他人の生き方について、かれこれと指示するのは危険なことだ。
…
正直なところ、私には自分の気持ちすらろくすっぽわかっていない。
まして他人のなど、てんでわかるはずがないのだ。
われわれは、隣人たちがどう思っているのか、どう感じているのか
それをただ憶測しうるに過ぎない。
人間はそれぞれ孤独の塔に閉じ込められている囚人のようなもので
人類というものを形づくっているほかの囚人たちと、その表す意味が
自分にとってと他人にとってでは、いくぶん食いちがった紋切り型の
表現形式によって、わずかにお互いの気持ちを通じ合っているだけなのだ。
しかも人生は二度と取り返しのきかぬものだし、
取り返しのつかぬ失策を繰り返すことも珍しくない。
だから、相手かまわず、人はかく生きるべきだなどと
偉そうな口をきくことなんか、私には到底出来ないことである。
だいいち、生きると言うこと自体が並大抵のことではない。
+ + +
真実と顔つき合わせて考え、それがたとえ不快であっても腹を立てず
人間性というものを在るがままに受け取り、それが馬鹿らしいときには笑い
哀しいときには誇張なしに悲しむこと。
ふむ
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正直なところ、私には自分の気持ちすらろくすっぽわかっていない。
まして他人のなど、てんでわかるはずがないのだ。
われわれは、隣人たちがどう思っているのか、どう感じているのか
それをただ憶測しうるに過ぎない。
人間はそれぞれ孤独の塔に閉じ込められている囚人のようなもので
人類というものを形づくっているほかの囚人たちと、その表す意味が
自分にとってと他人にとってでは、いくぶん食いちがった紋切り型の
表現形式によって、わずかにお互いの気持ちを通じ合っているだけなのだ。
しかも人生は二度と取り返しのきかぬものだし、
取り返しのつかぬ失策を繰り返すことも珍しくない。
だから、相手かまわず、人はかく生きるべきだなどと
偉そうな口をきくことなんか、私には到底出来ないことである。
だいいち、生きると言うこと自体が並大抵のことではない。
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真実と顔つき合わせて考え、それがたとえ不快であっても腹を立てず
人間性というものを在るがままに受け取り、それが馬鹿らしいときには笑い
哀しいときには誇張なしに悲しむこと。
ふむ
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