goo blog サービス終了のお知らせ 

TAAN’Sダイアリー

衰えつつある肉体への挑戦!!~湧きあがれ熱きアドレナリンよ!~

5日目!

2011-06-17 19:35:57 | 日記
いよいよ宮城県出張も残すところ明日1日となった。
今日1日を振り返ると被害の調査も一段落つき、支払をするための請求手続きに移行しつつある。
日中の調査物件も5件前後だ。昼食を支店長と取りながら地域の様子、これから先の展望、事業進捗、プライベートの話題等、色々な話をする。
今回我々は家屋の調査できているが、この先待っている支払処理やクレーム対応をメインとしたお客様対応の方が格段に大変だ。
俺は過去の自然災害対応で経験済みなだけに、宮城県を含む東北のJA関係者には頑張って乗り越えてもらいたい。
疲れからくる体調不良や苛立ちストレス等、すでにかなりのレベルにあると思うが、復旧・復興を願いJAとしての役割を最後まで遂行できるよう健康に留意しながら全力を尽くしてください。

4日目!

2011-06-16 20:56:32 | 日記
今日で4日目!折り返し地点だ。
出張生活にも慣れ、気の緩みが出てくる頃だ。
仕事の内容は初日から変わりはない。この気の弛みは、自分の気持ちが出張先の仙台に順応し、刺激と緊張感が薄れてきている証拠だ。
仕事内容は初日から最終日まで均一でなければならない。

いつもの事ながら、これ位から家族の声・家族の顔が恋しくなる。
いつも強気な俺だが寂しさには勝てない。とっほほ・・・。
きっと家族が俺の周りからいなくなった瞬間から俺の存在も薄れていくんだろうな。

ママぁ~!クソガキどもぉ~もうじき帰るからな~~!

3日目!

2011-06-15 19:53:19 | 日記
そろそろ疲れが出てきた。何となく目覚めも悪い。
日中、お客さんのところを査定活動で回っていると、お茶やコーヒーを飲んで行けと勧められる。
お茶をもらっていると、すぐさまお箸がでてくる。宮城県では茶請けに漬物や煮物が当たり前のようにでてくる。
昨日はフキの煮物、伊達ロール、きゅうりの漬物であった。今日は白菜の漬物(浅漬け)、大根の酢の漬物、カボチャの煮物、宮城名物白松の最中、お茶、コーヒー、昼食後あまり時間が経っていないのでお腹いっぱい!!!
土産に最中詰め合わせ・・・モウダメダ。
次の家でもコーヒーをマグカップにいっぱい!太って帰るのは間違いないと確信した。

話は変わるが、お客さんの話で今日も新発見!
・・・やっぱりあまりいい話ではないので後日会った人だけに話すことにしよう。

ニュースで静岡のお茶が放射能に汚染されている報道があった。知った顔が全国区に流れていたが、どの段階を基準に安全性を求めるのか議論が紛糾しそうだ。関係ない静岡産のお茶も風評被害を受けるのはこれで間違いない。

いったい放射能汚染は日本のどこまで拡がり、どこまで産業を蝕めば気が済むのか?
この怒りをどこにぶつければいいのか?地震・東電・国家といろいろ矛先はあるが・・・

2日目

2011-06-14 21:29:22 | 日記
査定活動2日目。
8時15分タクシーでJA仙台 高砂支店まで出勤。
今日はフル活動だった。8棟の調査を実施した。
その中の1軒のお宅で新たな情報を入手。遺体安置所には車の中で亡くなった人については車のNOプレートを遺体と一緒に置いてあるそうだ。車のナンバーで身元確認が可能になるケースも結構あるという理由からだ。
そして、消防関係の人から3/12付の自宅近くの川の増水の様子と津波被害の生写真を数枚いただくことができた。帰ったら写真を見ながら説明も少しはできる。
やはり、写真といえどもそこには生活が密着しており、緊迫感、緊張感が違う。
昨日とはまた違った思いが頭の中を渦巻いた。

初日!

2011-06-13 20:16:57 | 日記
いつものとおり5時頃から目が覚め、携帯目覚ましの鳴る5時半頃に体を起こす。
同部屋の入会3年目の若者はまだ眠っている。この早起きは40過ぎの素敵な中年おじ様ならではの特技だ!!!
めざましテレビを見ながら朝食を待つ。いつもなら6時には食べ始めているのにホテルでは6時半から・・・。
別のホテルでオリエンテーションがあるため8時半頃に移動する。(徒歩10分)
約1時間30分のオリエンテーション後、派遣先JAに向かう。
派遣先はJA仙台 高砂支店という所で津波の被害もあった地域だ。支店長が被災場所で被害がひどい場所を車で案内してくれた。
仙台港が管内となっていてその周辺が津波でかなりの被害を受けていた。(随分、瓦礫等片付けられていたが)
荒浜地区という海沿いの地域に行った。そこは遺体が何百体か打ち上げられた場所だ。
支店長が死亡者・行方不明者について話をしてくれた。
震災から3ヶ月程経過するが、もっと前から遺体収容所にはかなりの遺体が収容されているが、損傷と腐敗が激しく遺族による確認が中々できないとのことだ。遺体は殆ど衣類はつけておらず、数少ない身に着けている遺留品で何とか確認可能な遺体だけが死亡者として報告されているそうだ。
また、テレビ・新聞で報道されている死亡者数は住宅地での捜索で確認された人達の数であり、住宅地以外の田畑等については未だ手付かず状態とのことである。まさしく車中からその田畑を見た時、まだこの中に行方不明者の方が多数いると思った瞬間、心が震えた・・・。

こんな酷い惨状であるが被災地域の人達は前を向いて進んでいる。
俺もできる限りの復旧・復興支援をしていこうと改めて思った。