大理 古城街の古い家
大理古城街の路地で見た古い家。二つの蔵の間にやっとひとり通れるぐらいの狭い空間。手前には石段があり、両側の蔵の壁には屋根付きの看板らしきものが掛けてある。奥にある家の入口のようだ。こんなに奥まった所に家を建てたのは防犯のためか、 それとも格式を重んじるためなのか。手前の蔵の所どころはげ落ちた白壁が歴史を感じさせる。
秩父番場通 小池煙草店
セメント製造の新技術開発(注*参照)でお世話になった秩父へスケッチドライブに出かける。番場通りで見かけた煙草店。小粋な建物でとても煙草の店とは思えない。適度に装飾がほどこされ、窓の形もいろいろだ。電柱のアンティーク調のランプも建物と良く合っている。昭和初期の建物というから、当時は相当繁盛した煙草店だったのだろう。(注* 秩父で新技術開発(1))
日本国パスポート
飛行ルート
香港からバーレーンへ
香港を発ち8時間、真夜中の2時にバーレーン空港に到着した。バーレーンは人口150万人、ペルシャ湾内にあるアラブの小国だ。当初の予定では、このバーレーンから直接イエメンに行くはずだった。しかし香港での乗り継ぎトラブルのため、サウジアラビアを横断する迂回ルートになってしまった(上記飛行ルート参照)。次の目的地ダハラン行きのフライトは5時間後の早朝7時。それまで待合室で待機だ。待合室にいた大勢の人たちはしばらくすると潮を引いたように消え、室内はひっそりと静まりかえる。うつらうつらしながら時が過ぎるのを待った。夜が明けて7時定刻、飛行機はダハランに向け飛び立った。
サウジアラビア・ダハラン空港着 バーレーンを発ってから15分後、海峡をひとまたぎしてサウジアラビアのダハラン空港に着いた。到着後、予期せぬことが起きた。国際線からサウジ国の国内線に乗り継ぎの時だ。国内線の待合室まで一般客と一緒にと思ったら、私一人だけ乗用車で連れて行かれた。VIP扱いなどと喜んではいられない。国内線待合室前で空港係員からパスポートを出すよう言われる。係員は私のパスポートを茶色の大きな封筒に入れ、「次の乗り継ぎ地ジェッダで返す」と言って事務室へと消えていった。
なぜ取り上げられたのかよく分からない。ビザなしの状態でサウジアラビア国内への入国を防ぐためなのか。それにしてもパスポートなしでサウジアラビアの国内線に乗ることは危険この上もないこと。もし何かの手違いで戻ってこなかったらどうなるのか。身元不明、不法入国扱いで国内監禁になりかねない。不安が募る。しかしパスポート提出を断ることはできない。ここはアラブ諸国の中でも特におきての厳しいサウジアラビアだ。観念してサウジ国のルールに従わざるを得なかった。
さて、次の難題は空港での12時間待ちだ。ジェッダ行きフライトまで、朝の7時半から夜の8時までどうやって過すか。とりあえず日本から持参した日露戦争と小村寿太郎のことを書いた小説「ポーツマスの旗」を読んで時間をつぶすことにする。読んでいくうちに睡魔に襲われる。時折エアフランス、パンアメリカンなどの飛行機の到着ごとに周りが騒々しくなり目が覚める。
食事とトイレが大変だった。ひとりなのでトイレには重いカバンを持っていかねばならない。国内線のため食事は売店のサンドイッチとコーヒーぐらいしかない。椅子に座ったままの苦行が続く。読書の合間にモーツアルトの交響曲40、41番で頭を休める。空港の清掃係が気の毒がって時折声をかけてくれた。(イエメンプロジェクト(6-3)フライト乗り継ぎトラブル③に続く)
。
弘前警察署 紺屋町派出所
弘前の町を歩いているとひときわ目立つ赤い建物に出くわした。何の建物かと近づいてみると警察の派出所だった。派出所にしては随分豪奢だ。弘前という町は金持ちなんだなと感心する。それにしても警察の建物に半鐘とは意外で面白い。