爺ちゃんの旅

77歳の爺ちゃんの旅 人生も旅 旅行くもまた旅

逆もまた真なり

2005-12-05 17:46:30 | Weblog
十一月29日、30日と属する宗派の本山の行事で京都にいた。一団とは山科別院で落ち合ったのだが、参拝を済ませて西大路をさらに西へ。金閣寺の近くで昼食をとった。三〇分ほど時間に空きがあって、金閣寺の紅葉撮影に急いだ。
行けど行けど拝観券を求めるところがない。ままよと進んだ。すばらしい紅葉の連続である。そこでパチリ、ここでパチリ。我が向かうほうには人はなく、ぞくぞくと人が下りてくる。床机に赤い緋毛氈をひいた向こうにそれはそれは美しい紅葉を見つけた。ずかずかと入っていくと大きな声で、60格好の女性が「お茶を飲むんですか」と来た。確かに「めしあがる」でもなく「おのみ」でもなかった。京の人にしてはぞんざいな言葉遣いよと思って、はっと気がついた。緋毛氈は茶客のため。そうそうと去って、左に行くと、今度は昔の警察のような帽子をかぶった男が「ここからはいけません」という。物腰はさっきの女性より柔らかい。「券はどこで買うのですか」とわたし。「反対に向かって居られるんですよ、券はあっちです」男はかなたを指差す。時間は後10分ほど。ここから引き返しても、ちょうどよいほど。
もう券を求めて入る気はさらさらない。で、引き返して、バスの待つところへ。

二日間のカメラはすべてぶれていた。なぜなぜなぜ、顔面蒼白、そして自信喪失。

十二月二日に再び金閣寺に参る時間をつくった。今度は、拝観券を求めて門を通過。すぐに金閣に出会い、逆さ金閣も含めて、かなりの枚数を物した。時間もゆっくりかけた。パチリでなく一眼レフ特有の快いシャッター音をを鳴らしながら、
一昨日の茶所を通りかかった。妙齢のご婦人から「お茶如何ですか」とか何とか声がかかった。600円を払って緋毛氈にかけた。件の紅葉はフラッシュをたかなければ
撮れなかった。私は裏紅葉をとりたかったのである。

それにしても、一昨日は「逆に」入ったからこそ、集合時刻に間に合ったのであって、フダを求めて「正門」から入っていたとすれば、刻限破りになるところであった。金閣寺はとても10分や20分で回れる庭ではない。