤとご判断されても、それしかこちらはハナからない。その部分だけのことだけは。皆様そんなようなことはそのために色々あるわけでね。下手うちの豊富さでしか人間技とは思われん立派な野球場で試合なんぞ稼働出来んわけでね。それでもその最中に下手うちは大前提なわけだけど。)交通安全の真似事でもないけれどもそれを今こうして書いてたら、ホークスの柳田選手は背番号9番。
キューバン。(goo案棚もは別として、この部分は後付けとしてしか考えてないが、人"種"愛ソースとして考えるならば、それはオラコンプのためにオラコンプ、オラコンプのためのオラコンプをかまされたある年寄りのおっさんら(私の頗る個人的な認識ではそれは全体主義として。でもそれは全体主義というか民主主義が行われたとしてのその全体主義というソースを理解してということも。その全体主義の枠組みでの民主主義ということなんで、私と関係性はないんだが、誰もがいきてるのと同じく誰もでいきてるのと同じという論理の万能細胞の部分を適用とだけ書くだけ書いてと。これ公開しないんでそれほどそれこそ真剣に書きたい?と問われぬほどには真剣に書いてたら違うポテンシャルが特に今年から考えちゃって笑えることでもないんだが、悲しみ、切なさ、辛さ、そしてひもじさ、惨めさ、憐れさなどのそれはリョウシキあるんだが、それを笑うサンコンプという部分ではなくてという部分としても。)ということの理解しか私はない部分は、それがために私はgoo案棚もとして今んとこ書いただけということは毛頭ないっす。
因みに私は二十歳前後にジャズを少し好んでた頃があり、ケニー・ドーハムのアフロ・キューバンは名盤だというロック名盤本の言い付け通りに買ったら本当に名盤だと思ったことを思い出した。)
私はイカだったのとなんとなく一致なことを本日初めて意識した。
昨日か一昨日に初めてプロスピさんでホークス柳田選手のAランクカードが当たったからだろう。
Bランクカードはいっぱい育て上げたけど。
こっちもバットではないが、てめぇのポコチン1本で授業中オンリーに精子出してきたのは中学生の時の誰にも喜ばれん代物。
話があらぬ方向にいっちまってめんどくちゃいし、これは公開しないのでそれほど真剣に書かんでもよかっぺ。
ちょびっと全体的に可能性としては惜しいページだが、午前4時にもなっちゃったからプロスピ少しして眠りましょう。
早朝に就寝しお昼過ぎに起床した後、二食と入浴を済ませ、出来すぎくんのお話を書いとくでもねぇんだが書いとく。
当然皆様(活力組?)は無線山パコパコショウセイチジュンレイ主義の人々で、そこでオトクサンサインイリジャンパーダイギョウザマツリマルダシドコンジョウをそつなくやりきりはりきりカマキツネ。
私はやはりそれからの10才位までだと思うけども、大洋ホエールズの帽子をたぶん自らチョイスして被っていた。
スーパーカートリオが好きだったわけだが、それは初代ファミスタからなので後付け。私は元来車というのは汲み取り屋さんと焼き芋屋さんの車の二択の世界観の人間だった。スーパーカートリオが好きだったわけだが、初代ファミスタではタイガースとレールウェイルズが基本で、気が向いたときに、フーズフーズの落合(括弧内2023.1.17追記 公開となるとさん付けというより様付けというより、超という冠詞を付けるべきか悩むところですが、当時の選手ということで選手としなければいけませんね。どんだけ頑張っても選手になれん人間性と社会性は多いわけで。野球以外と同じように。皆様じじょうとだんかいは違うけど。)とジャイアンツの江川(括弧内2023.1.17追記 選手)のカーブと代打王(括弧内2023.1.17追記 選手)とナムコスターズのピノ(括弧内2023.1.17追記 選手)のためにちょこっとそのチームでという程度と同程度のホエールズだった。それ以外のチームで初代ファミスタを行ったことは恐らくないということも今更ながらそんなことを思い出してどうすんだということながら。
そしてその頃から、基本いつも仏頂面だった。皆様それぞれ理由は違えども、私は一度目の物心ついた頃から仏頂面。
初めての車はビート。
これは後部に焼き芋屋さんという可能性を実はその頃までも私は失わなかった現れでもある。前部もだけど。オープンじゃないと。幌と言うべきか。
将棋も天才の集いだが、その中でも天才の羽生さんは広島カープだったなぁなんて天才と比べる余裕は私に実はある。
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